30.発破

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30.発破

 同日、同時刻。ヴォルクもまた、王宮にてアステール王と対峙していた。 「急な不在、失礼しました。おかげさまで滞りなく埋葬が済みました」 「うむ。……ケイの来訪には驚いたな。髪を乱し、必死になって実に()いものだった。この城であのような女に()うたのは初めてだ。また話をしに来いと伝えよ」 「……は」  茶色の目を細め、机の向こうの王が楽しげに唇を笑ませる。それに硬い声で答えると、アステールはふいと顔を上げた。 「そういえば、そなたたちのことが噂になっているのは知っているか? 銀獅子将軍が、眉目秀麗で慈しみ深い『恵みの者』を囲っていると」 「……尾ひれが付いていますが、小耳には。どうせすぐに消える噂です。関わらず、放っておりますが」 「あえて否定はせぬのか。……他の者たちへの牽制か? 謎に包まれた『恵みの者』の姿を拝もうと、若い奴らが色めき立っていることへの。一日にして、まるで聖女のような(あが)めようだ」 「…………」  ヴォルクははっきりと眉を歪めた。それを面白そうに見やり、アステールはいくつもの指輪を付けた手を組み直した。 「そうそう、ヴォルクよ。余は王宮に、新しい侍女を迎えようと思ってな」 「は……? まさか、また市井の女を誰かお手付きにしたのですか? 王妃様方の争いが激しくなるばかりですから、それはお控えくださいとあれほど――!」 「早とちりするな。母付きの侍女として迎え入れようというだけだ」  女好きの悪癖を持つ王に苦言を呈すると、アステールは手を振って否定した。だが、なぜ今さら王大后に新しい侍女など据えるのか。 「母も歳を取ったゆえ、体に不安を感じるようになってきたようでな……。そういったことに詳しい者を付けてやりたいのだ」 「はあ。あの王大后様が……? 先日お見かけした時も、かくしゃくとされていたようでしたが。とてもお世話が必要なようには――」  オケアノスの前王妃、そしてアステールの生母であるロディア王大后は、妃同士の熾烈な争いを勝ち抜いただけあって美しく、そして心身ともに頑健な女傑だった。同年代の女人よりはよほど若く見える。  ヴォルクが内心で首を傾げると、察したようにアステールも微笑する。 「殺しても死にそうにない……か?」  ヴォルクがあえて口にしなかった、まことしやかにささやかれる王大后への評をその息子に告げられると、是とも否とも言えずヴォルクは沈黙する。 「……まあ、母付きにするというのは半分口実だ。侍女として入れて、ゆくゆくは第5夫人にしようかと思ってな。母の世話をして信頼を得ているとなれば、他の后からの反発も少なかろう? そうでなくとも、神秘的な『恵みの者』の肩書き付きだ。余が招かずとも、母の手駒として送り込まれるかもしれぬな」 「な――。まさか……」 「そう、そのまさかよ」  予想もしなかった一言にヴォルクは目を剥いた。王を見下ろすと、アステールは涼しい顔で微笑する。 「ご冗談……ですよね?」 「さあ、どうであろうな」 「馬鹿な……! ケイは子持ちですよ!? この世界の生まれでもないのに、側妃になど……っ」 「それがどうした? 子がいる女と王が婚姻してはならぬなどという下らぬ法はないぞ。……異界の生まれ、結構ではないか。余の治世にも箔が付く」  ヴォルクは奥歯をぎり…と噛み締めた。不敬とは分かっていたが、王の目前の机に手をつくと噛みつくように訴えた。 「ケイは政治(まつりごと)の道具ではない!」 「そうだな。だが、このまま野放しにしておけば余が囲わずともそうなる可能性もありえる。まだ誰のものでもないからな」 「……っ!」  お前のものでもない――そう強調されたようで、ヴォルクは顔を歪めた。畳みかけるようにアステールは続ける。 「余はな、そなたが思う以上にケイを気に入っておるぞ。……そなた、着飾らせておいて気付かなかったか? あれは男好きのするいい体をしていた。あの柔らかそうな肌に顔をうずめたら、どんな心地がするのだろうな」 「……っ! おやめください!!」  色めいた笑みと発言に頭の中が焼き切れ、ヴォルクは鋭く叫んでいた。嫌悪感に眉が歪む。  王の執務室の空気がビリビリと震える。机に手をつき息を切らした将軍を見上げ、アステールは真顔で口を開いた。 「それが本音か」 「……?」 「冗談だ」 「は……?」  アステールがゆっくりと立ち上がる。ヴォルクの横へと並んだ王は、その肩に手を置くとにやりと笑った。 「そなた今、何を思った? 余がケイを抱くところを想像して――取られたくないと思ったであろう。もしくは、余を殺したいと思ったか」 「それ、は――」 「それがそなたの本心よ。ケイのことが、愛しくてならぬのだろう? 誰にも渡したくないと、(おの)がものにしたいと心の内ではそう思っているのではないか?」 「…………」  ヴォルクは口を押さえた。アステールに煽られ、噴き出した感情。それはほのかなものではなく、男としての欲を伴った生々しいものだった。  気付かないようにしていた、押さえ込んでいた、この感情は―― 『あのね、ココがさびしいときは、ママがむぎゅーしてくれるの。ママにぎゅーされると、こころがポカポカってなるんだよ』 (ああ……そうだな、ココ。本当にそうだ……)  乾いた心に染み入るように、そっと灯された火は風を与えられ続けて大きくなり、気付かぬうちに炎へと変わっていた。    誰もが振り向く大輪の花ではないかもしれない。道端に咲く、名も知れぬ小さな花かもしれない。  それは踏まれても折れず、たくましく根を張り、やがてその優しい香りは人の心にそっと寄り添う。いつしか、それなしではいられなくなるほど―― 「この朴念仁が。……ヴォルクよ、あまり悠長にしていると他の男に取られるぞ? 己がために身を挺して駆け付けてくれるような情の深い女は、他の何を置いても大事にしてやれ」 「……陛下」 「そなたがセレーナとの関係を長年に渡り悔いていたのは分かる。異母兄として、そなたは十分異母妹(いもうと)に尽くしてくれたと思う。……だがな、もう解放されても良いのではないか? そなたがどれだけ想いを戒めようとも、先ほどの激情がそなたの本心だ。止められるものではない」  ヴォルクの胸に拳を当て、王が静かに告げる。かつての義兄(あに)は、椅子へと再び戻るととっておきのような笑みでヴォルクを見上げた。 「それにしても、先ほどのそなたの顔は見ものであった。宮廷画家に描かせてケイに見せてやりたい」 「……っ! ……おやめください」 「はは、銀獅子将軍が赤くなったぞ。明日は雪だな」  さも面白げに笑う主君の前で、ヴォルクは片手で口元を押さえた。
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