06.帰路

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06.帰路

 一瞬、何が起きたのか理解できなかったが、すぐに思考を切り替える。  これは、絶好のチャ――――ンスッ!  このチャンスは絶対に逃してはならない。  大急ぎでヒューマノイドのもとへ駆けつけた。  案の定、ヒューマノイドは平気な顔をしてすぐにでも起き上がろうとしていた。  慌ててヒューマノイドを押さえつけた。 「いいですか、私がいいと言うまで死んだふりをしていてください」  ヒューマノイドの耳元にそう囁くと、不思議な顔をした。 「高性能なんだから、それくらい簡単にできますよね?」  強めの口調で言い聞かせるように言うと、青年は小さく頷いた。  すぐさま青年の顔からは感情が消え、ぐったりとその場に倒れこんだ。  俺は急いで頭に被せていた紙袋を取った。  もちろん頭の傷口は見ないように、慎重に隠しながら。  車の運転手はというと青ざめた顔で、呆然としていた。  ハンドルを握っている手が震えている。  人をはねたんだ。愕然とするのは当然だ。  数秒放心状態だったが、すぐに我にかえったのか、ハッとしたように運転手は車から降りてきてヒューマノイドに駆け寄ってきた。 「だ、だ、大丈夫ですかッ! すすすすすぐに救急車を……」  やせ型の男性で、年のころは二十代後半といったところか。  目の下にクマが出来ている。  どうやら寝不足のようだ。  顔色は真っ青で、ひどく怯えた表情をしていた。  それでも運転手はすぐさまスマホを取り出し、緊急通報しようとした。  震えながらタップしようとする運転手の手を止める。 「残念ですが……もう死んでいます。例え生きていたとしてもあんなに頭から血を流していたんじゃ助からないでしょう」 「そ……そんな……紙袋が飛んでいるだけかと思ったのに……ああ……どうしたら……」  運転手は膝から崩れ落ちるように、その場にしゃがみこんでしまった。  さて、どうするか。  このまま車を奪ってしまうのは簡単だが、それだとあとあと面倒くさい。  手っ取り早いのはなかったことにすることだ。  放心する運転手の肩にそっと手を添える。 「落ち着いてください。大丈夫。あなたの車には誰も当たっていません。人なんか轢いてません」 「え?」  俺の顔を見た運転手の瞳はひどく怯えていた。  俺は出来る限り優しい声で囁く。 「あなたは、そう、紙袋を轢いただけです」  俺の言葉に運転手は首を振る。 「でも、ドンって、確かに――」 「紙袋です。中にコーヒー豆でも入っていたのでしょう」 「で、でも――」 「紙袋です! 彼はすでに死んでいたんです。ほら、見てみてください。頭に銃弾がぶち込まれてます」 「え?」  運転手は俺の言葉に誘われるように、恐る恐るだが青年の顔をのぞく。 「ヒッ」  運転手は青年の頭を見た途端、短い悲鳴を上げ腰を抜かしたように後ろへひっくり返った。  当然の反応だ。  銃弾が撃ち込まれた死体なんて、健全な生活をしていれば目にする機会なんてないだろう。  運転手は先ほどよりも怯えた視線を俺に向けてきた。  この人気のない牧場で生きている人間と死んだ人間がいれば、生きている人間が殺したと思うのは当然の心理。  俺の所業ではないが、まさかこの死人に担いでここまで運ばれてきたと説明したところで理解してもらえないだろう。  実際に運ばれた当人でさえ理解できていないのだから。  面倒くさい説明は省くとしよう。 「悪いことは言いません。彼の死因については詮索しないほうがいいでしょう」  俺は右手をジャケットの内側へ忍ばせる。  怯えた人間を従わせるのはそれだけで十分だった。  実際にはありもしない銃を想像してくれる。 「お願いがあるんですが、聞いていただけますか?」  運転手は壊れた人形のように首をコクンコクンと縦に振った。 「私をあるところまで送ってくれませんか?」 「え?」 「大丈夫。それ以上の迷惑はかからないようにしますから」  もちろん右手は懐に忍ばせたまま。 「ほ、本当に……そ、それでいいんですか?」  怯えた声で訊ねた運転手に、俺は出来る限り優しい笑顔をむける。 「ええ」  運転手は震える手をギュッと握り、ブツブツとひとりごとを唱えていたかと思うと黙り込んで考え込んだ。  しばらくの沈黙の後、ようやく運転手が口を開いた。 「ほ、本当に……本当にあなたを乗せていくだけでいいんですね?」  念を推すように尋ねた運転手に、大きく深く頷いてみせた。  すると、決心したように唇をキュッと引き結んだ。 「わかりました。あなたの言う通りにします」  思わず心の中でガッツポーズ!  これで無事に家に帰れる。  運転手の気が変わらないうちに、さっさと車に乗り込もう。 「さ、行きましょう」  運転手を促す。  