4. 感染不安

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4. 感染不安

 7月17日、東京の感染者数が293人になり、過去最高になった。これは緊急事態権限中の数字よりも多い。また感染拡大か、また緊急事態宣言か、といった不安が出てきた。ここ数日、過去最高を更新しており、せっかく客足も戻ってきているところにこの状態はまずい。  まだ本格的な動きにはなっていないが、新しくスタートした弁当企画も少しずつ手応えを感じているところに再びの感染者増加は商売にとっては痛手だ。  暑さで疲れている時に精神的な追い打ちをかけられているようで、心身への影響を内心、心配している。先日も矢島から指摘され、その時は何とか空元気で乗り切ったが、今のような状態が続けばそれもできない。幸い、美津子はそこまでではないようだが、私の立場は社長ということもあり、余計と思われそうなことまで考えてしまう。  感染者数の話を知ったのは18日の朝のワイドショーだが、いつものように自宅のリビングでは美津子とこのことについて話した。私たちにできることはいつもの対策までしかできないし、新しい企画がうまくいってくれることを願うだけだ。話としては何の進展もないまま、私たちは店に行った。  いつものようにランチタイムや弁当の仕込み・準備を矢島と一緒にやっていたが、この日は身体が重い。疲れからだろうと考え、近日中に奥田のところに行こうと思いながらランチタイムを何とかこなした。  夜の部のための仕込みに入る時間になったが、疲れが取れないので店に出る前に買ったドリンク剤を飲んだ。そういうことで解消されるとは思っていなかったが、ここは気休めでも良いので、といった思いだった。  その様子を見ていた矢島は先日同様、私のことを心配した。  同じように私は「大丈夫!」と言ったが、客観的に見ていると先日とは様子が違っていたようだ。 「店長、大丈夫とおっしゃっても先日とは様子がちょっと違いますよ。顔色も熱っぽい感じがします。・・・体温計、持ってきますね」  コロナの問題の関係で、今は入店時に体温を計測し、問題が無い場合に入店してもらっている。もちろん、それは私たちも同様で、仕事前には必ず検温をやっている。この日もその時は体温に問題なかったので仕事をしたわけだが、お昼を過ぎると様子が変わったようだ。改めて熱を測ってみると38度だった。私は熱に強いほうだと思っているので、数字を聞いてもピンと来なかった。微熱はあるかもしれないが、といった感じだったのだ。 「店長、すぐに帰って病院に行ってください。今、感染者が増えていますので、今ここで店長がそうなっていたら店にとってはマイナスです。夜の客足は戻ってきていますが、以前ほどではありません。今日は私とアルバイトで回しますので、今夜は休んでください。保健所に相談が必要になると思いますので今、ネットで電話番号を検索します。まずそこに電話してください」  矢島はそういってスマホで検索した。すぐに分かったので電話をしたがつながらない。相談者が多いのだろう思い、一旦切って再度電話した。今度はつながったので現在の様子を話し、検査ができる近場の病院を紹介してもらった。  その上で私はすぐに2号店に電話した。今の状況を美津子に伝えるためだ。  当然美津子は驚いたが、今は安全管理が第一だ。今晩はとりあえず家に帰るが、もしコロナに感染していたら保健所の指導に従い、入院かホテル療養になるだろう。そういうことも考慮し、矢島に後を託し、その足で病院に向かった。  もし感染していたら、という思いがあったので、どうやって病院に行こうかということを考えた。歩いて行ける所なら良いのだが、どうしても電車に乗る必要がある。もちろん、タクシーという選択肢もあるが、いずれにしても一定時間、他人と一緒にいることになる。  その場合、もし自分が罹患していたら、無関係の他人に感染させる可能性もある。だが、保健所から紹介された病院まで歩くことはできない。  いずれかの方法を選択しなければならないことになったが、私の心境は複雑だった。これまで店では来店する客への感染防止を意識し、できることはいろいろやっていたつもりだが、今回の場合、自分が感染源になるような感じがしてとても心が重くなったのだ。だから、いっそ病院に行かない、という選択肢も頭によぎったが、それではもし感染していた場合、身近な人にうつしてしまうかもしれない。  私の足は店を出て駅のほうに向かっていたが、歩きながら病院までの交通手段について悩んでいた。同じことの繰り返しが頭の中で起こっていたが、タクシーだと一定時間、密閉空間にドライバーの人と一緒にいることになるため、そのほうが感染リスクが高くなるのではと考え、電車で行くことにした。  ただ、そこでも周囲の人にできる限り迷惑をかけないようにと思い、扉が開くたびに一旦外に出て、発車ギリギリに乗り込むということを繰り返した。私なりに考えたリスク軽減の方法だったが、これがどういう効果を生むかは分からない。でも、素人なりに知恵を絞り、何とか病院までたどり着こうという工夫をしたつもりだ。  20分ほどで最寄りの駅につき、そこからは歩いて病院に向かった。  店にいる時には気が張っていたためか、熱があっても疲労感はあまり感じていなかったが、もしものことを考えると、だんだん心身ともに重くなってくる。だから、本当はここでタクシーに乗りたい気持ちになったが、それでは電車に乗った意味が無くなる。病院までは歩けない距離ではないので、スマホのナビを見ながら病院まで歩いた。  その途中、やはりもしもの時のことが頭をよぎっていた。テレビでは感染者の症状の急変の話などがよく言われていたので、そうなった場合、残された家族やスタッフ、店のことなどが限りなく心配になったのだ。  もちろん、自分自身のことも心配ではあるが、極論を言えば死んだ後は何もできない。その時まで時間があればいろいろ残せることもあるだろうが、もしコロナに罹患した場合、入院中は家族との面会もできないと聞いている。ならば、その後のことで伝えておくべきことも残せないではないか、そうなるとみんなの生活は、といったことなどを何度も考えてしまうのだ。  スマホの情報によると、病院までは徒歩10分程度となっている。だが、自分の心の中ではこの10分がとてつもなく長い時間に思われ、気持ちがだんだん沈んでいった。おそらく、周囲から客観的に見ていたら、背中が曲がり、気力の無さがはっきり分かっただろう。  これまでは風邪でちょっと熱があるくらいでは気力で吹き飛ばしていた自分がいたが、今回はそういう気分にはなれなかった。      ◇  病院の玄関に着いた。そこには張り紙があり、発熱がある人の場合、別の入り口から入るように書いてある。私は矢印に従い、指示された入り口に向かった。表の玄関とは明らかに異なった感じだったが、なるべく手を触れずにするようにということだろうか、ここも自動ドアだった。  確かに今、感染予防ということで手洗いが励行されているので、病院の入り口が手動であれば多くの人の手が触れることになり、感染拡大の一因になる可能性がある。まだ自分が感染者かどうかは分からない段階だが、こういった様子を見るといろいろと考えさせられる。  この中に入ったら外に出られないのではないかとか、隔離病棟に入れられるのでは、といった負のイメージが頭の中を駆け巡った。  その一方で、まだ感染が確定しているわけではないのでそんなことがあるはずがない、と自分に言い聞かせている。  冷静な状態であれば診断がされていない段階ではそんなことは有り得ないことが分かるが、感染していたらと考えると、どうしてもネガティブな思いが出てしまう。これまではあまり意識していなかったが、いざ自分が当事者になるかもしれないという時には、いかに弱さが出てくるのか、ということを身に染みて感じている自分がそこにいたのだ。  そうなると、受付までの道のりも足取りが重くなり、鉛が入ったバッグを背負ったような気になる。もちろん、この時は手ぶらで来ているので実際には具体的な負荷がかかっているわけではないのだが、心理的なことで人の身体の感覚はこんなに違ってくるのか、ということを体験した。そして、ずっとこんなことが続くと、本当に心身が病んでしまうのではという不安も出てきた。本当に感染していれば、もっといろいろな体調不良が出てくるだろうし、場合によっては命を失うこともあるかもしれない。