5.ギックリ腰

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5.ギックリ腰

 ミーティングを3日後に控えた日、ランチタイムの後、夜の部の準備をしながら私は矢島と雑談していた。 「どう? 準備、進んでいる?」 「はい、中村君も同じようにアイデアを考えていると聞いているので、いろいろ調べて、良いミーティングができるようにと思っています。詳しくはその時にお話ししたいと思いますので、待っていてください」  その言葉には何か自信があるように思える感じを含んでいた。 「そう、楽しみだね。期待しているよ」  今、とても気になるところではあるが、こういうことはじっくり練ってこそ深みが出る。私もそのことは知っているつもりだからこそ、聞きたい気持ちを抑えていた。ここで話を聞いてしまえば矢島の意識も下がるかもしれないし、当日、中村としっかり意見を交わす時まで考えているアイデアは聞かないことにした。  そのことを確認したら、後は準備に専念することにした。居酒屋の場合、裏方の仕事は結構力を使う。ビールなどの飲み物が重いのだ。店内で提供する時のように1本2本くらいなら何も問題はないが、ケースで運ぶ時は注意しないと腰を痛めることがある。  そういうことは十分承知していたが、毎日の事でもあるので私は奥の部屋から厨房にある冷蔵庫にビールを運ぼうとしていた。 「店長、そういうことは俺がやりますよ」  矢島が私に言った。  しかし、ビールを置いているところにいるのは私だし、そのつもりで箱に手をかけた。  いつもの感じで持ち上げようとしたが、ちょっとタイミングが狂ったのか、瞬間的に腰に大きくその重さがもろにかかってしまったようで、強烈な痛みが襲った。そのため私はその場に座り込み、動けなくなった。矢島は厨房にいたので、私の様子には気付かなかった。 「矢島君、ちょっと来てくれ」  私は慌てた声で矢島を呼んだ。何があったのか分からない矢島はすぐに奥の部屋にやってきて、すぐに駆け寄ってきた。 「店長、どうしました?」  矢島は驚いた声で私に訊ねた。もちろん、座り込んでいる様子を見て腰を痛めたということはすぐに想像したようだ。 「ギックリ腰ですか?」 「そうだ、ビールを運ぼうとした時に腰を痛めた」 「だから俺がやるって言ったんです。店長は先日体調を壊したから、まだこういった力仕事は自分の仕事だと思っていたんですが、済みません。さっきの言葉を聞かずに俺がやっていれば良かったのに」  私は激痛のためにあまりしゃべれない。動けずにいる私に矢島が言った。 「近所に整形の病院がありますので、すぐ行きましょう。俺が背負います」  矢島はそう言って私の横に近づいた。  だが、その時点ではまだ背負ってもらうことすら難しいような感じだった。 「矢島君、ありがとう。まだ全然動けない感じだから、もうしばらくこのままにしておいてくれ。少しでも痛みが引いたらお願いするよ。その間、悪いけど2号店に連絡してくれないか? 先日の体調不良に続いて今度はギックリ腰になり、みんなに迷惑をかけて済まない」  今、私にできるのは矢島や周りの人たちに対する謝罪の気持ちを言葉にするくらいだ。そしてこのことを美津子に知ってもらうことで、先日のことに続いて全体をサポートしてもらうようお願いすることだけだった。 「もしもし、1号店の矢島ですが、副社長、お願いできますか?」  矢島は2号店に電話をしたが、アルバイトスタッフが出たため、美津子に代わってもらうようお願いした。何の電話か分からない美津子は用件を尋ねた。 「代わりました。あら、矢島君、何かあった?」  美津子は普通の感じで電話に出た。 「はい、実は店長がビールのケースを持った時、ギックリ腰になられて、今、動けないんです。まだ激痛のために何もできない状態ですが、痛みが引いたら近くの整形の病院に背負って行こうと思っています。今、夜の部の準備をしていたところですが、状況次第で俺がご自宅までお連れしようと思っていますが、良いでしょうか?」  思ってもいなかった矢島からの話に美津子は驚いたが、矢島の判断は正しいと考えた。 「矢島君、お店の方は臨時休業にしても良いので、今の話の通りにしてちょうだい。中村君とも話し、場合によっては私が後で病院に行き、対応することもできるから、その時はいつも通り店を空けてください。もう少ししてから電話します」  美津子はそう言って電話を切った。  矢島は私の横で電話したため、話の内容は大体把握していた。改めて内容を確認したが、2号店からの電話を待ち、うまく対応することをお願いした。多少の時間の経過が幸いしたのか、少し痛みが薄らいだので、美津子からの電話がかかってくるまで矢島と少し会話した。 「いろいろ心配かけて済まない。ギックリ腰、実は初めてではないんだ。昔経験していて、その時は治るまで1ヵ月近くかかった。その経験があったので整体に通い始め、体調管理に努めていたんだが、やっぱり先日身体を壊してまだ本調子に戻っていなかったのかもしれないな」 「そうだったんですか。それなら今度はしっかり治し、腰を労わってください。その間、俺が頑張りますよ。先日のことがあって俺も何か覚醒したみたいなので、任せてください」  矢島は力強く言った。私はこの時、その言葉に変な誇張は感じられず、この男になら任せられる、と感じていた。  5分ほど経った。店の電話が鳴り、矢島が出たが美津子からの連絡だった。  2号店の準備については中村に任せることができるので、美津子が私を病院に連れていく、ということになった。これで1号店は矢島に任せて開くことができるが、先日から引き続き、矢島には頑張ってもらうことになる。先日に続き、同じように私が最前線に立てなくなることについて申し訳なく思うが、矢島は嫌な顔一つしない。