けれど、運転手は後ろ髪をひかれるように、死んだふりをしているヒューマノイドに視線を落とす。 「あ、あの人はどうするんですか?」 「ああ、置いていきますよ」  だって、俺とあいつは何の関係もないんだから。 「「え?」」  運転手ともうひとり別の声が重なった。  運転手の顔がみるみる青ざめていく。そして、震える手で俺の後ろを指さした。  見れば青年がむくりと起き上がり、不貞腐れた顔をこちらに向けていた。  俺は内心頭を抱えた。  しまった。  聞こえないように言うべきだった。 「なんで、僕を置いてくの?」 「君と私は何の関係もないでしょ」  ただ道ですれ違った。たったそれだけの関係に過ぎない。  置いて行こうが何しようが関係ないはずだ。責められることじゃない。 「え~。僕がここまで運んであげたのに?」  こんな知らない牧場に連れてこられて迷惑しているんだ。 「誰も頼んでいません。さ、行きましょう」 「え? い、いいんですか?」 「ゾンビと一緒にドライブする趣味は?」 「ありません」 「なら、気にする必要はありません。さ、行きましょう」 「え~、僕のことは無視? 僕はどうしたらいいの?」 「知りませんよ。あなたの好きにしたらいいでしょ。ああ、そうだ。これはあなたに差し上げますが、その姿であまりウロウロしないほうがいいですよ」  先ほど取り上げた紙袋を青年に渡した。 「さ、車に乗ってください」  運転手を促し車に乗り込んだ。  さあ、帰ろう。  ……一分二分と過ぎても運転手は車を発進させようとしない。  まさか車が故障か?  そう思って運転席をみてみると、運転手が小刻みに震えていた。  ムリもない。  人を轢いたと思ったら頭に銃弾がぶち込まれた死体が転がっていて、その死体がいきなり起き上がり平然としゃべりだせば動揺もする。  平然としているヤツのほうがおかしい。 「運転をかわりましょうか?」  また事故られても困る。  これ以上問題は増やしたくない。 「どうしてそんなに落ち着いていられるんですか?」  すでにその段階は終えているから、というのが本音だが、イロイロ説明するのも面倒だ。 「職業柄とでも言いましょうか。遺体は見慣れてしまって、きっと心が麻痺してしまっているのでしょうね」 「ぞ、ゾンビも見慣れてるんですか?」  相当パニクッているのだろう。運転手は通常では考えられないような質問をしてきた。  死体は見慣れているが、さすがにゾンビは見慣れていない。  けれど、懇切丁寧に説明する気力も暇もない。 「死体もゾンビも似たようなものですよ」  死体が動けばゾンビなのだから、まあ、間違っていないだろう。  かなりいい加減な回答だが、運転手の頭の中はかなり混乱しているらしい。 「な、なるほど……」  納得したようだ。  運転手は何とも言えないような複雑な表情をしたが、これ以上の無駄話は必要ない。 「さ、行きましょうか」  運転手は後部座席に、俺は運転席に乗り込みアクセルをゆっくりと踏む。  バックミラーに青年の姿が写った。  青年はジッと立ったまま動こうともしない。  またショートしたのかもしれない。  でも、俺には関係ないことだ。  これでよやく家に帰れる。  コーヒー豆を買いに行っただけなのに、とんだ寄り道をしてしまった。  運転手はというと、相変わらず青白い顔で何かブツブツと言っていった。  ここから目的地まで結構時間がかかりそうだ。その間イロイロ考え込まれても厄介だ。 「ラジオをつけても?」  話しかられたことに一瞬驚いたように肩を振るわせたが、運転手は平静を装うと頷いた。 「ええ、どうぞ」  無造作にラジオをつけるとニュースが流れてきた。 『――昨夜、マネキン工場で火事がありました。警察と消防によりますと、午後七時前マネキン工場内にある実験棟から爆発があったと警備員から通報がありました。消防車十四台が出て火は約一時間半後に消し止められましたが、爆発があったとみられる実験棟は全焼しました。なお、焼け跡からはひとりが遺体でみつかり、警察は連絡が取れていない工場の責任者とみて確認を進めています。また、こちらの実験棟では違法な実験が行われていたとみて、警察は関係者などから事情を聞き詳しく調べる方針――』  ちょうど昨日の火事のニュースが流れた。  随分と大きな火事でそれが原因で暴かれる闇があるようだが、バックミラーに写る運転手は全く興味を示さず外を眺めている。 『次のニュースです。情報技術の開発・販売を手がけるヴェッタシュトランド社は、データサーバーに対する外部からの不正アクセスが確認されたことを明かしました。公表時点で攻撃を受けるに至った原因や被害規模等は明らかになっておらず、現在調査中であり判明次第公表するとともに、対応方針や再発防止も案内するとしています――』  先ほどの火事のニュースには全く関心をみせなかった運転手だが、このニュースが流れた途端、顔を強張らせた。 