41.異世界の門

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41.異世界の門

 夕暮れを迎えた丘で、風が優しく通り抜けた。ケイとヴォルクは体を離すと互いに照れ臭く笑い合う。  地面に置いていた荷物をケイが拾い上げると、ヴォルクは北の砦を眺めてからケイに視線を戻した。 「そなた、先ほど大神官様から今日の詳細は聞いていないと言ったな。ではなぜ、今日あの時あの場にいたのだ?」 「え? ……あー。これを買いに来たんです」 「これ? ……飴?」  ケイが荷物から、色鮮やかな紙袋を出した。中を除くと包み紙に彩られた飴がたくさん入っている。それから他の菓子も。  その包み紙にどこか既視感を覚えてヴォルクは目を見開いた。 「それは――」 「あ、分かりました? ヴォルクさんが持ってた飴のお店です。これ高いんですねー。びっくりしました」 「いや、だがその店は確か王宮の近くに……。こんな場所では売っていないはずだが」 「ですよね。前からココが『おじちゃんの飴が食べたい』って言ってて、実は私も気になってて……。ラスタにも話をしてたんです。そしたら今日になって急に、北の砦に出店が出るから行って来いって」 「ラスタが……?」  急に飛び出した第三者の名前にヴォルクは眉をひそめた。ケイはうなずくと、紙袋を見下ろして苦笑する。 「はい。お金持たされてお使いを頼まれて……子連れで馬車に乗るのは大変だろうって、ココまで預かられちゃったんです。本店以外では買えないとはいえ、どんだけ食べたかったんですかね。自分で行けばいいのに」 「…………。ラスタは、大神官様からの手紙を一緒に読んだか?」 「はい……ちょうど一緒にいたので。でも私と同じで、今日のことは詳しく知らないですよ?」  ラスタがアデリカルナアドルカに直接話を聞きに行くとは思えない。庶民がそう簡単に会える相手ではない。  だとすれば、誰が情報を―― 「あ……。オルニスか……? あいつまさか、聞き耳を立てて――!」 「えっ、オルニス?」  そういえば今日、妙に準備が良かった。ヴォルクしか知らないはずの話を、あれほど早く呑みこんだのはなぜだ。思い返せば、一昨日から少し落ち着きのない様子だった。 (オルニスがラスタに詳細を伝えたか……? いや、たぶん逆だ。ラスタからオルニスに連絡を取ったか)  ラスタの行動力ならやりかねない。二人でこの計画を画策するところが目に浮かぶようだ。 (だが、ケイと私を呼び出す手段として店まで使うとは……。……店?)  今日を狙って、そんなに都合よくケイが興味のある出店が出るものだろうか。こんな不便な場所で、採算も取れそうにないのに。よほどの財力でもあれば、招くことはできるだろうが―― 「……! まさか……ソコルもか…?」 「え……?」  ケイは首を傾げ、何がなんだか分からないという顔をしている。ヴォルクは自分の中で導いた仮説がおそらく合っていることを確信しながら、顔を伏せた。 「ふ……。く、く……。我々は、いや、私はまんまと踊らされたというわけか……」 「えっ? あの、全然分からないんですが……。どうし――、んぐ」  ヴォルクはケイの紙袋をあさると、飴を一つ掴んで包み紙を剥き、ケイの唇に押し込んだ。突然の行動にケイは目を白黒させながらも口をもごもごと動かす。 「……美味いか」 「は、はい。ジューシーで高級な味がします。……うん、これはココが欲しがるのも分かります」 「そうか。……では私も、一粒いただこう」 「はい。どうぞ――、……んむっ!?」  紙袋を差し出したケイを制し、顎を掴むとヴォルクはその唇を奪った。舌をねじ込むと小さな飴玉をかすめ取る。口中で転がすと、甘い果実の味がした。 「……たしかに美味いな」 「…!!」  笑いかけると、ケイは真っ赤になってヴォルクの胸をドンドンと叩く。