それどころか、逆にやる気に満ちているといった感じで、その表情の裏には自分が1号店を切り盛りしなければならない、といった強い意志を感じる。  もしかすると、私が続けて体調を壊さなければこのような感じにはならなかったかもしれないが、現況で力強い仲間ができたような実感はこういう時だからこそ有難い。  というより、以前考えていた3号店、あるいはフランチャイズとしてオープンする時、矢島は最良の人材になるのでは、とも思えてきた。  私自身、連続した体調の問題から多少気弱になっているところもあるかもしれないが、頼れる存在が美津子以外にもきちんと存在していたということに気付かされることにもなった。  もちろん、そういうことを思っていても今、それを矢島に話すことは無い。こういうことは話をするタイミングもあるし、仮に話すとしても時間をかけてじっくりとということが必要だ。本人の気持ちもあるし、私がギックリ腰になっている時に話しても、気弱になったから、といった誤解につながっても困る。しっかりした考えに基づき話すといったことが矢島に対する礼儀では、ということも考えているので、この件は美津子にも相談してみることにした。  電話から30分ほど経ったころ、美津子が1号店にやってきた。矢島が入り口のところに行き、美津子を迎えた。 「あっ、矢島君。また心配かけてごめんね。今日は私が主人を病院に連れて行くので、いつも通り、仕事してね。最近はこんな感じで負担をかけてばかりになったけれど、何か埋め合わせするね」 「いえいえ、お気持ちだけで。でも、この前はコロナかと思うような状態だったし、今回はギックリ腰と身体が心配ですね。少しお休みになってはいかがですか? おかげさまで何とかやっていく自信のようなものができたかな、という感じですので、任せてください」 「ありがとう。腰のことはまだ様子が分からないけれど、昔、同じような経験をした時、治るまで1ヶ月ほどかかったといったことを聞いているから、ちょっと長くなるかもしれないわね。どうしても重いものを持ったりするので、そういうことで腰に負荷がかかっていたのかな。でも、同じことは矢島君にも言えるから、今回の問題は自分にも起こるかもしれない、ということで気を付けていてね。ここであなたの体調がおかしくなったら、1号店はつぶれるわ。若いからと言って無理は厳禁よ」 「はい、分かりました。ありがとうございます。それで店長ですが、奥の座敷の方で休んでいただいています」  美津子は矢島からそう聞き、私のほうに近づいてきた。 「大変だったわね。2号店は中村君に任せてあるから、今日はこれから私が病院に一緒に行くけど、歩ける?」  痛みはまだしっかり残っているが、さっきよりは軽くなっている。だが、立ったり歩いたりできるかは別だ。かといって救急車を呼ぶほどのことは無いし、そうなると周囲の目もある。コロナの感染者数が増えている今、変な噂のネタになる可能性もある。幸い、整形外科のクリニックは歩いて10分ほどのところにある。今回はそれ以上かかるだろうが、美津子にサポートしてもらえば休みながら歩いて何とかなるのでは、という感じだ。痛みの感じがもう少し軽くなった時を見て店を出ようと思った。  15分もすると、先ほどよりも少し痛みが引いた。  立ち上がる時、美津子と矢島に身体を支えてもらったためか、思ったよりも痛みを感じずに立つことができた。だが、それは痛みのなくなったということではなく、多少軽くなったという程度であり、動くたびに強い痛みを感じる。おかしくした時のような激痛ではないものの、身体を動かす時の恐怖になる。  歩けるかどうかを確認するため、支えられたまま足を踏み出すが、痛みに対する恐怖のために歩幅は短い。これでは10分くらいの距離でもどれくらいの時間がかかるか分からない。  だから、距離は短いけれどタクシーを呼んでもらい、それで病院まで行くことにした。乗降の時にどうなるか分からないので、最初の予定を変え、矢島にも同行してもらうことにした。さすがに家に帰る時には無理だが、病院まではお願いすることになった。もともと矢島自身で私を病院まで連れて行こうとしていたので、この点は問題ない。ただ、夜の部の準備があるので病院に一緒に連れて行ってもらったら、すぐに店に戻り、仕事の続きをやってもらわなければならない。そういうことを事前に打ち合わせ、矢島はタクシー会社に電話した。  1号店は駅に近いところにあるため、すぐにタクシーがやってきた。  事前に入り口近くに移動していたため、タクシーまでは比較的時間をかけずに動けたが、乗り込む時に腰を曲げることが辛く、そこで少し時間を取られた。美津子は先に乗り込み、矢島は前方に座席に座った。病院は歩いても10分程度のところにあるので、移動時間よりも乗り降りのほうに時間がかかる、という状態だった。  矢島は待合室まで私を支えてくれ、待合室の椅子に座るまで付き添ってくれだ。その間、美津子は受付を済ませ、私の横に座った。 「じゃ、俺はここで・・・」  矢島はそう言って立ち上がり、病院を後にした。 「大変だったね。今度はどれくらいで回復するかな。時間がかかるようだったら、また矢島君に迷惑をかけちゃうね。私も時々1号店に来て、手伝いするかな。あっ、でもそうすると中村君に負担かけちゃうね。そう考えると、ここはやっぱり矢島君に迷惑かけるけど、頑張ってもらうことしかできないかな」  美津子は一人でいろいろ心配したが、それぞれ責任者として店を切り盛りしているので、1号店のほうに時々ヘルプに入るということは難しいだろう。となると、私が早く回復するしかない、ということになる。  ただ、こればかりはいくら私が頑張っても何とかなるものではない。やはりきちんと治療を受け、言われた通りの生活をするしかない。その間は本当に皆に迷惑をかけることになるが、できないものはできないし、今、私ができることは治療に専念することと改めて自分に言い聞かせた。  