1.開店1周年前日

1/1
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

1.開店1周年前日

 202X年のある日、私、雨宮雅夫は自宅でゆっくりしていた。  私は現在、整体院「希望サロン」を営んでいるが、明日で1周年を迎える。今日はその前日ということで休店とし、これまでのことをゆっくり思い出していた。  開業前、これまで経験したことがない出来事があり、それまでの価値観や社会の様子が一変した。  新型コロナウイルス騒動が世界的に起こり、パンデミックを引き起こしたのだ。  感染拡大のために外出自粛が全国に要請され、当然それは仕事にも影響し、私がやっていた飲食店はそのことが経営を直撃した。  その詳細について今は語るまい。  だが、家族や子供がいる立場上、何とかしなければならない。そういう思い試行錯誤を繰り返し、自身の体験から行きついたのが癒しという仕事だが、結果的に今は天職だと思っている。  毎日が充実し、前職とは違ったやりがいを感じている。  今、そういう思いでスタートした現在の仕事を静かに回想し、これからの頑張りの礎にしたいと思っている私がそこにいた。     ◇  いつもより遅い朝食を済ませ、リビングでお茶を飲みながら何気に新聞を読んでいると、妻の美津子が声をかけてきた。 「お茶、いかがですか?」  変わらぬ笑顔だ。私は転職を考えた時から何度もその笑顔に救われた。今朝も変わらぬその様子に、私も思わず笑顔になった。 「あら、いい笑顔。 何か良いことでも書いてありました?」 「いや、記事には何も・・・。でも、この1年のことを思い出していたんだ」  新聞をたたみながら答えた。 「そう、いろいろあったものね。でも1年になるわね。新しい仕事を始めて・・・」  現在の状況に至る前には準備段階と呼べる時があったが、その経験を経て今がある。私の言葉にはそういう思いが含まれているのだ。  美津子の言葉にも同様の気持ちが含まれていたためか、相槌を打つように言った。そのすぐ後、私は美津子の問いに答えた。 「あっ、お茶だったね。新しいのをお願いするよ。良かったらお前もお茶を持ってきて、ちょっと話さないか」  私は人指し指を立て、お茶を1杯というサインを出しつつ、美津子を誘った。 「分かったわ。ちょっと待って」  そう言って美津子は台所に戻った。  美津子は1~2分くらいで戻ってきて、私と自分の分のお茶をテーブルに置き、隣に座った。  ソファは3人掛けで、端のほうは空いている。 「おいおい、これはウイルス騒動の時に問題になった3密状態じゃないか」  私は冗談交じりに言った。 「そうね。でもいいじゃない。もうコロナ騒動は落ち着いているし、思い出話はこういう感じがいいと思うわ」  ちょっといたずらっぽい表情で私を見つめながら言った。 「それもそうだね。今さらコロナウイルスもないからね」  私も美津子の言葉に答えた。 「やっと1年、もう1年、という感じだね」  私は目線をテーブルに落としながら、感慨深げに言った。 「そうね。新しい仕事をしたいとあなたが言った時、結構心配だったのよ。今までのような飲食業だったら、たとえジャンルは違ってもこれまでの経験で少しは安心できたのに、全く違う仕事ですからね。でも、私もその選択が正解だったと今は思っている」  美津子は私とは対照的で、しっかり目を見て話していた。  その視線を感じた私は、目を合わせて答えた。 「そう思ってくれるか。ありがとう」  その手には新しく入れたお茶を持っていたので熱かったが、その言葉を言い終わるまでは何とか両手で持っていた。  だが、すぐにお茶の熱さを感じたため、慌ててテーブルに戻した。 「熱かった・・・」  思わず私の口から出た言葉だ。 「大丈夫? 飲食業もそうだけど、手に職系の仕事だから手には気を付けないと・・・」  美津子は私の手を心配し、すぐに掌や指の様子を確認した。 「そうだね、気を付けるよ」  テーブルに置いたお茶を見てみると、すでに水面は鏡のように穏やかになっていた。 「同じ学校で勉強していた川合さん、覚えている?」  私は美津子に尋ねた。  整体術の技術を学ぶためにある学校に通っていたが、その時、一緒に勉強していたのが川合という人だったのだ。 「覚えているわ。私も時々同じクラスでご一緒したことがあるから」  そう、実は私と美津子は一緒に整体院をやろうとして、同じ学校に通っていたのだ。同じ技術を学ぶことで復習の効率は上がるし、同じような癒し家として仕事できれば、いろいろな点でプラスになる。この部分は飲食店を経営している時からの考えと同じで、その経験から同じところで勉強した。  ただ飲食店時代、子供は大学生で、扶養家族だ。確実に稼げる仕事を持っていなければならない。転職と一口に言っても一大決心が必要だった。  でも今、私は45歳で、子供に手がかからない年齢になっている。昔とは条件が違うのだ。だからこそ転職し、癒しの店をやることができるわけだが、結果的にそれが良い形になっている。  川合の話にしても、そういうところでの共通部分があるため、こういう時の話のノリは良い。勉強している時代の思い出話もできるし、その後のことにも話が広がる。  実際、話の展開はそのようになっていった。     ◇ 「川合さんの話をしたのは数日前、電話をもらったからなんだ」  私は突然川合の話をした理由を話した。  川合も現在、開業しているが、私からすれば開業についてはちょっと先輩になる。店は私のところからは電車で1時間少々のところだが、お互いに仕事の関係でなかなか会えない。  だが、勉強中はいろいろと交流し、互いに情報交換をしていた。前職は異なるものの、やはり私と同じような理由から癒しの道を選んでいた。考え方が似ていたので、話が合うことが多く、刺激を受けていた。  当然、開業した時には川合にも知らせ、お祝いの花もいただいた。私も川合が開店した時には同じように送っていたので、互いに開業日を知っており、先日の電話は1周年おめでとう、という意味だったのだ。開業の苦労は同じようなことをやった者にしか分からない。  私は前職が飲食店だったのでお店をオープンするということには多少理解しているつもりだったが、業種が違えばその内容は異なる。癒しの店にはこの業種特有の苦労はあるものだ。  川合が開業する時には、自営の先輩として話をさせてもらったが、私がオープンする時には逆にこの業界のオープン時のことについてアドバイスをもらっていた。  それだけにお互いに気になっていた存在になっていたが、それが私の店の1周年ということで電話をもらい、昔話から近況まで話をした。  先日、美津子は私から川合から電話があったということは聞いていたが、詳しくは話していなかった。だからこそ今日、川合からの話ということに美津子は興味を持った。 「ねえ、川合さん、今どうなの?」  川合のことを聞いた美津子の眼はキラキラ光っている。興味津々ということが眼にも現われていたのだ。 「うん、川合さんも順調らしい。でも、ウチと違って1人でやっているだろう。だからどうしても予約を取り逃してしまうこともあるらしい。だから、そのうち求人を考えたいと、ということだったよ」  私は川合の近況を自分のことのように楽しそうに話した。 「そう、それは良かったわね」  美津子も喜んでいる様子だった。口元が緩み、良い笑顔になっていた。 「でも、ウチの場合は2人でスタートしたから、途中でスタッフを増やすということは考えなくて済んだし、同じ技術を学んだから施術内容のばらつきも出さずに済んでいるから、クライアントの方からのクレームも出ない。やっぱり同じ学校で勉強して良かったと思っているよ」  私は美津子のほうを向いて自信を持った口調で話した。 「そうね、私が受ける立場としたら、人によってやっている技術が違っていたら変な感じがするもの。そうなるとお店のコンセプトが守れないじゃない。それじゃ定着しないわよ」  美津子は自分の考えをしっかり話した。 「俺も同感だ。飲食の世界もそうだけど、料理する人によって味が違っていたら店の信用がなくなる。こういうところに以前店をやっていた時のことが役立ったわけだが、こうやって振り返ってみると、やっぱりあの時考えていたことは正解だったと、改めて思うよ」  私も美津子の考え方と同じだった。 「それから、こういうことも言っていたよ。最近は紹介が増えたってことだったよ。結果を出したクライアントの方がお友達を連れてきてくれるって言っていた」  川合の現況について聞いていると、開業当初とは様子が違ってきているということが分かったのだ。  私の店もそういうケースがあるが、比較すると川合の店の紹介者に数字的には及ばない。私の店よりは2割以上多いのだ。営業年数の違いからクライアントの延べ人数が多いからだ。 だがウチの場合、それでも予約を逃がすことがある。