おっぱい解放運動

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おっぱい解放運動

最初は小さな流行の様なものだった。 僕らの頃でも尖ったモデルなんかが素肌にシースルーとかで尖った乳首を透かして見せ、その尖りぶりを主張したりしてたが、あんな感じ。 それが一部のインフルエンサーや芸能人等に飛び火して、ヘソ出しならぬ「乳出しルック」が流行った。それはすぐさま世間に伝搬し、街を歩けば5人や10人がおっぱい出して歩いていた。 論争が起きた。性犯罪を助長するんじゃないか?教育上良くない。いつものやつだ。 仕掛けた側は、これを待っていた。 「何故男の胸は良くて、女の胸はダメなのか?」フェミニストと言われる一群の「男女平等」を傘に着た主張。「表現の自由」だとして擁護する知識人たち。 そのうちに「乳出しオッケー」の店や商業施設で休日カジュアルに、「乳出しオッケー」を掲げる会社で平日もフォーマルに、「乳出しウエディング」とか「乳出し葬」とか、教育現場では「乳出し保育」に始まり小学校では7割、中学校では5割、高校では3割と乳出し児童や生徒が増えた。大学では5割が乳を出す逆転現象も話題になった。 そうやって、女性たちはありとあらゆる場でその大中小様々な乳を出す様になって行った。 最初男達は歓迎した。おっぱいが好みで付きあったり、結婚したりと、少子化対策としても機能しそうな挙動を示し始めると、政府も後押しし、国会では女性議員が乳を揺らして尋問した。乳を出した女性議員の当選率が上がり、女性議員の割合を高めた。テレビでもみんなこぞって乳を出し、保守的な隠す派は「ブラジャータレント」と言われマニアックな存在になって行った。 ウインタースポーツの場でも乳を出したい!ってananだかcancanの特集がきっかけで胸部だけ透明なウェアやインナーが開発されたが、曇ってしまったり保温性が良くなかったり、実用性は低かった。
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