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「マジで西村出禁にしてほしい」
一仕事を終えて事務所に戻ると、開口一番に俺は店長へと吐き出した。煙草を咥えていた店長は細長い楕円形の眼鏡の弦を指先で上げてから、
「なんでなんで」
と軽い調子で問うてくる。
「あの人、自分の自慢話ばっかして時間押しまくった挙句、俺の話し聞いて楽しかったでしょ。それは時間外じゃない? とか自信満々に言いやがったんだよ。ばっかじゃねーの!」
勿論、次があるから駄目だと断り押し切ったが、粘り強く食い下がられた挙句、不満気に「もう指名してあげないから」とぼそりと呟いた。帰り際、ホテルを出る間際の事だった。俺としては別に氏名の一本が減ったところで、痛くも痒くもない。面倒臭い客が一人減る方が、逆に嬉しいくらいだ。
ただ、それも分かってない驕ったバカが本当に嫌いだ。それが自分よりも年上だと思うと、吐き気がする。
「女が男を馬鹿にしたり、うんざりするのわかるわー」
俺は事務所のソファーに倒れるように体重を預けると、スマホをポケットから取り出し、SNSを開いた。フォローしている同業者の風俗嬢が呟く愚痴の呟きを指先でスクロールしながら、
「全部わかる」
と、一つ一つに頷いた。
「病んでるねえ」
「病んでます。慰謝料請求したいくらい」
「あはは」
店長は年季の入った事務所の椅子をギイギイと言わせながら、パソコンを叩く。
雑居ビルの白々しい蛍光灯が灯る事務所は、店を管理する店長が一人在籍している他、従業員は皆で払っているようで、煙草の匂いが充満していて味気ない。
店長が流行りのアイドルの曲を鼻歌で歌い始めると、俺はそれを耳障りだと思いながらも、いつものことでもあると溜息を吐き出し、スマホをソファーに滑らせた。
「七時からまた指名入ってるからねー」
「もーやだー。俺は今日閉店しました」
「そういうこと言わないのー」
自分の目の前のシャッターを、両手で閉めるジェスチャーをすると、店長が指でライターを擦る音が聞こえて、ふうっという声に遅れながら、天井が薄い煙で少し霞む。
シャッターをいくら閉めても、現実は続いて行くのだとなんとなく思い知らされる嫌な煙だ。
「じゃあ西村、これから全部キャンセルで」
「それも言わないのー。あ、七時からの山田くんからの指名だよ」
――山田くん。
俺はその名前に勢いよく飛び起きると、ぐるりと店長へと向き直った。店長は俺の反応を待っていたかのように、心底意地悪い笑みをにやにやと浮かべながら、俺を見つめて、こくりと深く頷く。
「山田くん?」
「そ、山田くーん!」
「何分!」
「九十分!」
俺は時計を確認すると、急いで事務所にある簡易シャワー室へと飛び込んだ。舐め回された唾液を、急いで擦り落とさなければ! そんな強い使命感を胸に、俺はまだお湯に変わり切れてない、水のシャワーを頭から被る。ざわざわと寒さに毛穴が立ち、肌がぶつぶつと戦慄き立つ。
それでも一秒でも早く。かつ丁寧に、肌を洗って髪を乾かし、セットして準備しなければならない。
山田くんが来るから!
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