23.車椅子

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23.車椅子

「それじゃあフィアルカ様、移りますよ。……大丈夫、怖くないです。普通の椅子と同じです」 「そうですって! フィアルカ様よりずっと重いあたしが乗っても大丈夫でしたから。もし気分悪くなったらすぐ戻りますし!」  ケイとラスタがフィアルカの介護を担当し始めてから約一か月半。その日二人は、完成したばかりの「あるもの」を持ってフィアルカの部屋を訪れていた。  それは、木でできた車椅子だった。  この世界に来て、そしてカルム養老院で働いてケイが気付いたこと。それは、この国にはまだ車椅子がないということだった。  荷車はある。もちろんベッドもある。だが、座った姿勢で移動できるものがない――というより、その必要性に誰も気が付いていないことにケイは愕然とした。  そもそも歩けなくなった老人は何年もしないうちに寿命を迎えることが多く、戦や怪我などでそうなった若者は松葉杖などで移動するため、積極的に老人を外に連れ出そうという意識が乏しいのだ。  どうしても連れ出す必要があるときは人力に頼る。ここはそういう世界だった。  ケイとて別に、『寝たきり、引きこもりをゼロに!』とか綺麗ごとを言うつもりはない。便利な物があったって使わない人は使わないし、どれだけ促してもベッドから離れたがらない人は元の世界にだっていた。  けれど現実問題として、車椅子があった方が介助者にとって身体的な負担が少ないのは事実だ。この先も仕事を続けることを考えると、このアイデアをいつか形にしておきたいとケイは早い段階から考えていた。  養老院にいるときもその必要性をヘレナ院長に説いたりしたが、時間や予算の問題もあって軌道には乗らなかった。しかしフィアルカの介護をすることになり、ラスタにも話をすると彼女はがぜん興味をもってくれて、運よくラスタの夫が木工職人だったこともあり、とんとん拍子で話が進んだ。  それに加えて、何より大きかったのは侯爵家の潤沢な資産と親族であるヴォルクの理解、そして軍から不要になった車輪などの材料を分けてもらえたことだ。  思っていたよりもずっと早く作業が進み、試乗を経て今日フィアルカにお披露目ができたのだった。 「……わーいー」 「怖い!? 怖くない! 背もたれもついてますし。馬車みたいなもんですよ。今日は別邸の周りを回るだけ! 椅子に座る練習もずっとしてきましたし、ねっ、乗ってみましょ?」  見たことのない車輪付きの椅子に困惑するフィアルカをラスタが盛り立てる。  こういうとき、ラスタの明るさといい意味での強引さは救いになる。フィアルカがしぶしぶうなずくと、ケイはラスタと顔を見合わせた。  椅子に移る要領でフィアルカを車椅子に乗せると、固くなった関節が当たらないようにクッションで姿勢を調整する。  元の世界で見てきた車椅子の造りをできるだけ思い出して再現してもらったが、さすがにゴムタイヤは実装できなかった。木と鉄でできた車輪では衝撃がダイレクトに伝わるため、厚手のクッションを座面と背もたれに敷いて乗り心地の向上を図っている。 「じゃあゆっくり動かしますね」 「……わぁ……」  車椅子で後ろから人に押されるのは、実は結構怖い。初めてならなおさらだ。ことさらゆっくり押すと、フィアルカが恐怖ではなく感嘆の声を上げた。室内ではあるが視界が変わり、刺激になるのだろう。  窓辺まで押していって外を見せると、吹き込む風にフィアルカは目を閉じた。しばらくすると、ぽつりとつぶやく。 「そーとー。……いき、あい」 「……! はい、行きましょう!」  今日に備えてもう何日も椅子に座る練習をしてきたので、体調も大丈夫そうだ。  別邸から庭に出るには何段か段差があるが、小さいところには簡単なスロープを作った。大きな段差は、仕方ないのでラスタともう一人の使用人と共に車椅子ごとフィアルカを持ち上げる。 「すみません、少し揺れまーす。……よい、しょっと!」 (やっぱり木のタイヤだと押すのも重いな……。ゴムタイヤってすごいんだなー。誰か発明してくれないかな)  少々苦労して庭に出ると、ゆっくりと別邸の周りを散歩した。