プロローグ〜悪魔のようなオンナ〜

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プロローグ〜悪魔のようなオンナ〜

 常緑樹の根元は、春の陽光が差し込んで明るく照らされている。  校内でもっとも長い樹齢を誇るその巨木について、いつの頃か、こんな伝説が語り継がれていた。 『伝説の大樹』の下で、愛を告白した二人は永遠に結ばれる――――――。    日本中の教育機関で、なかば興味本位、なかば退屈しのぎ代わりに語られる『学校の七不思議』と同じく、中高一貫校である私立ひばりヶ丘学院では、そんな伝説が、なかば冗談交じり、なかば本気の熱を帯びて、生徒の間でまことしやかに語られている。  そして、春休みも間近に迫ったこの日。  春らしい陽気にあてられたのだろうか、二人の男女が、この伝説の大樹の下にやってきていた。  キラキラとした木漏れ日の中では、まるで彼と彼女、二人だけのときが流れているかのようだ。  あんなにも憧れ続けた笑顔のそばに自分がいる――――――。  その事実をあらためて感じた男子生徒は、その胸の高鳴り……ときめきを抑えることができなかった。  彼は、彼女と出会ってから数年間、あたため続けていた想いを……胸に秘めていた気持ちを伝えるべく、永年想い続けた相手を、この樹の下に呼び出したのだ。  はじめて、彼女に出会ってから、どれくらいの時が経っただろうか?  学校の行事ごとに撮影され、校内関係者のみがオンラインで閲覧できる思い出の写真には、はにかむような表情の彼女を、いつも遠くで見つめている彼の姿があった。  もう、この気持ちを抑えることはできない――――――。  この胸のときめきを……あふれる想いを……いつまでも感じていたい――――――彼女と二人きりで。 「…………さん」  と、彼は彼女の名前を告げる。  そして、意を決したように、自らの想いを打ち明けた。 「一年のときから、好きでした! オレと付き合ってください!」  彼にとって、人生で初めての、一世一代の愛の告白であった。  その、あまりに純粋で一途な想いを告げられた彼女のほおは、にわかに紅潮する。  「……クン! 嬉しい! やっと……やっと、思ってることを言葉にしてくれたんだね?」  はにかみながら、彼の告白に応じた彼女は、 「……ありがとう」  そう言って、潤んだ瞳で、相手を見つめる。  ただ、目にするものが思わず吸い込まれるような美しいカタチの瞳は、妖しい輝きを放ちだした。  その妖艶な二つの瞳で見つめられ、彼は、これまで以上に高まる鼓動を感じながら、彼女の言葉の続きを待つ。 「一生懸命、自分の想いを伝えてくれる男子の姿って、本っ当に胸が熱くなるよね」  そう口にした彼女の表情は、言葉のとおり、いや、その語り口以上に異様な熱を帯びている。  扇情的……といっても良い微笑みを浮かべながら言葉を続ける彼女に対して、目の前の彼は、まるで大蛇に魅入られた小動物のように、身をすくめている。  その緊張に耐えきれなくなったのだろうか、男子生徒が思わず、ゴクリ――――――と固い唾を飲みこむと、彼女は再び口を開いた。 「そんなあなたの姿を見せてもらって、あらためて、思ったの……」 「こ、こたえを聞かせてくれるのか?」  震えるような声で問いかえす彼に、女子生徒は、相変わらず蠱惑的な笑みを絶やさないまま、ゆっくりとうなずきながら、男子生徒が予想もしていなかったことを口にした。 「えぇ……あなたのその熱くたぎった想い……じっくり、美味しくいただかせてもらうね」 「はぁっ!?」  間抜けな声が、男子の口から漏れた。 「お、美味しくいただくって、どういうことだよ――――――?」  想定外の返答に、彼は初めて、自分の置かれた立場が、思春期の男女の甘酸っぱい一場面ではない、ということに気づいた。    しかし、時すでに遅し――――――。 「私たちにとってはね……自分に向けられる恋愛感情が、最高に甘美なごちそうになるの……」 「ご、ごちそうって、いったい、なにを言って……」  男子生徒が、最後まで言い終わらないうちに、彼女は極上の食材を目の前にした美食家のように舌なめずりをしながら、彼の身体に両腕を回す。  ヒト種族特有の男子と女子の体格差や腕力の差など、彼女の前では、なんら意味をなさなかった。 「それじゃあ、いただきます……」  女子生徒は、そう口にすると、男子生徒の唇に自らのそれを近づける。  その瞬間、目には見えない気体……スピリチュアルな表現をすれば魂のようなモノが、男子の口元から溢れ出す。  そして、彼女は、その気体状のモノを一気に吸い込むと、ゴクリ――――――と、喉を鳴らして飲み干し、 「フゥ……」 と、軽く息をついた。 「数年分、溜め込んでいた想いというのは、やっぱり、極上ね」  そう言って、女子生徒は、唇についた食事の名残を親指で拭い取り、ペロリと舌で舐める。 「でも、予想どおり、これが『初恋』じゃなかったんだね……」  彼女が感じたとおり、男子生徒は入学当初、たったいま告白した女子生徒とは、別の女子に想いを寄せていた。  しかし、惚れっぽい彼の特性に目をつけた彼女は、なにげない会話や、さりげないボディタッチを続けて、徐々に男子生徒の気持ちを捕らえ、いつの間にか、その心を自分の(とりこ)にすることに成功していた。 「はぁ……もっと純粋で、甘酸っぱい『初恋』の味を味わいたい……」  独り言のようにそうつぶやいた彼女は、『伝説の大樹』の下で、魂が抜けたように立ち尽くす男子生徒に対して、 「ゴメンね、西高(にしたか)くん。あなたの想いは、無駄にしないから……」 と、声を掛けてから、何事もなかったように彼の元を立ち去った。  ――――――その一連の様子を録画していた映像の再生を停めた聖職者風の人物は、危機感をあらわにしながら、つぶやく。 「リリム――――――人類の存続のためにも、一刻も早く彼女たちを殲滅せねば……」  キッ……と、唇を噛み締めて、自身の職務を果たすことを決意した彼女は、極東の島国への航空券を手配し、空港へ向かうべく、愛車のハンドルを握り、ペダルを踏み込んだ。
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