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03.怪物
これまで人の気配は感じなかった。
帽子を被った男と小太りの男しかその場にはいなかったはずなのに、突然帽子を被った男の背後から人影が現れた。
人の気配に関しては見誤った事はこれまで一度もなかったのに、現れた青年の気配だけは何故か感じることができなかった。
とはいえ、現れた青年は何か異様な感じがした。
『何が』と聞かれても明確な答えはない。
そして、それは言葉を発した時にも『何か』が違った。
「何でもいいけど、僕は何をしたらいいの?」
この場の雰囲気とは全く違う呑気な声を発した青年は、なんとも奇妙な気配を纏っていた。
小太りの男も気配を感じ取っていなかったのか、突然現れた青年の姿に慌てふためく。
「な、な、なんだお前はッ! どこから現れたッ!」
「ずっとここに居たさ。お前を三途の川に案内する男だ」
話の内容から察するに、小太りの男は処分されるということだ。しかも、今現れたばかりの青年に。
小太りの男は納得がいかないとばかりに喚き散らす。
「どういうことだ!」
「貴様のつまらない死に、意味をもたせてやるって言っているんだ。感謝してほしいくらいだ」
「感謝だと? ふざけるにもほどがあるっ!」
小太りの男が帽子の男に掴みかかろうとしたその時、先ほど現れた青年が帽子の男の前に立ちはだかった。
「じゃ、あとは頼んだぞ」
吐き捨てるように言うと、帽子の男は現れた時と同じように闇の中に消えた。
普通なら緊張感が漂う場面なのだろうが、空気を読めないのか、何も感じないのか、青年は大きなあくびをしながら伸びをした。
さすがに青年の態度に異様さを感じたのか、小太りの男が苛立たし気に叫んだ。
「ど、どうした。お、俺を殺るんじゃないのか?」
「う~ん。あんた殺してもつまんないから、逃がしてあげる。って言っても、どこまでも追いかけられるんだろうけど、上手いこと逃げなよ」
「ば、ばかにしやがって――」
言うなり小太りの男は銃をぶっ放した。
青年の頬に赤い線が走った。
けれど、青年は動じるわけでもなければ、怒りを露わにするわけでもなくただ静かに小太りの男を見つめているだけだった。
それが余計に恐怖を誘う。
加えて、青年は武器を出すわけでもなく、身構える事すらしない。
客観的に見れば、優位なのは小太りの男なのに、カタカタと銃を震わせ怯えている。
「ねぇ」
青年がのんびりとした声で訊ねると、小太りの男の肩がビクッと震えた。
「な、何だ」
「グリムリーパーって知ってる?」
流行りの曲でも聞くように軽い口調で訊ねる青年。
「グリムリーパーだと?」
一方、小太りの男の声は不機嫌さが増していた。
「うん。すごい殺し屋なんでしょ。僕会ってみたいんだよね」
小太りの男の不機嫌さなどまったく気にならないのか、青年の声は楽し気だ。
それは、まるで正義のヒーローに会いたがる子どものような無邪気さだ。
対して小太りの男は、ヒーローなんてこの世には存在しないと、現実を突きつける大人のように残酷な言葉を口に乗せる。
「お前、正気か? グリムリーパーなんているわけないだろ」
サンタクロースを信じて疑わない子どもに、夢を見られなくなった大人が存在を否定するかのような口調で小太りの男が冷たく言い放った。
大抵の子どもが心無い言葉に傷つくように、青年も同じような顔をするかと思ったが、彼は少し違った。
「なんだ、あんたも知らないのか」
つまらないとばかりに口を尖らせる青年。
「あ? 何言ってやがる。知らないんじゃなくて、いないっつってんだよ!」
小太りの男が苛立たし気に声を荒げた。
青年は気にかける様子もない。それどころか、話は終わったとばかりに小太りの男に背を向けた。
その態度が小太り男の怒りを買ってしまったようだ。
「お、おい! グリムリーパーを探してどうするつもりだ? まさか殺すつもりか?」
小太りの男は、立ち去ろうとする背中に、小ばかにしたような声を投げた。
すると青年は立ち止まりゆっくりと振り向く。