しばらくすると、私の名前が呼ばれた。まず腰の様子を確認するため、レントゲンを撮るとのことだった。そのため診察室ではなくレントゲンの撮影室に行くことになったが、横になると機械のガラスの部分が冷たい。季節的には暑いので心地良いくらいだが、もし寒い時期だったらこの冷たさは身が縮むような感じかな、と思いつつ言われた通りの状態でいた。  ここでは特別なことは無く、撮影後はまた待合室に戻った。  そこから少し時間が経つと、今度は診察室に入るように呼び出しがあった。恐る恐る2人で室内に入るが、医者は先ほど撮ったレントゲン写真を見ている。  まずは問診だが、腰を痛めた時の様子を尋ねられた。今回の場合、ビール瓶のケースを持った時のことだったので、そのことを可能な限り詳細に話した。医者の方はレントゲンを見れば分かるといった感じで対応していたが、一通り話を聞いた後は診察室内のベッドに横になるよう促された。私は言われるまま横になろうとしたが、なかなかそれが難しかった。ここでは美津子と看護士の人に手伝ってもらい横になることができたが、医者は痛みの箇所の確認のためか、患部付近を触れていた。私の場合、奥田のところでお世話になっているため、触診についてはその度に体験しているが、ここでの様子は本当に触れて痛みの箇所を確認しているだけ、といった感じで、マニュアル的な印象だった。  触診が終わると、また最初のように丸椅子に座り、医者から話を聞くことになるが、ここで診断名を聞くことになった。 「レントゲン写真を見る限り、骨のほうには問題なさそうです。急性腰痛症ということですが、分かりやすく言うとギックリ腰です。湿布と痛み止めの薬を出しておきますから、薬局でもらってください。安静にして、もし痛みが続くようであればその時にまた来てください」 「ありがとうございます。それでどれくらいで治りますか?」 「普段の生活の様子にも関係しますので絶対ということではありませんが、2週間くらいを考えておいてください。決して無理はしないでくださいね、安静第一です」  以前の経験から大体のことは分かっていたが、以前ギックリ腰になった時も同じようなことを言われ、結局約1ヵ月かかった。だから今回も同じような時間がかかるだろうな、ということを漠然と考えていた。診断名については自分でも分かっていたし、以前の経験からその場合も対応も分かっていた。  痛みが襲ってきた瞬間はもう立てなくなるのでは、といった心配も頭によぎったが、少し落ち着いてくるとだんだんこの後のことが見えてきた。  この時点ではやはり矢島に迷惑をかける、ということが頭の中で大きなスペースを取ることになったが、先日も風邪を引き、同じようなことをやってしまった。 いろいろを考えると腰の痛みを少し忘れるような感じになるが、診察が終わり、部屋から出ようとする時にはやはり来院時と同じような痛みが襲った。 帰る時に薬を受け取ったが、今は帰って湿布をする、そして食事の後、痛み止めを飲む、ということで対応することにした。ここでもタクシーを呼んでもらい、家まで帰ることになったが、乗る時のヘルプは美津子一人だ。その点が心配ではあるが、何とか乗ることはできるだろうと思い、このまま帰宅することにした。      ◇  車に乗ってしまえば自宅まで運んでくれるわけだが、降りてからはまた同じで、美津子に支えてもらい、やっとのことで家に入った。  とりあえずリビングのソファに座り、落ち着くことにした。病院に行っても結局は薬をもらうだけだった。痛みが経験するわけでもないし、帰宅して最初に行なったのは湿布薬を患部に貼ることだけだ。 「あなた大丈夫?」  美津子はそう言って私の腰に湿布薬を貼ってくれた。ひんやりして気持ち良かったが、それは最初だけで、少し時間が経つとまた痛みを感じていた。  私はできるだけ痛みを感じない姿勢を取り、少しでも気が紛れるように美津子と話していた。 「この前はコロナと疑うようなことがあり、今度はギックリ腰なんて、俺も年かな」  少し気弱になっていたためか、場が暗くなるような言葉を発していた。  しかしこういう時、美津子は気丈に振舞う。 「そんなことは無いわよ。体調を崩すことは誰にでもあるし、今回の場合は急に重いものを持ったからでしょう」 「そうだけど、これまではそんなことは無かった」 「昔あったじゃない、ギックリ腰。若い頃の話でしょう。今回のこともちょっとした加減でそうなったのよ。年だなんて言わないで。まだまだ若いし、頑張ってもらわないと」  口調は少し強い感じだったが、それは私を力づけるためだ。その心情が分かっている分、私はそれに対して何も言えなかった。 「・・・そうだな。まだ隠居って年じゃないし」 「そんな情けないこと言わないで。今はコロナで大変だけど、3号店や軌道に乗ってくればフランチャイズなども考えられるでしょう。まだまだ仕事、頑張らなくちゃ。みんなだって一生懸命なんだから、トップがそんな風では困るわ」  また叱られたような感じだか、言葉の奥には温かいものが感じられる。なんだかんだと言って私を励ましてくれているのだ。 「・・・ただ、今はいろいろ大変な時だろう。早くいつものように元気になりたいところだが、腰の問題は仕事に大きく影響する。昔は完治まで1月くらいかかったけれど、人件費のこともあるし、早く現場に戻りたい。でも、昔の時よりも今回のほうが痛みが強いような気がするし、もしかすると以前の場合よりも時間がかかるかなあ」  力なく私が話すと、美津子が何か思い立ったようだった。 「ねえ、奥田先生に相談してみたら。確か以前、ギックリ腰は劇的に好転することがある、ということをおっしゃっていたわ。この前のような体調不良じゃないから、行ってみれば」  その話を聞いて、私には一筋の光明を見た思いがした。私も以前、腰のことで施術をお願いした時、同じような話を聞いていた。