恋と無関心

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恋と無関心

 隣のユニットのトネリコさん。5年経っても馴染めない。怖い。孤高の人だ。他と交わらない。コデマリさん達が喋っていれば、 「うるさいッ!」 そのひとことの重み。テレビの前に立てば、 「見えないよッ!」 ひとことの怖いこと。  おはようございます、と挨拶すれば、 「ごきげん、よう」  5年経つと、ときどきはニコッとする。その笑顔の素敵なこと。 「素敵ですね。トネリコさんの笑顔」 「そんなこと言われたことないよ」 「素敵ですよ。100万ドルの笑顔。もっと笑ってくださいよ」 無言。周りがしらけた。  トネリコさんに異変が。最近入居して来たマンサクさん、男性、75歳。車椅子だがしっかりしている。髪もまあまあ、品のいいメガネ。まだまだ恋ができそうな……  マンサクさんが車椅子を自走してくる。離れたテーブルに着くと、トネリコさんは手を振る。 「トネリコよ」  マンサクさんが気が付かないと2回3回。 「トネリコよ〜」  男性の方は無関心だ。こちらは覇気がない。 「どうでもいいよ、なんでもいいよ、興味ないよ、早く死にたいよ、お迎え待ってるのッ!」  もったいないと思う。  振り返してあげて!  仲良くなられても問題だ。新しく入った男性は杖を付いて歩く。歩けなくなると困るからと、食前食後廊下を散歩していた。ソファーに座り足を上げたりストイックな方だ。部屋でCDを聴く。ムードのあるサックスかなにか。  カラオケのときにコデマリさんと気が合い、部屋にCDを聞きに来るよう誘った。ホイホイ訪れたが……しっかりした方だ。1度だけで行かなくなった。  ハイテンションなのは隣のユニットのサカキさん。90歳を過ぎているのにすごい体力だ。車椅子で自走する。嬌声をあげながら。 「はぁーーん、はぁーーん」  4ユニットと廊下を何度も何度も。ドアは開けるが閉めないで行く。疲れると、よそのユニットで居眠りしている。サカキさんの走行距離は相当なものだ。腕の力も並ではない。  私はサカキさんを風呂に入れる。気をつけないと……ズボンの裾を捲り上げた時に、バシッと腿を叩かれた。腕の力は並ではない。 「なにすんのよっ!」  つい、こちらも大声に。そうすれば、遊んでもらっていると思ってもっと手が出る。腕をつねる。手を口に持っていく。噛まれる前に振り払う。水をかけられる。メガネを壊されそうになる。  コデマリさんはサカキさんをバカにする。 「困ったバーさんだね。ああはなりたくない」 言われてもサカキさんは耳が遠い。しかし雰囲気でわかるのだろう。よそのユニットに行く。  うちのユニットのネコヤナギさんとカリンさんも意地悪をする。ネコヤナギさんは通れないように車椅子でふさぐ。 「まいにち、まいにち……なんかいも、なんかいも」  怒っても聞こえない。ときどきは足で蹴ろうとする。カリンさんは、 「あんた、自分とこへ帰んな」 サカキさんは聞こえないからうちのユニットで居眠りをする。  サカキさんは風呂場も開ける。脱衣中にガラッと。騒ぎはしないが、しょうがないバーさんだね、とコデマリさんは触れ回る。  この間は大変なことに。廊下の火災報知器を鳴らしてしまったのだ。押さないように椅子を置いて置くのだが、甘かったようだ。消防署に直結だ。アナウンスが流れる。延々と。そして消防車が……  スタッフは誤報です、と説明してもコデマリさんは納得しない。あのバーさんよ、と数日蒸し返す。  風呂の嫌いなヒイラギさん。拒否する。入れるのが大変だ。入ってしまえばいいのだが。だからヒイラギさんには、お風呂行きましょう、とは言ってはいけない。動きますよー、と車椅子を押す。 「なに、どこいくの?」  風呂場の暖簾を見て、 「なに? お風呂? いいよ。毎日うちで入ってるんだから」 「ヒイラギさん、腰痛いでしょ? 腰だけ温めましょ。もう用意してあるの。ヒイラギさんのために」  以前は拒否で入れないことが多かった。最近は素直だ、というより歳をとった。95歳だ。 「ああ、大変だ」  それでも自分で服を脱ぐ。しっかり立ち上がる。この頃は、よく居眠りしている。口癖だ。 「今年ももう終わりだね、お世話なりました」  トネリコさんが入院した。気にするのはコデマリさんくらいだ。  マンサクさんに聞いた。 「トネリコさん、いないと寂しいでしょ?」 「……」 「いつも手を振ってくれたでしょ」 「ああ、トネちゃんか」
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