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02.取引
色とりどりのネオンがきらめく街並みは、夜だというのに暗さをあまり感じない。
ビルの壁に設置された大型ビジョンは青白い光を放っている。
その画面では男性のアナウンサーが映し出され、淡々とニュースを読み上げる。
『只今、8時になりました。最新のニュースをお伝えします。昨夜未明男性の遺体が発見されました。遺体には銃器のようなもので撃たれた跡があり警察では殺人事件とみて捜査を開始しました――』
この日本において銃による殺人事件は大事件だ。にもかかわらず、BGMでも流れているかのように、立ち止まって見入る者はいない。
それよりも、サイレンを鳴り響かせ走り回る消防車の方が気になるらしくざわついていた。
どうやら近くの工場で火災があったようだ。
それも大規模な。
けれど、俺にとっては火災も、殺人事件も興味を惹かれない。
大型ビジョンがある大通りから一本それた道に入る。
すると、一気に人の数が減った。
少し歩いたところにコーヒーショップがあり、その店のドアを開けた。
ドアベルの音が鳴るのと同時に、コーヒーの香ばしい香りに包まれる。
「いらっしゃいませ」
店員の愛想のいい挨拶が飛んできた。
店の中はこげ茶色のインテリアで統一され、落ち着いた雰囲気のある店だ。
焙煎されたコーヒー豆が陳列された冷蔵のショーケースの奥のほうから、店員が顔をのぞかせた。
「ずいぶん外が騒がしいですね」
店の中までは情報が入ってこないらしい。けたたましいサイレンの音に店主が不安そうに聞いてきた。
「近くの工場で火災があったみたいですよ」
「なるほど、それで消防車のサイレンが鳴っているんですね」
サイレンの原因がわかると気が済んだのか、世間話もそこそこに、店主はオーダーを受ける。
「いつものでいいですか?」
「はい。おねがいします」
手慣れた様子で豆を包装すると、店のロゴが書かれた紙袋を渡される。
いつも同じ豆を同じ量だけ買うので、こちらも慣れた様子で金をトレイの上に乗せてから、紙袋を受け取る。
「毎度ありがとうございます」
受け取った紙袋からふんわりとコーヒー豆の香りが鼻をくすぐる。
この香りがたまらない。
優しく甘みのある香りに心も満たされていく。
「また来ます」
そう返すと、店主はニコリとほほ笑み「お待ちしております」と頭を下げた。
踵を返し店から出ようとしたとき、後ろから押されたような衝撃を受けた。
結構な勢いで衝突されたため、その衝撃で紙袋を落としてしまった。
先ほど膨らんだ幸福感がしぼんでいくような錯覚を覚える。
思わず舌打ちしたくなったのを必死に堪えたのに、ぶつかってきた方は遠慮もなしに舌打ちをしてきた。
明らかに自分よりも年上の男はあからさまに不機嫌な顔をした。
思わず睨み返したくなったが、そこはグッと我慢する。
スーツの内側に物騒な代物を見つけたからだ。しかも、オイルと少し焦げたような臭いが鼻をついた。
とりあえず落としてしまった紙袋を拾おうと手を伸ばす。
が、同じ紙袋がふたつ床に落ちていた。
相手も自分とぶつかった拍子に紙袋を落としたようだ。
一瞬躊躇したからか、それとも相手の方が床との距離が近かったからなのか、小太りで小さい男のほうが紙袋を拾うのが早かった。
遅れて取り残された紙袋を拾うと、明らかに先ほど持っていた紙袋の重みとは違う。
すぐに自分の物ではないと気付く。
けれど、小太りの男は気にするそぶりも見せず、とっとと店を出て行ってしまった。
「ウソだろ?」
こんなにも重さが違うものを疑いもせずに持っていってしまうとは、驚きを通り越して感心してしまう。
確認せずとも中身が違うと確信できるが、それでも念のため中身をのぞいてみた。
やっぱり。
俺が買った豆は入っていなかった。
呼び止めようとしたが意外にも足が早く、小太りの男は数メートル先にいた。
「あの、ちょっと!」
残念ながら声は届かず、男は角を曲がってしまい姿が見えなくなってしまった。
どうにも胡散臭い男だったから、後を追うのは気が進まない。
けれど、せっかく買った豆をみすみす逃すのも癪だ。
仕方なく後を追うが、意外にも足が速く小太りの男とかなり距離があいてしまった。
走って追いかけようとも思ったが、それすら何故か躊躇してしまう。
そうこうしているうちにだんだんと不穏な空気が濃くなってきて、尚更声をかけづらくなってしまった。
進むにつれて益々空気が荒ぶれていくが、小太りの男は気にする風もなく足早に先へと進む。
さらに奥の路地へと進んでいくと、いかがわしい店が立ち並んでいた。
その店の前には自分の店に引き入れようと、声をかけてくる男たちがそこかしこにいた。
前を歩く小太りの男は客引きの声には一切耳をかさず、先を急ぐ。
こちらも同じように、声を無視して後を追う。