対応のまずさが原因なのだろうが、川合の場合、一人でやっていることで予約受付ができないことがあるという。そして、それがスタッフ増員を考えている理由らしい。美津子にもそういう話をしたが、すぐに返しがあった。 「でもあなた、ウチの場合もそういうケースが増えているけれど、最初から2人でやっているから、クライアントの方が増えてもまだそれなりにと対応できているわね」  川合の状況と比べ、自分の店の場合のメリットを強調していた。  美津子は自分の話に興奮したのか、お茶を一気に飲み干した。 「もう1回、お茶を入れてくるわ。あなたは?」  キッチンに行こうとする美津子が私にも確認した。  私も一気に飲み、お願いした。  美津子は新しくお茶を入れなおし、私の横に座った。 「ウチも忙しくなってきたら考えなくてはならないだろうけど、その時はまた川合さんに経験談を聞きたいね」  私は言った。 「そうね、ウチも明日で1周年。こういう節目に将来のことを考えるのは大切よ。そのための条件なんかも少しずつ考えていなくてはいけないだろうけど、これから時々川合さんに連絡して少しずつその時のシミュレーションをしておくと良いわね」  美津子との話で前向きな気持ちになった私は、次のステップのための具体的な条件と、そういうことを考えている人の心情を知っておくのは良いことだ。  そういうことを考えながらちょっと目線をずらすと、赤丸が付いたカレンダーが目に入った。  美津子もそれに気づき、同じ方向を向いた。 「明日の日付に印が付いているね。美津子がそうしたのか?」  私が聞いた。 「うん、そう。ちょうど節目だし、記念日の一つだからチェックしておいた。今話したことも、明日が新しいスタートと考えれば、また新しく良い感じで次のスタートができると思ったから・・・」  2人とも同じ方向を見ながらの会話だった。 「そうだね。それだけに今話した川合さんのことは、自分たちの気持ちを奮い立たせてくれるね」  私も明日の1周年が新たな気持ちで迎えられそうな気になっていた。  「ところで川合さんと話していた時だけど、村上さんの話が出たよ。村上さん、知っている?」  私は美津子に尋ねた。しかし、美津子は首を横に振った。 「そうか、知らないか。学校に通っていた時、授業の後に3人で飲んだことあり、やはり将来のことを話していたんだ。ただ、村上さんは故郷に帰って開業したそうだから、俺たちの場合とはちょっと条件が違うよね」 「そうね、でも東京以外で開業するとなると、いろいろと違うことも経験するでしょうね」  美津子は興味深げに尋ねてきた。同時に、そういう話も将来の自分たちの参考になることもあるかもとその話を聞きたがっている。 「それでその人はどこでやっているの?」  まず尋ねたのはその地域だった。  美津子の出身地は東京ではない。そのため、どこで開業し、その様子がどうなのかということについては大きな興味が湧くようだ。 「川合さんによると北海道らしい」 「じゃあ、札幌?」 「いや、そうじゃないらしい。人口が10万人くらいの市ということだった」  美津子はその話を聞いて、大丈夫かな、という表情をした。東京の場合、人口が多い分、店の数が多くてもやっていけそうなイメージのようだが、少ない人口だと経営的にはどうなのか、ということを心配したのだ。  というのは、美津子の出身もその県の県庁所在地でなく、人口で言えば4番目くらいの市だったので、商店街の様子についてもイメージ的には知っている。東京での暮らしに慣れた今、そのような街の雰囲気でやっていけないのでは、ということが頭によぎったのだ。 「それで様子はどうなの?」  自分のイメージと実際との違いを確かめるような感じで尋ねてきた。 「俺もまた聞きだから正確ではないけど、思ったほど大変ではないようだよ」  私は直接話したわけではないので、その内容に自信はなかったが、川合からの話をできるだけ忠実に伝えようと心掛けた。 「私は村上さんのことは知らないので、どんな話をしていたか教えて」  美津子は同じように整体院をオープンさせた村上のことに興味持ったようだ。  ただ、私も近況はよく知らない。川合から聞いた程度の話しか分からない。 「今のことはよく分からないので、昔のことでも良い?」 「ええ、いいわ」  美津子は自分が知らないことに興味を示していた。 「俺たちは整体院をやる前には飲食店をやっていただろう。でも、川合さんと村上さんはサラリーマンだった。だから、すでに商売をやっていた俺たちとはちょっと違う考えでこの道には行ったようなんだ」 「ふーん。川合さんのことはちょっと聞いていたけど、村上さんもそうだったんだ」 「だから、最初は川合さんと村上さんが友達同士になっていて、俺がその中に加わったって感じかな」  この話をするなら、3人が仲良くなったところからのほうが分かり易いと思い、そのきっかけから話し始めた。 「この3人の中では俺が一番後に勉強を始めた。だからちょっと分からないようなことがあると、2人に質問していたんだ。そうするうちに親しくなり、授業の後、ちょっと一杯という感じになったんだ」  私はその時、昔を思い出し、目線は美津子から外し、お茶のほうを見ていた。親指で飲み口を触れながら、話を続けた。 「川合さんはお前も知っての通り、自分で会社を退職し、手に職を考えてこの道に飛び込んできた。でも、村上さんは新型コロナの問題で会社がおかしくなり、解雇されたんだ。それで仕事をどうしようかと相当悩んだらしい。それで選んだのが手に職を考え、会社に頼らず自分の手で未来を切り開く、と思ったそうだ」  私は村上の決心を話す時は美津子の眼をしっかり見ていた。 「そうなんだ。しっかり将来のことを考えていらしたのね」  美津子は村上の考えを理解したような感じではあるが、返事は今一つ軽い感じがした。実際にそういう話に加わっていたわけではないし、また聞きということもあり、心がこもった会話にはなっていない。初めて聞いたことだから仕方ないが、私は話を続けた。 「でも、そのためには理想だけでは上手く行かないわね。具体的な将来設計は考えていらしたのかしら」  美津子は自分の疑問を尋ねてきた。 「最初の頃のことはよく分からないよ。でも、勉強の後、何度か話している内に少しずついろいろなことが分かってきた。さっき、村上さんは会社を解雇されたということだったけど、幸い貯金があったそうだ。それでそれを資金にして何かお店をやろうとした時、低資本でスタートできる癒しの仕事を選んだって聞いた」  そう、村上は癒しに対する気持ちというより、開業のしやすさから考えたのだ。  その話を聞いた時、美津子の顔が少し曇った。 「でも、私たちは癒しという仕事に何かしらの生きがいみたいなことを感じていたでしょう。開業しやすそう、という感じだけで選んでも良いのかしら?」  美津子は村上の考え方に疑問を呈した。 「それは人それぞれだろう。みんな事情があるわけだし、会社務めという考え方を止めたら自分で何か始めるというのは選択肢の一つだし、それがたまたま癒しだった、というだけだ。結果的にそれで生活できれば良しとする、という考えもあるだろう」  私は村上の考え方にも理解を示した。世界中の人が体験し、社会のシステムにも大きな影響を与えた騒動だっただけに、まずはきちんと食べることを考えるのは当然という認識だったのだ。 「そんなものかな・・・。それでどうなったの?」  美津子はあまり理解していなかったようだが、興味はありそうで、続きを聞きたがった。 「俺と川合さんは癒しそのものに対して興味を持ち、心身の健康はすべての基礎になるし、それはコロナ騒動で身に沁みて感じた。だから、そういう関係の仕事をしたかった、というはっきりした気持ちがあった。3人でいろいろ話す中で、村上さんも少しずつ癒しを単なる仕事の一つという見方はしなくなっていったよ。もちろん、この勉強は趣味でやるようなことではないので、きちんと仕事としての意識も大切だから、そういう話もしっかりするようになった」  私はこういう話をしながら、少しずつ言葉に熱がこもっていく様子を感じていた。美津子もその様子を感じていたようで、話の途中、口を挟んできた。 「なんだ、遅くなっていた時には3人でそういう話をしていたの? それなら私もその話に入れてほしかったな。同じ学校に通っていたんだし・・・」  美津子はちょっと悔しそうな感じで言った。 「でも、お前は家事もあっただろう。基本的にクラスが違うし、曜日も違っていたじゃないか」 「そうね、でもたまには誘ってくれても良かったんじゃないの?」  残念そうな目で私を見た。  私は雰囲気を変えるため、美津子に言った。 「あっ、そうだ。確かお煎餅があったよね。お茶うけに持ってきてくれる?」 「そうね、何かちょっとあったほうがいいわね。待ってて」  美津子はそう言って台所のほうに行った。そしてまだ封を切っていない醤油の煎餅を持ってきた。 