「違うよ。どんな人間か興味があるだけ」
「はっ! 笑わせるな。グリムリーパーなんか伝説にすぎん。誰も見たことがないんだぞ。何千メートルも離れた標的を打ち抜くなんて人間の所業じゃねぇ。だが、もし存在しているとしても最近ヤツは仕事をしていない。名前の通り死神となってあの世で待ってるかもな。なんなら俺があの世に送ってやってもいいぜ。そしたら会えるかもな。俺がお前をグリムリーパーのところに案内してやるよ」
自分が優位に立ったと確信したのか、先ほど死の淵に居た人間とは思えないほどの傲慢な口ぶりだ。
震えもいつしかおさまって、今度はしっかりと青年の頭に照準を当てている。
けれど、青年はまったく意に介した様子もなく淡々としている。
「そんなんじゃ僕は殺せないよ」
銃を向けられているのに、青年からは恐怖や戸惑い不安といった感情を全く見いだせない。
よほど自分の腕に自信があるのか、はたまた小太りの男を見縊っているのか。
まあ、この近距離で的を外していれば無理もない。
「次は外さないぞ」
「やめておいた方がいいと思うけど……」
相手の言葉を無視して、小太りの男は引き金を引いた。
パァーン――。
青年の額めがけて放たれた銃弾は、キレイに額を突き抜けた。
後頭部から血を噴き出した青年はそのまま後ろに倒れ…………ない。
倒れない⁉
倒れないどころか蚊にでも刺されたかのように、撃たれた額をポリポリと掻いている。
撃った方が目を見開き、呼吸さえも止まってしまったようだ。
持っていた銃をその場に落とし、ストンと腰を抜かしたように尻をついた。
「ね、無駄でしょ」
ねって……、血みどろの顔でハートが付きそうなセリフを吐かれても、それは恐怖でしかない。
小太りの男はズリズリと後ろへ下がる。
言葉も出ないのか、水面に上がってきた鯉のように口をパクパクさせている。
「だから止めた方がいいって言ったのに」
逃げようと藻掻いているようだが、抜けた腰に力が入らないのか、小太りの男は立ち上がることさえできない。
「おじさん大丈夫?」
青年はあろうことか小太りの男に手を伸ばす。
けれど、小太りの男は首を振りながら必死に後退る。
「ひどいな、ひとのこと撃っといてそんなに拒絶することないでしょ」
そうは言うが、頭に風穴開けて血をダラダラ垂らしている人間が平然と歩いていたら、誰だって腰を抜かすし、差し伸べられた手は拒絶する。
目の前の男のように。
「ば、ば、ば……ばけものだぁぁぁぁぁぁああああああああ!」
小太りの男はようやく声が出せるようになったのか、耳を劈くような叫び声と共に転がるように逃げていった。
その背中を見届けていた青年はくるりと向きを変えて、こちらへ向かって来る。
ここにひっそりと身をひそめているのが、グリムリーパーだと知ったらどんな顔をするだろうか。
いや、今はもう、その名は捨てた。
今は『金城碩夢』として生きている。
わざわざ名乗り出るつもりもないし、その必要性も感じない。
『仕事』をしなくなってずいぶん年数が経っているとはいえ、これまで何人もの命を奪ってきた身だ。人の死は見慣れている。
銃に関しては知識もあるし、腕にも自信がある。銃以外でも命を奪う方法ならそれなりに体得している。自分よりも体格のいい連中相手でも怯むことはない。
けれど、どれほどの腕があろうと、銃弾を頭に喰らっても平然としている相手となれば話は別だ。
仕留められる気がしない。
そういう時は、逃げるが勝ち。
しかもグリムリーパーを探しているのならなおさらだ。
俺が買った豆はもう戻ってこない。尚更ここにいる必要はない。
そっとその場から離れようとした時だった。
「ねぇ、あなたは知ってる?」
青年は、こっちに向って声をかけてきた。
向こうからは俺の姿は見えないはずだ。
それに気配を察知されないよう細心の注意を払っていた。
どんなに近づこうと、俺の気配に気付いた奴はこれまで誰一人も居なかった。
何ひとつ察知されないからこそ、『グリムリーパー』と呼ばれるに至ったのだ。
それなのに、青年は俺の存在に気付き、確実に俺に話しかけてきた。
なんなんだ。この男は!
