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「その現場で、兼河さんと鉢合わせてしまったんですね」
「はい」
項垂れたまま、糸田は小さく頷く。
「その日は兼河さんは一日中外出してるはずから大丈夫だって聞いてたんです。
それで、あの人の寝室にあった金庫を見つけて、
スパナで抉じ開けようとした時のことでした。
兼河さんが帰ってきたんです。
兼河さん、部屋の異変に気付いたんでしょうね。
包丁を持って俺たちの前に現れたんです。
“お前ら、そこで何をやってるんだ”って言って。
俺はヤバイって思いで頭が真っ白になりました。
でもその時──」
不意に糸田が顔を上げる。
苦渋に満ちた顔だった。
「久須野さんが咄嗟に駆け出して、兼河さんをスパナで殴ったんです」
「久須野さんが……」
「それで兼河さんは倒れました。
久須野さんは倒れた兼河さんに更に馬乗りになって……」
糸田が苦しそうに目を瞑る。
「俺はそれ以上は直視できませんでした。でも、確かに鈍い音を聞きました。
俺が目を開けると、床に倒れて動かなくなった兼河さんがいました」
「……」
糸田から伝えられた情景を脳裏に想像して、藤本は顔を顰めた。
糸田は更に続ける。
「それから、久須野さんは俺に血の付いた包丁を寄越したんです」
「血の付いた包丁?」
「兼河さんが持っていたやつです。俺は見てなかったんですけど、
兼河さん、抵抗して久須野さんと揉み合いになってたんだそうです。
その時の兼河さんの包丁で久須野さんは右手に怪我をしました」
「なるほど」
久須野の右手の怪我の真相を知り、藤本は納得する。
「それで、糸田さんに包丁を寄越したというのは?」
「はい。その包丁で兼河さんの遺体を何度も刺すようにって言われたんです」
「え……」
「そうすれば、遺体を発見した警察が怨恨殺人だと勝手に思い込んでくれるから。
そうすれば、俺たちは疑われずに済むからって」
「あー……」
藤本は思い出す。
最初に、神里の研究室で千波から見せられた兼河保志の遺体の写真を。
「それで、久須野さんの命令に従ったんですね」
「はい。あの時の俺は本当にどうかしてた……」
糸田が両手で頭を抱える。その手は震えていた。
そんな彼の背中を軽く二度ほど叩いて、藤本が声を掛ける。
「糸田さん、目の前で強烈な暴力を見せつけられた人間は、
その恐怖心から理不尽な命令でも従ってしまうことがあるんです。
これは誰にでも起こり得ることです。どうか、自分を責め過ぎないで下さい」
藤本の声掛けにより、糸田の手の震えが徐々に収まってゆく。
そうして落ち着いた頃、改めて藤本が口を開いた。
「それから貴方達は、金庫を抉じ開けて中の現金を奪って出て行ったんですね」
「はい。聞いていた通り、120万円ぐらいありました」
「なるほど。大体の経緯は分かりました」
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