「これで良いかしら」 「いいよ、いいよ。俺、好きなんだ、この煎餅」  私は思わず微笑んだ。 「ところでさっきの続きだけど、村上さんはその時から地元に帰って開業することを考えていたんだ」 「それが北海道?」 「そう、ここでさっきの話につながったよね。昔の友達のつながりもあり、そういうネットワークを活用したいと話していた。学校の授業でも開業のための講座があったよね。そこでも紹介の大切さを聞いたけど、村上さんは最初からそういうイメージでいたらしい」 「そうなの。さっきまでの話では実際に仕事をスタートした時のことまで考えていなかったような感じがしていたけど、会社から解雇された上で次のことを考えていた人だから、そういう計画を立てていらしたのね」  ここでやっと美津子も村上のことを理解してきている様子だった。 「でも、学校で先生も言っていたと思うけれど、1回目はご祝儀みたいな感じで来てくれても、実力がなければそれで終わり、ということも聞いたよね」  私は美津子に確認するように言った。 「覚えているわ。私も腕が悪いところには2度と行くつもりはないもの。だから、学校選びも慎重になり、いろいろ探したじゃない。それで納得したところを見つけ、今があるわけだし・・・。私たちの場合、結果を出せる技術を身に付けたおかげで紹介が増え、それで今があるわけだし、やっぱりただ友達というだけだは続かないわよね」  美津子も今、現場に出ているだけに技術の質についてのこだわりは強い。毎日の施術体験から技術のクオリティについてはかなりこだわりを持っているし、それが自分のプライドにもつながっている。 「最初、小難しいことを言わないで、どうすれば良いかということをすぐに教えてもらえるものと思っていたけれど、授業自体奥が深く、見た目は簡単そうなことでも裏にこんなにポイントがあるんだ、ということを改めて知ったもの。その村上さんという方も、やっぱり同じように感じていたんでしようね」  美津子は自分の学びの時と重ね合わせ、村上の心情を推し量っていた。 「そうだね。今、俺が話したような友達のネットワークのことは随分端折った話だったけれど、そのベースには授業の経験とその時の先生の話があったんだ」  私はせっかく美津子が持ってきてくれた煎餅に口もつけず、話していた。  でも、話が一区切りついた時、目の前に置かれた煎餅に手が伸びた時、美津子から提案が出た。 「ねえ。村上さんの連絡先、分かる?」 「知っているよ」 「それなら、ちょっと電話してみない? 今の様子、ちょっと興味あるし、あなたも1周年目の挨拶ということで理由が付くでしょう。私はその村上さんの今を知りたいわ」  美津子は興味津々という目で私を見た。私も村上の近況を知りたかったし、このタイミングで電話することにした。  村上の電話番号はスマホに記憶させてある。私はスマホを取りに行こうとしたが、美津子はここで電話してほしいと言った。リアルな話を聞きたいということだろう。私はその気持ちを理解し、スマホを取り、再びリビングに戻ってきた。スマホの電話帳を検索し、村上に電話した。  出るまではちょっと時間がかかり、切ろうとした時に村上が出た。 「・・・もしもし、村上さんですか、雨宮です」 「あっ、しばらくです」  村上の声は今一つ落ち着いた感じではなかった。 「村上さん、今お忙しかったですか? もしそうでしたら掛け直します」  私はその様子から電話を切ったほうが良いと思った。 「ごめんなさい。今、施術中ですので、私のほうから掛け直します。宜しいでしょうか?」  村上は恐縮するような感じで言った。 「申し訳ありません。私のほうはいつでも大丈夫ですので、お待ちしています」 「では、30分後くらいになると思いますが、済みません」  そう言って村上は電話を切った。 「村上さん、忙しそうね」  美津子が言った。 「そうだね。悪い時に電話しちゃったね。後で謝らなくちゃ」  私は頭をかきながら言った。その状態を置き換えて考えた場合、仕事中のプライベートな電話はクライアントの方に迷惑をかけることは理解している。その悪いタイミングでの電話だったからそう思うのは当然だ。 「ごめんなさい。私が余計なことを言ったばっかりに・・・」  美津子は申し訳なさそうに私に謝った。 「いいよ、電話する時、相手の様子は分からないわけだから、こういうこともあるよ」     ◇  30分経ち、私たちは村上からの電話を待っていた。  しかし、そこからさらに10分経っても電話がない。私たちはソファに2人並び、スマホをテーブルの上に置いて待っていた。時計と互いの顔を見ながら無言の時間と、短い会話が続く。 「遅いね」 「忙しいのかしら」 「かけた時間が悪かったかな。予約で埋まっているのかもしれないね」 「きっと掛け直せないことを気にしているよ」  そんなことを話してまた黙る、という感じだったのだ。  私が村上に電話して45分後、電話が鳴った。着信の確認をしたら、村上からだった。私たちは顔を見合わせ、ちょっと安堵した。4回ほど着信音が鳴った時、電話を取った。 「済みません、お電話が遅くなってしまいました」  村上が恐縮しながら言った。私にはその様子が頭に浮かんでいた。美津子は電話している私の顔を見ている。 「いいえ、こちらこそ済みませんでした。お忙しいかもと思いながらも、ついお電話をしてしまいました」  私は突然電話したことを謝り、理由を説明した。 「実は先ほど、妻と川合さんの話をしていたんです。その時、村上さんの話が出て、今どうしていらっしゃるかと気になったもので・・・」 「ああ、そうでしたか。私は地元に戻り、予定通りお店を開きました。先ほどはたまたま施術中のお電話だったので、失礼な会話になってしまいました」  村上も自分の電話対応について詫びた。 「いいえ、そんなことはありません。実は私も開業し、明日でちょうど1年目なんです。卒業し、業界のことを知りたいということでいったん就職し、その上で開業したものですから川合さんより遅くなり、先日、お祝いのお電話をいただいたという話を妻にしている中で村上さんのことが思い出されたものですから・・・」  私は村上に電話した経緯について話した。村上にしてもしばらく話をしていなかった私からの突然の電話の理由が分からなかったようだったが、この説明で理解した。 「そうでしたか、開業されましたか。1周年、おめでとうございます」 「ありがとうございます。おかげさまで何とかここまでこぎつけました」  私は村上のお祝いの言葉に答えた。 「ところで村上さんは今、いかがですか?」  私はお礼もそこそこに、村上の現在の様子を尋ねた。  川合の開業については場所が比較的近い分、何となく様子は想像できるが、村上は出身地に戻り開業している。人口10万人くらいと聞いているので、そのような人数のところで仕事としてやっていけるのか、ということが気になっていたのだ。  本来なら、もっと早くに尋ねておくべきだったが、自分の忙しさにかまけてそういうことを怠っていた。勉強中、仲良くしていてもらっていたのに申し訳ないという気持ちを感じつつ、話を続けた。 「帰られたらすぐにお店を開かれたのですか?」 「いえいえ、そんなことはありません。いくら自分の実家のほうだといってもずいぶん街の様子も変わっているしね。家内ともゆっくり話しながら、場所探しをやりました。何だかんだで店舗探しに1ヶ月くらいかかったかな」 「そうですか。奥様も開業には賛成でした?」 「そのことは東京にいる時から話していたからね。実は前職を辞めた後、何をするかということでいろいろ候補を出したけど、全部首を縦に振らなかった。でも、なぜか整体院に関してはすんなりとOKでした。不思議でしたけどね。でもそれが勉強しようと決心した理由だったから、家内と話すといってもどういうお店にするかということだけでした」  私は村上が癒しの仕事を始めるにあたって、その理由は知らなかった。今回の電話で初めて聞いたわけだが、そういうことだから勉強中、一生懸命質問したりしていた理由が分かった気がした。  もちろん、私も自分なりのきちんとした理由はあったが、自分とは異なるところからこの道を志した人がいることを知ることになった。村上夫妻が具体的にどのような話をしていたかは電話ではなかなか聞けないが、2人揃って納得してスタートしたことは理解した。  そうなると、次は開業時の苦労話を聞きたくなった。 「開業したのはどういうところでした?」  東京とは異なる環境では、どういうところが場所探しのポイントになるのか、大変興味があったのだ。私の場合、個別に開業指導を受け、東京の場合はという設定でアドバイスを受けたが、地方だと他の要素も必要になるはずだ。 「北海道は車社会だからね。東京みたいに駅のそばといった立地よりも、車で移動する時の利便性を考えるんですよ。だから車で来店されることを想定しました。