そのことを思い出したためか、表情が先ほどと違い、明るくなったのが自分でも分かった。 「そうだな。じゃあ、明日にでもお願いしようか。美津子、悪いけれど、奥田先生のところに電話してもらえないか」  美津子は二つ返事で奥田のところに電話をした。今日私がギックリ腰になり、病院でもらった湿布薬を貼ったばかりだけど、何も変化が無い、ということを告げてくれた。その上で予約をしようとしたが、そういう事情ならと今日、時間外で対応してくれることになった。本来は最後まで予約で一杯ということだったが、急患ということで対応してもらえることになったのだ。美津子は何度も丁寧にお礼を言い、今日の午後9時ということで予約できた。  その少し前、私は美津子と一緒に奥田のところを訪れた。一人でタクシーに乗るのは難しく、また降りる時のことを考えて来てもらったのだ。  私たちが奥田のもとに着いた時にはスタッフと共に玄関のところで立っている様子が車内からも見えた。先に帰られたクライアントの方を見送られたのかとも思ったが、これまでそういう経験はない。玄関までは送ってもらうが、外に出てまでということは無かった。だから、この光景は少し変だったが、その理由はすぐに分かった。  タクシーからはまず美津子が下車したが、それは私の降車をヘルプするためのことであり、ここまでは予定通りのことだ。  しかし、私が下りようとする時、スタッフと奥田が手伝ってくれたのだ。腰が悪いという時はいろいろな動きの制限が生じ、動作の度に痛みが走る。今回、店から自宅に戻る時のタクシーの乗降の時もそうだったし、奥田のところ向かう際にタクシーに乗る時も同様だった。  でも、今回はそれがスタッフに代わったところ、腰への負担があまり感じられなかった。全く痛くないわけではないが、その程度が軽いのだ。降りた時には奥田からも身体を支えられ、さらに痛みの感じ方が軽くなった。改めて身体の扱い方に長けていることを実感した瞬間だった。 「先生、ありがとうございます。こうやって支えていただいているだけでも痛みが軽くなりました」  私は驚きと共に感謝の言葉を口にした。その言葉に美津子は不思議そうな顔をしていたが、私はリップサービスということではなく、本心からそう言ったのだ。奥田の店の玄関は自動ドアなので、そのまますんなりと室内に入ることができた。  私が椅子に座った時点で美津子は最初に時間外に対応してくれた奥田にお礼を言い、私もそれに続いて感謝の言葉を口にした。  そういった時間のおかげで一息つくことができたが、呼吸が整ったところで問診となった。 「雨宮さん、大変でしたね。何をされている時に腰を痛めました?」  奥田が尋ねた。私は先日の体調を壊したところから店での出来事についてできる限り説明した。 「そうですか。じゃあ、体調を壊してほとんど間が開いていないところでビールが入ったケースを持って腰をおかしくしたわけですね。その後、病院に行かれたということですが、先生は何とおっしゃっていました?」 「ギックリ腰ですね、ということで湿布薬と痛み止めの薬をいただきました。今、腰に湿布薬を貼っています。でも、痛みは変わりません」  他には骨へのダメージの有無について質問があったが、それについては問題ないということだったので、その旨も告げた。当然、痛む場所やその感じについても説明し、奥田はそこからいろいろ情報を得たようで、施術ベッドのほうに移動した。もちろん、この時もスタッフと2人がかりで対応してもらい、家の中で歩くよりも楽に移動できた。  ベッドにうつ伏せになると、奥田は触診を行なった。 「雨宮さん、ここは痛みますか?」  奥田は腰のある一点を軽く押した。ほんの軽くということは分かるが、痛みはしっかり感じる。 「そこ、痛いです」  加減してあるけれど、これまで施術してもらった時に感じていた心地良さは無い。ギックリ腰だから仕方ないだろうと思っていた。今まで奥田の施術では気持ち良かったという思いがあったが、今日はちょっと覚悟が必要かも、という思いが出てきた。  そう思うと、何となく腰付近に力が入りそうだが、その後腰に対するアプローチは無く、施術は足のほうからスタートした。  腰が痛いのに、何故足からなのか私には分からなかった。普段通っている時も足のほうからの施術が多いが、それは私が仕事で立っていることが多いからだろうと勝手に思っていた。でも、今回は明確に腰が痛いわけだから、てっきりスタートは患部からだろうと思っていたことが違ったのだ。 「先生、痛いのは腰なんですが・・・」  私のいつもの同じような感じでスタートしたことにいささか不安を覚え、つい尋ねてしまった。普段のような場合はともかく、今回の場合は日常生活もままならないくらいの激痛があり、歩く時も支えが必要なくらいだ。奥田の実力は理解しているつもりだが、これで回復するのだろうかという思いがあったのだ。 「大丈夫ですよ。今、私が押しているところはこれまでお越しになっていた時にも使っていましたが、その時とは感じが違うでしょう」  奥田は京骨(けいこつ)という経穴を押していたが、そう言われてみれば確かに違う。これまでは単に気持ち良かっただけだが、その時よりも刺激を強く感じる。ただ、それは痛いということではない。刺激そのものの圧として感じているのだ。 「先生、ちょっと強めに押しているんですか?」  私は言われて気付いて刺激の違いについて質問した。  しかし、奥田それを否定した。 「いえいえ、いつもと同じというより、逆に弱めですよ。でも、今は雨宮さんの身体の状態でそう感じているだけです。このツボは膀胱経の原穴ですが、この経絡に異常がある場合、診断点として活用できるし、同時に治療点としても用います。効果を出すにはいたずらに圧をかければ良いというものではなく、適切な加減が必要ですし、それも徐々に変化させていきます。