13.過去

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13.過去

「何か内密の話ですか。御者とケイを待たせておりますから、手短に――」 「まったく、せっかちな男だな。早い男は(ねや)でも嫌われるぞ? ヴォルクよ」 「…………」  従者に伴われてケイが退出すると、アステール3世は鷹揚な笑みを浮かべた。この王は……と青筋が浮かびそうになるのを我慢しながら、ヴォルクはその向かいに腰かける。 「陛下。ケイを――いえ、恵みの者をからかうのはおやめ下さい。本気にしたらどうするのですか」 「だから冗談ではないと言うのに。――ふふ、なかなか美しい女性(にょしょう)だったな」 「は? ……ええ、まあ……。服と化粧であれほど印象が変わるとは、私も驚きましたが……」  アステールに言われるまでもなく、今日のケイは美しかった。迎えに行ったヴォルクが思わず見つめてしまうほどには。  主張しすぎない若草色のドレスの上に乗った顔は、普段の倍ぐらい瞳が大きく見えた。馬車の中で伏し目がちにしていたときも本来の年齢相応の色香が漂い、「これは誰だ」と思ったぐらいだ。  さらには絞ったウエストと対比するように思いのほか豊かな胸が甘い曲線を描き、良く言えばアステール王好みの――悪く言えば男好きのする淑女に仕上がっていた。  王の言葉を否定することもできずヴォルクがうなずくと、アステールは渋面で「違う」とつぶやく。 「このたわけが。外見のことを言ったのではない。……あれが化粧の力によるものだとは余も分かっている。だいたい、この国屈指の美女を毎日見ているのに今さら女の容姿でいちいち感動するか。余が言ったのは、心映えの方だ」 「……あっ……」  王に指摘され、ヴォルクははっと口を押さえた。あとから気付いてももう遅い。耳をわずかに染めたヴォルクをアステールが鼻で笑う。  ――なんとあさましい。いつもと異なる外見にばかり気が向いていたなど。 「……ふむ。やはり、面白い時間であったな」 「ケイの話はそれほど興味深かったですか」 「それもあるが、そなたの珍しい顔がたくさん見られたからな。……なあヴォルクよ。そなた、先ほど余がケイを口説いたとき、どんな顔をして余から引きはがしたか気付いておるか? 今にも視線で殺しそうな目をしておったぞ」 「……っ。申し訳ございません。忘れてください」  あの瞬間。とにかくケイを王から引き離さねばと一瞬我を忘れた。手を強く握ってしまい、痛い思いをさせてしまった。  軽い後悔をにじませるヴォルクの声にアステールが小さく息を吐く。 「それほど気に入っているのか? ならばさっさと己がものにしてしまえばいいものを――」 「――おやめください」  からかうように告げられたアステールの言葉を、ヴォルクは鋭く遮った。これ以上この話題を続けたくなかった。 「ケイはそのような対象ではありません。ケイだって、元夫君(ふくん)に裏切られて必死に生きてきたところを異界に飛ばされ、それどころではないはず。何より私には、そんな感情を抱く資格などもう――」 「…………。セレーナか」 「……はい」  告げられた女の名にヴォルクは陰鬱にうなずいた。アステールは深く重いため息をつくと、虚空に向けてつぶやいた。 「もう10年だ。次の道に進んでも恨みはすまいと思うがな……」  一方ケイは、従者に送られて入った控えの部屋で意外な人物と再会していた。 「あれっ、オルニス!? え、なんで?」 「お久しぶりっすー。……って、化粧濃っ! 化けましたね~」  部屋で待っていたのはヴォルクの副官のオルニスだった。約一か月ぶりに会う彼は相変わらずひょうひょうとしてチャラい。  ドレスアップしたケイを見るなり爆笑され、ケイは両頬を押さえた。 「やっぱり濃いよね? もう『壁に塗りたくられてる』感がすごくて……早く落としたい」 「壁って。あはは。……いや、全身で見ると馴染んでますよ? 顔だけ見ると元を知ってるのもあって違和感すけど」 「そっか……。ヴォルクさんもたぶんそう思っただろうな……。ババアが無理すんなとか思われてないかな」 「ないない。そんな自虐しなくても」  つくづく慣れない格好はするものではない。ケイがため息を吐くと、オルニスはまぁまぁとなだめる。 