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***
私たちは、駅前のイタリアンレストランに入った。
洸がスーツのジャケットを脱いで白いTシャツになったから、少しホッとした。
スーツを汚しそうで心配だったし、何だかいつもよりもカッコよく見えて、目のやりどころがなかったのだ。
「それで、」
サービスの水をひとくち飲んだ後、洸は私の向かいで口を開いた。
「どうして僕のことを待ってたの?」
微笑みを浮かべて、私にそう尋ねてくる。
「ど、どうしてちゃうわ」
洸に見つめられて、鼓動が早くなっている。
何でだろう。
ジャケットを脱いだのに、まだカッコよく見える。
「洸くんが高校来ないから、心配したんやんか」
会いたかったから、とは言えずに、無難な答えを返した。
「心配してくれたんだ」
臆病な私に、洸はそれでも嬉しそうに笑った。
「ごめんね。この1週間、芸能事務所に通ってたんだ」
さらりとそう教えてくれた。
ーー嘘をつかれなくて良かった。
そう思ってホッとした。
この期に及んで私は、傷つくことを恐れている。
「芸能事務所って、アイドルにでもなるつもりなん?」
そう尋ねたのは、ほとんど冗談のつもりだった。
だから、洸が小さく頷いたのを見て、戸惑った。
「え、ほんまに?」
確かに洸はアイドルにいてもおかしくないルックスではあるけれど。
「僕の姉が勝手に応募したんだ」
洸は口元に微笑みを浮かべたまま言った。
「文化祭でやったシンデレラの劇の動画を事務所に送ったら、連絡が来たらしい。ほら、金曜日うちに来た時、やたら騒々しかったでしょ」
ああ、そういえば。
洸のお母さんがすごい剣幕だった。
というか。
「すごいやん。それって、洸くんの演じるスキルが評価されたってことやろ?」
私は、純粋に嬉しいと思った。
誰も僕の演技を見てくれないと、洸は悲しそうに言っていたから。
けれど。
「ありがとう」
洸は寂しげに微笑んだ。
「理乃ちゃんも応援してくれる?」
そう尋ねる洸の顔は、あまり嬉しそうには見えなかった。
「芸能事務所は、まだお試し期間中なんだ」
洸が言葉を続ける。
「でも、うん、僕には向いてるかもしれないね。僕を見て幸せな気持ちになってくれる人がいるんだったら、こんなありがたい話はないよね」
その口ぶりは、どこか他人事のようで。
洸の顔から笑みが消えて、真顔になる。
それは、初めて喋った日に電車の中で見せた表情だ。
飼い犬が死んだ悲しみを、封じ込めていた時の。
「高校は、辞めようと思う」
洸は決心したように言った。
「人を楽しませられる期間は短い。今からダンスとかを習うんじゃ、遅すぎるくらいだ。高校に行ってる場合じゃない」
その口調は、まるで自分に言い聞かせているみたいだった。
結論を急ぐ洸に、私は思わず口を挟む。
「高校生活だって、今しかできないよ?」
「勉強は、いつでもできるよ」
洸はそう即答した。
「でも、勉強だけじゃなくて……」
私は食い下がる。
「部活とか、友達付き合いとか、あと、その、恋愛、とか……」
そんな私の声は、後半に向けて小さくなっていく。
それらはすべて自分が否定してきたものばかりだったから。
けれど。
洸が教えてくれたのだ。
「洸くんは、どうしたいの?」
洸の言葉の主語に、洸はいない。
いつだって他人のことばかりだ。
「だって僕は、」
洸はやっと少し感情らしいものを見せた。
「理乃ちゃん以外の子と、恋愛なんてできない」
まるで駄々っ子みたいな口調で。
「だけど、僕は理乃ちゃんを困らせたくない」
テーブルの上で拳を握りしめて、洸は泣きそうな声でそう言った。
「洸くんーー」
その時、タイミング悪く注文のパスタが運ばれてきた。
私の言葉は、パスタの湯気とともに宙に漂って、洸のもとに届かないまま消えた。
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