その後のことを考えると、診察を受けることすらも怖くなる。検査結果次第では、それが死刑宣告のような感じになるのではという気持ちが心の中を支配していたのだ。  病院の中の壁に貼ってある待合室までの通路を歩いている時に考えたことだが、もし感染したらみんなに何を残せるのか、ということを再び考えるようになった。病院という建物の中なので、そんなに遠い距離ということはなく、時間的にも客観的に見れば短いはずだ。  私も言葉として相対的・絶対的ということは知っている。今感じている時間の感覚は絶対的な視点から見れば短時間になるが、私のここで感じている時間はとてつもなく長い。時間についてそういった感覚で捉えたことはこれまでなかったが、コロナ禍にあって初めて体験した。  待合室に着いた。指定された時間があったので病院に着いた時と玄関に立った時に時間を確認したが、この時点でも時計を確認した。自分の感覚では結構な時間が経過したように思ったものだが、時計は3分しか進んでいなかった。ここに着くまで感じていた時間と実際の時間との差を改めて実感したことになるが、見渡すと思った以上の人がいた。 「この人たちも俺と同じ気持ちなんだろうな」  心の中でつぶやいた。自分が座れる場所を探すために待合室を見渡したが、同時にみんなの表情も見える。当然だが、誰一人として明るい表情の人はおらず、全員うなだれている様子が見られた。私も他の人から見れば同じ表情をしているのだろうと思いながら受付を済ませ、空いている椅子に腰かけた。  受付のエリアには飛沫防止用のビニールのようなものがあり、下の隙間から問診表のようなものを渡され、私は保険証を提示した。これまでほとんど医者にお世話になったことは無いが、マスク姿が多いのは病院なので違和感はない。だが、受付の様子はあまり病院にお世話になったことが無い私にも不思議な光景に見えた。  待っている人たちは若い人もいるが、年配の人の割合が高い。コロナ感染の可能性が高い人が集まっているせいもあるのだろう。今の報道のされ方も関係し、肉体的なことだけでなく心の負荷も絡むのか、顔色だけでなく表情も暗い。  他の人から見れば私も同じなのだろうが、他人の様子を見られる分だけ少しは余裕があるのかもしれないなどと、変な強がりを心でつぶやいてしまう自分がそこにいた。  そういったかろうじて自分の足で立っている感覚は、自分の体調は自分や家族のことだけでなく、スタッフの生活も背負っているという責任感からきているのかもしれない。  だが、待合室にいる周囲の人たちの様子を見ていると、自分も含めて確実に何割かは本当に感染しているだろう、という気持ちになる。検査の結果、本当に感染している場合、症状にもよるが入院しなければならないだろう。今の時点で発熱はあっても味覚や嗅覚には異常はない。  はっきりしたことは検査で分かることになるが、今は少しでも有利なところを必死で探している自分がいる。あまり症状が出ないケースもあるということから都合の良いように考えていても、結果は白か黒かきちんと出る。今考えていることは自分で自分を慰めているだけのことと分かっているけれど、せめてそう思っていなければ大きなプレッシャーに押しつぶされてしまう自分がそこにいた。  おそらく他の人も似たようなことを考えている人がいるだろうし、その人の人生や周りの状態は自分よりももっと大きなものを背負っているかもしれない。感染症の可能性ということもあり、近くの人と話すということもできず、ただ一人でじっと待つことになるが、いろいろ考えているせいか時間が長く感じる。  でも腕時計で時間を確認するとあまり経っていないことが分かる。ここに来るまでにも同様のことを経験したが、再び相対的な時間の経過ということを体験することになった。 「雨宮さん、診察室にお入りください」  ナースから呼び出しがあった。時計を見ると、来院してから15分程度しか経っていない。心の中では1時間くらいの感じだったが、診察してもらえるとなると少し心が軽くなった。  医者は私の顔色などを観察している。同時に体調のことを聞いてくる。一口に発熱といってもいろいろな原因があるので、コロナの可能性も含めての問診だ。  私は聞かれたことに対して今、実感していることについて答えた。  コロナ以前であれば「風邪ですね」と言われるようなことになるかもしれないが、今はきちんと感染の可能性を疑い、PCR検査を行なうことになった。  鼻の奥に綿棒を挿入し、結構しっかりとかき回されるような感じで粘液を採取された。その様子はテレビでは見ていたが、いざそれを自分で経験すると、不快な感触しかなかった。時折、鼻に綿棒を挿入された人が顔を歪めるシーンを見たことがあったが、他の人が見たられと同じような状態に見えるであろうことは容易に想像できた。 「検査の段階でこんな不快な思いをするのか」  私は心の中でつぶやいた。  医者はこの検体でコロナ感染の有無を確認すると告げ、結果は保健所から連絡があるので、もしもの場合はその時の指示に従うよう告げた。次の日には分かるということだったのが、それまではじっと待つしかない。また不安な時間が流れるのかという思いが私の心の中を過っていた。      ◇  家には午後7時少し前に着いた。私は駅から家まで歩きながら、今日1日のことを改めて思い出していた。 「今日は長かった・・・」  思わず私が漏らした言葉だ。玄関の前に立った時、気持ちが少し和らいたが、同時に本当にコロナに感染していたら家族にもうつすことにならないか、という心配が頭によぎった。  その瞬間、家の中に入るのが怖くなった。  しばらくドアの前で立ちすくむような状態になったが、やはり家には戻れない、という思いが強くなった。  でも、身体を休めたいという気持ちも強く、事実、立っていてもフラフラする感じがしていた。そんな時、テレビで聞いたことを思い出した。 「そう言えば、自主隔離ということで一人でホテルに泊まる、ということがあったな。確か隣駅にビジネスホテルがあったけれど、泊まれるかな? でも、もし本当に感染していたら知らない人に感染させてしまうかもしれない。それも迷惑をかけることになる」  そういったことを一人でブツブツつぶやいているが、おそらく人が見たら不審者に思われるだろう。しかし、そういったことを考える余裕はなかった。また、ここからタクシーに乗って隣町のホテルまで行っても部屋が無ければ泊まれない。私はまだ仕事中だとは思ったが美津子に電話することにした。携帯電話は通じないはずなので店にかけたが、ちょうど美津子が出た。私は今日の様子を簡単に話し、どうすべきか相談した。自分で決めれば良いのだが、今はその精神的な余裕はない。つい美津子に頼ってしまうことになるが、仕方が無いと自分に言い聞かせ、答えを待った。  しかし、美津子はすぐに簡潔に返事した。 「すぐ部屋に入って休んで。家の中のことは私がきちんとするから安心して。今はまず身体を大事にして。ホテルに泊まったらそこにご迷惑をかけるかもしれないので、家でゆっくりして。中村君に話して今日は早く帰る。あと1時間くらいで8時だし、お客様も少ないし、今日はあまり忙しくなかったから大丈夫よ」  力強い言葉だった。弱っている私にはとても頼りになるパワーを感じた。同時に、本来なら自分がしっかりしなければならないところを逆に励ましてもらったことになるが、今に弱っている自分自身を自覚し、その気持ちに甘えることにした。 「分かった。じゃあ、部屋で寝る。今晩は悪いけど康典の部屋で休んでもらえないかな。一緒の部屋だともしものことがあるので」 「心配ありがとう。でも、今は自分のことだけ考えて。まずはしっかり休んで体力を少しでも回復させましょう。帰ったらおかゆを作ってあげるから、それを食べて。病院から薬はもらったの?」 「もらった。とりあえず解熱剤を中心に何種類かある。食後に服用と書いてあるので、おかゆを食べて服用する」  美津子に話したことで気持ちが落ち着き、私は家の中に入り、そのままベッドに入った。  横になった途端、強い睡魔に襲われた。安堵感からのことだろうが、意識がすぐに遠のいた。  時間は分からないが、自然に目が覚めた。腕時計で時間を確認すると午後9時を少し回ったところだった。1時間少々眠っていたようだ。  目を開けて少しボーっとしていると美津子が部屋に入ってきた。今日はマスク姿だ。