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私は久しぶりにあの頃のアルバムを取り出そうと踏み台を使用し、押し入れから一つの大きな箱を取り出した。
振り返るのも嫌だった過去は、治療計画表と共に片付けてあり、もう手に取るつもりなんてなかった。
だけど、思い切ってアルバムを開けてみた。
そこには幼いはずの娘と、若いはずの私が写っている。
「はず」と思うのは、娘の顔には幼い無邪気さが一切なく、私は酷くやつれていた。
この頃は我が子の病気のことで必死で、娘は治療が苦しくて笑う余裕などなかった。
そう思いページを捲っていくと確かに娘は笑っていたが、明らかに無理に表情を作っている写真ばかりで。当時の私は、作り笑いだというのも分からないぐらい疲弊しきっていたのだろう。
慌ててスマホの写真を探していくと、小学生の頃も無理に笑っていて、段々とこれが娘の素顔だと錯覚していったみたいだった。
本当に無邪気に笑っているのは、中学生になって友達が出来た時だった。
それをまた、病気によって奪われようとしている。
そっか。ごめんね。あなたの気持ちを考えていなかったね。
「未来」
私はドア越しに話しかけるが返事はなく、そのまま話し続ける。
「ごめんね。もう治療しなさいと言わないから、話聞いてくれる?」
「……え?」
娘は、また黙り込んでしまった。
「だけど病気とは向き合って欲しいの。先生から話を聞いて、どんな治療法があるのか。受けるか受けないか、これからをどうやって生きていくかを、自分で決めて欲しい。お母さん、覚悟決めたから」
私が出した結論は、十三歳の娘に人生を決めさせることだった。
まだこの年頃の子が、自分の人生を決められるほど成長はしていないと分かっているが、娘にはもう時間がない。
たとえ寿命が縮もうとも、娘が選んだ人生ならそれでいい。
親に気を遣って無理に笑う人生より、よっぽど。
それから娘と病院に行き、主治医の先生から治療について話を聞き、未来は自分で治療方針を決めた。
学校を優先させて、手術や治療は夏休みを中心に受ける。抗がん剤治療はギリギリまで受けない。
やはり髪が理由で、治療をあそこまで拒んでいたようだった。
こうして楽しい時間を過ごした娘は、中学を友達と卒業した。
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