そうしたら条件にぴったりの物件があったんですよ。以前塾をやっていたところで、四つ角にありました。斜め前がスーパーという位置関係になります。店舗には2台分の駐車場がありますし、そのスーパーにはあちこちから買い物される方が来店されるので、看板効果は抜群でした」  村上から店舗の様子を聞いて、私はその光景を頭に浮かべた。そういう位置関係がどのような効果を生むのかは、そこに住んでいるわけではないので本当には分からないが、看板が目立つであろうことは容易に想像できる。 「じゃあ、看板だけで結構お越しになる方も多かったのでは?」  わたしはちょっと興奮しながら訪ねた。もちろん、そういう地域での仕事の様子にも興味があったのは事実だ。 「いやいや、そんな甘くはありませんよ。やはりきちんと広告をやりました。最初、地元の友人知人にきちんと告知し、そこから広げていこうかとも思いましたが、それは止めました」  意外な言葉だった。せっかく昔からの知り合いがいるのだから、そういった人脈を活用したほうが効果的なのでは、と思っていたからだ。開業指導の場合でも、口コミの大切さと効果については聞いていたので、なんでそういったことを活用しないのか、ということを疑問に思った。 「そうですか。でも、開業指導の時、口コミのこと、聞きましたよね」  私は授業で聞いていたことをあえてしなかった理由を聞きたかった。 「ええ、聞きました。でも、私はその後、先生にそのことについて個別に質問したんです。僕も雨宮さんが疑問に思っていらっしゃるように、口コミを活用したいと思っていましたので、もう少し実戦的な意味で聞きたかったんです」  私は口コミの話の続きがあったことを初めて知った。 「そこでの話は口コミには2つのベクトルがあって、良いほうに広がっていけば広告効果は絶大です、そしてそれは東京よりも地方のほうが効果的です、ということでした。そしてその逆の場合、悪評となって広がることになり、そうなるといくら広告をしてもなかなか数字につながりにくい、ということを聞いたんです」  私にとっては初めて聞く内容だった。村上の場合、卒業後すぐに開業することを考えていたが、私はまず業界を体験してということを考えていたので、突っ込んだ質問をしなかったのだ。 「だから、私は友人知人のルートは全く使わず、通常の広告で告知しました。まずはオーソドックスなチラシです。基本的な作り方は講座で聞いていたので、それを参考に作りました。撒いた枚数は1万枚です。こういうことでどれくらいの反応があるかは分かりませんでしたが、それでも数名の方がお越しになりました。それが多いか少ないかは、その当時の私には分かりませんでした。地域性もありますからね、どれくらいの数字になれば効果があったかの判断は難しかったですね。もちろん、チラシの内容も関係しますから、単純に枚数だけでは判断できない、というのはその後に分かりました」  村上の話は続いたが、この辺りになると、私にも似たような経験があるのでよく理解できた。 「その後、学校のほうに集客のことで何度かご相談しました。その際、作ったチラシについてアドバイスしていただいたり、他の広告方法についても実戦的な立場から助言をいただきました。中でも効果的だったのは、先生のことを載せた時でした。これは新聞の地域版に先生の本のことなどを載せたんですが、それが信用につながったようです。先生は本を出されていたりテレビにも出演されていますね。そういうことが分かるような内容にしたんです。最初はそういうことを載せませんでしたが、載せたら数字がアップしました。ただ、クライアントの方はお越しになっても、自分が下手だったら2度目はないですよね。だから、結果が出るように教わったことを忠実に再現し、一生懸命やりました。そういうところを評価していただいたのか、リピーター、ご紹介の方が少しずつ増えてきて今に至るという状況です」  村上の話を聞き、やっぱり基本は上手くなければと、ということが改めて理解できた気がした。もちろん、その前提としてきちんと来院されるクライアントの方を確保することが必要になるが、その時にブランド力が関係するのかということ話が新鮮だった。開業指導の時に聞いたことは記憶にあるが、こうやって実例を耳にすることでますます自分の将来は明るいものと感じていた。  私は村上の話にだんだん引き込まれていった。開業時の苦労は誰にでもあるとしても、自分とは異なった経験はとても貴重だし、自分の励みにもなる。当然、そういうことを経て現在どうなのか、というところにも興味がある。  話をそちらに持って行こうとして時、村上の電話の向こうで呼び出し音が鳴った。村上とはスマホ同士で話しており、営業用の電話でかけていたわけではないのだ。 「済みません、電話が入りましたので切らせていただきます。またお話ししましょう」 「お忙しいところ、ありがとうございました。またお電話します。頑張ってください」  仕事の邪魔をするわけにはいかない。  私は電話を切り、元気にやっている様子を聞いて、なんだか自分のことのように嬉しくなった。  美津子は私の表情から心情を読み取り、言った。 「村上さん、上手く行っているようで良かったわね。あなたも元気をもらったみたいね」 「そうだね。久しぶりだけど、話してみるとそんなに日が経っているとも思えない。同じことを考え、実践している人を見ると改めてお店をやって良かったと思うよ」 「村上さんも、今のあなたのことを聞きたかったと思うけれど、先輩がどういう感じかを聞いたことで、また未来が見えてきたんじゃないの? 1周年を控えて、という日にはぴったりでしたね」  私と村上の会話はスピーカーで美津子にも聞こえるようにしていたため、そのすべてを理解している。  話が盛り上がったので途中で口を潤すこともできず、テーブルの上に置いてあるお茶も冷めていた。美津子も同様に話を聞いていたので、手にお茶は持っているものの、全く口を付けていない。2人ともそれだけ話に夢中になっていたのだ。 「お茶を入れてくるわね」  美津子が言った。 「ちょっと待って。喉が渇いたから、冷めたお茶でも良いよ。ちょっと喉を潤すよ」  私はそう言って、一気にテーブルにあった冷めたお茶を飲みほした。それを見た後で美津子は台所で新しいお茶を入れた。  時計を見ると昼食の時間に近かった。せっかく入れてくれたお茶ということで、先ほど持って来きてもらった煎餅を食べることにした。  村上と話したことを思い出しながら、2人でしばらく他愛のない話をした。    ◇  美津子は料理が上手い。ありあわせの材料でもおいしいものを作る。しかも早い。夫婦で同じ仕事をしていると互いに事情を理解しているので、食事の時間も色々と工夫することになる。  職住接近を意識しているため、自宅と店舗は歩いていける距離にある。そのため、昼食はいつも手早く美津子が作り、予約の様子を見ながら交代で摂ることにしている。以前飲食業をやっていた経験がこういうところで活かされていた。  この日は開業1周年の前日で、休業日にしていたので急いで作る必要はないのだが、これまでの習慣で手早く作ることになった。メニューはチャーハンだ。  2人分のご飯はジャーの中に入っている。美津子はそれを少しでも冷ますため、皿に盛った。  冷蔵庫を確認すると卵、ハム、ネギを確認した。チャーハンを作ろうとする時、最低限必要な材料だ。本当はチャーシューが良かったが、あいにく切らしていたので、今回はハムを代用した。  熱したフライパンの上に油を引き、溶いた卵をそこに入れる。音を立てる卵を素早くかき混ぜ、まだ少し生の状態が残っている時、冷ましていたご飯を入れ、素早くフライパンを振る。  米粒がフライパンの上を踊るように飛び跳ねていて、他の具材をそこに投入する。もちろん、事前に材料は適正な大きさに切ってある。そういう下準備がきちんと行なわれていてこそ、おいしい料理が出来上がる。塩、こしょう、他に粉末のスープの素を適量入れ、仕上げていく。  私はその横でサラダを作っていた。とはいってもレタスをちぎり、キュウリを切っただけの簡単なものだ。作る時間はチャーハンに比べたら短時間で終わる。それにドレッシングをかければ終わりだが、2人ともこういうコンビネーションは今までの経験から速やかにできる。  準備から15分もかからない内に昼食ができた。  それをダイニングテーブルに並べ、食事した。いつもと違い、今日はゆっくり食べられる。その分、会話も弾むことになり、先ほどの村上との話も併せ、自分たちのこれからについての話がどちらからともなく出てきた。 「さっきの村上さんの話、私たちにもプラスになったね」  美津子が言った。直接会ったわけではないが、電話での話しぶりから何となく人柄を理解したようで、あたかも昔から知っている人のような感じで話していた。 「そうだね。村上さんや川合さんと違って俺たちは2人でやっている。