エスカレーター・パニック

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俺は地下鉄のホームをふらつきながら歩いていた。飲み会の帰り道、全身にアルコールが巡り、頭はふわふわとしていた。気分が良いまま、改札フロアに行くための上りエスカレーターに乗る。その時、キュルキュルと、高い音が聞こえた。その瞬間、俺の胸の中に、不安が膨らんでいった。 このような高音が聞こえるということは、エスカレーターが何かしらいつもと違う状況であることが考えられる。一番に思い浮かんだのは、踏板の隙間に何かが入り込んだのではないかということだ。落ち葉やチラシなど、細い物が隙間に入れば、踏板が接触する度に音がするだろう。しかし、踏板との接触音であれば、連続的な音ではなく、間欠音がするのではないだろうか。ということは、隙間に何か挟まっているということは考えにくい。となると、内部の駆動装置に異常をきたしている可能性がある。エスカレーターの踏板は、そこに取り付けられた前輪と後輪がチェーンの駆動によって動かされている。もしかしたらチェーンの駆動部分に、傷が入っているか、もしくは異物が入っているのかもしれない。しかしながら、チェーンの異常である可能性も、ほぼないと考えられる。先ほどの踏板と同じ理由で、もしもチェーンの異常であれば、間欠音となるはずだ。そうであるならば、原因として考えられるのは一つしかない。それは、電動機だ。その考えにいたった瞬間、俺の胸の中の不安はさらに大きくなった。電動機は一分間あたり、千回転を超えるような回転数だ。おそらく、他の多くの電動機がそうであるように、エスカレーターの電動機も『かご型三相誘導電動機』であることに疑いはない。そうであるならば、この高音の正体について、いくつもの要因が考えられる。可能性として高いのは、玉軸受の異常ではないだろうか。玉軸受は、おそらくこういった一般人が使用する機械であれば、グリス注入型が用いられているだろう。ということは、長期間の使用によるグリスの漏洩が考えられる。玉軸受の交換については、機械の整備を行う者であれば、最も基本的な整備事項であるし、整備士の怠慢であるとしか思えない。そして、もう一つの可能性が頭に浮かび、俺はぞっとする。そう、固定子と回転子の接触だ。千回転を超える回転数の回転子が、固定子に接触することがいかに恐ろしいことか、想像に難くないだろう。今は異音がしているだけで済んでいるかもしれないが、もしも接触部分が多くなれば、途端に焼き付きを起こし、事故になる可能性があるということは否めない。俺はさらに、おぞましい想像をしてしまう。それは、過電流による火災の発生だ。電動機の異常により、負荷が上がれば、過大な電流が発生する。もちろん電気回路に過電流継電器を設置されているだろうが、もしも継電器の作動不良、もしくは継電器の作動が遅れたら、それは火災事故へとつながる。こんな異音を放置していることを考えれば、整備士が電気回路の点検も怠っていることが考えられる。つまりは、継電器の不良だって十分にあり得ることだ。電動機の細い電線に、とてつもない電流が発生し、瞬く間に高温となり、電動機から炎が発生する。エスカレーター事故において、絶対に起こってはいけない事故だろう。そこで俺は大事なことを思い出した。それは、電動機がエスカレーターの上部についているのか、エスカレーターの下部についているのかで、事の重大さが大きく変わるということだ。下部についているのであれば、もし火災が起きたとしても、上のフロアへと逃げれば良いだろう。しかし、もしも上部についているのであれば、とんでもないことになる。電動機から炎が発生した時、おそらく安全装置が働き、エスカレーターは止まるはずだ。けれども、その安全装置すら作動不良を起こせば、エスカレーターは動き続ける。つまりは、エスカレーターが、炎の元へと人間を送り込む悪魔の装置となるのだ。エスカレーターが上向きに動いている中、逆方向へと向かうのは至難の業だ。きっと、炎が発生すれば、かなりの動揺が予想されるだろう。焦って転んでしまえば、もうお終いだ。そのままエスカレーターは、俺の体を炎の元に送りこまれ、俺は地獄の業火に焼かれるのだ。恐ろしい想像から生まれた恐怖心が、俺の全身を支配し、今にも叫びだしたくなった。 エスカレーターは、何事もなく、俺の体を上のフロアへと送り届けてくれた。想像したような火災事故なんて起きなかった。俺は安堵の息をつく。俺の想像が杞憂に終わり、ホッとする。緊張がとけた瞬間に、急速に尿意が襲ってきた。そういえば、飲み会が終わってからトイレに行ってない。俺の膀胱が早くしろと訴えていた。この駅は、トイレは下のフロアにしかない。俺は引き返し、下りのエスカレーターに乗り込む。その時、キュルキュルと、高い音が聞こえた。その瞬間、俺の胸の中に、不安が膨らんでいった。このような高音が聞こえるということは……。
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