もう少ししたら、さっき雨宮さんが痛いとおっしゃっていた腰の場所をまた押してみますので、その時の感想を聞かせてください」  奥田はそう言うと京骨を含む足の小指からを丁寧に押圧していった。そこから少し外れたところに金門(きんもん)という経穴があるが、ここも押してもらうと京骨と同じような感覚があった。奥田に訊ねると、そこは膀胱経の郄穴(げきけつ)で、急性のトラブルに効果的な経穴だという。今回のトラブルの場合、まさしく急性のことなので、だからこそ京骨と同じような感じなのだろう、と素人ながら考えていた。  一通り足の調整が終わったところで、先ほど話していた通り、奥田の手が先ほど痛みを訴えた腰のところを押した。 「どうですか? 痛みますか?」 「少し痛いですが、さっきよりは痛くありません。弱く押しています?」  私は奥田が押し方を加減しているのではと思った。しかし、返事は逆にさっきよりも強めに押しているとのことだった。 「あなた、痛みが軽くなったの?」  近くで施術の様子を見ていた美津子が私に言った。 「うん、さっきと違う」  美津子はずっと横で見ていたが、確かに奥田が言うように圧を加減しているようには見えないようだ。 「あなた、先生はさっきよりも強めに押していらっしゃるわ。横から見ていてもそれは分かる。それで痛みが軽くなったってことは、少し良くなっているんじゃないの」  周りからそう言われても、ギックリ腰の痛みを実際に感じていたのは私だ。足を少し刺激したくらいであの痛みが軽くなるなんてすぐには信じられない。でも、軽くなったのは事実である。完全ではないものの、ついさっきまでは押されて痛みを感じていたのに、という思いがあったので、まだこの時点では美津子の言葉も私を励まそうという思いからのことだろうくらいの感じだった。  奥田の手はふくらはぎのほうに移動した。  ここでは最初、両手で挟むような感じで押圧され、腰のほうに血液が押し流されるような感じだった。ここもそんなに緊張していたのかと思うような感じで、大変心地良い。この感覚はいつもと同じだ。これまでの経験から、この部位を施術してもらうと、脚の重さが取れることを知っている。  その上で今度はふくらはぎの中央部分を指で押された。全体的に気持ち良い感じではあったが、そのほぼ中央部分の、ふくらはぎの筋肉がアキレス腱に変わるあたりになると、最初に京骨や金門を押された時のような刺激を感じた。ただ、その強さは最初の場合よりは弱かった。私はそのことを再び奥田に訊ねた。 「ここは承山(しょうざん)と言って、やはり腰痛の名穴の一つなんです。腰が悪い人の場合、このツボもさっきの足のツボ同様、刺激を感じる方がいらっしゃいます。雨宮さんの場合、今日は明確に腰のトラブルを抱えていらっしゃるわけですから、こういったツボは同じように何かしらの刺激を感じられると思いますよ」  奥田は私が何かを感じたり、質問をしたりすると丁寧に説明してくれる。こういうところが私には有り難く、また信頼のベースになっている。だからこそ、これまで不定期ながらも通い続け、そして今もお世話になっているわけで、今回のように急性の劇症のトラブルの時には頼ってしまう。不安でたまらない時、優しい施術と共に明確な説明を受けることで、心身ともに安心できる。  この承山という経穴も膀胱経上にあるということを聞いたが、東洋医学で言う経絡上に何か問題がある場合、原穴や郄穴以外にも反応が現れるところがあり、そうなればそこも含めてきちんと対応しなければ好転しない、ということを説明された。そしてそれはマニュアルで示されるものではなく、各人によって異なるので、こういうところは施術しながら確認していくことが大切ということだった。もちろん、基本原則はあるけれど、それを身体の仕組みを念頭にいろいろ応用を利かせることが大切とのことだった。  今日の施術はもちろん私のギックリ腰の好転が目的だけど、実際に施術を受けながらでも説明を受けることで、整体について勉強しているような気持になっていた。  それは美津子も同じようであり、後から尋ねてみると、奥田の説明と施術を観ていると学校で学んでいるような感じだったということだった。  奥田の手はさらに上方に進んでいったが、今度は裏膝に対する施術だった。  受けている立場からも今日はいつもよりも張っているような感じがしていたが、奥田からも同じようなことを言われた。その上で裏膝の真ん中付近を押されたが、ここも今日刺激を感じた経穴と同じような刺激を感じた。ここでも気になったので質問した。奥田はそれに対して嫌な顔一つせず、きちんと答えてくれた。 「ここは委中(いちゅう)というツボですが、裏膝は全体的に腰の調子と関係が深く、中にはここを緩めるだけで可動域が好転することがあるんですよ。委中というツボは裏膝の真ん中にあるんですが、その左右の端にもそれぞれツボがあり、一緒に施術するとより緩みやすく、だから今、全体的にやったんです」  奥田はそう言いながら、再度、最初に押された時に痛みを感じたところを押圧したが、さっきよりもさらに痛みは軽減していた。 「先生、さっきよりももっと痛みが軽くなっています」  私はその変化に嬉しくなり、今回最も大きな声で言った。その言葉には美津子も驚いていたが、決してリップサービスしているわけではないということは分かっているようで、口元も緩んでいた。 「良かったわね、あなた。先生、これで良くなったんですか?」  さっきと違う私の様子に期待を持ったようだが、そういう訳ではない。奥田はこれから本丸の腰の施術に入るということを言い、立ち位置を少し移動し、私の腰のちょうど真横付近に立った。 「雨宮さん、これから腰の調整に入りますね。さっき何度か確認したように、もうこの部位は多少動かしてもお越しになった時のような痛みはないはずです。