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秘密の清掃
「ママのとこに帰るぅう~!! うわぁああん!!」
「わかってるわかってる、今坊や迎えにお巡りさんが来るからね! もうちっとお兄ちゃんと一緒にいましょうね!」
「うわぁああんやだぁああ!! おじちゃんじゃなくて、ママがいいぃいーー!!」
「おじちゃんじゃないもん!! 二十六歳だもん!!」
少年の元気な手足が、夜見の体を押し返す。テマネキに取り憑かれてからの記憶を持ってはいないらしい。戦闘の時よりも、よほど子供らしい態度で夜見の手を焼かせている。
あれから、テマネキは夜見とあやめの二人によってしっかりと討伐をされた。今は情報提供をした刑事である廿六木を待つべく、指定場所で少年と共に待っていた。
京浜地区の、百貨店の目の前。往来のど真ん中で、夜見は少年の駄々にあおられて泣きそうであった。
「やだ、視線感じるわ。見物料とってこようかしら」
「やめてあやめちゃん!! 俺のブルゾン羽織ってて。君がそんな際どい格好してるから注目されるんでしょうが!」
「要らないわ。私好みのタイプの男からしか好意は受けないようにしてるの。残念ね」
「告白してないのに、なんで俺が振られてんの!?」
「うわぁああんママぁああ!!」
SM嬢もかくやと言わんばかりの素性の知らぬ女と、こ汚い清掃業者の男の二人組。明らかに我が子ではなさそうな少年を抱えたまま、周りの不審な目を一身に受ける。このままでは、お巡りさんに声をかけられるのは二人の方だろう。情けない面を小さな手に押しのけられる夜見へと、影が差した。
「何やってんだあ、こんなところでえ」
「何やってんだじゃないよ廿六木さん‼︎ いや違う、しょっ引かれるならあんたがいいって心に決めてましたああ‼︎」
「シンプルにキモい」
「やだ、煙草切れちゃった。ねえ一本くれない?」
ここは禁煙区域だ。こめかみに青筋を浮かべ、どすの利いた声で返事をしたのは四十代前後の男だった。左頬に傷がなければ、その造形は整っている方なのだろう。しかし、口周りの無精髭とだらしなく伸ばした白髪混じりの黒髪が、歳以上に男の苦労を物語る。
いっそ、地上げ屋だと言われたほうが信憑性は高いだろう。廿六木と呼ばれた男は、着古したベージュのトレンチから警察手帳を取り出した。
「ほらよ天下の紋所。坊や、ママが君を探してる。悪いが一緒に署まで来てもらおうか」
「ちびっこ相手にやめなさいってその言い回し!」
「ねえ煙草は?」
結局、廿六木が合流したところで状況は変わらなかった。あやめと夜見が組んで仕事に向かった時点で、何かを悟っていたらしい。廿六木を含めた一行は、お掃除本舗そわかの優秀な従業員達によって、半ば誘拐のような形でワゴンに詰められ回収された。
「はいこれ、報告書。もうダメですって社長。あんたらバ、三人揃った時点でチンピラにしか見えねえんですから。」
「ごめんて藻武くん。でもよかったよお、お母さん事務所に来てたんだねえ。律斗くんについてたテマネキの発生原因は結局お父さんの生き霊みたいだし、発生源がわかれば対処もしやすいってね」
「ったく、ガキの相手ほど疲れるものはねえやな。あやめはどこいった。あいつ、刑事の俺のコートから煙草くすねやがって。たく、度胸も胸もでけえ女だよ全く」
「廿六木さんそれ本人がいたらセクハラで訴えられますからね。というかもういいですかあ、作戦会議しねえと」
京浜地区某所。夜見綾人が社長を務める清掃会社、お掃除本舗そわか社内にて。副業である職場へと出勤していったあやめをのぞき、夜見と廿六木は今回の一件についての報告をすることとなっていた。
廿六木の治安の悪さと夜見の見た目のせいで、部屋はヤクザの事務所のようにも見える。その雰囲気を醸し出しているのが神棚なのだが、白樺でできた社に祀ってあるのは錆びた鏡であった。
部下の一人でもある藻武から夜見が受け取ったのは依頼書だ。文面には、廿六木の務める窓際部署、奇怪事象対策課の捺印が押してあった。
「被害者は吉澤律斗くん。依頼者はお母さんである愛美さんだね。律斗くんが行方不明になってから、すぐにこの依頼書は出されている」
「俺ら別働隊は廿六木さんからの直電で調査開始、それが一昨日の夜。律斗くんが京浜市街を徘徊しているのを認めたのが夕方の十八時から二十時の間。その時はもう虚の状態で、律斗くんの体は奪われつつあった」
