そのあとのお話

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*** 「なんか、初めて来た気がせんな」  洸の住むアパートの部屋に足を踏み入れた理乃は、そんな感想を漏らした。 「毎日、画面越しに見てたからね」  洸が頷いて言う。  実際、理乃が洸の部屋に来るのは初めてだった。  けれど、イギリスからのビデオ通話で毎日のように見ていた空間だけに、初めて来た気がしなかったのだ。 「荷物、ここに置くね」    洸が、理乃のボストンバッグをリビングの床に降ろして、そう声をかける。  昨日帰国した理乃は、実家で1日過ごして、翌日の今日、レストランで洸とディナーをとったあと、洸の家にやってきたのだった。  今晩はここに泊まるつもりだ。 「理乃ちゃんは、明日はゆっくりできるの?」  洸が、お茶を用意しながらそう問いかける。 「明日はおばあちゃんのとこに顔出してくる」 「ええ、大阪に?」    理乃の母方の祖母は、大阪で一人暮らしをしている。  理乃は長期休暇のたびに、祖母の家を訪ねていた。 「うん。でも夜には戻ってくるよ。洸くんは明日仕事やろ?」 「そうだけど、理乃ちゃん昨日帰国したばかりで疲れてるでしょ。今日は早く寝ようね」  昼間は涼香と遊びにいっていたという理乃を、洸は気遣ったのだった。 「洸くんはそれでええの?」  理乃にいたずらっぽく返されて、洸がガチャンと手元を狂わせる。 「い、いいに決まってるよ。僕も眠たいし」  そんな強がりを口にした。 「それに、これからはずっと……」  最後まで言えずに口ごもる洸に、理乃が後ろから抱きつく。 「私に会えなくて寂しかった?」 「さ、寂しかったよ」 「あはは、耳真っ赤。まだ私に緊張してるん?」 「だって、理乃ちゃんに会うの久しぶりなんだもん」  理乃は抱きつく腕をするりと解いた。 「ごめんね。ずるずると4年も」  渡英した当初は1年だけの予定だったのだけど、気づいたら4年経っていたのだった。 「いいよ。言ったでしょ、理乃ちゃんのやりたいことをしてって」 「うん。ありがと」  お茶を手に、リビングのソファーに2人並んで腰を下ろす。 「理乃ちゃんは、これからどうするの?」  洸は、意を決してそう尋ねた。  理乃に会ったら訊こうと思っていたのだけど、口にするのは少しだけ、勇気が必要だった。  理乃が心変わりしてイギリスに戻ると言い出す可能性も、ゼロではなかった。   「んー。まだ決めてへんねん」  理乃があっけらかんと答える。 「そっか」  理乃は、洸がこっそりとため息をついたのに気づいた。 「あ、知慧が変なことゆうてたけど、ニートになる気はないから安心して?ちゃんとバイトするし」  洸を安心させようと饒舌になる理乃を見て、洸は小さく首を横に振った。 「理乃ちゃんが選ぶ道なら、何でも応援するよ。ただ……」    ゴクリと喉仏を上下させて言葉を続ける。 「重たいって思われても僕は、次は絶対付いていくから」  理乃がイギリス滞在を延期した時も、洸はそうしたかった。  でも、将来のことを考えて、必死に思いとどまったのだった。 「不安にさせてごめんね」  理乃は洸の肩に寄りかかって謝る。 「しばらくは洸くんのそばにいるよ」 「……しばらくは?」  聞き咎める洸に、理乃は小さく笑う。 「洸くんが言ったんやで?」 「ん?」 「私が、どの大学に行くかで人生決まるんやって言ったら、ほんなら大学に入った後は何も決めんで生きていくんかって」  洸は知らない。  自分の言葉が、理乃の人生にどれだけ大きな影響を与えているかを。 「私な、これからもいっぱい考えるわ。やないと、生きててもおもんないやろ?」  理乃はそう言って、洸に笑いかけた。  そんな理乃が眩しくて。 「ほんとに、理乃ちゃんに置いてかれないようにしないとな……」  洸は独り言のようにそう呟いた。  そんな洸の肩に、理乃がさらにもたれかかる。 「私も不安やったよ。洸くんに愛想尽かされてまうんやないかって」 「そんなことあるわけないよ」 「分からんやんか」  洸は返しに困って、目をキョロキョロさせた。 「な。お互い様やねん」  理乃の言葉に、それでも納得しきれずに首を傾げる洸だった。 「それより、洸くんの話も聞かせてよ。システムトラブルが起きたゆうてたんは解決したん?」  理乃は強引に話題を変えて尋ねた。  洸は、大学でプログラミングを学んで、今は保護犬のマッチングプログラムの開発に関わっている。   「うん。ディベロッパーの大規模改修の影響でコードがーー」  自分の仕事について語りだした洸の声に、理乃はうっとりと耳を傾けた。
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