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07.警部
車が見えなくなる頃合いを見てようやく歩き出した。
時間は昼の一時過ぎ。
気付けば昨日の夜から飯を食っていない。
でも、一向に腹が減らないのは脳裏にこびりついた血みどろの顔。
服にしみついた牧場の臭いも原因のひとつ。
風呂に入れば少しは気が晴れるかもしれない。
駐車場を出て人通りの少ない道を選んで家路へと足早に歩く。
けれど、コーヒー豆が家にないことを思い出した。
昨日買ったばかりでまた豆を買うのは不服だが、無いものは仕方ない。
コーヒーを飲めば少しは食欲も湧いてくるかもしれないし……と、コーヒーショップへ行こうか迷っていると、50メートルくらい先に見知った人影を見つけた。
「チッ」
さらに煩わしい状況になりそうで、思わず舌打ちしてしまった。
気付かれる前に道を変えようとしたが、一歩遅かった。
「いやぁ~こんなところで会うなんて奇遇ですね」
声をかけるにはずいぶん距離があったのに、わざとらしいくらいのでかい声で話しかけられてしまった。
相手は公安の警察官。
確か名前は……須賀だったような気がする。
無視するわけにもいかず小さく頭を下げた。
すると、足早にこちらに近づいてきた。
「こんな時間に、あなたに出会えるなんて思ってもみませんでしたよ」
須賀の表情はにこやかだが、目つきは鋭く何を考えているのかよめない。
それに比べ、須賀の後をついてきた相棒はまだ若く、血気盛んな様子。
思いっきりこちらを警戒しているのか、あからさまに探るような目つきで俺を見ている。
「須賀警部、それはこちらも同感ですよ。あなたがこんなところでウロウロしているなんて、よほど暇か能無しかのどちらかでしょう」
軽く憎まれ口を吐いた俺を、後ろに控えていた相棒が腹を立てたのか口を開きかけた。 須賀がすぐさま相棒を制する。
「相田、彼はこちらの素性を知っていて敢えてからかっているんだ。ムキになるな。申し訳ありません。コイツはまだ駆け出しで何でも素直に反応してしまうんですよ。それが短所であり長所でもあるんですけどね。まあ、温かく見守ってやってください」
見守れって言われて、はいそうですかといえるような間柄ではない。
警部といってもまだ若く、年は二十七・八といったところか。
俺と同じくらいの年齢で警部なんだから相当優秀に違いない。
その警部が連れている相田という刑事はまだ新米なのだろう。
はつらつとしていて暑苦しいくらいに元気がみなぎっている。
けれど、この若さで公安警察ということは、こいつもかなりキレるのだろう。
相田は鼻息荒くこちらを睨みつけている。
あれ? 須賀警部の相棒はコイツじゃなかったはずだけど。
線が細く繊細そうに見えるが、芯は強そうな男で、確か木下といったか……。
「相棒が変わったんですか? それとも相棒は任務中?」
「そこはご想像にお任せしましょう。探偵さんはそういうのをあれこれ詮索するのは好きですよね? ところで……この男をご存じありませんか?」
須賀は俺の質問を軽く流すと、スーツの内ポケットから一枚の写真を取り出した。
見せられたのは中年男性の写真だ。
どこかで会ったような気もするが……。
「さあ」
首を横に振る俺に、須賀は執拗に写真を見せてくる。
「本当にご存じありませんか? 実際はこの写真よりもう少しふっくらしているようです」
須賀の言葉で、その写真の男が誰なのかを思い出した。
昨日、俺とぶつかってコーヒー豆を取り違えた男だ。
「ああ、思い出しました。昨日私とぶつかった人です」
変に隠しても面倒な事になりそうなので、素直に答えた。
「やはりあなたでしたか。この男性と背の高い男性が何か揉めていたという話を聞きましてね。特徴からあなたではないかと思っていたんです」
はぁ~? 白々しいにもほどがある。
ぶつかった相手が俺だと決めつけるには『背の高い男』というのは、あまりにも情報が少なすぎるだろ。