「藻武たちがマーキングしてくれたから、完全に囚われる前に助け出せたのは幸いだったよ。でも問題はそこじゃなくて、なんでたった三日でここまでテマネキが具現化できたかってこと」
夜見は見上げるように椅子へともたれた。ここ数日、夜見のいる京浜地区でヒトデナシの出現が増えたのだ。おかげで掃除屋を隠れ蓑に活動をしていたはずが、本格的に裏稼業である祓屋の方が生業になりつつある。
「何言ってんだお前ら、増えりゃあ増えたで願ったり叶ったりなんだろうよ。お前らの飯の種だ」
「そらそうなんですけど、あんま喜んでもられねえんですわ。ね、社長」
「そうだよ。もしかしたら他地区の怪異が流れてきてるかもしれないし。そんなことになってたら、怪異同士の縄張り争いだってあるかもしれない」
「ったく、縄張り争いだなんて獣のほうがよほど可愛らしいだろうよ。つか奇怪な事件が意味わからん化物のせいだなんてよ、上から祓屋の存在知らされるまで眉唾だと思ってたぜ」
「まあ俺たちは祓屋って名乗れないんだけどね」
夜見の言葉に、藻武がジトリと廿六木を睨む。ばつが悪そうにしても、当事者でなければその違いなんて瑣末ごとだ。
今から百年程前。他国との戦争がきっかけで、帝都は多くの人々が焼かれたのだ。無慈悲に奪われていった命達は生者へと恐怖と絶望を与え、そして未来を諦めさせた。先の見えない心の暗闇は視野を狭め、不満や憤りから怪異が生まれた。古くから語り継がれてきた、架空の化物達が実体を得たのだ。
この戦争は、誰のせいでもない。仕方がないことだった。厄災は、招かれたのだ。誰かが慰めのように宣った。そして、その諦観に巣食った化物は、人でなしと呼ばれた。
怪異や怪奇が実体を得て災厄を及ぼすもの。そして神の存在と成り代わろうとするものども。
しかし、相対するように、前世で神とかかわり、繋がった者たちがいた。
体のどこかに紋を持ち、人でなしを祓う力のある者たち。紋持ちは神を招き、そして土地に神を縛った。
神の力を使い怪異を祓う。神格を取り返した者の願いを、一つだけ叶えることを対価に、人々の絶望によって弱まった神への信仰を取り戻す。
そして、いくつもの時代が流れた。こうして現代の紋持ちは祓屋と呼ばれるようになったのだ。
しかし、夜見の縄張りである京浜地区は特殊であった。
「神がいない地区で、こんなに溢れかえっていいわけがない」
夜見の言葉は、静かだった。しかし、言葉の奥には闇を孕むかのような重さがある。赤茶の瞳が鈍く輝く。普段が飄々としている分、静かな様子には威圧感さえも感じ取れた。
「社長」
「とか言っちゃってカッコつけてみたけど、要は人員が足りないって話なんだけどね!」
ナハハ! と元気よく笑う。先程の重苦しい空気はなりを潜め、夜見は背後に花でも背負うかのような能天気さを晒した。
引き攣り笑みを浮かべた藻武が、咳払いをすることで場の空気を取り繕う。今回の怪異の出どころである律人の父親の居場所は、藻武がすでに調べあげていた。
「まあ、普通に生き霊がついていただけならよかったですがね。どうやらこの件は一件落着まではまだ早いっぽいですわ」
「お父さんのほう、名前なんだっけ? よしお?」
「いや適当すぎだろ。建人だよ、田原健人!」
「ああ、離婚してるから苗字が違うのか……子を思う親の気持ちとかだったら美しかったんだけどねえ」
廿六木が煙草に火をつける。いくら社内禁煙をうたっても、この男の前では意味をなさない。肺にいき渡らせるように煙を取り込むと、無精髭の生えた唇からはドライアイスのように煙が吐き出された。
「借金だ」
「あああ、やっぱり……」
「腎臓売っても足りねえってんで、ガキの体売買しようとしたんだよ。だがな、計画は破綻した。てめえの執着が具現化して、返り討ちにあったんだ」
「テマネキに? でも、そんなに濃い感情なら、テマネキの親は田原でしょ。何で律人くんに取り憑こうってなんの」
切れかけの蛍光灯が、不快な音を立てる。外からの喧騒は窓を隔てて遮断されていた。廿六木の吐き出した煙が天井を撫でた時、ボソリと夜見が呟いた。
「知性が湧いた、とか」
その言葉は、灰色の部屋に静かに溶けた。
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