もしかすると感染しているかもしれないし、単なる風邪であっても今は周囲のことを考えると引かないように注意しなければならない。自分たちの仕事は接客業であり、今回の宣言でも意識されている飲食関係なので余計に気を遣う。私がホテルに泊まろうかと思ったのも、そういうところを考えてのことだったが、こうやって改めて家族を顔を合わせると、その選択が正解だったかどうか再び疑問を持った。  そんな時、私の気持ちを察してか、美津子が口を開いた。 「あら、思ったよりも元気そうね。やっぱり家で寝て正解よ。もしホテルだったらあなたの顔が見えないし、そのほうが心配だわ。帰った時、あなたが触れたかもしれないところはみんなきれいにアルコールで拭いたわ。こういうところはお店でやっていることと同じだから、心配しないで。電話でも言ったけど、今は身体を休ませるのが第一。まだ検査結果は出ていないんでしょう? 陽性か陰性か分からない内にあれこれ考えても仕方ないわ。明日になれば分かるんだから・・・。 もし陽性なら、保健所からきちんと指示が出るでしょうから、それに従えばいいじゃない。場合によっては私たちもPCR検査を受ければ良いわけだし、お店には矢島君や中村君、そしていろいろスタッフがいるじゃない。幸か不幸か今はお客様も少ないし、早仕舞いしなければならないのでもしもの時はちょっとの間休業にすれば良いわよ。この時期、休業のお知らせをしても同じようなところもあるので大丈夫。ここはハラを括って健康第一で行きましょう。ところで何か食べる? もうおかゆの用意はできているから、持ってこようか?」  美津子は優しく、そして力強く話した。その様子に再び私は勇気づけられ、美津子の申し出通りおかゆをいただくことにした。薬の効果は分からないが、食事をしないことには服用できない。私はその旨を伝え、おかゆを持ってきてもらうことにした。  3分も経たない内にトレイの上におかゆが入った茶碗、小皿に乗った香の物、ペットボトルの水とコップ、そして箸が乗っており、その雰囲気は店で出される食事のような感じだった。  私はベッドの上に上半身だけを起こし、膝の上にトレイを置き、おかゆをいただいた。 「美味しい。ちょうどいい塩梅だ。出汁は何を使ったの?」 「あら、味は分かるの?」 「うん、病院で先生から聞かれたけれど、嗅覚・味覚は問題ない。倦怠感や頭痛はあるけれど、コロナの特徴は今のところ感じていない。先生の話だと、コロナに感染していても全員に嗅覚・味覚障害があるわけではない、ということなので安心してはいないけど・・・」  お腹に何か入ったことでちょっと落ち着いたのか、少しプラス思考で話ができた。 「そう、それは良かったわ。コロナではなくても熱があったら身体はきついはずだから、今日はこのままゆっくり休んで。さっき康典には話しておいたから、私は電話の通りにする」  美津子は私が食べ終わるまで待っていたが、食事が終わると食器をトレイの上に置き、コップとペットボトルはベッドの脇のテーブルに残したまま部屋を出て行った。      ◇  翌朝、7時頃に目が覚めた。昨晩おかゆを食べ、薬を飲んだところまでは覚えているが、その後は記憶が無い。おそらく、ぐっすり眠ったのだろう。ベッドは汗で湿ってるような感じだった。  ベッドの横にある小さなテーブルの上を見ると、体温計が置いてあった。私は持ってきた記憶が無いので、おそらく美津子が夜、持ってきてくれたのだろう。  この時、感覚的には昨日よりは体調の悪さを感じていなかった。身体の倦怠感が無くなっていたが、コロナによる体調不良というのは一晩寝たくらいで好転するものなのか、といったことを考えながらまずは体温を測ってみようと思った。  脇の下の体温計を挟み、音が出るまでじっとしていた。ピピッと音が鳴った時に取り出して確認すると7度ちょうどで、数字的には微熱ということだろうが、身体的には熱が出ている感じはなかった。そしてその数字を見た時、気持ちの上でも安心感を感じだか、コロナに感染していないということではない。この点は検査結果を聞くまでは油断できない。熱が下がり、身体的には楽になったことで精神的には余裕が出たが、もしものことを考えると不安は残る。  普段見るテレビはリビングに置いてあるが、寝室にも小さなテレビがある。私は昨日見ることができなかったニュースが気になり、スイッチを入れてみた。相変わらず、コロナの話題で一杯だった。 その様子を見て、もしかすると私も今日の感染者の数字に入るのかな、などと思っていると部屋のドアがノックされた。 「あなた、起きているの?」  美津子の声だ。私がテレビをつけていることで起きているのに気付いたらしい。ドア越しに起きていることを告げるとマスク姿の美津子が部屋に入ってきた。 「どう? 具合は」 「ありがとう。今、体温を測ると7度だった。昨日の様子からすると熱があるという感じじゃない。身体も軽いし、昨日みたいな気持ちの落ち込みもない。解熱剤が効いたのかな」 「多分そうよ。顔色も昨日より良いし、目の様子も違う。いつものあなたに戻ったみたい」 「いやいやそこまでは無いと思うけれど、確かに昨日よりは体調は良い。だから、もしかするとコロナじゃなかったかな、なんて考えている。まだ検査結果が出ていないから安心できないけれど、ちょっと希望が出てきた。でも油断できないから、引き続き感染対策は続けてくれ」 「分かったわ。じゃあ、今朝もおかゆを用意したけど薬も飲まなくてはならないでしょうし、食べるでしょう? 昨日とは少し味を変えてあるから、同じおかゆでも違うと思う。味は分かるということだったから、少しでも食事を楽しんでね」  美津子はそう言うと部屋から出て行った。味付けを違えるといった意識は商売柄のことかもしれないが、そういった心遣いが今はとてもありがたい。午後には検査結果の連絡もあるだろうが、それまでは気を抜けない。少しでも体力を落とさないよう、きちんと食事は摂ろうと思った  この日、私は店を休んだ。感染の疑いがある状態で店に出たら顰蹙ものだ。矢島も事情を知っているためその点は問題ないと思われるが、念のため出勤時間前に電話をした。美津子はこの時点でまだ家を出ていない。矢島との電話の様子を伝えたく、ちょっと待ってもらっていたのだ。  電話した時、矢島はまだ起きたばかりだったようだが、話すことには問題ない。私は要点をまとめて話すことにした。 「昨日は申し訳ない。そしてありがとう。一晩ゆっくり寝たら、熱は下がったよ。おかげで身体はずいぶん楽になった。検査結果はまだ聞いていないが、出たらすぐに連絡する。もし感染していたらみんなも濃厚接触者と認定されるかもしれないし、その場合はまたいろいろ考えなければならない。俺も不安だけどみんなも同じだと思う。でも、陰性の可能性もあるので、そうであることを願って、今日は静かに待っている。店の事、大変だと思うけれど、お願いします」  私は現状報告と共に店の切り盛りを託した。幸い、最近のミーティングなどを通じてみんなとの一体感が強くなっている感じがするので、同じ言葉でも通じ方の違いを感じていた。1号店は矢島に任せておけば大丈夫、という期待が私の心の中にあった。 「店長、今は身体を休めてください。いろいろあったので心身ともに疲れて、体調を壊したんですよ。最悪の場合でも俺が責任を持って店を守ります」  矢島の心強い言葉を聞いて涙が出るほど嬉しかった。もし私がコロナに罹り、それが矢島や他のスタッフにまでうつしてしまったらという心配はあるが、こればかりは自分の力では何ともできない。今は運を天に任せ、陰性であることを願うだけだ。矢島との電話は短いものであったが、安心感を得るには十分であった。  電話が終わった後、美津子に寝室に来てもらい、その様子を話した。 「矢島君、頑張ってくれそうだ。安心したよ。俺も早く治して、復帰しないと・・・」 「無理しなくていいわよ。今はそんなことより自分の身体のことだけを考えて。2号店にも中村君がいるから、ランチタイムの後、夜の部の準備の時にちょっと店を抜けて1号店に行ってみる。矢島君に私の方からもよくお願いしておく。私は会社の副社長という立場よ。社長の代わりが務まらないと意味がないわ。もしもの場合、あなたは隔離されるでしょうから余計にその意識で今からやっておかないといけないから、その予行演習って感じで頑張る。だからあなたも体調の回復に努めて。元気になったらちゃんと埋め合わせをしてもらうから大丈夫よ」  美津子は努めて笑顔で私に言った。  