その中で、花壇の前まで来るとフィアルカがそこに止まるよう伝える。風に揺れる色とりどりの花々を共に眺めていると、ふいにフィアルカがうめいた。 「……う……。うぅーっ……」 「……フィアルカ様? 大丈夫ですか!? ご気分悪いですか?」 「うーっ。ちーあーうー……」  片手を上げてフィアルカが目元を拭っている。顔をくしゃくしゃにした彼女は制御が利かなくなったように涙をぬぐい、しばらくの間しゃくり上げ続けた。  脳を患ったり、認知症になったりすると感情の制御が利かなくなることがある。フィアルカの肩をさすったり涙を拭いたりしてケイとラスタが落ち着くのを待っていると、フィアルカは鼻をすすって唇をゆっくりと笑ませた。 「はな……き、きれーね。ラ…スター、ケー……あーりーあーと」 「――と、そんなご様子で。体調も大丈夫で、結局30分ぐらいお散歩できました」 「そうか……。不在で立ち会えなくてすまぬな。伯母も嬉しかったのだろうな。そなたたちには本当に感謝している」 「いえいえ、ヴォルクさんの協力あってこそですから。完成して良かったです」  その夜。ケイは定例のヴォルクへの報告を本邸の書斎で行った。  今日も今日とて帰りが遅かったヴォルクは、少し疲れた顔をしながらもケイの話に熱心に聞き入ってくれた。  ヴォルクと顔を合わせるのはあの馬に乗せてもらった休日以来だ。あの日の高揚がよみがえって緊張してしまうのではないかと思ったが、フィアルカが車椅子に乗った報告の方に熱が入って、結局いつものように話していた。 「最初に概要を聞いたときはどんなものかと思ったが、実際に目で見てそなたが車椅子(あれ)を作りたかった理由が分かった。……そなたの世界には便利なものがあるのだな。もちろん、まだ改良の余地はあるのだろう?」 「そうですね。ブレーキ……えーと停止装置とかもつけたいですし、これ、車輪の外側にもう一つ円盤を付けると自分で漕ぐこともできるんですよ。この車輪だとちょっと重いかもですけど」 「ほう。となると、若くして足が不自由な者が自分で移動できる可能性もあるということだな。……面白いな。軍の方で開発を進めてもらうか……」 「え、そんなことできるんですか?」 「10年前の侵攻や、もっと昔の他国との戦などで足が不自由になった元軍人も結構多いからな。彼らのためにもなると言えば、国も予算を割くだろう」 「あー。元の世界でも、義足の発達は戦争での怪我が発端だってそういえば聞いたような……」  いくら侯爵家とはいえ個人でできることには限りがあるが、国や軍など大きな組織が絡んでくれば飛躍的に開発が進むかもしれない。  ケイにできたのはその種をまくことだけだったが、あと10年、20年したらこの国の養老院や病院の姿は少し変わっているのかもしれない。そんな想像をしてケイは小さく笑った。 「……嬉しそうだな」 「んー、そうですね。専門知識も何もない私が『恵みの者』って呼ばれるの、完全に名前負けで申し訳なかったんですけど、何か一つでも役に立てたなら良かったなと思って」  ケイの言葉にヴォルクは小さく目を見開いた。まじまじとケイを見つめると、ゆっくりと首を振る。 「何を今さら。……そなたは十分に『恵みの者』だ」 「え? いやいや、そんな大層なことは――」  本心から謙遜すると、ヴォルクは何か口を開きかけたが黙って苦笑した。目を閉じると、この時間の終わりを告げるように姿勢を正す。 「さてもう遅い。明日もあるし、そろそろ――」 「あの! ……ヴォルクさん、また目がお疲れじゃないですか?」 「……?」  話を切り上げられそうになり、ケイは慌ててそれを遮った。訝しげな視線を向けたヴォルクに、ケイはポケットからある秘密兵器を取り出す。 「ふふふ……じゃーん! 今日はこれ持ってきたんですけど、少し試してみませんか?」 「……なんだ、それは」 「ツボ押しマッサー君です! ラスタの旦那さんに頼んで作ってもらいました」  ケイが取り出したのは、小さなオカリナのような形をした三角形の木の塊だった。手のひらにおさまるサイズのそれをにぎにぎと握ってみせる。 「まっさー…くん?」 「はい。マッサージの道具です。私の指だと握力が弱くて、効果がいまいちかなって。