(29)助手、殴られる/教授、殴る

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そうしている内に、バタバタと複数人の足音が近付いてくる。 やがてその足音が止まったかと思うと、病室の扉が勢いよく開かれた。 「警察だ、全員その場から動くな!」 威勢のいい声を上げて現れた宇崎だったが、その顔はすぐに唖然としたものになる。 「な、何だこれは?」 思わず素っ頓狂な声を出してしまう。 ベッドの近くで頭から血を流してへたり込んでいる藤本。 その近くで仁王立ちしている神里。 その足元で白目を剥いて仰向けに倒れている久須野。 その手元に落ちている血の付いたスパナ。 異様な光景を前にして、宇崎はポカンと口を開けるばかりだった。 彼の後ろでは部下たちもザワザワとしている。 「ようやくお出ましか。遅かったじゃねえか、ぼんくら狸」 「いや、神里……何なんだ、この状況は」 「見ての通りだ」 「見てもわからんから聞いてるんだ」 苛立ちを露わにする宇崎に、神里がやれやれと肩を竦める。 「殺人未遂の現行犯を私人逮捕してやったんだよ」 「いやその……こいつ、白目剥いて気絶してるんだが」 「ああ、俺の右ストレートをまともに食らったからな」 「殴ったのか?」 「正当防衛だ」 「はあ?」 「まあ、詳しい説明は後だ。まずは医者を手配してくれ。  久須野はさておき、うちの藤本が頭を殴られてる」 「あ、ああ……」 未だに状況を飲み込めずにいる宇崎だったが、取り敢えず部下に命じて医者を呼ぶよう指示を出した。 「立てるか?」 床にへたり込んでいた藤本に、神里がそっと手を差し伸べる。 その手を受け取る手前で、藤本がかねてからの疑問を口にした。 「あの、先生」 「どうした?」 「腰、大丈夫なんですか?」 「……」 数秒間の沈黙の後、神里の顔がみるみる険しくなる。 「うがあああああああっ!」 野太い悲鳴を上げて今度は神里がその場にへたり込む。 その額には脂汗が浮かんでいた。 「お、ま、え……! 今の今まで忘れてたのに……!」 「あ、すみません。どうしよう、もう一回忘れて下さい」 「そんなこと出来るか! ああああ、痛えええええ!!」 大人げなく喚く神里の腰を藤本が懸命にさする。 そんな中、千波が助太刀に現れた。 「先生、大丈夫ですか?」 「ちょっと大丈夫じゃないっぽいですね。  整形外科のお医者さんのところに連れて行きます」 「でも、藤本君……」 「バカ言ってんじゃねえ。お前さんは医者の指示があるまでここを動くな」 「でも……」 「じゃあ私がお連れします」 困り顔の藤本を見兼ねて千波が手を挙げた。 「良いんですか?」 「はい。任せて下さい」 「じゃあ、お願いします」 ペコリと頭を下げる藤本に、千波はにっこりと笑って頷いた。 そうして千波に支えられながら神里はゆっくりと病室を後にした。 2人の後ろ姿を見送ったところで、ようやく気が抜けたのか藤本は深々と息をつく。 そっと目を閉じると、意識が遠のくのを感じた。 眠りに落ちる時とよく似た感覚だった。 その時、誰かに名前を呼ばれたような気がしたが、応えることは出来なかった。
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