さっきは聞きそびれたけれど、そのメリットを活かそうとすれば、2号店も考えることができる。そうなると、今みたいに昼食を一緒になんてできなくなるけど、仕事を大きくしようとすればそういうことも考えなくてはならない。もちろん、まだ今の店自体まだ1年目だし、もう少し様子を見ることも大切だ。でも、何か次のステップを意識して仕事するのと、これまでの繰り返しで続けるというのでは質的に違ってくると思う。お前はどうだ?」  私は1周年という節目に次のことを考えているということを明かしたが、美津子は特段驚く様子はなかった。 「そうね、基本的には賛成だわ。そうなると今のお店が1号店、あるいは本店ということになるけど、胸を張ってそう言えるような状態にしなければならないし、そのための条件を考えるのがこれからの1年になりそうね」  美津子も支店について賛成しているようだし、私はますます気合が入ってきた。 「それで、具体的にはどう考えているの?」  美津子が聞いてきた。だが、私に具体的なプランがあるわけではない。開業して1年、それなりに順調だったと思うけれど、安定しているわけではない。天気が悪い時やGWなどの長期の休みの時などは普段とは来院者の数が異なる。それは飲食店の時も同様だったが、だから2号店を出す時はちょっと慎重に考えた。癒しの仕事の場合も同様で、もう少し様子を見たいという気持ちが心の中でそれなりの比重を持っていた。  1周年という節目が次のステップということを考えさせるのだろうが、以前の経験を活かせるところとそうでないところがあることはこの1年で経験している。そういうところが私が強く決心できない理由の一つになる。 「またソファのところに移ろうか。ここは食事をするところだから、こういう話をするのはちょっと・・・」  この話になったのは昼食が終わってすぐだったのだ。だから私たちはまだダイニングテーブルのところにいた。 「そうね、またお茶で良いかしら?」 「いや、今度はコーヒーにしてくれ」  特別な意味はなかったが、気分を変えるためには午前中とは違った飲み物にした。  美津子はコーヒーメーカーで豆を挽き、入れたてのコーヒーを持ってきた。  私はアメリカンが好みだ。美津子はそれほどのこだわりがないようで、いつも私と同じものにする。この日もそうだった。私はブラックを好むが、美津子は砂糖もミルクも入れる。いずれも少量だが、こういうところは違っている。  私はカップを口元に持って行き、一口飲んだ。 「おっ! 今日はおいしいね」  私は美津子の顔を見て、ちょっとおどけたような感じで言った。 「そう? 豆も入れ方も変わらないわよ」 「そうか? おいしく感じるのは無事に1周年を迎えたってところにプラスに働いているのかもな」 「心の働きが大切ってことは学校も教わったし、私たちもお店でよく言っているじゃない。きっといろいろな思いが関係しているのよ」  私の心の中をきちんと整理してくれたような美津子の言葉だった。 「まず、今の来院者を3割くらい増やしたいね。今でも私たち家族だけだったら普通以上にやっていけるだけの稼ぎはあるけど、2号店を出すとなるとしばらくは赤字になるだろう。今の店は本店になるわけだし、もし銀行に融資をお願いするとしたら実績が必要だ。1年しかやっていないわけだから、それなりの売り上げを出している、ということを数字として示さなければならない。そういうことを考えると、今の3割増し以上の月商を考えることが必要だと思うが、どう?」  私は具体的な数値目標を挙げた。これは飲食店をやっている時に経験したが、漠然と頑張るというだけでは未来が見えない。仕事だから具体的な数値目標が必要で、それを達成するためにいろいろ企画する、という意識と実践が必要になる。 「そうね、私も同感だわ」  飲食店の時も一緒にやってきたので、こういう時の意識も共通部分が多い。だから、こういった話をすると現状をきちんと分析して意見を出す。 「予約の様子を見ると、まだ枠に余裕があるわね。そこが上手く埋まっていけば3割アップは可能でしょうね」 「ただ、枠が埋まってきて余裕がなくなると、お断り、あるいは時間をずらしていただくようになるけど、それで結果的に予約されない、ということも出てくるね」  私が3割アップを言ったのだが、そのためには枠をきちんと埋めていくことが必要だ。それは当然理解しているが、人から言われるとその問題点のほうを考えてしまう。だから、自分も同様のことを考えていながら別の意見を言うことになる。 「でも、予約でしっかり埋めるということが売り上げアップになるし、その意識がなければ数字は伸びないわよ」  自分の中でも理解していたことだから、この点に関してこれ以上議論する必要はない。 「じゃあ、早くそうなるようにいろいろ手を打ち、予約でお断りするような状況になり、そこで受けられなかった方を2号店に送れるようにするといいね」  私は美津子の顔を見ながら笑顔で言った。 「そうなると、ある程度数字が上がってきたら、2号店のためと本店の補充のために、スタッフの募集が必要になるね」  2号店は私が行くか美津子になるかはまだ分からないとしても、人手は必要になる。その人件費の捻出のためにも売り上げのアップは必須の課題になった。      ◇  現実的な問題としては数字が関係してくるが、構想については自由だ。私は卒業生の動向に詳しい川合を思い出した。 「そうだ、さっき話が出た川合さんだけど、俺たちよりも先輩だろう。他にもいろいろな人を知っているようだから、ちょっと何か話を聞いてみようか。さっきは電話をもらった時のことしか話していないから、今2人で話した支店をオープンした人やその他の話も聞いてみようか」  2人だけで話すより、他の人の経験を参考にすることでもっと良いアイデアが出てくるかもしれない。美津子もその話に賛成した。 「…もしもし、川合さんですか? 先日はわざわざお電話をいただきありがとうございます。今、家内と1周年のこととこれからのことを話していたんですが、川合さんにこれまで卒業した先輩の話などをお聞かせいただければ、ということでお電話させていただきました。お時間は大丈夫ですか?」  私のほうからの一方的な電話なので、話しても大丈夫かどうかを確認した。川合も同じようにお店をやっているので、この辺りは気を遣う。 「ああ、大丈夫ですよ。さっき施術が一段落し、次の予約まで30分ほどあるので、それくらいでよろしければ・・・」 「もちろん結構です。すみませんね、休憩されているところにお電話かけたようで・・・」  恐縮しつつも、休みの日に電話したわけではないので、話ができても休憩時間くらいしかない。その貴重な時間を私との話に付き合ってもらい、心の中では感謝していた。 「で、具体的にお聞きになりたいというのは、どんなことですか?」  川合はお店の奥で椅子に座りながらスポーツドリンクを飲んでいた。汗っかきの川合は施術で汗をかくことが多く、施術の合間にはきちんと水分補給を行なっている。  もっとも、その汗がクライアントに落ちないように気を使っているので、そういう点では問題ない。今回電話した際のちょっとした間にも、のどが鳴る音がしていた。 「川合さん、卒業生で支店を出した方ってご存じですか?」  時間のこともあるので、用件を早々に切り出した。 「知っていますよ。私が入学した頃に卒業された方ですが、ときどき来校されて、学校が終わった後にいろいろ話を伺っていました。雨宮さんがお越しになっていた曜日ではなかったと思いますのでご存じないかもしれませんが、本田さんという方です。私も卒後、開業についてご相談したことがあって、最近の様子も伺っていますので、何かご参考になるかもしれませんね」  川合の話しぶりから私は良い話が聞けるのではと、少し興奮した。 「川合さん、仕事のことなので家内にも聞かせたいのですが、スピーカーにしてもいいですか?」  後で会話内容を説明し直すのも大変だし、言い忘れることもあるかもしれない。ならば最初から会話内容を美津子にも聞いてもらい、場合によっては話に参加してもらうことも良いのではと思った。 「大丈夫です。男同士の内緒の話、というわけでもないですしね。良かったら奥さんも会話に参加されても良いのではないですか?」  私が思っていたことを川合から先に言われびっくりしたが、有難い申し出だった。 「川合さん、ありがとうございます。いろいろお聞かせください」  早速美津子が話に入り、お礼を言った。 「じゃあ、本田さんのことですが、実はこの方は最初からビジネスとして考えていらして、支店を開くことは最初から想定していたそうです。でも、例の新型コロナの問題があったでしょう。だから実際にはその計画は少し遅れたようです。でも、最初の店をオープンして1年も経たない内に2号店をオープンされました」 「それはすごいですね。ちょっと詳しく聞かせていただけますか?」  川合が語る本田の話に美津子も興味津々のようで、それは表情を見ていても分かった。 