12.欠勤

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12.欠勤

 一見普通の家のような佇まいのバー『エスポワール』  どっしりとした木製の扉を開けて中に入ると、レンガ作りの壁にアンティーク調の家具、優しい明りが照らす店内は落ち着きがあり隠れ家的な雰囲気が漂っている。  決まって座る場所がある。  そこへと向おうとしたその時、低い魅惑的な声が飛んできた。 「いらっしゃいませ」  にこやかに声をかけてきたヤツの顔を見て、思わず立ち止まってしまう。  デジャブか?  1時間前に同じ光景を見た。  アッシュ系の金色に近い髪色、灰色がかった瞳。端正な顔に妖艶な笑みを浮かべている。  先ほどと違うのは着ている服。  白いシャツに黒の蝶ネクタイ。  黒いベストにズボン。  ここの店員の制服を、何故か泰雅が身に着けていた。 「そんなところに突っ立っていないでこっちへきたらどうだ?」  そう声をかけてきたのは、一見女性かと思える線の細い男性。中性的だけれど色香が漂う、バー『エスポワール』の店主の宝生光希だ。 「どういうつもりだッ! 何であいつがここに居る?」  カウンターの中でシェイカーを振っていた宝生の腕を掴み問いただした。 「聞けば行く当てもなく、唯一頼れる人を探し出せたのはいいけど、その相手には無下にされたって言うから……」  頼れる人?  無下にされた?  待て待て待て待て。なんだか話がおかしなことになっている。  突っ込みどころが多くてどこから突っ込んでいいか迷うところだが、とりあえず、いちばん気になるのは……。 「なんで、あいつがこの店の制服を着ているんだよッ!」 「あれ? 知り合いなの?」  泰雅が俺と宝生の会話に乱入してきた。 「話がややこしくなるので、あなたは黙っていてください」  頭を抱え得る俺に気を使ったのか、宝生が泰雅を追っ払ってくれる。 「あちらのお客様のオーダーを聞いてきてくる?」  宝生が女性が3人座っている席を示すと、泰雅はニッコリ笑顔で返事をした。 「はーい」  泰雅が客に笑顔をむけると、女性客は呆けたように泰雅の顔を見つめた。  闇の組織で働くよりよほどむいているとは思ったが、ここで働くのは勘弁してほしい。 ようやく追い払ったのに……。  あいつと別れてここへ来る途中、ギフトボックスを持ってくることを思い出しいったん家に戻った。  時間にして1時間といったところか。  その間に何がどうなって、あいつはこの店の店員になったんだ?  俺はここでウイスキーのロックをゆっくりまったりと飲むのが好きなんだ。  それなのに……。  恨みがましく、宝生を見た。  「そんなに睨まなくてもいいだろ。彼、なかなかセンスあるよ。今日は人数が足りなくて忙しかったから助かったよ」  言われてみれば、今日はいつもより客が多いように感じる。それに泰雅が対応する女性客はみな、呆けたような表情になる。  背が高くてスタイルもいい泰雅には、バーテンダーのスタイリッシュな制服が良く似合っている。  その姿は見るものを魅了する。  三白眼のせいか黙って立っている姿はクールな印象で近寄りがたい雰囲気だが、笑った顔は少年のような可愛らしさがある。  泰雅と目が合うと嬉しそうに俺の所へ駆け寄ってきた。  やべ……すぐに目を逸らしたが遅かった。  野良犬に間違って餌をやってしまいなつかれた気分だ。泰雅に尻尾があったなら、きっとちぎれんばかりにブンブンと振っていたことだろう。 「ねぇねぇ、僕似合う? 光希さんも俊さんも似合うって言ってくれた」  泰雅に気を取られていて気付かなかったが、『俊』という名前に反応して店内を見渡してみれば、カウンターの隅で木南が静かに酒を飲んでいた。  宝生と木南のことをすでに下の名前で呼んでいるし、すっかり打ち解けている泰雅のコミュニケーション能力に驚く。  そんなことより、何故あいつがここに居るのかだ。 「データは消したはずだろ。なんであいつがここに居るんだ?」  すぐさま木南に詰め寄るが、木南はどこ吹く風といった態で対して気にもしていないようだ。 「消したさ。ぼんやりと歩いていたらここに来てたって言ってたな」 「それ、データ消えてないだろ」  記憶がないふりをしているだけなんじゃないかと思った。  木南はそんなこと思いもしていないのか、素直に泰雅の言葉を信じている様子だ。  まあ、何のために記憶がないふりをするのか、その理由が見当たらないというのもある。 「俺のことは覚えていなかったぞ。それにお前の名前も自分の名前も覚えていなかったし」  それはそれでちょっと腹が立つ。 「せっかくつけてやった名前なのに」 「ああ、だから教えておいた」 「は~?」 「名前がないのは不便だからな。尾藤泰雅はどうだってね。たいそう喜んでたぞ」 「あっそ。名前を教えてやるのはいいが、ここで働くのは違うだろ」  どこの馬の骨かも分からんやつをよく雇う気になったもんだ。  俺なら御免だ。 「店の前に突っ立てた彼を宝生が見つけたんだよ。聞けば他に行き場所がないっていうから放っておけないって。ちょうど人手が足りないからってさ」 「宝生らしいな」  宝生は優しさと気配りで出来ているといっても過言ではない。  そんな宝生が行き場を失ったヤツを放っておけるわけがない。それがたとえ殺し屋だとしても。 「人間じゃないってところを除けばいい子だと思うぜ」 「その『人間じゃない』ってのが一番の問題だろ」 「あれ? そういうの気にするタイプだっけ?」  普段なら全く気にしない。