伸明 37

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…序列は、変わらない…いえ、変わらせない…  とは、以前も、この和子が、言った言葉だ…  裏を返せば、それほど、序列が変わることを、恐れているのだろう…  五井は、連合体…  本家は、もとより、それぞれの分家が、独立している…  それぞれの分家が独立して、会社を持っている…  会社を支配している…  そして、それは、本家も同じ…  一方、それとは、別に、五井一族として、大きな会社の株を持っている…  いわゆる、持ち株会社の株を持っている…  そして、その持ち株会社の株を持つ、比率…  それこそが、五井の序列…  五井の一族の序列に従って、株を持つ比率が、違うからだ…  たしかに、各分家は、本家も含め、それぞれ、会社を持っているが、大きな会社はない…  だからこそ、序列が、守られているとも、言える…  各分家が、大きな会社を持てば、一族の序列が崩れかねないからだ…  だから、大きな会社は、五井一族として、持つ…  それが、五井が、これまで、継続した理由…  四百年の長きに渡り、続いた理由…  それゆえ、この和子は、五井の序列が、崩れることを、誰よりも、恐れている…  おおげさにいえば、五井の序列こそが、五井の力の源泉ともいえるからだ…  私は、そんなことを、思った…  私は、そんなことを、考えた…  すると、突然、長井さんが、  「…あることないことって、なんですか?…」  と、怒鳴った…  大声で、怒鳴った…  が、  和子は、微動だにしなかった…  落ち着いた様子で、  「…それは、これから、説明します…」  と、だけ、言った…  が、  そんな和子に、この長井さんは、食ってかかった…  「…どう、説明するんですか?…」  すると、  「…お父様は、お元気?…」  と、和子が、聞いた…  が、  その質問に、長井さんは、答えなかった…  和子の質問を無視した…  …どうして、無視したんだろ?…  私は、思ったが、すぐに、その答えは、出た…  「…きっと、今頃、慌てているんでしょうね?…」  和子が、笑った…  …慌ててる?…  …どうして、慌ててるんだろ?…  「…借金で、首が回らないんじゃないの?…」  和子が、面白そうに、言う…  が、  そんな和子の言葉は、正鵠を射ていたようだ…  長井さんの表情が、変わった…  明らかに、変わった…  そして、その変化は、怒りではない…  怒ったのではなく、真っ青になった…  明らかに、顔から血の気が引いていた…  そして、そんな長井さんに、追い打ちをかけるように、  「…身の丈に合った生活が、一番…」  と、和子が言った…  「…それを、忘れて、行動すると、大火傷する…でしょ?…」  和子が、追い打ちをかける…  「…聞くところによると、アナタ…大学に進学したときに、途中で、学費を打ち切られたんですってね?…」  和子が、思いがけないことを、言った…  考えもしないことを言った…  が、  それは、真実だったのだろう…  長井さんの顔が、ますます、青くなった…  さらに、血の気が引いていった…  「…五井長井家の窮状は、とっくに把握しています…」  和子が、落ち着いた口調で、言う…  「…五井は、本家を含めても、各分家…おのおのの家が、単独で、どれほどの資産があるわけではない…」  …エッ?…  内心、驚いた…  「…すべては、五井…五井一族だから、財産がある…つまり、五井一族として、持つ、五井の主要な会社以外は、皆、各家が持つ、会社の規模は。決して、大きくはない…つまり、人間で言えば、本業と副業のようなもの…あるいは、趣味のようなものとも、言っていい…」  「…」  「…要するに、そんな決して大きくはない、五井の家が単独で、大きなことを、できるわけではない…そういうことね…」  和子が、笑った…  実に、楽しそうに、笑った…  そして、  「…そんな五井の家が、身の程知らずというか…身の丈を超えたことをした…それで、家計が、火の車になり、一発逆転で、今度は、FK興産を買収しようとした…」  和子が、説明する…  私には、なにがなんだか、わからなかった…  初めて聞く話ばかりだったからだ…  私は、急いで、長井さんを見た…  長井さんの反応を見た…  和子の今、言った話が、本当かどうか、知りたかったからだ…  長井さんは、物凄い形相で、和子を睨んでいた…  五井の女帝を睨んでいた…  「…誰から、聞いたんですか?