(30)容疑者、話す

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──『あいつ』とは兼河さんのことか? 「悟郎さんよ! あの人が私を捨てて家族の元に帰るって言うから……!  妻は病弱で常に気を使わなければならないし、  息子と娘は自分が必死に稼いだお金を当たり前のような顔で使って  感謝の言葉もない。  健気に尽くしてくれる私と一緒にいる時が一番心が休まるって、  そう言ってたのに……!」 ──別れ話のもつれから、糸田悟郎さんを殺害したのか? 「あの時は怒りで頭が真っ白になって、  気が付いたら血塗れの悟郎さんが床に倒れてた。  花瓶とか灰皿とか椅子とか、色んなものがそこら中に散乱してたから、  夢中であの人を殴り続けたんだと思う。  その時、騒ぎを聞き付けた兼河が訪ねてきて……」 ──兼河さんが? 「そうよ。当時は隣の部屋に住んでたから。  “何かあったのか?“って玄関越しに話しかけられたの。  出るに出れなくてオロオロしてたら、兼河が警察に連絡するって言い出した。  だから私、“待って”って言って慌てて出ざるを得なかった」 ──兼河さんはどんな反応だったか? 「そりゃあ、驚いてたわよ。部屋の奥には血塗れの悟郎さんが倒れてて、  私は私で返り血を浴びて服とかが赤く染まってたし」 ──でも、兼河さんは警察には通報しなかった。 「ええ。この事件を無かったことにするよう協力してやるって持ちかけられたわ」 ──殺人事件を無かったことにする? 「悟郎さんの死体をマンションの屋上から落としたのよ。  自殺に見せかける為にね。  私たちの部屋は最上階だったし、  2人がかりだったから意外と簡単に出来ちゃったわ」 ──なぜ、そんな提案に乗ったのか? 「気が動転してたのよ。何でもいいから頼れそうな人に縋りたかったの」 ──その後はどうなった? 「後は、警察に何を聞かれても知らぬ存ぜずでやり過ごしたら、  悟郎さんはあっさりと自殺扱いになってた。拍子抜けするぐらいにね」 ──でも、それから兼河さんの脅迫が始まった。 「ええ、そうよ。悟郎さんの件を黙っておく代わりに金を寄越せってね。  最初は月20万円だったけど、段々増えていって  今では月100万を要求されるようになったてた。  だから私、キャバクラと風俗で必死にお金を稼いだのよ。  お陰で、当時通ってた大学も辞める羽目になったわ」 ──糸田悟郎さんの血が付いたネックレスを兼河さんが所持していたのはなぜか? 「悟郎さんの死体を屋上に運ぶ前に、服を着替えるように言われたのよ。  返り血が付いたままの服で部屋の外に出る訳にはいかないだろうって。  その時にネックレスも外したから……  私が着替えている間にそのネックレスを取ったんでしょ。  後で脅迫の材料にする為にね」 ──なるほど。 「こんな生活が2年も続いたのよ。兼河の奴に死んで欲しいって気持ちにもなるでしょ」 ──それで、久須野さんを利用した? 「そうよ。あいつ、営業トークで自尊心とか承認欲求とかくすぐってやったら、  馬鹿みたいに私に夢中になってくれたわ。私の為なら何でもするぐらいにね」 ──久須野さんに言ったことは全部嘘だったのか? 「そうよ。ストーカー被害だとか、父の形見を奪われたとか、  そう言った方が久須野もやる気を出してくれると思ってね。  実際、期待通りに働いてくれた。でも……」 ──でも? 「仲間を連れて行くとは思ってなかった。  彼が一人でやってくれるとばかり思ってた。  彼に言わせると、いざという時に全責任をそいつに押し付ける為ってことだったけど……でもまさか、その人が悟郎さんの息子だったなんて。  さすがに予想外だったわ。お陰で全てが台無しよ」 ──事件当日、兼河さんは一日中自宅に帰らない予定だと久須野さんに伝えていたそうだが、実際は午後2時に帰宅した。これも予想外のことだったのか? 「いいえ。むしろ、鉢合うようにわざとそう言ったのよ。  毎月1日の午後2時は、私が兼河にお金を渡しに行く時間だから。  兼河と久須野は確実に鉢合わせになる。  鉢合ったら、どっちかは殺られると思ったのよ。  久須野が兼河を殺してくれるのが理想だったけど、  兼河が久須野を殺してもそれはそれで私にとっては好都合だったからね」 ──現金の受け渡しはいつも兼河さんの部屋で行われていた? 「そうよ。それが一番安全なわけでしょ。兼河にとってはね」 ──なるほど。ということは、貴女はこっそりと合鍵を作ることが可能な立場だったということか。
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