私はあまりこの部屋に長居させてはと思ったので、必要以上のことはしゃべらなかったが、美津子が自主的に1号店のことまで考えて動こうとしていることは有難かった。ますます動けない自分に悔しさもあるが、今、何もできない身であれこれと考えても仕方がない、と少し開き直りに似た気持ちも湧いてきた。  確かに余計なことを考えるあまりそれがストレスになり、体調の回復に支障が出るようであれば余計みんなに迷惑をかけるので、今自分にできることは早く仕事に復帰するために身体を治すことだと思うようになっていった。      ◇  翌日、午後2時を少し回った頃、保健所から電話があった。スマホに示された表示を見るとどこからかかってきたかすぐに分かるので確認できたが、すぐに出ることはできなかった。結果を聞きたいという気持ちと同時に、もし感染していたら、という不安が交錯していたのだ。本来私は、着信に気付いた時には可能な限りすぐに出ることにしている。仕事中やその他の事情で必ずしもすべてそうではないが、今回の場合は手元にあったし、状況的には出られないということではなかった。  結果的に5~6回程度のコールの後、電話を取った。 「・・・もしもし、雨宮です」  その声は弱々しかった。それが相手にどう聞こえたかは分からないが、元気そうに話すということはできなかった。そんな気を遣う余裕はなかったのだ。 「検査の結果ですが、陰性でした。その後の具合はいかがですか?」  私は一瞬、時間が止まった感じがした。もちろん、陰性という結果に嬉しかったのは事実だが、これまで緊張しまくっていたためか、「陰性」という言葉に反応できなかったのだ。 「あのう、聞こえますか? 結果は陰性です。その後、いかがですか?」  私の反応が無かったからか、担当者の人は同じことを再度告げた。 「・・・はい、聞こえています。陰性ですか。ありがとうございます。昨日病院でもらった薬が効いたのか、今朝は37度まで下がり、体調は良くなっている感じがしてます」 「そうですか。それは良かったですね。ではもう少しお休みになってください。早く元気になられることをお祈りしています。お大事に」  私はその言葉に電話口でお辞儀をしながら再度お礼の言葉を口にした。 電話を切った後、私はしばらく放心状態だった。これまで私の頭の中で巡っていた様々な負の思いき無くなったけれど、その余韻が残っていたのだ。陰性であったことに素直に喜びたい自分と、もしもしの時のことを考えた自分、そして改めて健康の有難さを心の底から体験したという思いなどが複雑に交錯していたのだ。  そんな時間が30分も経った頃だろうか、私は現実に戻った。心配してくれたみんなに陰性だったことを知らせないといけないことに気付いた。基本的なことだったが、この時の私にはそういったことを考える余裕もなかったのだ。  その時、電話をかける順番をどうしよう、と思った。スマホを手に取り、ここで少し間ができたのだ。  結果、最初は今回のことで感染する可能性がありながらきちんと対応してくれた美津子に電話した。 「もしもし、俺だけど、今、保健所から連絡があって、陰性だったよ」  今度は朝と違い、明るい声だったことが自分でも分かった。また、陰性という話に美津子も喜んだ。そしてまだ完全に回復したわけでもないということから、2・3日仕事を休むようにとも言われた。私としては熱が下がればと思っていたが、矢島と相談して決める旨を告げ、電話を切った。その後すぐ、矢島にも電話を入れた。同じように結果を告げたら、美津子同様大変喜んでいた。仕事のことを話すと、これも美津子と同様、しばらく休養するように言われた。店のことは大丈夫と、改めて力強く言われたことに、頼れるチーフの存在を有難く感じていた。  この日の夜、美津子はいつもの時間より少しに帰宅した。昼過ぎの電話で現在の体調を伝え、仕事を優先してほしいと言ったからか昨日よりは遅いが、それでもいつもよりは早い帰宅になった。 「ただいま、調子はどう? 昨日より元気そうじゃない」  美津子は帰るなり、寝室に顔を出した。帰宅直後なのでまだマスク姿だが、私の顔を見て安心したような顔をしたのが分かった。 「お帰り。心配かけたね、申し訳ない」  私は素直に感謝した。美津子が帰った時にはまだ横になっていたが、この時は上半身を起こしていた。 「まだ寝ていたらいいじゃない。私、食事の用意をする。まだ食べてないでしょう? 何か食べたいものある?」 「いや、特別にはないけれど、さっぱりしたものが良いな」 「さっばりしたものか・・・。今日は暑いから、そうめんにする?」 「いいね、喉をするりと通りそうだ」  私がそう答えると、美津子は部屋を出て行った。  30分もすると、美津子はそうめんをトレイの上に乗せ、寝室に持ってきてくれた。その横には煮物を乗せた小皿があった。尋ねると、店から持ってきたという。夜、私の食事のメニューの一つにするためだったようだが、確かに私は煮物が好きだ。今の心境としては和風の食事が良かったので、そうめんに合わせてちょうど良い組み合わせになった。  そういうこともあり、私は出された食事をすぐにいただいた。その時の私の食べっぷりはいつもと変わらなかったようで、美津子も驚いていた。 「その様子を見るともう大丈夫そうね。昨日、8度の熱が出ていた人とは思えない。薬がよく効いたのね。そう言えばあなた、ちょっと調子が悪いくらいでは薬は飲まないし、今回は病院で頂いた薬だったので、余計に効いたのかしら。いずれにしても回復して良かったわ。でも、まだ体力は回復していないでしょうから、今晩もゆっくり休めるように、私は康典の部屋で休むわ。自分のリズムでゆっくりしてね」 「ありがとう。そうさせてもらうよ。一応、今、体温を測るから、ちょっと待っていて」  私はそう言い、体温計を脇の下に挟んだ。そこで出た数字は、平熱だった。そのことを告げると美津子も嬉しそうだった。  それで美津子が部屋を出ていく前に、今回のことで考えたことを改めて少し話したいと伝え、明日の朝食の時にそうしようと告げた。  もちろん美津子も話を聞きたいと言って、後は「お休み」の言葉が続き、部屋を出て行った。私は薬を飲み、そのまま身体を横にした。      ◇  次の朝、私はいつものような感じで起きることができた。時間が少々早かったが、ダイニングのほうに行き、自分でコーヒーを入れていた。いつもの行動だが、もしコロナに感染していたら、このコーヒーの味や香りも感じなかっただろうということを思いながら、一口飲んだ。もう何日も飲んでいないような感じがしたが、いつもの味に一安心した。  15分くらい経った時だっただろうか、美津子がやってきた。 「あら、おはよう。早く起きたの? 本当に元気になったのね。良かったわ。これから朝食の準備をするけど、トーストで良いかしら。それとも昨晩のようにさっぱりしたものにする?」 「いや、それでいいよ。今朝は何でも食べられる気がしているし、いつもの生活に戻していかなければならないしね。何か手伝おうか?」 「大丈夫よ。もともと一人で作るつもりでいたから。あなたはそのまま座っていて」  美津子はそういって台所で準備をしている。私は自分が入れたコーヒーのお代わりをしてそのまま飲んでいた。  しばらくすると、康典も自分の部屋から出てきた。2晩続けて美津子と一緒だったから、行動パターンが同じようになり、朝食時間だったのでダイニングにやってきたのだ。 「おはよう。もう元気になった? 良かったね。PCR検査、陰性だったんでしょう。もし陽性だったら、濃厚接触者になるだろうから、みんな一緒に隔離だったね」  こういったことも陰性だったからこそ言える言葉で、改めて今回のことはいろいろなことが勉強になった。  そうこうしているうちに朝食の準備ができ、テーブルにはベーコンエッグ、サラダ、オレンジジュース、トーストが並んだ。もっとも、トーストについては美津子と話した後、私が準備し、他のメニューが出来上がる頃を見計らって焼いていた。同じメニューでも温かいうちに食べたほうがおいしいものについては、なるべく時間を合わせようという意識が働く。これも飲食店という商売をやっている性(さが)からのことだろうが、自然にそういう流れになる。  だから、食事のタイミングも冷めないようにしながらいただくことになるが、そこでは簡単に私が体験したことを話した。仕事に関してのことは康典には分からないだろうから、コロナに絡んだ話に終始した。 