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「理乃ちゃんは、どういうお話が好きーーいたっ」
強い風が吹き抜けた時、洸が急に痛そうな声を出した。
「どうしたの?」
「目の中に何か入った」
見ると、目を擦ろうとしている。
「ダメ」
慌ててその手を掴んだ。
パパが目に枝の切れ端が入った時、擦ったせいで角膜が剥がれて大変なことになった。
「我慢して、何回かまばたきしてみて」
眼科の先生から教えてもらった対処法を伝えながら、鞄から目薬を取り出す。
「これ、良かったら。人の目薬なんて使いたくないかもしれないけど、開けたばかりだから」
そう言って、洸に差し出した。
「ありがとう……取れたかも。でも、目薬使わせてもらってもいい?」
洸は私から目薬を受け取ると、目に差した。
再び何度か瞬きをしている。
右目から目薬があふれて、頬を伝い落ちた。
「取れた?見せて」
「うん。痛くなくなったから取れたと思う」
そう答える洸の右目を覗き込む。
よく見えなくて、眼鏡を外してさらに覗き込んだ。
下まぶたのふちに、細かい木片のようなものが引っかかっているのが見えた。
「動かないで」
慎重にそれを取り除く。
白目が少し充血しているけど、もう大丈夫だろう。
「あの、理乃ちゃん……」
洸に名前を呼ばれて、自分が無意識に洸の頬を押さえていたことに気づいた。
「あ、ごめん、つい」
手を離して、一歩後ずさる。
洸は、目だけじゃなくて、顔全体が赤くなっていた。
「やっぱり、理乃ちゃんは演劇に出なくていいや……」
「え?」
眼鏡をかけながら訊きかえす。
その話はとっくに終わったと思っていた。
まだ諦めてなかったんか。
呆れる私に、洸は言った。
「劇なんか出たら、可愛いのがみんなにバレちゃう」
「なっ」
何やそれ。
そんなチャラいこと言われるんは、一番嫌いや。
せやのに、何で心臓がドクドクうるさいんやろ。
「ちゃんと見えてる?もっと目薬差した方がいいんじゃない?」
動揺を押し隠して、冗談で返す。
「あはは。目薬を使わせてもらったおかげで、はっきり見えてるよ」
はっきり見えてるよ、やないわ。
何なん、こいつ。
「私の父親が目を擦って大変なことになったことがあるから、ちょっと心配しただけ。ホント、それだけだから」
心臓を落ち着けたくて、くどくど言う。
自分が何に動揺しているのかも分からずに。
「うん。ありがとう」
洸はすっかり平常運転だ。
なんかムカつく。
気づけば、お母さんの事務所のマンションの前だった。
「参ったな」
逃げるように別れを告げようとした私に、洸は言った。
「理乃ちゃんのことが、どんどん好きになる」
「ちょ、ホントに、冗談やめてよ」
「冗談でこんなこと言わないよ」
絶対。
絶対絶対絶対。
この人は私のことをからかって、面白がってるだけだ。
だから、騙されるな、私。
「じゃあ、また明日ね」
洸は、あっさりと別れを告げて、そのまま歩いて行った。
本当に、意味不明だ。
可愛いとか好きとかはサラッと言うくせに、少し見つめ合っただけで赤くなる。
女子に慣れてるんだか慣れてないんだか分からない。
いや、それはどうでもいいのだ。
とにかく、洸の『好き』を真に受けてはいけない。
いちいちドキドキするな、私の心臓。
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