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掃き溜め
「藻武君はねえ、髪に緑のメッシュが入ってる黒髪ロン毛のお兄さんだよ! あと三白眼。主に情報収集をしてもらってるかなあ。そんで首にヘッドホンかけてる」
「ああ、なんとなくイメージつきました。まあ……緑がどんな色かはわからないですが」
「おい答えづらいこと言うのやめろって……、あ、お前の隣にいる馬鹿っぽい人が社長な。きなこみてえな髪の色のがたいマックス」
「がたいマックス……」
「そんで、俺は燻銀っつう例えが似合うしぶおじだ。乳くせえガキにはねえ色気がある」
「廿六木さんは加齢臭まで燻銀だもんね」
呑気な夜見の言葉は廿六木の逆鱗に触れたらしい。由比都の横をものすごい勢いで煙草の匂いがすぎていった。
託児所かここは。それが第一の感想であった。由比都の背後でなされる夜見と廿六木の温度の違うやりとりが、随分と耳障りだった。辟易を顔に貼り付ける。
「なんでこんなとこに来たんだろって顔してんね」
「え?」
「そんな苦丁茶でも口に含んだような顔してりゃ、誰だってわかるさ」
「……不快にさせましたか」
「いんや? 面白えなって思っただけ」
藻武は紹介された見た目よりも、随分と博識らしい。世界一苦いと言われる茶を飲んだと例えられるほど、己の表情がわかりやすかったとは思いもよらなかった。キャップを開ける音がした。紙コップに飲み物を注いでるのだろう。藻武が喉を潤す音が聞こえて、由比都はゆっくりと顔を上げた。
「うちは他と違うんだ。社長もあんなだし、緊張感なんてねえし」
「はあ……」
「だから変に期待してんなら先に謝っとくけど、逆にいいと言えば自由度かな」
「自由度?」
「ここ、副業オッケーだし。こええ上司もいねえし」
楽しげな藻武の口調と、状況がカオスさに拍車をかけている。由比都の背後では、夜見が情けない声で廿六木に許しを求めていた。
「だから、ここは厄介モンの終着駅って感じ? 俺もあやめも、他でうまくやれねえからここに来た。掃き溜めって言った方が粗暴さはあってっかもしれねえけど」
「藻武君‼︎ 清掃会社である我が社を掃き溜めって例えるのは良くないと思うなあ俺は‼︎」
「夜見てめえよそ見してんじゃねえコラ‼︎」
「ギャアアアアア‼︎」
掃き溜め、由比都はその言葉を聞いて、乾いた笑いを漏らした。
ああ、やはり用済みの向かう場所は一つしかないらしい。他地区の祓い屋から、京浜地区落ちは除名も同然。という話を聞いていた。しかし、その真偽をまさか当事者が呑気に受け止めているとは思いもよらなかった。
「ご覧の通り、私にはハンデキャップがあります。しかし、それは視覚の問題だけではない」
「やっと自己紹介する気になった?」
「好きにとらえてもらって構わない。場合によっては、私は貴方達の気分を害してしまうことになるかもしれませんが」
「それこそ構わないよ。だって生きてりゃいろんな嫌な思いを積み重ねるしね、話してみて」
「うわ、廿六木さんが社長に体力負けしてる」
夜見は由比都の背後から顔を出すなり、人好きのする笑みを浮かべるように宣った。由比都が大嫌いな、偽善者じみた優しさだ。下手な歩み寄りはいらない。こちらを確かめるように値踏みをする視線の方が、どれほどマシか。
「力加減がわかりません。一人で戦うのなら楽ですが、以前活動していた地区でバディを組んだ相手は、ことごとく怪我をしていきました」
「それは、術の行使が目視できないからってこと?」
「目視なんて、最初からできませんよ。私は人に合わせるのが得意ではない。煙たがられて、だからこうして掃き溜めに来た。もう、いつ辞めてもいいと思ってるんです、この仕事」
「それは困るなあ、うち人材不足だし。それに、投げやりってのもいけない」
「ぅわ、っ」
大きな手のひらが、わしりと由比都の頭を撫でた。思わず振り払うと、机の上のコップに手が当たったらしい。ぱちゃんと音がして飛沫が由比都の足を濡らした。
「今みたいに、目が見えない状態で体に触れられたら拒絶の動作は出る。それは、当たり前なんじゃないの」
「……なにが言いたいんですか」
