18.別邸

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18.別邸

 ヴォルクに返答をしてから二日後。慌ただしく侯爵邸の使用人部屋に引っ越したケイは、敷地内にある別邸での勤務初日を迎えていた。  なんとか歩けるようになった侍女頭のレダに、仕事内容とその対象者について教えてもらう。  ヴォルクの伯母はフィアルカといい、父方の姉だそうだ。嫁いで侯爵家を出ていたが、10年以上前に夫に先立たれ、その後自身も病に倒れたため実家へと戻ってきた形になる。  一人娘を産んだが幼くしてその子を亡くし、その後は子に恵まれなかったためヴォルクの他に身寄りはない。ヴォルク自身もすでに実の両親は亡く、広大な敷地内の本邸と別邸でそれぞれ生活を営んでいた。 「旦那様のご両親――先代の侯爵ご夫妻は多忙な方で、フィアルカ様がよく旦那様の面倒を見てくださっていたのです。お嬢様を亡くされたフィアルカ様にとって、旦那様はたいそう可愛かったようで……旦那様もよく懐かれておりました。ご成長されてからは、甥御様の負担になってはならないと一定の距離を置かれていましたが」 「そうなんですね……」  幼い娘を亡くしたと聞き、ケイは痛ましい気持ちになった。この世界ではよくあることなのかもしれないが、その後のヴォルクとの触れ合いがどれほど心の癒しとなったかはなんとなく想像できる。  ……これは、のめり込みすぎないよういつも以上に自制しなければいけないかもしれない。そんなことを考えていると、ドアが開きヴォルクが姿を現した。 「ヴォルクさ――侯爵様。おはようございます」 「あらまあ旦那様。そろそろお出かけになる時間では?」 「いや、今日が初日だったと思ってな。ケイ、ラスタ、世話になる。無理せずよろしく頼む」  ケイが呼び名を言い直すと、ヴォルクは少し眉を寄せた後いつもの表情に戻って告げた。城へ出かける前に時間を作って来てくれたようで、ケイとラスタはさっそくフィアルカに対面することになった。  ヴォルクについて1階を進むと、奥まった部屋の扉の前に立つ。以前ドレスに着替えたときは2階に上がったからここまでは来なかった。ノックをするとヴォルクが扉を押し開けた。 「伯母上、おはようございます。今日から身の回りの世話をしてもらう新しい使用人二人です」 「…………」  ヴォルクの体格からは想像できないほど、小柄な老女――フィアルカはベッドの上にいた。布団に背中を支えられて上半身を起こしている。  真っ白な髪は他の使用人が梳いたのか一つに結われ、食事も済んだのか顔が綺麗に拭われていた。だがその開いた瞳には、生気がない。 「はじめまして、ラスタです」 「同じくケイです。よろしくお願いします」 「…………」  緊張しながら近付いて挨拶をするも、こちらを見てはくれるが返答がない。ヴォルクが困ったように肩をすくめ、ケイはラスタと目配せし合った。 (なるほど、こういう感じか……。これはこれでとっかかりが難しいな)  もっと分かりやすく、認知症で落ち着かないとか話が通じないとか、逆にまったくコミュニケーションが取れないのであればある程度はノウハウがある。  フィアルカのように、意識はあるが意思疎通が難しいケースは相手の意思をくみ取るのが難しく、信頼関係を築くのに時間を要するかもしれない。  ケイとラスタはフィアルカに視線を合わせるように腰を落とすと、体が不自由な彼女からよく見えるよう顔を近づけた。 「ラスタ、とケイです。聞こえます?」 「……ラ、ラ……スター、ケー。……おおいう」 「そうそう! ありがとうございます」  ラスタがゆっくりもう一度自己紹介すると、無表情のままではあるが今度は返答が返ってきた。かすれている上に歪んで聞き取りづらくはあるが、名前を呼んで『よろしく』と言ってくれた。ケイはラスタと顔を見合わせると小さくうなずき合った。 「伯母上、すみませんが私はこれで失礼します。何かありましたら二人かレダを呼んでください」 「……オーヴ。…っえら……さい。