「今回の熱は一般的な風邪からなんだろうけど、時期が時期だけに熱が出た時は驚いた。精神的なストレスが発熱にも関係していたかもしれないけれど、あの感じだったらコロナを疑っても仕方ないな。でも、味覚や嗅覚の問題はなかったので違うかなとは思っていたけれど、症状は人それぞれのようだからやっぱり検査結果が出るまでは心配だった。そしてもし、後遺症として味覚・嗅覚の障害が出た場合、飲食店という仕事には致命的だから、これも心配した。生活の基本になる仕事だから、今後のことも含めて悩んだよ。だから陰性、という結果を聞いた時には一気に安堵した。もしかするとそのことが精神的にもプラスに作用して、薬の効果と合わせて早く熱も下がったのかな。身体のことは分からないけれど、結果的に良かったよ、回復して」  私の話に2人は頷いていた。食事中、そのことに絡んで話が弾んだが、食べ終わると康典は出かける準備があると言って自室に戻った。  私はリビングに移動し、美津子は少し遅れてお茶を持ってきた。何気なくテレビのスイッチを入れると、朝のワイドショーをやっていた。相変わらずコロナのことが中心に報道されていた。 「俺も感染していたらあの中の1人になっていたんだな」  思わずポツンと言った。 「でも、陰性で良かったね。本当に良かった」  美津子も改めて安堵した顔で言った。 「それで横になっていた時に考えたことなんだけど、改めて健康の大切さを知ったような気がした。結果的に普通の風邪だったようだけど、もしコロナだったら、最悪の場合、そのままみんなにも会えないまま死んでいたかもしれない。残されたみんなのことも心残りだし、仮に回復しても後遺症が残ったらと考えたら、このたった2日間がとても長く思えた。もちろん、眠っている時にはそんなことを考えることは無いが、起きている時はそんなことばかり考えていて、同じ時間でもとても長かった。体調が戻ったから言えるのかもしれないけれど、その最中は何を言っても仕方ないという思いもあったし、みんなに感染させてはいけない、という気持ちが強かった。だから家に戻り、そのまま休んでも良いのかとも思った。結果的にいろいろお世話してもらい、感謝している。ありがとう」  私は深々と頭を下げた。 「そんなこと言わないで。夫婦でしょ。もし逆の立場だったら同じことしたでしょ。今は何ともなかったことで満足していれば良いのよ。でも、今回は大丈夫だったけれど、何時感染するか分からないから、これを契機に自分でできる対策をもっとしっかりやりましょう。それは自分たちだけでなく、お店のみんなやお客様に対しても同じ気持ちでやりましょう」 「そうだな。最近はいろいろストレスを感じることも多かったから、抵抗力も落ちていたかもしれない。やっぱり日頃の体調管理は大事だな。今回、つくづくそう思った。俺たちの仕事、みんなの心の癒しとか言ってやっているところがあるだろう。でも、やはりそれも体調が良い時のことで、やはり基本は肉体的に健康な時のことだなって考えた。身体が動かせない時は、やっぱりそっちのことに気が取られる。今回のケース、居酒屋というのは平時の仕事なのかなということも考えたよ」  私は美津子とは目を合わせず、独白のような感じで話した。自分の心の中に対して話しているような感じもあったからだが、これまで居酒屋という仕事が自分の天職と思っていたが、その気持ちに少し亀裂が入ったような気がしていたのだ。身体を壊すということはこれまでの信条まで変化させる可能性があることを考えながらの言葉だった。もちろん、だからといって今は居酒屋が生業だし、早く現場に戻ってまたみんなと一緒に頑張りたい、という気持ちが強い。 「あなた、まだ病み上がりだから少し気弱になっているのよ。今日一日、まだ休んでいると良いわ。矢島君には私から連絡しておく。あっ、そうだ。熱が無いんだった奥田先生のところに行ってみれば。疲れた身体を施術してもらえば、もう少し元気になるかもよ。9時になったら電話するね」  そういう会話をしばらく続けた後、時間になったので美津子は奥田のところに電話を入れた。午後1時なら空いているということだったが、この日はこれまでのように早い時間にお願いする必要はないので、空いている時間に予約した。  約束の時間の5分前、私は奥田の整体院に着いた。  いつものように奥田が出迎えてくれた。 「お疲れのようですね。今日、店はお休みですが?」  奥田は私の顔色を見ながら言った。癒しの店だからクライアントの体調を観察するのは当たり前だろうが、こういうところから自然に問診に入るのはいつものパターンだ。小さなテーブルを間に介し、椅子が向かい合うようにして2脚あり、私たちはそこに座った。いつもの問診風景だが、この日はいつもの感じではなかった。それは私の体調が関係しているからだが、奥田の目にはそれがどう映っているのだろうと思っていた。 「実は昨日まで熱があって店も休んでいたんですよ。今、コロナが流行っているので保健所に連絡して病院を紹介してもらい、検査してもらったんですが、陰性でしたので一安心でした。もう平熱に戻っているんですが、今日まで休むことにして、いつもと違う時間を予約させていただいて、現場復帰の元気を取り戻そうと思っています」  私はきちんと奥田の目を見て話した。 「その表情を拝見して、安心しました。目の奥に早く体調回復を望む気持ちが表れていますよ。私の整体術というのは何も強い刺激を加え、骨格を動かすだけでなく、東洋医学の身体観から身体を整えるという体系もありますので、今回の場合、その意識で対応させていただきます。もちろん、骨格に問題があるようなケースであればきちんとそれを矯正する、ということもありますが、いろいろな調整法がありますので、ケースによって技法を選択していますのでご安心ください。では、施術室のほうに移動していただけますか?」  奥田はそう言って私を誘導した。  ここからはいつもの施術の流れとして触診からスタートしたが、その手の動きは骨格の歪みを確認するといった感じではなく、身体の張りをチェックするような感じだった。 「先生、何かいつもと違うような触れ方のように思えるんですが・・・。あっ、すみません。ちゃんと意味があるんでしょうが、いつもと違うんでちょっと気になりました」 「良いんですよ。よく気付かれましたね。いつもは骨格のことも含めてチェックするんですが、今日は身体の虚実も診ているんです」 「虚実って何ですか?」  聞いたことが無い言葉だったので、私はつい質問した。 「東洋医学の言葉なんですが、分かりやすく言うと気の状態を見ることになります。風船に例えると空気がパンパンに入っている時が実、逆に少なくて萎んでいる状態が虚です。どちらに傾きすぎても健康とは言えず、バランスが取れた状態が大切なので、実が強すぎる場合は抜き、虚の状態であれば補充する、といったイメージで施術することになります」  初めて聞くことばかりだったが、では今の自分の状態は、ということが気になるのでその点について質問すると、虚という答えが返ってきた。  不定期ではあるが何度もお世話になっているため、元気な時の状態は覚えているという。だからこそ、こういった虚実の状態についてもいつもと比較することで答えやすかったそうだ。  施術が始まると、これまでの疲れが噴出したのか、すぐに眠ってしまった。  1時間後、施術が終わった。体位を変える時に目が覚めるがすぐにまた眠ってしまうので、そんな時間が経ったという感じは無かった。  直後ということもあり、まだ身体が軽くなったとかいった明確な変化は感じられないが、最初の問診が行なわれたところに移動した。いつものようにお茶が出されたが、いつになく美味しく感じられた。 「先生、どんな感じでした?」 「イメージ的には風船に少し空気が入った、って感じですかね。ただ、一般的に虚の状態からの好転は少し時間がかかることが多いんです。雨宮さんの場合、風邪が原因で体力を使い、それが来院の前の状態だったということでしょうから、本来の状態から考えると、よくある虚の方の比べると回復は早いかもしれません。とは言っても、本当に元気な時と比べると今一つというところがあると思いますので、すぐにいつものようなことはおやめになったほうが良いと思います。少しずつ身体を慣らし、通常のペースに持っていってください。今の時期、ただでさえストレスがたまりやすい環境ですから、そういうことも見えないところで身体にダメージを与えます。