「結果的に早い段階で2号店のオープンになりましたが、実際にやろうとして一番悩んだのはスタッフの技術レベルだったそうです。本田さんがいろいろリサーチされたところ、例の問題でも頑張っていたのはしっかりした技術を持ち、クライアントの方から信頼を得たところ、ということでした。雨宮さんもご承知だと思いますが、あの頃に閉めた店というのは誰がやっても同じ施術しかせず、そもそも簡単な研修でやっていたところだったでしょう。だから一見さんが多く、リピーターや紹介者が少なかったじゃないですか。だから私もこの道でやっていこうとした時、技術にこだわりを持つ学校を選んだつもりですし、社会信用などもチェックしたつもりです。本田さんもそうだったそうで、だからお店の施術も学校で教わったことをきちんと守り、クライアントの方に合わせた施術をしている、というのが私ですし、本田さんもそうだったようです。そういう前提があるから、スタッフ募集については学校に相談されたそうです」  私はスタッフ募集については求人誌などでと考えていたが、これは以前の飲食店の感覚だったことを改めて気付かされた。今は技術が最も大きな商品であり、その意識は日ごろの施術で実感していたはずなのに、肝心なところが抜けていたのだ。その思いは美津子も同じだったようで、川合の話を聞いて互いに顔を合わせていた。 「川合さん、本田さんは具体的には学校にどういうことを相談されたのですか?」  この話にとても興味を持ったのか、美津子のほうが質問した。  そして川合は言った。 「一つは卒業生の紹介依頼ということでした。自分と同じ技術というのが安心できるし、同じ看板でやっていく以上、人によって施術内容が違うというのではクライアントの方から信用を得られない、というのが理由のようです」  この言葉は私たち2人にとっても共感できる。 「そうですね。私たち夫婦が同じクライアントの方に施術しても、受ける側としては違和感がないとおっしゃっていただいています。もちろん、性別を気にする方の場合は、そのリクエストにきちんとお応えしていますが、そういうことは関係ないとおっしゃる方の場合、その日の予約状況から施術者が違うこともあります。最初の内はそれが気になっていましたが、今では同じ学校で同じ技術を勉強して良かったと思っています」 「おそらく、本田さんも同じように考えられたのでしょうね。雨宮さんのところはそれをご夫婦で実感されていらっしゃるわけですから、考えようによっては本田さん以上に実感されているんじゃないですか?」  私は川合のその言葉に頷いていた。それは美津子も同じだった。 「ただ・・・」  川合が続けていった。 「ただ、何ですか?」  私は川合の言葉が少し気になった。 「雨宮さんもご承知の通り、私たちが通った学校というのは独立開業を意識されている方が多かったでしょう。ということは就職希望の方が少ないということですよね。就職となると給料などの条件が関係してきますが、他と同じようなことであれば勤務地という地理的なことが関係します。実はこのことは結構引っかかったそうです。学校であれば一定期間通うことで終わりですが、仕事となると通勤時間などが気になるようでした。そういうことも新型コロナウイルスの影響だったかもしれませんがね」  この話も私には新鮮だった。職住接近で仕事を考えている私たちはあまり意識していなかったが、スタッフとなると当然それなりの距離を通うとなるケースが多くなるだろう。現在の店舗、あるいは新店舗のそばに必要な人数の卒業生がいるということは考えられない。これは本田の場合にしても同じだったはずだ。 「では、本田さんはこの問題をどう解決したのですか?」 同じような疑問は美津子も持っていたようで、私たちは顔を見合わせながら質問した。 「学校に研修をお願いされたんです。そうすれば同じ技術を持った人が揃うことになりますよね」 「でも、自分のお店で研修すれば良いのでは?」 私は新しいスタッフの技術について自分で教えることも考えていたので、この話も新鮮だった。 「雨宮さん、考えてください。クライアントへの施術をしながら教えるということはできますか? また、私も含めて施術するということと人に技術を教えるということは違いますよね。野球でも名選手が必ずしも名監督にはならない、ということが言われているようですか、その感覚ですよ。それから、開業してからの年数を考えると、まだ人に技術を教えるだけの数はやっていませんよね。私は現場で壁にぶつかった時、学校に電話したりしてアドバイスを受けていますが、やはりいろいろな症例を経験されている先生のアドバイスは的確です。付焼刃的な感じでやっていてはその他大勢組のお店と同じになるように思うので、もし私がスタッフを増やそうと考えた時には、本田さんと同じように学校に相談することにしています」  本田の考え方と実践、そして川合の場合からの話も、私にはすべて納得できた。それは美津子も同じようだったが、互いの目配せでこのことは後でじっくり話し合おうということにした。 「川合さん、貴重なお話し、ありがとうございました。2人でしっかり話し合ってみたいと思います。私たちは1周年ということでそのことばかりが頭にあり、その先のことを考えているようでも今一つ思慮が足りなかったことに気付きました。本田さんの話や、川合さんのお考え、とても勉強になりました」  私たちは川合の休憩時間のこともあり、ここで電話を切ろうとした。 「雨宮さん、もう一つだけお話ししますね」  予想外の申し出だった。私たちとしては今までの話だけでもお腹一杯という感じだったが、せっかくだからということだろうか、時間まで話を続けるようだ。 「あまり時間がないから、途中で予約の方が見えたらそこで切っちゃうことになるかもしれないけれど、その時は済みません」  川合は自分のほうから言い出しながら、中途半端なことになる可能性について、事前に確認した。 「はい、それはお仕事中のことですので、ご心配なく」  かえって申し訳なく思い、私は頭を垂れながらそう返事した。 「本田さんから伺ったことですが、スタッフとの関係性のことです。雨宮さんのところはご夫婦でやっていらっしゃるからあまり感じていらっしゃらないかもしれませんが、経営者との温度差があるということです」  この話は何となく予想していた。私も開業前に他のお店で働いていたから、複数のスタッフでやっていくというところには、今とは異なる意識が必要だと頭では分かっていた。  だが、理解しているのはスタッフ側としての経験からくるものだ。経営者としての立場ではない。こういうことは一方の経験があるからといって全てを把握できるものではないし、スタッフ一人一人の個性や生活の条件も異なる。マニュアルで何とかなるようなことでないし、そこは個別に対応していかなければならないであろうことは推察していた。 「確か、雨宮さんは卒後すぐに開業されたのではなく、しばらくどこかでお勤めでしたね。ならばそのご経験からもお分かりでしょうが、この世界はやはりやがては自分のお店を持ちたい、と思っている方が多いですよね。だから、この点をどう克服するか、ということが大切なようです」  川合の話から、開業前の自分たちのことを思い出した。  この電話はスピーカーになっているので、話の内容は美津子の耳にも届いている。私は美津子と目を合わせながら川合と話している状態だ。  美津子も川合の話に頷きながら聞いている。それで今度は美津子が川合に質問した。 「本田さんのところもやはりスタッフの出入りがあったのですか?」 「そうですね。スタッフの人たちの事情がありますからね」  美津子はこの言葉を聞いて、今後の参考という意識と共に具体例を聞いてみたくなった。前職の居酒屋の場合も同様の問題があったけれど、今度のお店でスタッフを募集するとなると、技術職というだけにすぐに補充するのは難しいだろう。なまじ前職でスタッフを雇っていた経験がある分、現実的な心配として出てきたのだ。 「で、その時、本田さんはどうなさったのですか?」  こういう話になると、私よりも美津子のほうが気になるようだ。  前職の場合、経営者の妻としていろいろ気を遣っていた経験がある。忙しい時に辞められて仕事の上でとても困った経験がある。  その中にはかわいがっていたスタッフもおり、結構なショックを受けていた。  それでもアルバイトを募集したりすることで凌いでいたけれど、癒しの仕事の場合、施術者の手を気に入り通われるクライアントの人もいる。その施術者がいなくなるということで、そのままクライアントの方がお店を離れてしまうことを心配しているのだ。  川合との話の中で見せる美津子の表情を見ていて、昔のことを思い出しつつ、私も同様の危惧を感じていた。 「実際、本田さんも困られたようですよ。その時、詳しい事情は分からなかったそうですが、もともとその人は独立するつもりだった、ということを他のスタッフから聞かれたそうです。