闇より冥い聖女は復讐の言祝ぎを捧ぐ

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庶民の暮らしぶりを見に行くにも、高位貴族と気づかれないようなドレスは持っていない。 まずは馴染みのデザイナーを呼んで、お忍びで出かけられる、装飾をほとんど施さない質素な外出着とローブを作らせた。 その際には、宝飾店の者も呼んでメリナとミーナへの贈り物のデザインも考えて依頼しておいたわ。出かける日には間に合うようで、少し嬉しくなった。 そして市街地におもむく日になり、お付きのメリナとミーナを伴って私達は屋敷を出たの。 メリナとミーナの右手の小指には金細工の指輪がはめられている。細身ではあるものの、細工は一流の指輪よ。 市街地の入り口までは馬車で行ったのだけど、メリナもミーナも大切そうに自分の小指を左手で包んでいて、語調も明るい。 「ここが、民の暮らす場所なのね……思っていたより活気がないわ」 すると、ミーナも首を傾げた。 「私めがご奉公に上がる前は、もっと賑やかだったのですが……」 街を歩いていると、出店に並ぶ野菜や果物、肉の類が乏しく見える。 すると、野辺に咲く花を小さな花束にして売っている女の子がいて、「お花はいかがですか、お花をどうぞ」と声を出して、どこか一所懸命な様子に心を打たれた。 「可愛いお花ね、一つ頂くわ」 「ありがとうございます、高貴なお方。銅貨二枚です」 銅貨という物は見た事もないわ。困惑していると、メリナが代わりに支払ってくれた。 「ありがとう、メリナ。金貨しか持っていないのも準備不足だったわね」 「お気になさらず、私が賜った一生の宝物へのお礼の、ささやかな手始めでございますので」 花は可憐だけれど、摘んで時間が経っているのかしら、どことなく萎れてきている。ミーナは花束を見つめ、また首を傾げた。 「私めが洗濯の下女として雇って頂ける事になった頃は、花売りといえば銅貨一枚でしたが……周りの出店を見ても、どれも値上がりしておりますし、致し方ないのでしょうか」 ──ベリテ。もしかして、野辺の花でさえ貴重になってきているの? 「そうだね、枯れた地に咲ける花は少ない」 ──このお花に元気がないのも、その影響なのかしら? 「だろうね。萎れるには時間が早いよ」 状況は思いのほか深刻なようだわ。屋敷に戻ってから、出来る事を考えてもいいわね。 そう思いながら、その場を離れかけた時、すぐそばの露店から悲痛な声が聞こえてきた。 「籠に一杯の麦が銀貨二枚だって?!また値上がりしてるじゃないか!」 「国内で麦の不作が続いてるんだよ、これでも儲けなんて出やしない。こっちだってギリギリで商売してるんだ」 「輸入の麦はないのかい?国だって不作なら国外から輸入するもんだろ!」 「南北の隣国が制圧されたせいで、入ってこなくなってるんだよ」 「かと言って、これじゃ今日のパンも焼けやしない!お偉いさん方は何をしてるんだか!」 「そりゃ贅沢してるんだろうよ、どれだけ税金を搾り取られてる事か」 「世も末だよ、まったく。平民のあたしらは干からびちまう」 そんなやり取りを聞いていて、パンも気軽には手に出来ない程に民は困窮している、国難は現実なのだと思い知ったわ。 「やめて下さい!誰か助けて!」 物思いにふけっていると、花売りの少女が悲鳴を上げるのが聞こえたわ。何が起きたの? そちらを振り返ると、花売りの女の子が柄の悪い男達から脅されていた。 「君、大丈夫か?!」 それを、十代半ばくらいの少年が庇いに入ったのが見えた。 貴族の令息かしら、育ちの良さが見て取れるし、服装も地味だけれど生地や仕立ての素晴らしさは隠せない。 「おい、またお前か!懲りねえな、ここを誰の道だと思って商売してんだよ!」 「や、やめて下さい……場所代なら、この間一日の売り上げを丸ごと奪ったじゃないですか」 「それはそれ、今日は今日なんだよ!稼ぎを寄越しな」 「──やめろ!ここは国の公道だろ、皆が使えるように決まってる道で所有権を主張するなんて間違ってるじゃないか!」 「あ?何だお前」 「ここら一帯は俺らが仕切ってやってんだよ、どきな!」 「それが間違いだって言ってるんだ!仕切るって言うなら、国が仕切ってる道だろ!こんな非力な女の子に無体をするなんて、大の大人なのに恥ずかしくないのかよ!」 「どこの貧乏貴族の坊ちゃんか知らねえがな、正義を気取るなら痛い目に遭う覚悟もあるんだよなあ?」 男達が短剣を抜いて見せつけるけれど、少年は少しも怯まないわ。 