きっとコーヒー店の店主か、なじみの客にで聞いたのだろう。
そのうえで何も知らないふりをして聞いてくるあたり、たちが悪い。
もし俺が知らないと言い張っていたら、須賀にどんな言いがかりをつけられるかわかったもんじゃない。
危ない危ない。
やはり正直に答えてよかった。
けれど、あの小太りの男が何やら怪しい取引をしようとしていた事や、不正を働き社長に見つかって工場ごと燃やしたらしいという話は……面倒なので聞かなかったことにしておく。
須賀が小太りの男の事を聞いて回っているとなれば、ヤツの行方を探しているか死体で見つかったかのどちらかだろう。
どちらにしても、俺はこのゴタゴタに巻き込まれるのはごめんだ。
「揉めていたなんて大袈裟ですよ。単にぶつかっただけです」
「そうでしたか。その時、彼の様子はどうでしたか?」
「そうですね……。急いでいるようでした」
「本当にぶつかっただけですか?」
相田が鋭い目つきで訊ねてきた。まるで殺人者を見るような目だ。
これまで何人も殺してはきたが、小太りの男は殺していない。
やってもいない殺人を疑われるのは癪に障る。
「どういう意味です?」
思わず語気が強くなる。
相田は場慣れしていないせいか、息を飲み言葉を失う。
そこへ相田が助け舟を出す。
「実はこの男性、今朝遺体で発見されまして、それで足取りを辿っているところです」
ああ、やっぱり殺されたか、と思ったとき、須賀が探るように俺の顔を見ていることに気付いた。
「探ったところで私は何も知りませんよ」
「いや、そんなんじゃないですよ。ただほんの些細なことでもいいので、気になったことがあればお聞かせ願えればと思っているだけです」
「あ、そうだ。紙袋は破れてしまったので捨てましたが、これ、預かってくれませんか? ぶつかった時に荷物が入れ替わったんですよ。交番へ届けようとしてたんでちょうどよかった」
ポケットからそれぞれ出して、須賀に渡した。
「USBですか。それと、これは……何かの資料ですかね」
須賀がしみじみとその荷物を見つめるのに対し、相田は問い詰めるように質問をしてきた。
「こんな大事そうな物、どうして追いかけて渡さなかったんですか? 荷物が違うことくらいすぐに分かったことでしょ?」
ああ、すぐに分かったさ。
持っただけで分かった。
でも、あの男は何の疑いもなしに俺の荷物を持って行ったしまった。
間違えたのはあの男だ。
それなのに、何故俺が責められる?
相田の責めるような口ぶりに、少しイラっとした。
だから、答えるのに間が生じてしまった。
相田はその『間』さえも、気に入らなかったようだ。
「答えられないんですか? 何か後ろめたいことがあるから答えられないんじゃないですか?」
さらに問い詰めてくる相田に腹立たしさを感じたが、それ以上に若さゆえの『熱さ』を感じて思わず笑ってしまった。
「何がおかしいんですか?」
「あ、いや、すみません。そんなんじゃないです。なんかすごく一生懸命で……」
「バカにしてるんですかッ!」
「違いますよ」
と、言ったところで説得力がないのか、相田は怒りで顔を赤くしている。
そんなつもりはないが、そう感じさせてしまったのなら申し訳ない。
けれど、こうなってしまうと何を言っても聞いてくれない気がする。
「まあ、落ち付け。そんな矢継ぎ早に聞いたら答えられないじゃないか。すみませんね。まだ新人なので気持ちばかりが勝ってしまって先走ってしまうんです」
ようやく須賀が助け舟を出した。
「いいえ、なかなか的を得た質問ですよ。私に後ろめたい所があればボロを出してしまうでしょうね。さすが須賀警部の相棒だけあって優秀でいらっしゃる」
「素直に誉め言葉として受け取っておきます。で、どうなんです?」
思わずドキリとしてしまう。
別に悪いことをしているわけでもないのに、パトカーを見ると少し落ち着きがなくなる、そんな心境だ。
言葉は柔らかいのに、こちらを見つめる視線は隙がない。
相田よりも厄介な相手だ。
「何がです?」