本田さんが話を聞いたスタッフも誘われたそうですが、その人は残ったそうです」  やはりこの業界、独立志向が強い、ということを私は改めて理解した。  ただ、それは私たちも開業の時はそれまでお世話になったお店を辞めてのことだったし、立場を変えてみればその時のオーナーも本田さんと同じ気持ちだっただろうと考えた。  ならばこの業界の場合、そういうことも念頭に置いた上でスタッフに対応することも必要なのかな、と思った。 「でもね、雨宮さん。本田さんはそこからいろいろ考えさせられ、あることを思いつかれたわけです。よく飲食店であるじゃないですか、長年修業した店ののれん分け、というケーです」  この話は以前の業界ではよく耳にしていた。そういう夢があるから頑張れる、という気持ちにもなるだろうし、この考え方は私にも美津子にもしっくりきた。  まだ新型コロナウイルスの問題が上手くコントロールできていない時ならば別かもしれないが、今はずいぶん経済も回復し、考え方も以前の感じに戻ってきているように思える。  もちろん、完全に同じというわけではないけれど、しっかり自分の実力で未来を掴もう、という人は増えているように思える。内心、本田が考えたことは、話の流れからは一つの帰結になると思われた。 「では、本田さんはのれん分けのシステムを作られたわけですか?」  今度は私が質問した。スタッフとのつながりについて、以前は美津子が意識していたけれど、経営的なことは私が中心に考えをまとめていたから、店の将来につながりそうなことは私が率先して尋ねたのだ。  後で美津子から聞いたのだが、この時の私の様子は前のめりになり、その様子から気持ちの入り方が違っていた、ということだった。私としても、こういうところをきちんと聞いておき、参考になりそうなところは勉強させてもらおうという意識でいる。その気持ちが私の様子に現れていたのだろう。 「一口で言えばそのような感じです。詳細は存じませんが、スタッフと話をする時間を増やし、各人の将来の夢などもしっかり聞き、共に伸びていこう、という意識でやっていらっしゃるようです。やがてはスタッフに店を持たせることまでお考えのようです」  具体的にはいろいろ細かなことがあるだろうけれど、要は信頼関係を築き、単なる雇われ店長的な感じで支店を増やすのではなく、本気のネットワークを作り上げよう、ということらしい。  私の経験からも理解できる話であり、もし自分が支店を出そうとする時、私と美津子以外で責任者としてやってもらえそうな人材育成が必要、ということが改めて理解できた。 「雨宮さん、済みません。ご予約のクライアントの方がいらっしゃいましたので、ここで失礼します」  話に夢中になり、時間のことがすっかり頭から抜けていた。川合は休憩時間に電話に出ていたのだ。  でも、詳細は分からないものの、概要は掴めたので、電話した意味は十分あった。 「川合さん、お忙しい時に申し訳ありませんでした。今度ゆっくりお話ししたいですね。またお電話いたします。ありがとうございました」  私は美津子と2人で電話の向こうにいる川合に向かって、深く頭を下げていた。      ◇ 「いろいろ参考になったね」  私は美津子のほうを見てそう言った。美津子もそうだというように頷いた。 「ねえ、私たちのお店は明日で1周年だけど、今後のことはしっかり考えていかなければいけないね。2人だけで話していてもこんなに充実し、しかもリアルな感じにはならなかったでしょうね。もうすぐ康典も帰ってくるでしょうし、今夜は3人で今後のことも話してみようか」  美津子からの提案だった。  私は康典がそういう話に乗ってくるかは分からなかったが、家族なのだから、今後のことを話すのは大切だと理解している。 「そうだね、そうしよう」  私はすぐに賛意を示した。  それを聞いて美津子は立ち上がり、私に言った。 「分かった。今日はおいしい料理を作るわ。あなたも手伝って」 「いいよ、ではまず買い物だね。これから一緒に行こうか」  美津子は嬉しそうな顔で言った。 「康典、何時に戻るって言っていた?」 「確か7時過ぎくらい、ということだったわ」  その言葉を聞き、壁の時計を見てみると4時近かった。  手分けして料理を作るとなると効率は良いのだが、基本的に飲食店の厨房ではないので、1人用になっている。だから本当に分担して作らなければならない。  でも、昼食の時もそうだが、前職の経験が役立つ場面でもあるので、こういう時は阿吽の呼吸で対応できる。  何を作るかを考えなくてはならないが、それは買い物に行きながら、あるいはお店で食材を見ながら、ということにしようとなり、とりあえず料理の材料を買いに家を出た。  目的は近くのスーパーに行った。歩いて10分くらいのところにある。道すがら、私たちは今晩のメニューについて話していた。 「今日はみんなが好きなものを中心に作りましょう。それで食事が楽しくなれば、話も弾むでしょう。1周年のお祝いもあるわけだし、楽しい食事にしましょう」  美津子が私のほうを見ながら言った。こういう時の美津子の笑顔はとても良い。目が輝いているし、笑顔には何の邪心もない。今日は楽しい夕食になりそうだ、と私は思った。  そうこうしている内にスーパーに着いた。  途中の話の中で決めたメニューだが、康典は唐揚げが好きだ。小さい頃からこのメニューの時はとてもおいしそうに食べる。特に美津子が作る唐揚げが好きで、どこかの店で買ってきたものにはそうでもない。特別変わった作り方をしているわけでもないのだが、心がこもっている感じがしているのかもしれない。  私は豚の角煮が好きなので、今夜のメニューとしてオーダーした。作るのに時間がかかるが、圧力鍋を使えば問題ない。やはり今日は好きなものを食べたいと思った。  康典が好きな唐揚げ同様、みんなで食べられるメニューであり、家族の好物の一つだ。唐揚げも康典だけでなく、私も美津子も好きなので、これで家族が好きなものが揃った。  そこで美津子のリクエストだが、主菜が私と康典の好きなものになり、いずれも肉料理になったことで、サラダということになった。  主菜が肉ばかりでは、という美津子の意見もあり、それに刺身も加えた。この辺りが家族の栄養のことを考える主婦らしいところだが、サラダも単に野菜を切ったりするだけのものではなく、作るのに手間がかかるポテトサラダも加えた。もちろん、他の野菜も添えるので、そこにポテトサラダも並ぶ、という感じだ。  スーパーに着いた時、メニューについては決まっていたので、私たちは各々分担して食材の買い出しを行なった。  こういう時、材料の目利きや量的な加減は前職の経験が活かされる。それぞれ3人分プラスアルファを意識して買い揃えた後、合流してレジに向かった。  会計を済ませ、時計を見ると5時ちょっと前だった。家で時間を確認して約1時間経っている。 「もう5時近いね。すぐ帰って準備しないと康典が帰ってくるのですぐに出よう」  私は美津子にそう言い、スーパーを後にした。  家に着き、私たちはすぐに夕食の準備にかかった。  こういう時の手順は、手間がかかりそうなもので、しかも多少冷めても問題のないメニューから作る。今回の場合で言えばポテトサラダになるが、これは美津子が決めたメニューだし、得意料理でもある。私たちが居酒屋をやっていた時には美津子の担当だった。  普通の家の台所なので、2人で作るには互いの動線を意識しなければならない。  ポテトサラダの場合、まずジャガイモをゆでることが必要だが、レンジを活用することが可能だ。美津子は慣れた手つきで皿にジャガイモを入れ、ラップして加熱した。その間、他の野菜を処理して皿に盛りつけている。  私は自分の好きな豚の角煮の準備をしていた。やはり、自分の好きなメニューだからか、どうしても自分で作りたくなる。  豚の角煮は手間がかかる料理だ。まず、肉の下茹でが必要で、ここで灰汁抜きを行なう。このひと手間の有無で味が変わるのだ。私はそこから準備した。肉を入れたお湯から小さな泡が出てきた時から少し時間が経った時、串で肉を刺してみる。その時の感触で火の通り具合を確認するのだが、中までの感触は均一だった。そのあと鍋から取り出し、少し熱を冷ました。 その間、別の鍋に水、醤油、みりん、砂糖、出汁を加え、味を調える。後で煮詰めることを考慮し、水は少し多めにしている。  圧力鍋に下茹でをした肉を投入し、スイッチを入れる。ここまでくれば後は鍋が勝手に調理してくれる。私としては良い意味で手抜きができ、その分、他の作業ができる。  美津子のポテトサラダ作りも進んでいる。  時間を見てジャガイモが崩せると判断した時レンジから取り出し、皮をむいて適度な塊を残す程度につぶしている。ポテトサラダはその加減が大切で、そこにほんのちょっと辛子を混ぜたマヨネーズが絡み、塩やコショーなどで味を調える。  