…」  長井さんが、聞いた…  実に、悔しそうに、聞いた…  そして、和子が、その質問に答えないと、  「…叔父さんですか?…」  と、聞いた…  が、  和子は、その質問に、黙って、首を横に振った…  「…窮状は隠せない…どんなことをしても…」  落ち着いた口調で、言う…  「…自分では、隠しているつもりでも、どこからか、漏れるもの…」  「…」  「…現にアナタが、今、五井記念病院で、看護師をしているのが、いい例よ…」  「…どういう意味ですか?…」  「…五井長井家の当主は、見栄っ張り…普通なら、大学を出て、看護師には、させない…どこか、欧米の大学に娘を留学させて、それを、周囲に吹聴するような人間…」  「…」  「…もっとも、だからこそ、引っかかった…」  「…引っかかった? …なにに、引っかかったんですか?…」  「…投資話…それも、架空の…」  「…」  「…それで、財産を大幅に減らして、今度は、一発逆転で、FK興産を買収しようした…」  「…」  「…でしょ?…」  和子が、楽しそうに、言う…  しかしながら、長井さんは、違った…  当たり前だが、違った…  怒髪冠を衝く表情といえば、大げさだが、怒りの表情になった…  物凄く、怒った表情になった…  そして、  「…アナタが、いけないんですよ!…」  と、怒鳴った…  「…パパの窮状がわかっているなら、助けるのが、普通でしょ?…」  長井さんが、顔色を変えて、怒鳴った…  「…それが、一族というものでしょ? …五井を束ねる者の義務でしょ?…」  しかしながら、長井さんの言葉は、和子には、響かなかった…  「…たしかに、アナタの言うことは、わかる…」  落ち着いた声で、言った…  「…でも、アナタのお父様は、変に、上昇志向が、強く、五井の序列を崩そうとする…五井家内で、もっと上に行こうとする…」  「…」  「…その結果、ありもしない儲け話に乗って、大火傷した…そして、その穴埋めをするために、今度は、FK興産を買収しようとした…」  「…」  「…でしょ?…」  和子が、笑う…  楽しそうに、笑う…  が、  目は笑っていなかった…  少しも、笑っていなかった…  むしろ、真剣だった…  だから、怖かった…  見ている私の方が、怖かった…  そして、和子が、  「…アナタの気持ちはわかる…」  と、続けた…  優しい口調で、続けた…  「…なにが、わかるんですか?…」  と、またも、長井さんが、和子に、食ってかかった…  「…私に助けを求める気持ち…」  「…」  「…でも、私にもできることと、できないことがある…」  「…ウソ?…」  「…ホント…」  「…」  「…なにより、アナタのお父様は、上昇志向が、強すぎる…だから、同じ五井一族でも、誰も助けてくれない…助けようともしない…」  「…」  「…アナタも、子供ではないのだから、それが、わかっているでしょ?…」  和子が、追い打ちをかけるように、言った…  説得するように、言った…  が、  私は、むしろ、和子が、言った、  …あること、ないこと…  という言葉の方が、気になった…  あの菊池リンに、 「…あること、ないこと、吹き込んでくれて、ありがとう…」 という言葉の方が、気になった… 一体、なにを、あることないこと、吹き込んだのだろ? それが、気になった… が、 口に出すわけには、いかない… 部外者の私が、口に出すわけには、いかない… そう、思った… しかしながら、和子が、 「…アナタの背後に誰がいるの?…」 と、面白そうに、言った… 実に楽しそうに、言った… が、 当たり前だが、長井さんは、答えない… ただ、黙ったまま、怒った顔で、目の前の和子を見た… 物凄い目で、和子を見た… すると、和子が、 「…だったら、私の口から、言いましょうか?…」 と、言った… が、 それでも、長井さんは、なにも、言わなかった… 「…」 と、無言のままだった… それを、見て、和子が、ゆっくりと、口を開いた… 「…ユリコ…藤原ユリコさんね…」 思いがけない名前が、出た…               <続く>
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