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第1章〜初恋の味は少し苦くて、とびきり甘い〜⑥
「な、なんですか、突然……そりゃ、今日は色んなことがあったので、少しは疲労も感じますけど……」
たしかに、針太朗は、出会ったばかりの女子生徒たちに絡まれた経験から、心身に疲労は感じていたのだが……。
下校前の図書館で、文学を趣味とする同級生と出会えたことから、そんな疲れも吹き飛ぶくらい、浮つく……もとい、気持ちが軽くなっていたことも事実だ。
そのため、年長者とはいえ、知らない相手から、一方的につかれていると断定されるのと、少し反発を覚える。
そんな針太朗の心情に構うことなく、保健医らしい教師は、
「いや、つかれているとは、そういう意味ではないのだがな……まぁ、良い……ここではなんだから、ちょっと、ついて来たまえ」
と一方的に語り、ツカツカと保健室の方に歩いて行った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
勝手に話しを進めて、自身のホームグラウンドに戻ろうとする女性教師に抗議の声を上げながらも、彼は彼女のあとをついて行く。
生徒昇降口から、さほど離れていない場所にある保健室に到着すると、自身の定位置と思われる回転椅子に腰掛けると、
「キミも掛けたまえ」
と、丸椅子に座るよう、針太朗にうながした。
(どうして、保健室に呼び出されなきゃいけないんだよ!? もう帰るところだったのに……)
不満を顔に出さないようにしながらも、一刻も早く家に帰りたい、という態度があらわになっている彼の名前を胸元の名札で確認した保健医は語りかける。
「私は、この高等部の養護担当教諭の安心院幽子という。針本、おつかれのところ、申し訳ないな。ただ、立場上つかれている生徒を見過ごすわけにはいかなくてな……いや、さっきもいったとおり。この場合のつかれているというのは、疲労困憊という意味ではないんだ」
意外なことを語る幽子の言葉に、疑問を感じた針太朗は、眼の前の養護担当教諭に問いかける。
「つかれてる、が疲労のことじゃなければ、どうして、ボクをここに呼んだんですか?」
彼の質問にうなずきながら、保健医は、ゆっくりと口を開いた。
「キミの質問も、もっともだ……そう、つかれているというのは、疲労のことではなく、人外の存在に、取り憑かれているという意味だ」
真剣な眼差しで語る養護担当教諭だが、それは、当の針太朗本人にとって、まるでリアリティーを感じられない言葉である。
「はい? 取り憑かれている……?」
非現実的なことを口にする相手に、彼は笑いだしそうになるのをこらえながら返答するが、一方の幽子は、きわめて冷静な口調で、問いかけてきた。
「黄色に……水色……桃色に……緑……針本、キミは、今日、四人の女子生徒たちから、なんらかのアプローチを受けなかったか?」
その瞬間、彼は来室者用の小さな回転椅子から転げ落ちそうになる。
「せ、先生……どうして、それを……?」
なんとか、体勢を整えながら質問する針太朗に対し、自身の見立てが正しかったにもかかわらず、そのことに感情を動かされる様子もなく、養護担当教諭は言葉を続ける。
「詳しくは言えんが、私の家系は、人外の類の気配が視える性質でな……その様子なら、おそらく、リリムたちの仕業だろう? キミは、急なモテ期が来たことを不思議に思わなかったか?」
「そ、そりゃ、不思議に思いますよ! クラスの中心的な女子に、生徒会長、見知らぬ中等部の女の子にいきなり声を掛けられたら……」
「うむ……いまのキミの言葉からは、三人の存在しか認識できなかったが……針本、キミは他に女子と会話を交わさなかったのか? それならそれで、この気配に問題があるのだが……」
「いや、あとは……図書館で南野さんという隣のクラスの女子と話しましたけど、彼女は……」
「なんら不思議に思う点はなかった、と言うのか? まあ、相手に対してどう思うかは、キミの勝手だが……慎重に行動しないと、キミ自身の身の破滅につながることになるぞ?」
身の破滅という、ただ事ではないフレーズが飛び出たことで、放課後のできごとを思い返した針太朗は、それぞれの女子生徒が手渡してきた、それぞれのカラーの可愛らしいデザインをした封筒に思い至る。
その中でも、薄い緑色のデザインの封筒は、さきほど、南野楊子から受け取って、制服の内ポケットにしまったばかりだ。
彼が、おそるおそる、そのモノを取り出すと――――――。
封筒の裏側の宛名を書く欄には、
針本針太朗くん へ
と、彼の名前が、しっかりと書かれてあった。
たしかに、彼女とは名前を名乗り合ったのだが――――――。
自分が名前を告げたのは、この封筒を手渡される直前のことだ。
当然ながら、南野楊子が、封筒の裏側に、彼の名前を記す時間的余裕などあるハズがない。
必然的に、彼女は、図書館の三階で針太朗と出会う前から、彼のフルネームを知っていた、ということになる。
いったい、どうやって、彼女はボクの名前を知ったんだ……?
そして、偶然に感じられたあの出会いは――――――。
針本針太朗は、信じていた自らの価値観が、足元からグラグラと崩れ去っていくのを感じた。
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