むしろすべてにおいて無関心だったりするが、仮にも『グリムリーパー』を探している男だ。  近くに置いておくべきではない。  そう助言したいが、宝生は客の対応に追われていて忙しそうだ。  それでも少しでも手が空くとどこかへ電話をかけていた。  けれど、相手と連絡が取れないのか、ため息をついては電話をかけるという作業を繰り返している。  いつもにこやかで誰よりも楽し気にしている宝生が珍しい。 「何かあったのか?」  木南に聞いてみた。 「従業員と連絡が取れないらしい。佐々木……って名前だったかな、髪の短い元気な娘だ。お前とも何度か会っているはずだ」  佐々木……顔を思い出すのに数秒かかったが、なんとか俺の中にあるデータベースから『佐々木』に関するデータを見つけ出した。  ハツラツとした明るい女性だ。  客にたいして丁寧ながらも打ち解けやすい雰囲気があったと記憶している。 「結奈ちゃんは無断欠勤するような子じゃないんだけど……」  連絡が取れず顔を曇らせる宝生。  確かに宝生が言うように、俺の記憶の中の彼女も平気で無断欠勤できるような子ではなさそうだった。  でも、二面性は誰しもが持っているものだ。客観的に見たら何の問題も無いような人間でも裏の顔はある。  普段は大人しい人物が、凶悪犯罪を犯し周りの人間を驚かすというニュースをよく見かける。  けれど、真剣に心配している宝生にそんなことをいうのは無粋な気がしたから、その言葉は飲み込んだ。 「俺でよければ、様子を見てこようか?」  すると、宝生の表情がパッと輝いたが、木南は不思議そうに目を丸くした。 「お前から面倒ごとに首を突っ込むなんて珍しいな」  現在の最大迷惑案件は『泰雅』だ。  今はそれを排除することに全力をかける。 「あいつに目の前をチョロチョロされるのが気に入らないだけさ」  俺の数少ない憩いの場所だ。誰にも犯されたくないのに、臨時とはいえ泰雅がここで働いているのが、どうにも落ち着かない。  そう思っている傍から泰雅がにやけた顔してこちらへやってきた。 「ねえねえ、俊さん聞いて。僕、依頼をひとつクリアしたら、探偵として雇ってもらえるんだ」  嬉しそうに木南に話す泰雅に、木南は真剣な顔で口を開いた。 「なら、ひとつ忠告しておく。イチゴには気をつけろ」 「イチゴ?」  泰雅が首を捻る。 「余計なことを言わなくていい」  何でイチゴなんだよと、ぼやいていると、宝生まで首を突っ込んできた。 「そうだ。命を失うことになるかも」 「いい加減にしろよ」  イチゴで命を奪うなんてあるわけ……う~ん。  自分でも怪しくなってきた。 「イチゴは好きだが命まではさすがに奪わん」  うん。  と自分自身で納得したところだが、木南が驚きとも心外ともつかない表情をする。 「それにしても、碩夢が誰かと組むなんてこれまた珍しいな。今日がこの世の終わりか?」  それには宝生も不思議と言わんばかりに質問を重ねてきた。 「ホントだ。どういう風の吹き回しだ?」  話の展開が『泰雅を雇う』方向へ向っている。  これはきちんと誤解を解く必要がある。 「まだ雇うと決まったわけじゃない。ネコを探せたら考えてやってもいいって言っただけだ」 「そうなのか? でも、探し物は得意だって言ってたぞ。お前のことも3時間で探し当てたって」 「はぁ~」  思わず深いため息が出てしまった。  やっぱり失敗だった。  しっかりと言質を取られてる。 「そんなに冷たくするなよ。あんなに慕っているのに可哀そうじゃないか」  修理をしたからなのか、木南が親心を臭わせる。  やっぱり話がマズい方向へと向いている。早いとこ軌道修正しないと周りから固められそうだ。 「勘弁してくれ。自ら好んで殺し屋を雇うヤツがどこにいるんだよ」 「用心棒でもいいんじゃないか? なんなら彼を盾にするのもひとつの手だろ?」  意外と辛らつなことを口にするのは宝生だ。  にこやかで優しい雰囲気に騙されがちだが、宝生は平気で毒を吐く。無害な顔して毒を吐くからけっこう刺さる。でも本人は毒を吐いている自覚がないからたちが悪い。 「だとしても、俺はイヤだ!」  このままここにいると、雪の球が坂道を下っていくように、どんどんと話が膨らんでいく。  とっととこの場から離れたほうがよさそうだ。 「悪いが、今日は帰る」  せっかく店に来て何も頼まずに帰るのは宝生には悪いことをしたが、そんな事で気分を害するヤツでもないし、気にする間柄でもない。 「あ、そうだ。これ」  木南と宝生にコーヒー豆が入ったギフトボックスを渡した。 「お前が人に贈り物をするなんてな。やっぱり今日はこの世の終わりか? 槍でも降ってくるんじゃないか?」  木南が茶化したが、宝生はバーテンダーらしい言葉を口にする。 「ありがとう。今度エスプレッソ・マティーニをごちそうするよ」 「甘そうだがたまにはいいかもな。そこにイチゴも付け足してくれるとありがたい」 「それは働き次第かな」  そう言って宝生が笑ったが、すぐに真面目な顔になる。 「結奈ちゃんのこと頼んだぞ」 「ああ、わかった。じゃあ、またな」  木南とも短い挨拶を交わし店を出ようとした。  出口へと向おうとしたとき、後ろから声が飛んできた。 「え? もう帰っちゃうの?」  急いで駆けつけてきた泰雅が唇を尖らせて訴えてくるが、泰雅に引き留められる義理はない。 「今日はもう呑みたい気分ではなくなったので、では失礼」  何か言いたそうにしている泰雅を軽く無視して、店を出た
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