今回、これまでの風邪の時よりも熱が出たのも、そういうことで基礎的なところが弱くなっていた部分が関係していたのかもしれませんね。ストレスというのは厄介で、いろいろなカタチで悪さをします。そういうことに気付いた方たちが私たちのところに通われているわけですが、こういうところは東洋医学で言う未病医学という概念で対応します。具合が悪くなってからでなく、元気な時にきちんとケアをし、良い状態を維持するという考え方になりますね。もちろん、運動器系のトラブルでご相談されることも多く、そういう場合は突発的なケースになります。ギックリ腰が典型ですが、身体の歪みを放っておいて腰に負荷をかけて突然激痛が襲った、というケースは結構多いですよ。そういう場合、もし普段からきちんと身体のメンテナンスをやっていれば、と思うこともよくあります」  この日、奥田はいつもよりも時間を取り、いろいろ話してくれた。私が来院した時はその後に仕事のためにすぐに失礼していたということもあったが、聞くと奥田の整体院の場合、本来は施術前後に少し時間を取り、カウンセリングを行なうことがあるらしい。もちろん、次の予約との関係もあるようだが、心身の好転を意識する体系ということなのでこのようなスタイルになるそうだ。  これまでなかったことなので奥田に時間を確認した上で、もう少し話を聞くことにした。 「先生、実は以前ギックリ腰をやったことがあるんです。独立前に勤めていた居酒屋でのことなんですが、棚から物を取ろうとした時、変な身体の使い方をしたようで、完全に良くなるまで1ヵ月近くかかりました。最初のころは身体が動かせなくて、病院で湿布や痛み止めをもらったんですがなかなか良くなりませんでした。おかけで2週間以上、まともに仕事ができず、みんなに迷惑をかけてしまいました。店に出るようになってもしばらくはそれまでのような動きができなくて、大変でした」  私は昔のことを話したが、奥田は黙ってそれを聞いていた。その上で、次のようなアドバイスをした。 「ギックリ腰に限らず、そういう可能性がある方の場合、普段からおへその周りを押したりすることで予防できたりすることがあるんですよ。もちろん、そのための条件もありますが、その方法はギックリ腰の時にとりあえずの自分でできる応急処置としても使えます。自分でやることですからそれですべてを解消させることは出来ないでしょうが、少しでも痛みが軽くなれば、ということでならやってみるだけの価値はあると思います。よろしければお教えしましょうか?」  私は良い話が聞けそうだと思い、二つ返事でお願いした。再び施術スペースに移動し、その方法を教わった。      ◇  次の日、私は店にいつもより早い時間に出勤した。昨日の施術が効いたようで、身体がとても軽い。これが奥田が話していた刺激の発酵作用ということなのか、ということを思いながら今の状態を感じていたが、先日までの精神的な落ち込みと身体の不調は何だったのか、といった感じだった。  私より少し遅れて矢島がやってきた。私が出勤していたので少し驚いていたが、安心した表情も見えた。 「おはようございます。すっかりいつもの元気な感じですね」 「ありがとう。留守して済まなかったね。矢島君がいてくれて助かったよ。で、どうだった? 俺がいなかった時の店の様子は?」 「はい、いつもと変わりませんでした。ただ、常連の相沢さん、店長の姿が見えないことを心配していました。今日もお越しになると思いますが、一言今回のことを話された方が良いでしょうね。ランチタイムの流れも分かっていたし、夜の部のシフトの子に昼からお願いできたので、人手も大丈夫でした。昼は短期決戦になりますので、どうしてもこの点を考えてしまいましたが、うまくいきました。おかげでお客様にご迷惑をかけることはありませんでした」 「そうか、良かった。矢島君に任せて正解だったよ。急だったので手配も大変だっただろうけど、結果オーライというところか」  ここまで話して私もやっと安心した。ということでもないが、この時間はランチタイムの仕込みがある。私はその準備のつもりで厨房に入ったが、確認すると大体準備できている。 「矢島君、今日の準備、ほぼできているようだけど・・・」  私は矢島に訊ねた。 「店長、実は昨日のうちにできるところまで仕込みをやっていたんです。今日、店長が出勤されることは副社長から昨日伺っていたんですが、少しでも当日の仕事量を減らしておこうと思って・・・」  矢島は出しゃばったことをやったのではと思ったようだが、私は逆にそこまでの気遣いを嬉しく思っていた。 「ありがとう、いろいろ気を遣ってくれて。でも、いつものつもりで来たのに何か肩透かしを食らったような感じだな。でもおかげで少し時間ができそうだね。15分程度は時間取れそうだから、休んだ時に考えたことを話しておくよ」  矢島は何か特別な話が出るのではと少し身構えたが、私としてはそういったことではなく、改めて健康の大切さを強く思ったということを言いたかった。確かに矢島は私よりも若いが、疲れは同じように感じるはずだし、その積み重ねが今度の私のようなことにつながらないか、ということが心配になったのだ。 これまで、ちょっとした風邪くらいはこれまでも引いていたし、すぐに治っていた。  でも今は、風邪のような症状でもコロナを疑わなくてはならないケースがある。今の風潮から考えて、今回の私のように陰性であっても余計な風評として広がっていく可能性がある、客商売の場合、これは致命的なことにつながるかもしれない。だからこそ、矢島にも身体に十分気を付け、今回の私のようなことにならないようにしてほしいと思ってからの事だった。  残っていた仕込みが終わると、予定通り少し時間が取れる状態になった。私は矢島を広いテーブルのところに呼んだ。他のスタッフは夜の部まで休憩になるので外に出ている。いつもなら仕込みで忙しくしているところだが、少し話すくらいの時間が捻出できた。 「矢島君、改めてお礼を言うよ。頑張ってくれてありがとう。君がいてくれたおかげで何とか店の切り盛りができた。正直、自分の体調のことで精一杯だったところもあり、何もフォローできなくて済まなかった」  私はここで深く頭を下げた。矢島はとんでもない、といった表情だったが、これはけじめだ。きちんと感謝の意と、事前の打ち合わせもなく丸投げしたことへの謝罪はしなければならない。そういう思いが私の行動になったのだ。 「店長、俺はチーフとしてこの店に立っています。まだ未熟ですが、少しでもこの店のためと思ってやっているつもりです。俺の仕事がきちんとできていないところがあるから具合が悪いにもかかわらず余計な心配をされたと思いますので、こちらこそ済みませんでした。でも、コロナでなくて良かったですね。さすがにもし感染されていたら、と思うと気が気ではなかったことも事実ですが、今は元気になって戻られたので安心しています。改めてお帰りなさいと言わせていただきます」 「ありがとう。それで矢島君、自分の体調はどう? 俺は今回のことで体調のことをしっかり考えるようになった。それはコロナのことだけでなく、健康一般の話だけど、俺がお世話になっている奥田先生の話では日常のストレスはいろいろな身体のトラブルの原因になるので普段から気を付けるようにというアドバイスをいただいている。今回のこと、熱は出たけれど普通の風邪だったようだし、薬が効いたようで次の日には熱も下がった。おかげさまで仕事復帰も早かったけれど、改めて奥田先生の言葉が身に染みて感じた。だからこそ、これからは店の仲間全員の健康に対する意識の向上も必要なのでは、といったことも考えている。俺たちの仕事、どうしても夜型になるし、体力勝負のところがある。だからこそ、余計に身体のことを気にしなければ、という思いなんだ」  私は矢島の目を見て、一生懸命話したつもりだ。矢島は頷きながら聞いていた。そしておもむろに言った。 「俺たちのことまで心配いただき、ありがとうございます。まだ若い、といった思いからかあまり身体のことは考えていませんでしたが、今回、店長が体調を崩され、俺が店を任された時、生意気ですけど1号店については自分が支えなければという思いが出ました。もちろん、何か問題があればすぐに副社長にご相談するつもりでしたが、今回の状況ではとりあえず店の責任者になるので、随分気を張りました。