「このニュースに関心がおありですか?」  ボリュームを上げようとしたが、運転手は首を横に振った。 「い、いいえお気になさらず」  そう答えたが、助手席に置いてあるカバンの中には、ヴェッタシュトランド社の社員証が入っていた。  運転手の様子から何かしら事件に関係があるのはわかった。  けれど、彼がどこの誰で何をしたかなど、まったく興味がない。  俺は無事に家に帰れればそれだけで十分だ。  その後いくつかのニュースが読み上げられ、交通渋滞情報や天気予報など読み上げられると、洋楽が流れ出した。  その間、運転手は流れていく景色を呆然と眺めていた。  二時間ほど運転しただろうか。  道中はお互い口も利かず無言で過ごしたから、心が落ち着いてまともな思考ができるようになるには十分な時間だ。  早い事別れるに限る。  相手が疑問を抱く前に。  場所は人目のつかない地下の駐車場。  ようやく目的地に着いて、車から降りた。 「ありがとうございました」 「い、いえ、こちらこそ……あの……」  運転手が戸惑いの表情を見せる。 「このことは他言無用です。後ろめたいことは何もありませんが、私は警察という組織が苦手でして、警察に相談されたら面倒だなって。お互い面倒ごとは避けたいでしょ?」 「も、もし誰かに話したとしたら?」  恐る恐るといった様子で聞いてきた。  せっかくなので懇切丁寧に説明する。 「私とあなたはいわば秘密を共有したことになりますよね。そのどちらかがこの秘密をバラしたなら、それは裏切り行為です。そうですよね?」  確認するように聞くと、運転手は困惑しながらも頷いた。 「裏切られたらどうします?」 「怒る……と思います」 「そうですよね。私もあなたが万が一私を裏切るようなことがあれば、許すことはできません。そうですね……」  少しだけ考えてから、ゆっくりと運転手の耳元で囁く。 「面倒なことは避けたいので……、手っ取り早く私があなたを殺しに行きます。あなたが話した人も全員です」  運転手の顔は一瞬にして青ざめる。  が、すぐにはその言葉を信じてはくれない。  運転手はそんなことできるはずがないと言いたそうな顔をした。  名前すら知らない相手を探し出して殺すなんて不可能だ、とでも言いたそうだ。  けれど、それを覆すだけの材料はある。  助手席に、無造作に荷物が置かれていた。その中には財布もあった。  雑に入れられた財布からはキャッシュカードがのぞいていたし、社員証もあった。  相手に恐怖心を与えるには十分だ。 「あなたがどこの誰でどこに住んでいるかなんて、調べるのは簡単なんですよ。松浦修二さん。あなたが務めている会社、えっと、情報技術の開発のヴェッタシュトランド社でしたよね。それと都市銀行を使用していて口座番号は×××××××。その残高さえ、スマホで検索するようにサクッと調べられるんですよ」  運転手は驚いたように目を見開いた。 「ど、どうして……」 「あなたの素性を知ることなんて容易いといことです。分かっていただけましたか?」  運転手は怯えた目で俺を見てきたから、飛び切りの笑顔を見せた。  それが余計に恐怖を誘ったのか、運転手の顔はみるみる青ざめていく。 「ああそうだ、警察に逃げても無駄ですよ。不正アクセスの上データ流出させた人の話なんて誰も信じてくれませんよ」 「違う……違う。俺じゃない!」  やはり、先ほどラジオで流れたニュースと何か関係があるようだ。  かまをかけたら、さらに運転手は取り乱した。  ここで一気に畳みかける。 「関係あろうが無かろうが、あなたがやっていようが濡れ衣だろうが、そんなことは問題じゃありません。肝心なのは、私はあなたにすべてをなすりつけることができるという事です。警察に出頭しても無駄ですよ。犯罪者であるあなたの言葉など誰も聞いてはくれません。しかも、罪の意識に苛まれ、拘置所で自殺に見せかけて殺すことほど簡単なことはないですから。それに、あなたの家族は罪人の身内ということで一生世間から後ろ指を刺される事になる。私の言いたいこと分かりますよね?」  運転手は観念したように頷いた。 「だ、誰にも言いません。絶対! 絶対に言いませんっ!」 「それがいいと思います。今日のことはお互い悪い夢でも見たと思って忘れましょう」  運転手はかみしめるように頷いた。 「……わかりました。そうします……では、失礼します」  そう言って、運転手は車に乗り込んだ。 「あなたのおかげで助かりました。ありがとうございました。では、お気をつけて」  そう言って一礼すると、こちらが頭をあげる前に運転手は車を急発進させ猛スピードで駐車場を出ていった。
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