とぼけて聞き返すと、須賀はニッコリほほ笑んだ。
けれど、やっぱり目の奥は笑っていない。
「本当に男性に追いつかなかったんですか? あなたが?」
何を思っての『あなたが?』なのか、計り知ることは出来ないが、思い当たる節がなくもない。
須賀は俺のことをグリムリーパーじゃないかと密かに勘ぐっている。
俺の事をグリムリーパーだと知っている人間は限られている。
雇い主すら俺の正体を知っている者はいない。
それなのに『刑事の勘』ってやつなのか、須賀は事あるごとに俺のことを探ろうとする。
けれど、追いつかなかったのは曲げようもない事実だ。
「追いついていたら私のコーヒー豆を取り返していますよ。タダで渡すほどお人好しじゃありませんから。私だって不思議に思っているんですよ。これだけ違うものをどうやったら間違えるのかって」
「なるほど」
納得したようなセリフを吐いてはいるが、本心からの言葉ではなさそうだ。
「これからどちらへ?」
「コーヒー豆を買いに――」
須賀は俺の言葉を最後まで聞かずに、強引に話を持っていった。
「ちょうどよかった私たちもこれから行こうと――」
俺も負けじとやり返す。
「行こうと思っていましたが、急用を思い出したので失礼します」
「逃げるんですかッ!」
ホント、鬱陶しいくらいに初々しい。
「逃げる? 私が? 何故逃げるんですか? 私は男性とぶつかっただけです。それが罪に問われるんですか?」
少し怒気を含めて言い返した。
「い、いえ、そういうわけでは……、でも、おかしいじゃないですか。な、何故すぐに交番へ届けなかったんですか? どうして紙袋を捨てたんですか?」
相田は一瞬だけ怯んだが、それでも強気に迫ってきて痛いところをついて来る。
まさか牧場まで連れていかれるとは思っていなかったし、紙袋のおかげで気を失わずにすんだけど、そんなこととてもじゃないけど言えるわけがない。
「すぐに交番へ届けなかったのは、私にも用事があったからで、紙袋は申し訳ないとは思いましたが、破けてしまったものは仕方ないじゃないですか。なんだか事情聴取を受けているみたいですね。まさかぶつかっただけで殺人犯扱いですか? どちらかといえば私は被害者ですよ。買った豆が帰ってこなんですから」
「確かに彼を問いただすのは筋違いだ。申し訳ありませんでした」
そう言うと、須賀は相田の頭を押さえつけるように下げさせると、自分も頭を下げた。
頭を上げた相田の顔は不貞腐れていたが、須賀はニコリとほほ笑んだ。
「ご協力ありがとうございました。引き留めてしまってすみませんでしたね」
「いいえ、お役に立てず申し訳ありません」
「あなたとは近いうちにまた会いそうですね。その時はゆっくりとお話ししたいですね」
アホ抜かせ。
公安となんか話なんかしたくもない、という本心は隠して、笑顔でその場を後にした。
その時、もう1つUSBがポケットに入っていることに気づいたが、戻って渡す気にはなれなかった。
とにかく今は早く家に帰りたい。
コーヒー豆を買って帰りたかったが、とんだ邪魔が入った。
コーヒー店には寄らずに仕方なく家へ帰ることにした。
が、家の前まで来て足が止まった。
「何で居るんだよッ!」
思わず叫んでいた。
牧場に置いてきたはずのアンドロイドが、何故か家の前に立っていた。
「あ、やっと帰ってきた」
「ど、どうして、ここに居るんですかッ!」
「あなたが好きにしろって言ったんじゃないか」
アンドロイドは不貞腐れたように頬を膨らませた。
「だからって、どうしてここに居るんですか?」
「あなたの左ポケットに入っている名刺入れを透視した」
ああ、そういえば透視できるって言ってたっけ、て聞きたいのはそこじゃない。
「そうじゃなくて、なんで私の家に来たのかって聞いてるんです!」
まさか、俺がグリムリーパーだと気付いて殺しに来たのか? と、思ったが少し様子が違う。
アンドロイドは右手を顎に添えると、う~ん、と考え込んだ。
「何でだろ」
おいおいおいおい、いい加減にしてくれよ。