それは良いんですが、逆に俺が体調を崩したり、それがもしコロナだったら風評被害につながるのでは、といったことも考えました。だから、健康管理のことについては、店長のことを反面教師として捉え、改めて体調のことを意識するようになりました。そこに今のお話ということで、何ができるかは今後のこととしても、基本的には大賛成です」  矢島は力強く私の話に賛意を示してもらった。それが今後どのように具体化していくかは分からないが、方向性を話せたことを私は嬉しく思っていた。      ◇  その夜、私は1号店で矢島に話したことを美津子にも話した。今回の私の健康問題で美津子も似たようなことを考えていたらしく、基本的なことについては賛成してくれた。  ただ、具体的なことについては全く考えがまとまっていないため、そこから先の話には至らなかった。  しかし、今回のことで会社や店の司令塔になるべき自分たちの立場を改めて実感したことになるので、美津子に現在の体調のことを尋ねた。 「私の体調? 少なくともコロナの症状は出ていないわ。その点は安心ね。でも、店や家の中はエアコンが効いているので涼しいけれど、一歩外に出ればすごく暑いでしょう。この気温差は身体に堪えるわね」 「そう。奥田先生もおっしゃっていたけれど、気温差による肉体的なストレスも体調に関係するらしいよ。自律神経が狂いやすいそうだけど、その調節がうまくいっていない場合、抵抗力も落ちるらしいし、俺のケースも大なり小なりそういうことも関係していたかもな。自分としてはコロナのことで店のことが気になり、精神的なところからばかりと思っていたけれど、肉体的なストレスも問題だそうだ。これまで肉体的なストレスというと、腰や肩ばかり気にしていたけれど、気温の差も身体に悪影響を与えるんだよな。だけどこればかりは自然現象に絡むことだからどうしようもないし、そうなるとこれまで口だけのことが多かったが、体調に問題があると感じる時だけでなく、そうでない内から定期的な身体のメンテナンスをしなければならないだろうな。以前話していた通り、やっぱり奥田先生のところに体調が良くても通おうよ。俺たちはみんなの仕事を守る責任があるしさ」 「そうね。それで今できることとしては、矢島君や中村君にも月1回でも良いので通ってもらおうか。もちろん、施術代については会社持ちということで」 「良いんじゃない。さっき具体的なアイデアは出なかったけれど、今出たね。2人とも若いってことをいつも強調しているけれど、だからこそ今、転ばぬ先の杖的な意識で健康管理をやってもらえばこれからもいざという時、頼りになるしね」  私たちは顔を見合わせ、良いアイデアが出たことを喜んだ。自分たちが信頼している先生に体調管理をお願いし、それが結果的にお店の活性化につながれば、今回の私が病気したことも教訓として生きてくる。物事の転機には何らかの出来事が必要だが、今2人で話しているうちにそれが具体的な形になったような気がしていた。 「では、そういうことで美津子、明日か明後日くらいに奥田先生のところに行ってきたら? 思い立ったら吉日ということで、さっそく実践しよう。そして矢島君と中村君には明日、それぞれ店で話そう。それでとう?」  私の提案に美津子は二つ返事でOKだった。      ◇  美津子が奥田の施術を受けた2日後、矢島と中村は一緒に施術を受けることになった。時間やシフトの関係で店を空けることができる時間がたまたま重なったためだが、そのため施術担当は奥田ではなく、他のスタッフになった。  私たちも以前、たまたまスケジュールの関係で奥田以外のスタッフに施術してもらったことがあるが、院長の腕が確かなためか、奥田以外のスタッフの腕前も他店に比べれば確かで、受ける立場から言えばいずれも自分の店を持っても良いくらいだと美津子と話したことがある。だからこそ、2人で同時に予約した時、奥田以外の施術と伝えられてもそのままお願いすることになった。もちろん、そういうことも含め、矢島と中村には伝えてあるので何の問題もない。  その話をする時、私は矢島に、美津子は中村に整体術の施術を受けた経験の有無を尋ねたが、全く無いわけでもなかった。ただ、あまり効果を感じなかったので、その後で通うことは無かった、というのが話として共通していた。ならば奥田の店ならばどうだろうという思いもあり、2人にはお尻を叩くような感じで行ってもらった。  2人は駅前で待ち合わせ、一緒に入店した。 「いらっしゃいませ」  受付のスタッフが感じよく2人を迎えた。居酒屋の「いらっしゃいませ」とは異なった雰囲気に、言葉は同じでも矢島たちの耳には違った響きで聞こえていた。 「ご予約の矢島様と中村様ですね。こちらにお越しください」  矢島と中村はそれぞれ施術の担当者のところに案内された。施術ベッドの横にある2つの椅子に向かい合って座り、問診が行われた。ただ、2人とも具体的な問題点を感じているわけではない。私たちが健康管理の一環として言ってくるように言われただけなので、問診時に具体的な相談する内容を思いつかないような様子だった。一通りのことを聞かれた後、他は施術の際に必要であればお尋ねします、そして何かあったその時におっしゃってください、ということを告げられ、具体的な施術に入った。  ベッドにうつ伏せになると、最初に触診が行われるのは定番の手順だ。  その際、本人たちは何も感じていないようだが、2人とも腰の状態にちょっとした変位が指摘された。矢島の場合は骨盤、中村は腰椎という具合にそれぞれ異なるが、それが原因で出てくる症状は腰痛だ。  そしてそういう認識は異なる原因であっても同じような訴えになるものだが、施術する側としてはそういう情報をベースにそれぞれにぴったりの技法を用いて対応することになる。それが奥田の整体院の施術上の特徴になるが、以前私や美津子が通っていたところは、いずれの店も何を言っても同じ事しかやらず、それが奥田の店では異なった対応だった。そして、それによる効果の違いを実感したから通うことになった。それと同じことを矢島たちが感じることができるかどうかは分からないが、私と美津子はそれぞれの店で2人の感想を聞くのを楽しみにしていた。  所定の時間が経過した時、2人は待合室で顔を合わせた。 「何か良い顔しているね」  矢島が中村に言った。中村もすぐ同じような言葉を返した。それが2人ともおかしかったのが瞬間的に表情が崩れた。口角が上がり、さらに柔らかい表情になったのだ。  支払いについては美津子が行った時にすでに支払っていたので、2人はそのまま店を出た。  そして駅までの道すがら、施術の感想を言い合っていたが、お互い、以前受けた時と全然違っていた、という感想を述べていた。そのことで心身が軽くなったことを実感したようだが、私たちが言っていたことを自身の経験として感じていたのだ。      ◇  この日、ランチタイムの仕込みは私が早めに店に出て済ませていたので、矢島が店に着いた時には何もやることが無かった。私が休んだ時は矢島が孤軍奮闘していたわけだから、こういう時にそのお返しをする、ということで準備していた。  だからオープン時間までは施術の様子を尋ねることにした。2号店でも同じような展開になっていることは想像に難くなかった。矢島たちの基本的な身体の条件によって、またそれぞれの感性によって具体的なところでは違いがあるだろうけれど、そういう違いも含めて様子を聞くことにした。 「で、矢島君、施術を受けた感想はどう?」  矢島の様子から大体の見当はついていたが、当人の口から話を聞きたかった。 「俺の場合、骨盤の歪みがあるそうです。中村君の場合、腰椎がわずかに曲がっていたそうで、その話は施術後に聞きました。施術中は気持ち良くて、半分くらいは記憶がなく、はっきり覚えていないんですが、中村君も同じようなことを言っていました。でも、眠い中でも覚えていることを比べるように話していると、俺と中村君の施術内容は違っていたようです。身体の狂い方が違うからだと思いますが、以前4~5回くらい同じところに通ったことがあるんですが、そこでは何を相談しても同じことしかやってもらえず、満足感は今一つでした。でも、今日行ったところは自分の問題点にしっかりフォーカスとしているようで、施術の前後の違いがはっきり分かりました」  私は矢島の話を頷きながら聞いていたが、最後のほうの話を聞き、ちょっと得意げな感じの顔になったことを感じながら内容を膨らました。 「そうだろう。俺、以前言ったじゃないか。