だから、緊張せずに大丈夫ですよ」  奥田はそう言うと、再度骨盤や腰椎付近を触診し、骨格の状態と共にその付近の緊張度合いを確認した。 「さっきよりも柔らかくなっていますね。奥さん、さっきご主人が痛いとおっしゃっていたところを押していただけますか。通常であればこういうことをやっていただくことは無いのですが、ご夫婦でもありますし、私が確認していますので奥さんが押されても大丈夫なはずです」  そう言われても私には素人が押すことには心配があった。当然それは美津子にもあるはずだが、信頼する奥田の言葉なのでということで、恐る恐る押してきた。最初は全く力を感じなかったが、その旨を伝えると徐々に力が強くなっていくのが感じられた。  だが、奥田が言う通り、痛みを感じない。 「あなた、今、私はそれなりの力で押しているのよ。痛くないの?」  そう言われても私の返事は変わらない。もちろん、押されていることは分かるし、それが軽くさするような感じではないことも分かる。奥田が押しているのならば、プロとしての加減もあるだろうが、さすがに美津子にはそういうことはできないはずだ。だからこそ、私自身、その変化には素直に驚いていた。  もうこうなると腰にアプローチされても心配ない。つい先ほどまで腰の痛みで頭が一杯だった自分がどこかに行ってしまったのだ。  奥田はまず骨盤から調整を始めた。右の仙腸関節に親指を開いた状態の手を置いた。親指のラインを腸骨と仙骨の間に合わせ、反対の手を重ね、両手で圧をかけている様子が私にも分かる。ただそれは力任せの技ではなく、静かに腸骨を押し上げるような感じだった。そこでは瞬間圧ではなく、押し伸ばすような感じで、施術を受ける側としてとても心地良く、これまでの場合と同じような感じだった。  そう言えば、今日のこれまでの施術にしても今までやってもらったような技法がいくつかあった。でも、眠ってしまっていたり、今回のような劇症ではなかったため、それぞれの意味というのは考えていなかったし、その効果も本当には感じていなかったのかもしれない、ということを改めて考えていた。  今度は左の腸骨に手を当てたが、右側と異なり、足方向に押し下げるような感じの圧だった。 「先生、左右で調整の方向が違うようですが、何か意味があるのですか?」 「大丈夫ですよ。調整の方向を間違っているわけじゃありませんから。雨宮さんの骨盤の状態を診た上での対応です。その方向が間違っていたら効果が出るどころか不快感が増すはずですが、そういうことは無いでしょう?」  そう言われて改めて腰のほうに意識を集中すると、確かにこれまで残っていた違和感が無くなっている。ただ、押された時の痛みは感じなくなっていたが、骨盤付近の変な重だるさのような違和感は残っていた。  奥田はその後、股関節の周囲を親指で押圧したが、これも大変気持ち良い。これまでの施術でも気持ち良かったが、今日はそれ以上だ。 「やっぱりここもいつもよりも固くなっていますね。腰が悪いという場合、骨盤・股関節・腰椎をセットで調整するというのが奥田の方針だ。もちろん、主訴の部位を念頭に行なうことになるが、関連部位として効果を出すためには必要と考えているとのことだった。股関節の周囲の緩解はそのための準備の一つになるとのことで、この部位の問題は自分では気づかなかったが疲れていたということが改めて分かった。  奥田はその上で腰椎の調整に入った。まずは腰椎の際を丁寧にほぐし、その上で骨盤同様、脊椎全体を伸ばすような施術になった。これも大変気持ち良い。  だが、先ほどまでは腰をちょっと押しただけでも痛かったのだ。それが今はいつもの施術のような感覚になっている。そのことが不思議でしょうがない私は、また奥田に質問した。それに対してやはりいつも通りの笑みを浮かべ、奥田は丁寧に答えた。 「さっき、足のツボの調整をやったでしょう。雨宮さんが痛みを訴えていた箇所というのは、ツボが存在する膀胱経という経絡上にあり、その問題が経穴に表れていたんです。これは東洋医学の身体観に基づくものですが、ツボは患部から離れていても経絡上に異常がある場合に反応しますので、まずはそこからアプローチしたんです。ギックリ腰のように急性で劇症の場合、いきなり問題個所にアプローチしても痛みの恐怖心から緊張しがちです。だからあえて患部から遠い関係個所を調整し、余計な緊張を取るようにしているんです。その上で今度は現代医学的な視点からアプローチするわけですが、実際の身体の場合、骨格や筋肉を意識することになりますので、今からそこを調整し、文字通り整った身体にしていくわけです」  奥田はそういった説明しながら施術を続け、やがて背部から仰向けによる調整へと移っていった。  私は奥田の指示に従い、仰向けになった。その時の様子は腰をかばうような感じだった。それは腰の激痛を心配し、おっかなびっくりの気持ちで一杯だったからだ。  しかし、その杞憂はベッドの上で一変した。 「あれ? 痛くない」  私は自分の身体がスムーズに動くのに驚いた。  施術前、ベッドにうつ伏せになるだけでもあれだけ痛かったのに、という思いと現在の現実のギャップが大きすぎるのだ。  横で見ている美津子は私の言葉を疑った。 「あなた、本当に痛くないの? さっきまであんなに痛がっていたじゃない。・・・でも、確かにその動きを見ていると、痛くなさそうね」  私自身もそうだが、美津子も目にも魔法でもかけられたかのような表情になっている。その様子はうつ伏せから仰向けになる時に私も見ている。2人揃って信じられない、という思いだった。  この時、奥田が言った。 「ギックリ腰というのは突然で、しかも激痛を伴いますので、その状態になった時にはもう歩けなくなるのではと本気で心配される方がいらっしゃいます。これまでもそういう方が何人もお見えになっていますが、お越しになった時は皆さん同じです。御一人でお越しになるケースもあれば雨宮さんのように家族の方と一緒、ということもあります。