はぁぁぁああああ――――めんどくせぇ~。
深いため息が漏れた。
とっととコイツから逃れたい。
「いいかげん家に帰ったらどうですか」
「それは無理」
ヒューマノイドは事も無げに言い切った。
「はぁ?」
「だから、帰れないんだってば」
何故かどや顔のヒューマノイドに、血管がブチ切れる。
「なんでッ! ロボット掃除機でさえ充電ステーションに戻れるんですよ。高性能だと自負する君がなんで家に帰れないんですかッ!」
思わず荒ぶってしまったが、俺の堪忍袋も限界値をすでに超えている。
これまでよく破れずにいたと褒めてやりたいぐらいだ。
けれど、こちらの心情などお構いなしに、ヒューマノイドはさらに爆弾を投下してくる。
「記憶が消去されたみたい。だから、戻る場所がわからない」
「はぁ~? だからってなんで私の家に来るんですかッ!」
「袖触れ合うもっていうでしょ」
「言わない。知らない。多少の縁なんかあってたまるかッ!」
ああ、コイツと話をすると調子が狂う。
気を許しているわけでは無いのにどうしても言葉が乱れてしまう。
何とか気持ちを立て直し、説得を試みる。
「迷子なら警察へ行ってください。須賀っていう警部はずいぶんとキレる方です。君が帰る場所くらいすぐに見つけてくれるでしょう。ご紹介しますよ」
「そうなると、これまでのことを全部話さなきゃならないけどいい?」
ヒューマノイドがニヤリとほほ笑んだ。そんな脅しに屈するほど弱くはない。
「脅しているつもりですか? そんなものなんの脅しにもなりませんよ」
「組織のやり取りを盗み見てたこととか、善良そうな男性を脅してここまで乗せてきたこととか、全部話しちゃいますよ?」
こちらを追い詰めているつもりらしいが、こちらはまったく痛くも痒くもない。
「盗み見ていたことを話されても、私が窮地に陥ることはありませんよ。困るのはその組織の方なのでは? それに、男性の善意でここまで乗せてきていただいただけですよ。私には何の後ろめたさもありません。それより、頭をぶち抜かれて自分のやるべきことも、帰る場所も分からないイカれたロボットの言う事なんて、信憑性もなければ証拠としての価値は米粒ひとつもありません。取り付く島もない。誰も聞く耳を持ちませんよ」
好きなだけほざいてろ、と言い捨ててやりたいところだが、それはさすがに飲み込んだ。
すると、今度は趣向を変えてきた。
「僕、きっとあなたの役に立つと思うよ。探偵さん」
「いや、君にはムリですよ」
「どうして?」
「印象に残りやすい容姿だからです。男の私がみても君は魅惑的で一度見たら忘れられないほどの顔立ちです。相手の記憶に残ってしまうのは探偵としては致命的なんですよ」
殺し屋としても致命的。
周囲と同化し目立たない存在になるスキルは必須だ。
だから、こんなにも目をひくヤツとは一緒にいたくない。
「あなただって背も高いしカッコいいのに、どうしてあなたは良くて僕はダメなの?」
思いがけず容姿を褒められ心が浮きたつ。
が、煽てられて調子に乗るほど単純ではない。
確かに、哺乳類と会話できるというスキルは捨てがたい。
きっと、今よりも断然仕事が捗るし、収入アップも夢じゃない。
だが、何が哀しくて自分の命を狙うヤツと一緒に居なきゃならん。
リスクの方が大きすぎる。
「仕事はひとりでやるのが私のスタンスなんです」
「客としてならどう?」
また、厄介なことを言い出した…………いや、そうでもないか。
「なるほど……君が帰る場所を見つければいいんですね?」
「うん」
「それならいい方法があります」
ポケットからスマホを取り出した。
だが画面が真っ暗なまま動かないスマホをみて、思わず舌打ちする。
充電切れしていたことを思い出す。
まあ、あいつのことだから電話したところで出るとも限らん。
行くのが手っ取り早いだろう。
俺は行き先を変更した。
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