逆に剣を抜いて、素早い身のこなしで男達の短剣を叩き落として、柄で相手を打ちすえ、「警備隊が来るぞ!」と叫んで撃退してしまった。 「ちくしょう!このままで済むと思うなよ!」 「警備隊に捕まれば、ただで済まないのはお前達の方だろ!二度とこの子を脅すなよ!」 男達は怖かったし、少年があまりに見事だったので、何も手出し出来ずに見入ってしまっていたけど、はっと我に返り駆け寄った。 「二人共、大丈夫だった?!」 見ると、少年の腕に細い切り傷が出来ている。 「大変!あなた怪我しているじゃないの!」 「かわし損ねたかな、これくらい大丈夫」 「駄目よ、傷口を洗わなきゃ。この辺りに井戸は……」 「無駄だよ、井戸水は汚染されてる。そうした水で洗えば、逆に化膿するだけなんだ」 「そんな……」 市街地の井戸も汚染されているとは。 「──腕を見せてちょうだい、少し痛むかもしれないけど我慢してね」 私は、せめて手当てをと刺繍入りのハンカチで傷口を縛る事にした。止血くらいになら役立つかもしれないもの。 ──私の中に眠っている聖女の力よ、どうかこの傷を化膿させる事なく綺麗に治して。 「……お嬢様、そろそろお帰りになりませんと……」 メリナとミーナは、予想より物騒になっている街の様変わりに身をすくませて、私を居させられないと気遣っているようだった。 「分かったわ、今日は帰りましょう。──あなた、この残りのお花は私が全て買うから、今日はもう家にお帰りなさい」 そう言って、少女の手にこっそり一枚の金貨を握らせる。 少女は慌てふためいているけれど、それを制して「いいから、真っ直ぐ家に帰るのよ」と黙らせて立ち去らせた。 「──待って、君の名前は?」 「名乗る程の者でもありませんから。──あなたの姿、勇ましかったです」 私は微笑んでから馬車へ向かって行ってしまったけれど、その後、少年の元に小綺麗で逞しそうな男性が駆け寄ったらしい。お付きの騎士に見える男性は、少年に帰るよう促したとか。 少年の腕に残るハンカチの刺繍だけでは、私の身元は分からない。 目深にかぶったローブから覗く、手入れの行き届いた髪や手で、かしずかれて育った貴族の令嬢なのだろうと少年は推察したみたいだった。 「また会いたいな……」 そこで、切り傷がまったく痛まない事に気づいた。 見ると、治癒はしていないものの、傷は塞がり出血は止まっていて、化膿もする気配がない。 「あの女の子は、何者なんだろう?お付きの者でさえ見事な金細工の指輪をしていた」 少年の事は、私以外にも庶民を思う貴族がいるんだわと嬉しく思うに留めて、寄り道もなく帰宅して、ベリテと感想を話した。 ──まだお昼前なのに、働いている訳でもなく道端に座り込んでいる人達もいたわ。彼らは箱やお皿を目の前に置いていたけれど、何だったのかしら? 「あれは物乞いの人達だよ。農村で実りを得られずに街へ出稼ぎに来たものの、貧村では必要最低限の教育も受けていないからね……どこも雇ってはくれないんだ」 箱もお皿もからっぽだったわ、金貨でもいいから入れてあげれば良かった……。 私は悔やんだものの、だけど金貨などという物をばら撒く行為をしてしまえば、花売りに絡んだような男達から危険な目に遭わされていたかもしれないと考え直す。 ──この国を愛する気持ちは知らないけれど、誰であっても苦しまない日々を生きられる事が、当たり前の世の中になって欲しいわ。 「その気持ちを忘れないで、ガネーシャ。君の力が苦しむ人達を救う時は必ず訪れる」 ぜひとも、その時が来て欲しいと心に思いながら、私は部屋着のドレスに着替える事にした。 そして晩餐の席。私は何気なくダリアを見て気づいたのよ。 ──私が贈った洗髪粉も石鹸も、口約束で与えた化粧品一式すら使っている様子がないのに、初めて会った時より遥かに、肌や髪に艶が生まれているわ。 その疑問にはベリテが答えてくれた。 「子爵家の井戸水は汚染されていたからね」 ──そうなの?なら公爵家の井戸だって、同じ国の物だもの……危険ではなくて? 「ガネーシャ、自分の健康状態が良いのは自覚しているだろう?公爵家は安全なんだ」 そう、なぜか、公爵家の井戸水は汚染されていない事を、何気ない話から私は知る事になったのよ。 ベリテは私に告げた。 「ガネーシャから発せられる聖女の輝きの兆候が、はっきりしてきてる。気をつけて。ベリタを通じて、ダリアも真剣に君を害そうとしてくるだろう」
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