その瞬間、北の砦の上空がカッと光って地響きが鳴った。ケイがはっと振り返る。 「な、なんでしょう。雷……!?」  しばらくすると、何事もなかったかのように空は平静を取り戻す。ヴォルクはケイを抱きしめると首を振った。  異世界への門が開き、そして閉じる音だった。  ヴォルクの馬に乗せてもらい、二人はゆっくりと王都へ戻った。  馬上で今日の顛末とヴォルクの推測を教えてもらい、ケイが唖然とすると馬は侯爵邸へと帰り着いた。本邸の前で、ソコルとレダ、そしてココが待っている。 「あ、ココ……! え、なんで?」 「ママー! オルニスちゃんがおじちゃんち、つれてきてくれた!」  ラスタに預けたはずなのに、なぜ――。というかオルニスちゃん(・・・)ってなんだ。どういう呼ばせ方を仕込まれたんだ。  ヴォルクの推測が核心をついていたことに驚きつつ二人が馬から降りると、ソコルが慇懃無礼に出迎える。 「ソコル……。そなた、(はか)ったな?」 「はて、なんのことでございましょう。侯爵家の財産に手を付けたのではないかとお疑いでしたら、否定しておきますが。長年この家に仕えておりますゆえ、老爺(ろうや)には貯えが手に余りましてな……。ちょいと、辺鄙(へんぴ)な砦に王都で流行りの菓子屋を出向かせる程度の行いはしたような、してないような……。もう歳ですからよく覚えておりません」 「屁理屈を……。こんな策略を立てる者を老爺とは呼ばん」  すっとぼけた調子でのらりくらりとかわすソコルに、ヴォルクが呆れた視線を向ける。彼はため息をつくとふっと真剣な表情に戻って告げた。 「そなたはケイとのことを反対していたのではなかったのか。距離を詰めるなと忠告してきただろう」  ケイははっとソコルを見上げた。そんなことを言われていたのか。  ソコルは無表情で首を振るとヴォルクを静かに見つめる。 「私は元より反対しておりませんよ。使用人として、節度を持って接してくださいとは申しましたが。また、ケイの――ケイ様の不安定な立場を考えて行動してくださいとも申しましたな」 「それはつまり、反対ということではないのか?」 「あ……私も、ヴォルクさんに近付かないようソコルさんに念押しされたのかと思いました」  ケイの発言にヴォルクがぎょっと振り返る。ケイはソコルに頼まれて物置部屋に荷物を置きに行ったこと、そこでヴォルクと前妻の絵を見てしまったことを告げた。 「あとから考えたら、私に見せるためだったのかな、とか――」 「そうですな。ケイ様のおっしゃる通りです」 「ソコル。そなた、そのようなことをしていたのか? なぜそんなことを――。肖像画など、とうにしまい込んだと思っていたぞ」  ソコルの肯定にヴォルクははっきりと不快感をあらわにした。ソコルは顔を上げると変わらぬ表情で口を開く。 「ケイ様の覚悟を、試したかったのです。あれで逃げるようならそれまでだと思ったので。私は旦那様の幸せを一番に考えております。ケイ様が、それでも折れずに旦那様のことを想って下さるかどうかを……確かめたかった。心配は杞憂だったようですが」 「ソコルさん……」  眼鏡の奥の目にじっと見つめられ、ケイは姿勢を正した。ソコルはうなずくと、今度はヴォルクに向き合う。 「旦那様も。不安定なお立場であるケイ様を(めと)る覚悟で親しくされているのか、試させていただきました。私に言われた程度で身を引くなら、ケイ様には余計な噂だけが残って不利益となります。栄えある侯爵家の当主がそんなクソ野郎に成り下がらぬよう、牽制をさせていただきました」 「クソ野郎……」  家令からのひどい言われように目を見開くヴォルクを見て、ケイは少し笑ってしまった。  ソコルはヴォルクだけでなく、ケイのことも考えてくれていたのだ。忠実な家令はとどめのようにヴォルクに問いかける。 「今日ここにお二人で戻ってこられたということは、覚悟は決まったのですかな?」  