ポテトサラダに加えるものとして薄くスライスして塩揉みをしたキュウリ、ハムを加えるが、康典はそこにゆで卵が入っているのが好みなので、下準備の際に作っていたゆで卵をつぶして加えた。  家庭の台所だが、ガス台は3基あるので、同時に加熱は可能だ。私のメニューは鍋任せになっているので、唐揚げの準備に入った。  美津子のほうはポテトサラダも完成し、盛り付けもきれいにできた。  唐揚げの場合、味付けは美津子のほうが上手なので、この部分はすべて任せた。一般的な唐揚げ粉にわずかにショウガ醤油を加えて味や香りを変化させるのだが、その加減が絶妙で、康典が好きな料理になる。  その間、豚の角煮のほうはほとんどできた状態になった。  そこで私は刺身の盛り付けをしたり、テーブルの準備などを行なうことにした。  壁の時計を見ると7時を少し回っていた。  その時、玄関の扉が開いた音がした。 「ただいま」  康典が帰宅したのだ。 「お帰り」  私たちはほぼ同時に言った。 「美味しそうな匂いだね。今日、何かあったの?」  康典が不思議そうな顔で尋ねた。 「今日は俺たちが整体院を開いて1周年の1日前なんだ。だから今日はみんなが好きなものを作っていろいろ話せればと思っているんだ」  私が言った。 「そう、じゃあ、着替えてから手伝うね」  康典が言った。 「いや、もうほとんど終わりだから、少しゆっくりしていなさい。できたら呼ぶから」  私がそう言うと、康典は自分の部屋に行った。  美津子は康典が帰宅してから油を張った鍋に唐揚げを入れた。  油の匂いと共に唐揚げがおいしそうに揚がっていく匂いもしてきた。  もちろん、部屋の中に匂いがこもらないように換気扇は回している。それでもどうしてもダイニングのほうにも漂ってくるが、そういう状態は食欲を刺激し、実際にいただいた時にさらに料理を美味しくする。  ほどなくしてすべての料理が完成した。唐揚げも豚の角煮もそれぞれの皿に盛りつけた。私の食卓は大皿に盛りつけ、みんなで取り分けるようにしている。コロナの問題の時にはさすがに躊躇していたが、その問題も落ち着いた今、本来の家族のスタイルに戻している。そこに日常の幸せを見るわけだか、そのことが改めて頭を過ぎった。 「普通って良いな」  私は小さな声でつぶやいた。多分、美津子には聞こえていないだろうが、開店1周年を控え、少々感傷的になっているのかもしれない。 「康典、食事よ」  美津子が康典を呼んだ。  康典の返事が聞こえ、すぐにやってきた。手に何か持っている。 「それは何?」  美津子が訪ねた。 「開店1周年、もちろん知っていたよ。だからプレゼントを買ってきていたんだ。今日、家でそのための食事をするなんてことは知らなかったけれど、今日か明日、渡そうと思っていた。でも、今日がそのための食事ということだったから、持ってきた」  康典の思わぬ言葉に私たちは絶句した。もちろん、それは良い意味でだ。康典も私たちのことを理解していて、応援してくれているようで、私たちは互いに顔を見合わせた。なぜかうっすらと目には涙が浮かんでいた。 「何、どうしたの? 驚いた? でも、大変な時にたくさん頑張って、家族を守ってくれたじゃない。開店の時には何もできなかったけれど、今日は何かプレゼントしたくて準備していたんだ」  私たちはその言葉を聞いて、さらに声が出なくなっていた。ダイニングには康典の声だけだった。 「康典、ありがとう」  私が声を絞り出すような感じで言った。 「やだなあ、そんな大袈裟なことじゃないよ。さあ、食べないとせっかくの料理が冷めちゃうので食べよう」 「そうだね、食べよう食べよう」  美津子が康典の言葉に合わせるような感じで言った。すぐに踵を返し台所のほうに向かうが、その眼には先ほど以上の涙が出ていたのだった。  ご飯をよそった茶碗を持ってきて、美津子が言った。 「何をくれたの?」  プレゼントの中身よりその心が嬉しかった美津子だが、何を考えて選んだのだろう、ということで尋ねてみた。 「開けてみてよ」  康典が言った。 「そうね、じゃあ、私が開けてみるね。お父さん、良い?」 「もちろん。早く開けてみて」  そういうと美津子は丁寧に包装紙を取り、きれいにたたんでいた。 「そんな気を使わなくても良いよ」 その様子を見ていた康典が言った。 「でもね、こういう心がこもったものをいただく時は、中身だけでなくそのすべてが宝物なのよ。だからどうしても包装紙も大切なの」  美津子の言葉に康典はピンと来ていなかったようだが、私も気持ちは同じだった。  開封して中身を見ると、花瓶だった。きれいなガラス製で、私は康典にその理由を尋ねた。 「お店に置いてもらおうと思って」  康典の返事だった。 「多分お店に花を飾ることがあると思うけれど、そういう物はもう一つくらいあっても良いのではと思ったんだ。仕事場だからあまり顔を出してはいないけれど、良い雰囲気作りは大切だからね。そう思って選んだ」  康典は今回の選択の理由を話してくれた。同時に子供が自分の目線でいろいろと考えてくれていたことに胸が熱くなった。 「ありがとう」  私たちは改めて康典の気持ちに感謝の言葉を送った。 「そろそろ食べようよ。せっかくの料理だから」 「そうだね、いただこう」  食事をしながら、私たちは康典に今の状況をきちんと話し、今後の計画についても説明した。もちろん、まだ決定しているわけではないけれど、今日2人で話したこと、同窓生の人たちに話を聞いたり相談したことなどだ。  康典はまだ社会人としての経験は少なく、現在も自宅住まいだが、いずれ自分の足で歩んでいかなければならない。自分の子供ながらそれなりにしっかりしているように思っているので、今後のことについてきちんと話し、違った視点からの考え方も聞きたいと思っている。  もちろん、まだ青臭いところもあるが、時々親子で話すことの中には私たちが気付かなかったことを口にすることがある。この日、食事しながらそういうことを聞きたいと思っていた。 「で、康典。今話したことについてどう思う?」  私は康典に意見を求めた。 「僕はまだ世の中のことを十分知らないし、同窓生の人や先輩の人たちに相談することは良いと思う。だけど、それはあくまでもその人たちの考えであり、経験なんだから、あくまでも参考程度にし、真似する必要はないんじゃないかな」  意外と大人の考えだな、と思いつつ私たちは黙って聞いていた。 「だって、話を聞いていると、前提条件が違うでしょう? 開業している場所やどんな感じで開業し、また運営しているかはみんな違うし、ある成功例だとしても、それを自分たちの条件にアレンジして良いとこ取りすれば良いんじゃないかな。お父さんたちは夫婦でやっているんだし、その強みを活かしてやっていけば、今度は逆に他の人の参考になるんじゃないかな。他の人の真似よりも、オリジナルを意識したほうが良いと思う。それが他との差別化になるだろうし、これからはそういう意識が必要だと思う」  私たちが想像していたよりも積極的な意見だった。  そういうことを実践しようとすればいろいろあるだろうけれど、まずは意識が大切だ。その話は私たちが勉強している時、先生から聞いていた。  まず自分たちがどうしたいのか、そしてそのためには何をするのか、ということが明確でなければ他人の意見に左右されるだけであり、結局は上手く行かないことにもなりかねない。  そう考えた時、学校で学んだ時のことを思い出した。  開業の際、チラシの作り方を相談した時、先生からひな型をちょっと捻って自分のところのチラシとして作るのは簡単だけど、それでは自分の考えが入らないでしょう、だから、基本的なコンセプトは自分で作り、そこの言葉は自分の考えが入るようにと言われた。その上で具体的なアドバイスをいただいたわけだが、この時点で一人立ちする時の意識は学んでいた、ということを改めて思い出した。  先生に相談した時、私たちが考えていたことがブラッシュアップされ、さらに良い内容にしていただいたけれど、そういうことが原点だった。  同じようなことを康典からも言われたような感じだった。私は美津子のほうに向かって言った。 「改めて初心に戻り、先生に相談してみようか?」 「そうね、でも卒業してからずいぶん経つし、お話を聞いていただけるかしら?」  美津子は多少心配があるようだったが、そこで康典が言った。 「心配なんかしないで、自分でそれが必要と思うなら、明日にでも電話してみれば良いじゃないか」  当然のことだ。ここで話していても埒が明かない。まだ、相談すべき内容も決まっていないのでさすがに明日というわけにはいかないが、近日中に改めて先生に相談しようということで話がまとまった。  その後はずっと笑顔が絶えない時間が過ぎ、開店1周年前夜の1日は終わった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!