「でもなんでお城にオルニスが?」 「ちょうど王宮で警備の仕事してたんすよ。で、将軍のとこの御者を見かけたんで。前からよく知ってる奴だったんで、ケイさんも来てるし頼んで変わってもらったんす」 「そうなんだ。久しぶりだね」 「うす。将軍に少しは話聞いてますけど、生活どうっすか?」 「ぼちぼちだよ。少なくとも星読みの館にいたときの100倍はマシかな。……あ、今度奥さんにお礼させてもらえない? 前におもちゃとか選んでいただいたし」 「いや、いいっすよ、礼なんて。でもそうっすね、良かったら今度うちに遊びに来ますか? 息子もいるし、ココちゃんと遊ぶと思います」 「本当? いいね、行く!」  軽い会話の応酬にケイはほっと気が緩んだ。先ほどは口にできなかった極上の茶菓子をつまみ、茶で喉を潤す。  そうして人心地着いた頃、オルニスが切り出した。 「国王陛下、どうでした? ケイさん緊張しなかったっすか?」 「あ、うん。気さくでいい方だった。緊張は……ええと、最初はしたけど大丈夫だった」  王に会う前はとてもしていた。が、それをヴォルクがほぐしてくれた。  その光景が今さらながら思い出されて、ケイはぽっと頬を染める。 (ヴォルクさんの手、大きくてあったかかったな……。……いやいや、勘違いするな)  親切心でしてくれたことに邪な想いを持ってはいけない。目をぎゅっとつぶって妙な思考をかき消すと、オルニスは扉を振り返る。 「それにしても将軍、遅いっすね。いったん侯爵邸に戻るんだし、あんまり遅くなるとココちゃんも心配すんのに……」 「そうだね……」  窓を見るとすでに夕刻に差し掛かっていた。これからまた侯爵邸でドレスを脱いだりなんだりで、寮に帰り着くのは何時になることだろう。明日も休日で良かった。  ココも侯爵邸の人たちの世話になってしまって、仕方ないとはいえ申し訳ない。 「あのさ……今さらなんだけど、私、ヴォルクさんの奥様に挨拶とかしなくていいのかな。このドレスもきっと奥様のでしょ? そもそも、よく分からない外部の女を旦那さんが世話したり、家に出入りしたりされるの嫌じゃないかな…?」 「え……。ケイさん、知らなかったんすか?」 「え?」  先ほどのようにエスコートをしたり手を握ったりなどを、既婚の男性がするのは誤解を招く行動ではないのか。自身への歯止めの意味も込めて問いかけると、オルニスは意外そうに瞬いた。 「将軍、奥さんいないっすよ。……あー、正確には今は(・・)。10年ぐらい前に死別されてます」 「…………。うそ……」  衝撃的な言葉にケイは目を見開いた。10年前というと、相手も確実に20代だろう。下手したら10代かもしれない。 「え……病気?」 「すんません、オレも詳しくは聞いてなくて。まあだいぶ昔の話なんで、今さら聞くのも野暮ですし」 「そっか……」  ケイはばくばくと心臓が鳴るのを自覚した。  決して喜びではない。むしろ逆だった。……ヴォルクには忘れられない人がいる。もうどうしたって届かないところに。  その事実に奇妙に胸が苦しくなった。 「まあそれからずっとお一人で、浮いた噂も聞かないっすね。……ケイさん、大丈夫っすか?」 「う、うん。……どうしよう。私、地雷踏んだりしてなかったかな。私やココの世話するの、大丈夫だったかな」 「ジライ? ……いや、大丈夫じゃないっすか。最初に関わり出したの将軍からだし。嫌だったら星読みの館に預けてそのままほっとけば良かったじゃないすか。責任感ある方ですけど、いやいや慈善事業するような方でもないっすよ」 「そう……?」 「はい。それに、ケイさんとココちゃんへの贈り物考えてる時の将軍、なんか嬉しそうだったし。二人に苦手意識があるとかは絶対ないっす。オレが保証します」  ドン、と胸を叩いてオルニスが力説する。ケイがそれにつられて小さく笑うと、扉が静かにノックされた。 「ケイ、待たせた。……オルニス、勝手に仕事を切り上げるな。変わりなかったか?」 「はいーっす。もう待ちすぎて、ケイさんが茶菓子全部食べちゃいました」 「オルニス! そういうことは言わなくていいから……!」  うっかり食べすぎてしまった空の皿を前にして、ケイは別の意味で顔を覆った。
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