面倒な人

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「俺、本当にこの仕事できてますか?」  この四月から入社したばかりの新入社員である、溝口がそう嘆き始めたのは、三日前のことだった。彼の面倒を任されているわけではないが、時折仕事の指示に関してアドバイスをしていたら、何となく懐かれてしまったのが始まりである。 俺は吸いかけの短くなった煙草を灰皿に押し付けながら、隣で缶コーヒーを片手に項垂れている溝口のつむじを見下ろした。直属の上司に訴える事も出来ず、かと言って不安を吐露する場もないのだう。 俺は二本目の煙草に火を点けながら、フィルターを大きく吸い込み、白い煙を鼻と口からため息交じりに吐き出すと、 「できてるよ」  と短く彼の質問に答えた。 「お前まだ入社して一か月だろ。重荷になってるとか思ってんなよ、一か月で俺らレベルの仕事されちゃこっちが困るわ」  雑な慰めを投げかけると、溝口はまだ社会人という自覚の薄い、頼りない眼差しで俺を見上げると、そういうもんスかぁ? と情けない鳴き声を漏らす。 「そういうもんだ。今は迷惑かけてるなんて思わないでいい」  そう言い切っても納得しない表情で、また沈み込む。――分かっている。こういう時は何を言っても安心しないし、俺の言葉は無力にも、決して彼の力にはなりはしないということを。  俺は面倒くさいと思いながらフィルターを噛んだ。どうにもならないことを落ち込んでる位なら、仕事の勉強を勝手にすればいいだろう、と突き放したい反面。ここで手を離して勝手に落ち込めと言えるほど、俺に人としての優しさがないわけでもない。かと言って、これ以上の言葉を書けたところで何かが良い方向に動くわけでもないのは分かっている 「飲みに行くか?」  そう彼を見下ろすと、ぱっと顔を上げた溝口が、 「いいんですかぁ?」  と、その言葉を待っていましたと言わんばかりに声に明るさを灯した。俺はその明るさに、まるでそうなるように仕向けられた気がして、何となく引っ掛かりを感じたが、放った言葉はもう引っ込みがつかない。 「俺行きたい焼き鳥屋があるんです!」  そう言いながらスラックスのポケットからスマホを取り出すと、上機嫌に画面の上に指を滑らせる。俺は素早いその対応に、コイツ落ち込んでないだろ、と思いながらも、やはり自分から誘った手前何も言葉が出て来ない。 「あ、ライン教えてください、店のアドレス共有しますから」  言われて素直に自らのIDを渡すと、溝口は嬉しそうに、店のアドレスと共に、可愛らしい今流行りのキャラクターのスタンプを送ってきた。 「先輩のアイコン、可愛いですね」 「ああ、甥っ子が描いてくれた似顔絵なんだ」  辛うじて人間だろうと分かる程度の絵だが、これが俺だと得意気に言う甥っ子を思い出すと、自然と口元が綻んでしまう。 「お子さんの絵じゃないんですね」 「俺、結婚してねえし、ガキもいえねえよ」  そう言うと、彼はそうなんですかぁ、可愛いですねと当たり障りのない感想を呟いた。 「いいですね、甥っ子」 「可愛いし、深い関りでもねえから楽でいい」  自分に責任がなく、好きな時に可愛がるだけなので、良いと言えば良い。向こうも俺が可愛がれば可愛がるほど懐いてくれるので、正しい甥っ子とおじさんの関係が築けていると俺は思っている。 それに、年に数回の顔合わせだが、俺を見て満面の笑みに変わる瞬間は、彼にしか満たしてもらえない特別な何かがあるのもいい。 「ゴールデンウイークは会いに行くかなぁ」  不意に笑顔を思い出して、会いたい気持ちがふつふつと湧いてくる。 「いいですね、てか何か予定あったんですか?」 「今甥っ子に会いに行く事が決定した。それ以外はどうすっかなぁ」 「俺にも一日くださいよ」 「なんでだよ、ヤダ」  きっぱりと断りを入れると、またつむじを見せて、あからさまに落ち込む。その素直な反応が面白くて、俺は短くなった二本目を灰皿に擦り付けると、人差し指でぐりっとつむじを突いてから。一足先に休憩室を後にした。
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