ひとごとなのね

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ひとごとなのね

 娘が小学校1年生くらいの時、出かけた帰り道。 「トイレ行きたくないんだ」 「どうして?」 「痛いんだもん」 「なんで早く言わないの?」  イチイさんが土曜の夜から腹痛を訴えた。かたくなだからスタッフは苦手だ。  日曜日、食欲がない。腹痛。トイレが近い。パットに血が。トイレに鮮血が……  スタッフはナースに申し送り。女ならわかるだろう? しかし、診てもらわないと薬は出せない。そして次のナースへ引き継ぐのを忘れたようだ。 「あら、知らないわ」  そう言われた、とイチイさんは火曜日の入浴介助の時に私に訴えた。  やりにくい方だ。プライドが高い。午前中に3人、風呂に入れなければならないのに、イチイさんはスムーズにいかない。入るまでが長い。入ってからも長い。私はその後、風呂掃除、服とパットの片付け、脱衣所の掃除。そして昼食の配膳をしなければならないのだ。  先日はホームランダービーを観ているから遅れた。いっそ午後にまわそうと思ったら終わってくれた。それから入浴。帰る時間が過ぎてしまった。  しかし、何がどうだろうと、膀胱炎を放っておくなんて……イチイさんは訴えても聞いてもらえず、家族に電話しようと思ったが、娘も仕事だし……ひたすら水を飲んで耐えたんだそう。  私も妊娠中にあった。漢方薬しか出してもらえず治らない。辛くて3日ゴロゴロしていると夫は言った。掃除しろ、と。これは……一生忘れない。一生恨んでやる。夫は覚えてはいないが。私も忘れていたが、病名を聞くと思い出す。恨みがよみがえる。  それほどの辛さを放っておかれた。ナースも人ごとなのね……くどくどくどくど言われた。若いO君には愚痴ったという。言いやすいのだ。しかし若い男性にはわからないだろう。あの辛さは。わかっている私は、娘をすぐに病院へ連れて行った。あの痛みを味合わせたくはない。  それを水を大量に飲んで耐えたという。さすがに、たかがパートのばあさんも黙ってはいられなかった。若い女性の職員は経験がないそうで辛さがわからない。男性のリーダーも。  これが、口うるさいコデマリさんだったら対応は違っただろう。コデマリさんはすぐ家族に電話をする。携帯を持っているから。家族は施設長に苦情を入れる。  コデマリさんは頭痛持ちで、職員は常用を心配し薬を出さない。コデマリさんは怒り心頭。それ以来、ラムネが提供される。痛いと言えばいつでもどうぞ。  コデマリさんは私に言う。 「昨日、頭が痛かったけど、薬飲んだら治ったわ」  働き始めた頃、上品な女性がいた。自分で歩き、食事も常食。ほとんど介助が必要ない。風呂に行くと、 「あら、ここ、初めてね」 と毎回言ったが。  控えめな人だった。食事を持っていくと、 「私はあとでいいから、あちらの方を先にしてあげて……」  しかし入院し、看取り介護になって戻ってきた。食事の時間にはリビングに連れてくるが、手を付けない。 「おなか、すいてないんですか?」 「ええ、今は」 当時は看取りというものがわからなかった。食べなければ死ぬ……必死で勧めたが……  穏やかな最後だった。最後まで敬語を崩さず面倒をかけず。誰にも看取られず……  仕方ない。夜勤はひとりで20人を見るのだ。付きっきりではいられない。逝く人がいるのに、かたや夜中にナースコールを何十回も鳴らす人がいる。入所してから5年間、ずっとだ。昼も夜も鳴らし続ける。職員が行くまで。  待っててください。わかりました、今行きます、は理解されない。遅いと、上に言いつけてやる。金、払っているんだから……  そう、あなたにいったいいくらの介護保険が使われていることか?   迎えが来るまで。
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