その場合、今のように劇的な変化に同伴者の方も一緒に驚かれることはよくあります。もちろん、好転の状態は痛めた状況により異なりますが、多くの方はお帰りになる時は元気な時と同じような感じで歩いておられます」  奥田は淡々として口調で説明したが、これまでの痛みと心配は何だったのかという思いと共に、整体の凄さを自分の身体で実感した。おそらくこのことは美津子も同じように思っていると思うが、それは帰ってからゆっくり話すことにした。  施術は仰向けの状態で続いていったが、ここでも足のほうから行なわれた。ギックリ腰なのになぜ足のほうから、と改めて思ったがうつ伏せの施術の結果を身体で実感した今、すでに何故、という疑問は無くなっており、全てを奥田に委ねる気持ちになっていた。  そこでの施術の中で特に心地良かったことの一つは股関節の回旋だった。足首と膝付近を掴むというよりも互いに外れないように注意しながら触れ、内側から、あるいは外側から少しずつ回していく技だが、股関節だけでなく腰付近も伸ばされるような感じがし、ギックリ腰のために緊張していたところが心地良くストレッチされているような感じだった。奥田は可動域を確認しながら、といった感じで行なっていたが、そういった配慮が激痛を経験した私にとっては有難い。強い刺激が効くと思っている人もいると耳にしたことがあるが、本当に痛い思いをした時、たとえ好転するとしても、選択できるとするなら、心地良く好転する方を選ぶ。少なくとも私はそうだ。だから奥田の施術のファンになって時々通っていたわけだが、今回、その選択が正しかったと実感することになった。  そして、もう一つ心地良かったのが腹部の調整だった。実際に押されてみると、思った以上に張っていることが分かったが、お腹も腰の周りで身体を支えているところだということを自分の肉体で実感できることになった。これまでは言われていてもあまり意識しなかったところが、ギックリ腰を通じていろいろ学べたことに素直に感謝する自分がいた。  一通り施術が終わった。奥田から自分で立つように指示された。  うつ伏せから仰向けになった経験から、動く時の痛みについての恐怖心は消えていた。そのため、変な緊張もなく立つことができた。いつもよりも少々動きは鈍かったかもしれないが、気になることは消失していた。思わず腰を回してみたりしてみたが痛くない。  その様子を見ていた美津子は、ベッドで姿勢を変えた時以上に驚いた顔をしていた。 「美津子、痛くないよ。さっきまで痛くて動かせないといった状態だったのに、嘘みたいだ。施術中も痛い思いをしなかったし、先生の技術はすごいよ。どんな仕事も身体が資本だと思うけれど、そのメンテナンスが仕事というのは素晴らしいな」  この時の私の表情は驚きと共に大変な喜びで、来院時の時とは別人のようになっているであろうということは自分でも想像できた。  私たちは2人揃って奥田に心からお礼を言った。 「いえいえ、私はプロとして結果を出すことを意識してやっただけです。これまでは一般的な身体のメンテナンスであったり、疲れたからということでお越しになっていらしたと思いますが、今回のように具体的に、しかもはっきりしたトラブルであっても対応できる、ということがあるということもお分かりいただけたと思います。今、コロナといった大変な時代になっていますが、体調が悪いというのは今回のようなことも含みますので、だからこそやりがいもあるんですよ。私たちは感染症には無力ですが、いろいろな体調不良の改善のお手伝いができればということで頑張っています。今日の雨宮さんのようにギックリ腰はその典型で、そういうケースの回復のお手伝いができればと考えているんですよ」  私と美津子は立ったまま奥田の話に聞き入っていた。  その様子に気付いた奥田は施術の後にいつもお話ししているスペースに誘導した。 「すみません。つい立ち話になりました」  私たちが席に着くとすぐにスタッフの方が3人分のお茶を出してくれた。そこからまた奥田が話し始めた。 「雨宮さん、今の施術で普通に歩いて帰れると思いますが、2、3日は腰に大きな負荷をかけないようにし、また姿勢も変な風にならないように注意してください。劇的に好転した時にはつい嬉しくなり、以前と同じようなことをついやってしまう方がいらっしゃいますが、しばらく身体を休ませ、腰にかかったストレスをきちんと取らなければなりません。今回の原因になったビール瓶の入った箱を持ち上げるといったことはしばらく絶対に避けてください。ずっと立ち続けることも控えた方が良いと思いますので、もし明日、お店に出られる時にも仕事量はいつもの半分か3分の1くらいでやってください」 「はい、その点はもっと長引くと思っていましたので、スタッフにしばらく任せようと思っています。みんなもそのつもりでいると思いますので、ここは甘えたいと思っています」 「そうですか、それは良かった。できればここ数日の内、もう一度身体を整えておいた方が良いと思いますが、どうされますか?」  私の方から次回の予約を考えていたところだったので、奥田の話にスケジュールの空きを確認し、5日後に予約を入れた。もちろん、その前にまた痛くなったらその時にすぐに予約させてもらっても良いか、ということを確認し、家に帰った。もちろん、この時には一人でタクシーに乗れたし、帰ってからも一切の支えがいらず、いつもの感じで家の中に入っていった。      ◇  私たちはリビングでくつろぐことにした。ついさっきまではここで痛みに耐えていたわけだが、そのことを考えるとあれが何だったのか、と思えるような大きな変化だった。主観的なところで痛みが引いていることは分かっているわけだが、改めて自宅の同じ場所で時系列に思いを馳せる時、とても不思議な感覚だった。  美津子はキッチンに行き、冷蔵庫の中からビールを持ってきた。