「君がバディの子の腕を骨折させたのも、不本意だったんじゃないの。例えば、連携がうまくできなかったとか。違うな……、うまく信頼関係を結べなかった。それも日常生活において、とかね」
「ちょっと足どかせ、そこ拭くから」
「すいません」
机を引く音がして、藻武の声がした。コップを落としたのも、不本意だった。夜見の指摘が、由比都の記憶を引き摺り出す。京浜地区に来るきっかけとなった出来事は、今も納得できぬまま由比都の中で根深く残っている。
「……私はここしか選べなかったし、貴方は人手が欲しかった。まさか、こんなのが来るとは思わなかったでしょうしね」
「こんなの?」
「貴方が欲しいのは使える人間であって、私じゃなかったでしょう。ましてや私はメクラだ。誰と組ませるのにも苦労する。別に、本音で言ってもらって構わないですよ」
投げやりじみた言葉がどれほど相手の神経を逆撫でするのかなんて、由比都が一番よく理解していた。静まり返った室内で、後方から舌打ちが聞こえた。きっと、先ほどまで背後で騒いでいた廿六木のものだろう。
由比都は、それでも謝る気はなかった。むしろ、口にできないだろう言葉をわざわざ代弁をしたのだから。早く面倒なものを手放すための、きっかけを与えたにすぎない。
「おい新人、さっきから聞いてりゃあなんだあ、その態度」
「廿六木さんストップ。うちの社長が話すから」
藻武の手が、今にも掴みかかりそうだった廿六木の肩を掴んだ。逆の手には、由比都のこぼしたジュースで汚れた布巾が握りしめられたままだ。
淡々と語る由比都の言葉に、廿六木のように苛立たなかったと言えば嘘になるだろう。しかし、藻武はまっすぐに由比都を見つめていた。きっと、この場にいる誰よりも適している言葉を由比都へと向けるだろう、夜見の言葉を静かに待つように。
「ごめん、わかんないんだけど。目が見えないからって、なんで由比都が使えないって話になるの?」
「は?」
「あ、待って。もしかして……君に活躍してもらおうと思っている俺の企みはパワハラになったりする⁉︎」
由比都の様子を、恐る恐る窺うような夜見の口調に戸惑う。夜見が、一体なにを言っているのかが理解できなかったのだ。同じ言語環境で、ここまで意思疎通ができないことがあるのだろうか。由比都は眉を寄せると、言い聞かせるように宣った。
「目が見えないから、どれほど加減をしていいのかがわからない。力加減を誤ったからこそ私はここに来た。つまり、また誰かが怪我を負う可能性だってあるんです。それで戦力を減らしてしまったら、元も子もないじゃないですか」
捲し立てるように強い言葉を放ったのは、寝ぼけたことを夜見が口にしたからだ。夜見はなにもわかっていない。いつも怪我をするのは、由比都の隣にいる誰かだ。それが恐ろしくて、いつしか一人になっていた。
苦しみを知らないまま土足で踏み込もうとする夜見が、由比都はひどく気に食わなかったのだ。
「でもそれ終わった話でしょ?」
「だから、っ」
「だからさ、そうやって周りのことを気にしてくれる優しさがある由比都だから、俺は仲間になって欲しいんだよ」
「人の話を聞け!」
「わかったわかった、じゃあ由比都が乱暴っていう力を試してみてよ。研修期間ってことで、俺とバディを組んでさ。オーケー?」
なにもいいわけがない。ここまで頭に血が上ったのは、随分と久しぶりであった。恐れられ、遠巻きにしてくれた方がどれだけ楽か。面倒事になる前に手放せるように。由比都は親切で教えてやったというのに。
「諦めな。お前がどんなに陰気くせえこと言っても、あいつは全部ポジティブにしか捉えねえよ」
「鈍感の間違えじゃないんですか……」
夜見の呑気さに慣れていないのは、この部屋には由比都だけであった。戸惑いを顔に貼り付けたまま、虚空を睨みつけるように表情を歪めた。肩を掴む力の強い手と煙草臭さが廿六木であると示してくる。由比都は小さく舌打ちをして、手を払った。
「いいでしょう。せいぜい後悔すればいい」
「心配してくれてありがと」
調子が狂う。由比都は、たった数時間で夜見のことが嫌いになった。
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