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しばらくは順調だったおっぱい解放運動は世界の各シェルターに共有され日本を今一度文化的先進国に押し上げ、経済効果もあげ始めた頃に飽和した。
隠す派が多数を占めた世代も、老いると進んでその萎びた乳を出すようになり、ブラジャーをするのは授乳期の母親くらいになった頃。
運動が始まって、四半世紀過ぎていた。
女性の行動の変化は、男性のメンタルに深刻な影響を及ぼしていた。
最初それこそおっぱいにむしゃぶりついてお縄になったり、いつも半勃起でもじもじ歩いてた男たちは、そのうち慣れた。
それから、おっぱいを授乳の為の器官としか認識しなくなり、性的な興奮をしなくなって行った。それに伴い大きさ・形・色にも無関心になり、おっぱい・パイオツ・ちくび・ビーチクなどのマジックワードは色褪せ死語となった。
「おっぱいは死んだ」
アナーキーなパンクバンドは、そう宣言し、解散した。
その後もマニアックな隠す派からイズムを受け継ぎレジスタンス的に過激な「おっぱい隠せ運動」に執心していた懐古主義者のグループらが「おっぱいis not dead」と掲げおっぱいを隠す服をデザインして揺り戻し運動を展開したが、大きな波に飲み込まれ、打ち消されて行った。
運動の勃興からは、すでに100年が過ぎていた。
性欲を煽るモノを上半身から見失った男性の精力は著しく減退し、またもや人類は深刻な少子化に悩まされる事になった。
それからもう200年後。それが今僕が居る場所。少子高齢化社会は危機的状況に陥っていた。
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