ヴォルクさんほら筋肉が厚いから、こういうものがあったほうがよりほぐせるかと思って」  ケイがぐりぐりと自分の首筋を押してみると、ヴォルクは怪訝な顔でケイとツボ押しマッサー君を見比べた。 「それは元からそういう名前なのか?」 「いえ、私が名付けました。呼びやすいんで」  ケイが真面目に答えると、ヴォルクがごふっと噴き出した。それを取り繕うように咳払いすると、ケイからマッサー君を受け取る。 「……このためにわざわざ作ってもらったのか?」 「あー。いえ、実は私も肩こり持ちで。すみません、私が使いたくて作ってもらったんです。あちこち押すと気持ちいいんですよ」  半分以上は自分のためであることをへらりと白状すると、ヴォルクは小さく苦笑した。ケイに木の塊を返すと背中を向ける。 「そうまで言うなら、頼もう。そなたが疲れない程度にな」 「はい……!」  先日のようにヴォルクの背後に回り込むと、首筋の凝っている部分を探してケイは指を滑らせた。ヴォルクが反応するところを見つけると、そこに慎重に木の突起を押し付ける。すると、くぐもった低い息がヴォルクの口から漏れた。 「んっ……」 「どうですか……?」 「少し、強いな……」 「わっ、すみません……! 人にやると結構難しいな……」  指と違って圧が一点に集中するからか、うまく押し込まないとヴォルクの首筋で滑ってしまう。それを防ぐために反対の手で彼の肩を掴むと、やっといい感じに固定できた。肩を押さえる位置をずらしながら、痛みが出ないように圧をかけていく。    一方ヴォルクは、木で押される首筋よりも肩から伝わるケイの手のひらの熱の方に意識が向いてしまっていた。先日のように無自覚に触れてくるのに邪念を感じそうになるのを息を吐くことで追い出し、眉を緩めて無心になるよう努める。  目を閉じてリラックスしはじめたヴォルクを見下ろし、ケイは静かに問いかけた。 「そういえば、フィアルカ様ってお花お好きですか? 花壇の前に行ったら表情が違ったので……。まあ嫌いな方はあまりいないとは思いますが」 「ああ……そうだな。元気な頃は自ら世話をしていたようだ。嫁ぐ前に、侯爵邸(ここ)にいくつも花や木を植えたと聞いている。別邸の花壇も、もしかしたらその一つだったかもしれんな」 「なるほど……。あと今日、最後に『あーえーん』に行きたいとおっしゃってて。どこか分かります?」 「あーえーん?」 「『ああえん』……いや、『あわえん』かも。すみません、レダさんがいなくて私もラスタも聞き取れなかったので曖昧ですが……」 「…………」  フィアルカの口調をまねて伝えると、ヴォルクは思案するように唇を動かした。何度か繰り返すと、ゆっくりと振り返る。 「……薔薇園かもしれぬ。伯母が昔、祖父に頼んで造ってもらったと聞いた。庭の一番奥にある」 「あっ、きっとそれです! 薔薇園……薔薇園かー。今の時期って咲いてます?」 「温室だから何かしらは咲いているはずだ。今はグラースが管理しているから今度聞いてみよう」 「はい、ありがとうございます! ちょっと遠くなんですね。もう少し車椅子に座っていられるようになったら連れて行ってさしあげたいです」  謎が一つ解けた。ちょうどヴォルクの首筋も両側を押し終えて、ケイは一歩下がった。ヴォルクが首を回すのを見ながら効果のほどを問う。 「どうでした? マッサー君」 「……楽になった。が、……指のほうが良いな」 「あはは。実は私もそう思いました。自分相手だと好きに圧を調整できるんですけど、人にやると意外に勝手が難しくて……。指のほうが結局分かりやすかったですね」 「うむ……」  ヴォルクが微妙に視線を逸らしたのには気付かず、ケイはマッサー君をしまうとヴォルクの正面に立った。 「それじゃ、失礼します。無理しないでくださいね。おやすみなさい」 「ああ。遅くまでご苦労」  想定していた時刻を大幅に過ぎ、ケイが退出していく。  扉が閉まり、その足音も聞こえなくなった頃。ヴォルクは背もたれに寄りかかるともう一度目を閉じた。    ……直接触れてほしいなどと、どの口が言えるのか。木の塊から与えられる圧よりも、ケイ自身の体温に心地よさを感じていたなど。 「不埒者め……」
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