私のギックリ腰の原因はビール瓶が入った箱を持ったことだったが、それは瓶ビールだ。今持ってきてもらったのは缶ビールなので、それを見たからといって悪夢を思い出すような感じにはならない。家に帰った時に飲んでいるわけなので、これはいつもの流れであり、腰の痛みがなくなった今、ビールを飲むというのも普段の日常になる。ただ、奥田からアルコールの摂取は血流にも関係するので、今日はできれば控えるようにと言われた。  ビールをテーブルに置いた時、その話を思い出し、1本だけ開け、私はほんの一口だけとし、大半は美津子に飲んでもらった。 「一口だけでも今日は旨いな。これだけで今日の疲れが吹き飛んだ感じだよ」  私はここでも嬉しそうな表情になっていたのは疑う余地が無い。美津子も私のそのような表情に反応して嬉しそうな顔になっている。 「ところで整体についてどう思った。俺は自分の身体で経験したことだから、その効果にとても衝撃を受けた。腰が痛くて自分の思い通りに動かせない時は、もうこれまでの仕事はできないのでは、とすごく落ち込んだ。昔1回ギックリ腰になったけれど、今回は改めて考えるとその時よりも重い感じで、本当に医者から言われた期間内で良くなるのか不安だった。前回も言われたよりも良くなるまでに時間がかかったし、本当に心配だった。それがこんな感じで良い結果を経験した。改めてすごい技術だなという感じと、多分奥田先生はこの仕事にやりがいを感じているんだろうなと思った。だから時間外でも大変だと考えたらきちんと対応してくれると思うし、人間力も感じるよ」 「そうね、今回、私は客観的なところからあなたと奥田先生のことを見ているところがあったけれど、あなたが言う通りだわ。これまで私たち、居酒屋がみんなの心のオアシスになる、という思いで頑張ってきて、それをやりがいにしていたじゃない。でも、今回のことで、視点を変えたり、立場が変われば人のためになると思える仕事は他にもあると考えられるようになったわ。私は今までギックリ腰になったことはないけれど、あなたの様子を見ていたらどんなに不安で辛いかは少し分かったつもりよ。だから、あなたに話や奥田先生の話はすごく沁みてくるわ」  この時、私は美津子のやりがいに絡めた話の部分に何かしらの引っ掛かりを感じていた。      ◇  腰の調子は劇的に好転したが、私の奥田のアドバイスに従い、店の方は数日矢島に任せることにしていた。もちろん、私の腰の様子については矢島に電話ですぐに連絡したが、矢島のほうからも無理をしないようにということを言われ、今回はその言葉に甘えさせてもらった。店の様子についてはランチタイムの後と閉店後の2回、報告してもらうことにしたが、これまでのことから任せてもきちんと切り盛りしていることは分かっているので、その点は安心していた。  そういうことで私は美津子が出勤した後、一人で自宅にいるわけでが、いつもはできないことがテレビを見ることだった。いつもは朝のワイドショーと深夜のニュースが見れれば、といった感じだったが、自宅にいるため、いろいろな番組を見ることができる。内容はそれぞれで、同じニュースでも切り口が異なるので、考え方が広がるような感じがしていた。  テレビでは相変わらずコロナウイルスのことが中心になっており、感染者数もどんどん増えている。先日のことは幸いにしてコロナではなかったが、もし感染していたらこういった数字に算入されるのだろうということを改めて考えていた。  同時に、健康の有難さも真剣に考えていた。  それは2回続けて体調を壊したからだ。原因や内容は異なるものの、改めて1人でいると自分の経験と重ねて考えてしまう。  自分がその時どう思ったか、そしてその問題が周囲にどう影響したかだ。  私はテレビを見ている時、自分で入れたコーヒーを飲んでいた。夜であれば美津子とビールというところだが、さすがに昼間から飲むことは無い。だからアルコールのせいで思考力に問題があるわけではなく、冷静でいられた。それでもコロナの話題になればついテレビを凝視し、ホットのつもりが常温のコーヒーになっていた。その状態でも気にせず飲んでいたが、昨日の夜、美津子と話していたことが頭に蘇った。今やっている居酒屋という私の生業のことだ。  私はこれまで自分なりのポリシーを持ってやってきた。だから今のように厳しい状況でも頑張ってこれたが、自分の体調を崩した時は仕事の心配をすることはあっても、居酒屋という業種が身体にプラスになったわけではない。  もちろん、きちんとした生業があるからこそ、そして美津子をはじめスタッフにも恵まれたからこそ自分が休んでいても安心していられることは事実だ。  だが、これまで思っていたようなやりがいということを改めて考えてみると、確かに日々のストレスを発散してもらえる場として、そしてそれを提供できることに自信を持って生涯の仕事として自分の中でトップに位置付けることができるか、という思いが少しずつ心の中で大きくなっていたのだ。  最初の体調不良では病院の先生に、ギックリ腰では奥田先生にお世話になり、回復した時の自分の心の中では直接的に感謝という思いで一杯になった。そして、居酒屋という仕事でお客様にそれだけの気持ちを持ってもらえていたのか、ということを考えるようになった。居酒屋自体、他にもたくさんの店がある。もちろん、体調改善でお世話になった病院や整体院も同様だが、その感謝のベクトルは直接個人に向けられる。  居酒屋にそこまでの意識を持ってもらえるかと言えば、常連は別としてたまたま入店したというケースも多いだろう。それで店を気に入ってくれて相沢のように店を愛してくれる人も出てくるだろう。  ただ、今回私が経験したことは、それとは別の感情を生み出すことになっていた。
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