小太りの男は人通りの少ない路地を好んでいるのか、薄暗く陰気なほうへと進んでいき、ついには全く人気のない路地裏へとたどり着いた。
薄暗い街灯の下までくると、ようやく小太りの男が立ち止まった。
声をかけるには危険な臭いがプンプンする。
それでもコーヒー豆を返してもらうには声をかけるしかない。
「――っ!」
声をかけようとしてすぐに飲み込む。
暗闇に人の気配を感じ、すぐさま物陰に身を隠す。
どうやら小太りの男と待ち合わせをしていたようだ。
こんな人気のない暗がりで待ち合わせなんて、後ろ暗い関係に違いない。
危険な臭いがプンプンする。
早いとここの場を離れたほうがいいんだろうが、殺意と死臭が漂うこの空間で、迂闊に動くのは危険だ。
こういう輩は部外者の存在に気づいた途端、有無を言わさず存在を消そうとする。
小太りの男がそもそもまっとうな世界で生きている人間ではないと察したからこそ、なかなか声がかけられずここまでついてきてしまったのだ。
こんなことならもっと早くに声をかければよかったと、今更だが後悔した。
暗闇の中からひとりの男が姿を現した。
細身のスーツに中折れ帽を被った男だ。
暗くて顔はよく見えないが、小太りの男同様、太陽が似つかわしくない男だ。
この時点で、俺が買ったコーヒー豆は戻ってこないことが確定した。
となると、ここに居る意味は無いのだが、ヘタに動けば面倒なだけだ。
仕方なく息を殺して様子を伺うことにした。
待ち合わせをしていたようだが、男たちは仲間というわけではなさそうだ。
少しだけ不穏な空気が流れている。
それはいいとして、言葉少なに一言二言会話を交わすと、小太りの男は紙袋をこれ見よがしに見せつけた。
荷物がすり替わっていることに全く気付いていない事が本当に残念でならないが、小太りの男は紙袋の中身こそが切り札だと言わんばかりの顔をしている。
「金は持ってきたか?」
「急に何を血迷ったかと思えば……」
帽子を被った男は、はなから小太りの男を相手にしていない感じだが、小太りの男は自分が優位に立っていると信じて疑っていない様子で口を開く。
「この中にすべてのデータが入っている。これを買いとってくれ」
帽子を被った男は受け取った紙袋の中をのぞいた。
ガサゴソと紙袋を漁ると、袋から豆を取り出した。
「これに何の価値がある? 俺をバカにしているのか?」
そう言うと、帽子の男はコーヒー豆を地面に投げ捨てた。
小太りの男は信じられないとばかりに、帽子の男から紙袋を奪い中をのぞき込む。
袋をひっくり返し振ってみたところで、小太りの男が思っているモノが出てくるはずもない。
この時にしてようやく、小太りの男は紙袋を取り違えたことに気付いたようだ。
「そ、そんな……」
「そう気に病む必要はない。はなから貴様と取引するつもりはない」
帽子の男は、最初から用意していた言葉だったようだが、小太りの男のほうはこの展開を全く予想していなかったのか、信じられないとばかりに首を振る。
「ハッ、馬鹿な。こんな美味しい話を蹴るのか? よく考えてみろ。これさえあればお前は世界を相手に商売できるんだぜ?」
「夢は寝てからほざけ。不良品に大金を払うバカがどこにいるんだ?」
「不良品だと?」
「バグが生じてばかりで、売りものになるどころかガラクタだ。処分しようにも金がかかるし損害でしかない。そんなモノに誰が金を払う? 逆に損害賠償を請求したいくらいだ」
「そんな……」
「お前の保険金でも足りないが、ないよりはましだ」
帽子の男が懐へ手を潜り込ませる。
そこから出てくるものは決まっている。
小太りの男もそれを察したからこそ、慌てて帽子の男を説得する。
「ま、待て……俺を殺せばお前たちだってただでは済まなくなるぞ。すぐに警察がお前たちのことも嗅ぎつける。そうなる前に高跳びすりゃあお互い無傷ですむ」
最後の砦だと言わんばかりに突き出した言葉も、なんの効力もなく崩れ去る。
帽子を被った男の顔がドス黒い笑みに染まる。
「誰が何を嗅ぎつけるって? マネキン工場の社員が兵器を造り、それを海外で売りさばいていたが、会社にバレて警察へ突き出されそうになったから工場に火をつけ、社長もろとも燃やした」
危うくなったら切り捨てる、最初からそういう筋書きだったのだろう。帽子を被った男は戸惑う素振りさえ見せない。
けれど、小太りの男は寝耳に水とばかりに慌てふためく。
「な、何を言ってるんだ?」
「分からないか? 貴様は逃げられないと観念し自ら命を絶った、それだけの事だ」
「ふざけるなッ!」
「ふざけてなどいないさ、いい筋書きだろ? なぁ、お前もそう思うだろ?」
突如、帽子を被った男は目の前の小太りの男ではなく別の誰かに話を振った。
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