眼鏡の奥の目がちらりと細められ、ヴォルクが姿勢を正した。ケイの腰を抱くとソコルとレダを見つめて宣言する。 「当然だ。……ケイを妻にする。近い将来の侯爵夫人だ。丁重に接しろ」 「かしこまりました。旦那様の幸せこそ、我ら使用人一同の喜びです。もう、何も言うことはございません。……ケイ様、旦那様をよろしくお願いいたします」  再び丁寧に礼をすると、ソコルが一歩下がった。レダに至ってはケイとヴォルクを見つめて早くもはらはらと泣いている。  ヴォルクに腰を抱かれたまま、ケイは慌てて二人に頭を下げた。 「いえっ、あの、こちらこそよろしくお願いしますというか……! あの、今まで通りで全然大丈夫ですから!」 「そういうわけには――。あら?」  レダの隣で退屈そうに大人の会話を見守っていたココが、とことこと歩いてヴォルクの服の裾を掴んだ。首をいっぱいに上げてヴォルクに不満の顔を向ける。 「ずるいよー」 「え……」 (あ……まずい、ヤキモチだ。私がヴォルクさんとくっついてるから……!)  再会したと思ったらケイがヴォルクと一緒で、母を取られたと誤解したのだろう。  ケイが慌ててココを引き寄せようとすると、当のココはヴォルクに向かってまっすぐに手を伸ばす。 「ココもおじちゃんとぎゅーしたいよー! ママばっかりずるい!!」 「そっち!?」  ケイがショックを受けるとヴォルクが噴き出す。ヴォルクはしゃがみ込むとココに手を差し出した。 「おいで、ココ」 「うん! ……やったぁ!」  ヴォルクがココの脇を支え、高く抱き上げる。ケイにはもうできない高い高いを軽々されて、ココは満面の笑みを浮かべた。ヴォルクも破顔してココを抱きしめる。  今まではしなかった、踏み込めなかった近さで触れ合う二人にケイは目が潤み、レダに至っては滂沱の涙を流していた。  そうしてしばらくココを抱っこしたヴォルクは、幼子を地面に下ろすとその前でひざまずいた。先ほど、ケイに求婚をした時のように。  ココの小さな手を握ると、ヴォルクは優しく口を開いた。 「ココに頼みがある。……私の、ぷりんせすになってくれないか」 「プリンセス……? ココ、おひめさまになるの?」 「そうだ。なりたいと言っていただろう?」  ケイはいつかのヴォルクとココの会話を思い出した。あんな何気ない会話をずっと覚えていてくれたのか。  ヴォルクがうなずくと、ココはぱっと喜色を浮かべる。 「なる……! ココ、プリンセスになる!」  ココは一歩後ろに下がると、くるりと回ってワンピースの裾を持ち上げた。さながらプリンセスのように一礼すると、ヴォルクが優しくうなずく。 「ココ、プリンセスになった! だからごほうびもらう」 「ぶっ……。強欲……」  ちゃっかりおねだりするのも忘れない我が子にケイが笑うと、ヴォルクもつられて苦笑した。ベルトの小物入れを探ると飴を取り出す。 「お菓子か? 今はこれしかないが――」 「ううん。ココ、おとうさんがほしい」 「……っ」  ココがヴォルクを見つめる。無垢な瞳は、ヴォルクをまっすぐに見ていた。  ヴォルクは顔を歪めるとココを固く抱きしめた。そのまま再び抱き上げる。 「わぁっ」 「……今日から私が、ココのお父さんだ。ココとママとお父さんで、家族になろう」 「おじちゃんが……? おじちゃんが、ココのおとうさんなの!?」 「そうだ。お父さんになってもいいか?」 「うん、いいよ! あのね。ココ、ほんとはおじちゃんとずっといっしょにいたいとおもってたんだ……!」  ヴォルクに手招かれ、また泣いてしまったケイが引き寄せられる。三人が固く抱き合うと、新しい家族の誕生にソコルが拍手を贈った。 「めでたしめでたし、だね……! おしまい!」
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