奥田先生のところはクライアント一人一人の状態に向き合い、その時の状態に合わせた施術をする、ということを。だから効果を感じられると思うんだけど、どう?」 「おっしゃる通りです。以前は整体やリラクゼーションというのはこんな感じなのかと軽く見ていたところがありましたが、今回は全く違う経験をさせていただきました。ありがとうございます」 「そうか、良かったね。これからも定期的に通えるようにするから、普段から体調をキープして頑張ってくれ」 「はい、ありがとうございます。そしてもっと頑張ります。それからもう一つ感じたんですが、手がとても柔らかかったんです。身体の奥に圧が浸透するのは分かるんですが、力んだ感じがせず、自然に入ってくる感じでした。それは中村君も言っていたんですが、以前行ったところは結構グイグイ力を入れられたので、次の日に揉み返しが来ていました。そういうことも行かなくなった理由の一つですが、今日のところはそういうところがなかったので、次の日の心配もないような感じです」 「そうそう、奥田先生のところの施術はそうなんだよ。さっきも言ってけど、俺たちもいくつか通ったけれど今、矢島君が言ったようなことを経験した。でも、奥田先生のところではこれまでそういうことは1回もなかった。そういうことも信頼の理由の一つだよ」 「今回、業種は違いますが、サービスというのはどういうことかを学んだような気がします。これを参考にしながら、ますます頑張ります」  これまで以上に爽やかに話す矢島の顔は、私にとってまぶしく映った。      ◇  それから数日が経った。私は先日の体調不良などは無かったかのような状態で、商売のことばかりを考えていた。  というのは、一旦減少したコロナの感染者が増加しており、再び緊急事態宣言の発出の可能性も出てきたようだし、その前に飲食店に対する時短要請が出るかもしれない。  営業時間が制限され、人の動きにもブレーキがかかるようであれば、ランチタイムや弁当企画で少し改善しかけた状況も足踏み状態になる可能性が出てくる。またあのストレスを感じる日々になるのか、といった負の気持ちが私の心の中で大きくなっていた。  もちろん、そういうことに対する対応について美津子や矢島とも相談しているが、具体的な解決策は今のところない。  そんな中、ランチタイムの後のちょっとした空き時間に矢島と話す時間ができた。というより、矢島から提案があったのだ。 「店長、これからの営業のことですが、今、コロナの感染者が増えてるようで、もしかすると2回目の緊急事態宣言なんてこともあり得ますね。少しずつ持ち直しているところにまたそうなったら厳しいですよね。ということで考えたんですが、今、デリバリーサービスがあるじゃないですか。それを活用してお弁当販売の拡大を図ったらどうでしょう。ウチの場合、味には自信があるし、そのことはお客様からの声で分かっています。だから、これまでウチのことを知らなかったお客様への販路拡大ということでこちらから積極的に仕掛けていく、ということはいかがでしょうか?」  矢島の提案はデリバリーサービスの導入だった。そう言えば、街でもそのような光景を見ることが増えている。だから何となくイメージは湧くのだが、そういうサービスを行なう業者も仕事なので、それなりの手数料が必要になる。それはそのまま価格に上乗せになるが、それで実際に売り上げが上がるのか、という心配がある。  だが、そういうサービスを利用している店舗がある以上、一定の利用者はいると思われる。私にはそのメリット・デメリットについての知識が無い分、矢島から話が出た時点では何も回答できなかった。 「矢島君、その提案は有難いけど、俺、あまり内容を知らないんだ。販路拡大、売り上げ増大、あるいはコロナで外出を控えているお客様には良いサービスだろうけど、見えないところがある。悪いけど、詳しくそのシステムを確認してくれないか? その上でウチの場合はどういう展開が可能かということ含めプランを示してくれると有難いんだが・・・」  このところの矢島の意識や活躍ぶりを信じ、これまで私たちがやっていた新規プランの検討を矢島に振った。本当は美津子や中村も交えて考えてもらったほうが良いだろうが、なかなか4人で考える時間を作るのは難しい。だから以前やったように、全員で考える前にまずたたき台を作ってもらい、その上でみんなで考えるということを計画した。  ただ、同じようなことを中村にも話し、それをミーティングの時間に発表してもらい、互いの良いところをミックスするという方法もある。この場合、美津子の同意が必要になる。今ここでそこまで決めてしまうには早すぎるので、この話は今晩美津子にも相談し、改めて考えてもらうということを矢島に告げた。ある意味、中村とのアイデア勝負みたいな感じになるので、お互いにライバル心に火が付き、より良いアイデアが出てくることを期待した。      ◇  その日の夜、私は昼間に考えたことを美津子に話した。 「昼、矢島君と話した時に弁当のデリバリーサービスの話が出たんだ。だけど俺はそのシステムをよく知らない。街で複数の業者が配達しているところを知っているけど、手数料が必要になるはずだから、当然その価格は上乗せになる。それを利用していただけるお客様がどう考えるかということが分からないんだ。だから、この件について中村君にも考えてもらい、近いうちにみんなでミーティングをするというのはどうだろうと思った。もし賛成なら明日、中村君に話してもらえないかな」  私は美津子のほうを見ながら話した。美津子は特別に何か考えることもなく賛成した。 「分かった。私ももう少し何か手を考えないといけないと思っていたところなんだ。具体的なプランはないけれど、デリバリーサービスというのは一つの方法よね。でも、私もあなたと同じく、そのシステムの概要は分からないわ」 「そうか。それで一応俺もその後、もし行なうならばということを少し考えてみた。矢島君や中村君も似たようなことを考えると思うけれど、俺たちの間でも何か腹案を考えておく必要があると思う。それも含め、今話したんだけど、基本的には2つのパターンがあると思う。その一つはウチの店でデリバリースタッフを用意し、そのサービスを行なう場合がある」 「あっ、そのこと、私も今、話を聞いた時に考えた。でも、具体的に何人必要かとか、デリバリーのための容器も必要だろうし、自転車やバイクも必要でしょう。そのための予算を使い、結果的にどうなったかという時点で採算が取れない、ということにでもなったら目も当てられないわ。そしてもし、デリバリーの時に事故にあったら、店としての責任もあるし、その後が大変よ」 「そうだな。確かにそういうリスクがある。でも、人数的なことだけであれば、夜の部になかなかシフトが組めないアルバイトスタッフに頑張ってもらうことができる。みんなの給料も捻出できるかもしれないし、他で頼まない分、価格の上乗せもなくて済むので、お客様からは喜ばれるだろうな」 「そうね。お客様にしても買いに行った時とデリバリーの場合の価格に開きがあった場合、抵抗を感じるでしょうね。そう考えると自分のところでデリバリースタッフを揃えることが良いようにも思えるわ」 「でも、繰り返しになるけれどトラブルがあった時の問題点は残る。ということでもう一つの方法だけど、デリバリーの業者と契約する、ということがある。この場合、確実に価格がアップする。お客様がデリバリーだから仕方ないということで納得していただければ良いけど、常連の方には負担だろうな。となると、デリバリーサービスを導入する場合、それによる販路の拡大を考え、二重価格を設定するとか、互いにぶつからないようにメニューそのものを変えるということも必要だろうな。ただ、そうなると仕込みが大変になるし・・・。いずれにしても業者のシステムの詳細が分からない以上、先には進めない。でも、想像できることを挙げてみても、裏方の部分は忙しくなりそうだ。矢島君にしても中村君にしても、これまでのことを考えると、たぶん自分たちでいろいろリサーチしてアイデアを出してくるだろうから、その上でみんなで考えてみよう。それでミーティングの予定だけど、1週間後の夜9時、というのはどうだろう」 「そうね、やっぱり考えてもらうにも時間が必要だろうから、1週間くらいがちょうど良いかもね」
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