……いお、うええ」 「……?」  時間が迫っているのだろう。ヴォルクが退出を告げるとフィアルカが不自由な口で告げた。ヴォルクがわずかに戸惑ったのを察し、ケイは助け船を出す。 「あの、たぶん……『いってらっしゃい、気を付けて』と」 「……っ。あ、ありがとうございます。行ってまいります」  見送りの言葉を掛けられたとは思わなかったのだろう。ヴォルクがはっとしたようにフィアルカを見つめ、うなずく。  扉の所までケイが送ると、ヴォルクは小声でケイにつぶやいた。 「……ありがとう。よろしく頼む。また夜に、詳細を教えてくれ」  それからレダや他の侍女より申し送りを受けつつ午前中の仕事を終わらせ、ケイとラスタは昼休みに入った。これからは交互に取ることになるだろうが、今日は特別だ。  使用人用の食堂がある本邸まで歩きながら、ラスタが伸びをする。 「これからしばらくは、侯爵邸のご飯が食べられるわねえ。さてどんなものが出てくることやら」 「私は朝も夜も食べてるけど、結構普通だよ。あ、パンはすごく美味しかったな。まあ味はともかく、作ってもらえるだけで助かるよ」 「そーね。養老院で働いてる時より走り回ることは少なさそうだから、太らないようにしないとだけど」  ケイはラスタやレダと相談して、勤務体制を振り分けた。  二人分の介助が必要なときは揃って仕事に入るが、そうでないときは余った一人は別邸内とその周りの雑用に当たることになった。休日は交代で取り、ケイもラスタも夜勤はできないためその時間は他の使用人に代わってもらう。  通勤時間がないのでいわゆる早番、遅番に入ることにはなったが、 介護といっても常時対象者に張り付いている必要はないため、体の負担は養老院勤務時と比べるとだいぶ減りそうだ。  あとは空いた時間にレダとラスタにこの世界の文字を教えてもらえることになり、これもケイにとっては喜ばしいことだった。 「しかしフィアルカ様、どうしようかしらね。あれだけぼんやりされてると、いきなりからおけ(・・・・)とか『あくてぃびてぃ』って感じでもないし、片手でやれることと言ったら限られるし……」 「うん……。そもそもベッドから動けないから、選択肢が少なくて。せっかく二人いるんだし、何か楽しめるようなことをしてあげられたらとは思うけど」  介護の対象者が一人なのにこちらは二人もいるとなると、頼まれはしなくともやはり何か活気づけられるようなことをやりたくなってしまう。レダからフィアルカが元気だったころの様子や趣味を教えてもらったが、そのどれもが現状では実施が難しかった。  考え込んだケイの横で、ラスタが手を叩く。 「そうだ! ねえ、こないだあんたが言ってた『あれ』作ってみない? 侯爵様ならお金もあるし、きっと材料揃えてくれるわよ。材料さえあればうちの旦那に作らせるし」 「えっ。うーん、うまくできるかな……。もうちょっと詳細思い出さないと怪我させちゃうし」 「大丈夫大丈夫、作りながら考えればいいって! 侯爵様もきっと喜ぶわよ」  ケイが話した『あるもの』について、ラスタが熱っぽく推してくる。院での勤務に比べると多少時間に余裕はあるし、検討してみる余地はあるかもしれないが――ヴォルクに頼ることへケイが迷いの姿勢を見せると、ラスタはばんばんとケイの背を叩く。 「あんたが頼めば絶対なんとかしてくれるわよ。こう、ちょっと襟を下げて色仕掛けとかしてみてさ」 「しないよ!? ちょっと、人のことなんだと思ってるの! そもそもそんなのに興味持つわけないじゃないヴォルクさんが!」 「侯爵様(・・・)、ね。……そうかしらねえ。侯爵様だって男なんだし、ちょっとクラッときたりぐらいは――」 「やめてやめて、変なこと言わないで。そんなんじゃないから……!」  ラスタが妙なことを言うせいで顔が熱くなった。もうお互いにいい歳をした母親同士なのに、少女のように盛り上がる二人を本邸の使用人たちが怪訝な目で振り返った。
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