いや、もしかしたら仕事から離れた期間が長すぎて鈍ったのかもしれない。
兎にも角にも気付かれたことに変わりはない。
が、気付かれたとはいえ、のこのこ顔を出してやるほどお人好しじゃない。
それに頭を撃たれて平気なヤツとなんか、会話もしたくない。
相手をしないのが一番だ。
そう思って、一歩後退ったが、相手が俺を解放してはくれない。
「ひどいなぁ~。無視しないでよ」
いつもの間にこんなに近くまで来ていたのか、頭から血をダラダラ垂らした青年の顔が目に飛び込んできた。
鉄に似た血なまぐさい臭いが鼻をつく。
一瞬意識が遠のきそうになったが、必死で堪えた。
「失礼、先を急ぐので」
「そんな冷たいこと言わないで教えてよ」
少しだけ拗ねたような声は少年ぽさを感じさせた。
いかにせん頭から血をダラダラと流がし、真っ赤に染めている顔は見るに耐えかねる。
適当に話を切り上げて、早々にこの場を離れるに限る。
「グリム……なんとかって人のことですか?」
「グリムリーパーだよ。すごい殺し屋なんだって」
「さあ、知りませんね」
「ふ~ん……」
何かを探っているようだが、こちらとしては早くこの場を去りたい。
ゾンビ映画のゾンビはもっと重い足取りでのそりのそりと歩いているのに、男はふらつくどころかスキップでもしそうなくらいに軽快だ。
本物のゾンビはこんなにも身軽なのか?
人の命を散々奪ってきた身だ。
ろくな死に方はしないだろうと思ってはいたが、まさかゾンビに襲われるとはな……。
頭に銃弾を喰らっても死なない奴とやりあったことはないが、大人しくやられるのは癪に障る。
多少の抵抗はしてみるつもりでいた。
だが、青年が近づいてくると傷口がより鮮明に見えてきた。
慌てて目を背けるが、青年が近づいてきたことで鉄のような血の臭いがそこかしこに漂っている。
胃のあたりから胸にかけて重苦しいものが込み上げてくる。
気持ち……わる……。
たまらず口元を手で押さえ、吐き出しそうになるのを必死にこらえる。
青年はこちらの気も知らず、遠慮なしに近づいて――来ない。
青年は突然歩みを止めた。
目を見開いたままピクリともしない。
まさか、今ごろ命が尽きたのか?
今の今まで元気に――というのもおかしいが、撃たれたことがウソのように動いていた男が突然動くなった。
まるで機械が故障したかのように。
今のうちに逃げよう、と思ったのも束の間、すぐに青年は動き出した。
マジか……ん?
さっきと雰囲気が違う……が、鮮血が目についてまともに青年の顔を見ることができない。
顔を逸らすが、血の臭いが鬱陶しいくらいにまとわりつく。
その気色の悪さにめまいがしてくる。
けれど、青年はこちらの事情など知る由もないから、平気で近づいてくる。
「大丈夫? すごく具合が悪そうだけど」
死んでもおかしくないヤツに言われるセリフではない。
お前が言うなと、思わず突っ込みたくなるが、こっちはそれどころじゃない。
意識を手放さないように堪えているのがやっとだ。
それなのに、青年は顔を近づけこちらを見てくる。
「気分が悪いの?」
「……顔を……近づけないで……いただきたい」
青年が近づくことで血の臭いがさらに濃くなる。
「でも、今にも倒れそうだよ」
「頭をぶち抜かれたヤツが言うな……。あ~……お前……君は大丈夫なんですか?」
何で平然としてんだよッ!
平然としすぎていて、一瞬銃弾を喰らっていないのかと思ったが、やっぱりしっかりキレイに眉間の間をぶち抜かれている。
「僕は大丈夫。撃たれたくらいじゃ壊れないよ」
そうかそうか、壊れないならそれでいい。こちらのことは放っておいてほし……い?
あれ、今何て言った? 壊れないってなんだよ。
妙な言い方をするヤツだ。
と、思ったところで青年が顔を覗き込んできた。
不意を突かれたとでもいうべきか。
青年の額の傷口が目に飛び込んできた。
銃弾が通り抜けた小さな穴からどす黒い肉片が見え、ドロドロと流れ出る血は未だ止まらず流れ続けている。
ぐらりと視界が揺れたと思った瞬間、意識は闇に飲み込まれた。
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