スイッチバック

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 赤岩康平(あかいわこうへい)は東京に住む50歳の男。康平は東北の山里で生まれた。高校までを故郷で過ごし、東京の大学に進学するとともに、東京に引っ越した。東京では様々な出会いをした。そして、東京の会社に就職した。いつも残業ばかりの毎日だったが、結婚し、貴幸(たかゆき)という1人の息子に恵まれた。だが、日々の忙しさからキャバクラ通いになり、不倫と思われた妻と別れた。それ以来、息子と2人暮らしで生活してきた。だが、息子は大学卒業と共に独立、同じ東京で1人暮らしをするようになった。たまに家に帰ってきて、一緒に酒を飲む事が一番の楽しみだ。だが、そんな日々も年を追うごとに少なくなっていった。そして、会うのは年末年始ぐらいに一緒に故郷に帰る時ぐらいしかなかった。寂しいけれど、忙しい仕事をしていたら、そんなこと忘れる事ができた。だが、日を追うごとに体力が限界に達してきて、気力が続かなくなってきた。そして、ミスを繰り返すようになった。いつまでこんな仕事ができるんだろう。年を追うごとに不安になってきた。  だが、そんな日は突然終わった。父、孝蔵(こうぞう)が老衰で亡くなったのだ。孝蔵は10年前から民宿を営んでいたが、それを継いでほしいと言われた。理由は、息子だからだ。少々勝手な理由だが、ここ最近、体力の限界を感じてきたから、これを機にもう一度自分をリセットするべきだと思い、孝蔵の民宿を継ぐことになった。そこは故郷からかなり山奥に入った場所にあるという。 「はぁ・・・。あの頃はよかったなー」  康平は東京の夜景を眺めていた。だが、それを眺められるのも今日までだ。明日は民宿のある板沢(いたさわ)に向かう。東京での生活は明日の朝で終わる。この東京で様々な日々を送ってきた。大学に入り、大学生活を楽しんだ。就職が決まった時は、本当に嬉しかったな。入社して数年目、同僚の女性と恋に落ち、結婚した。結婚式では、みんな喜んでくれたな。翌年には貴幸が生まれた。だが、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。離婚して、2人暮らしになった。それからは安泰に見えたが、貴幸が大学を卒業するとともに独立、1人暮らしを始めた。去年、貴幸は結婚し、つい最近、子供が生まれた。康平にとっては初めての孫だ。本当に嬉しい半面、これから会う機会が少なくなるだろうと思っていた。  恋に落ちるまでは1人だったが、また1人になるとは。これからも貴幸と一緒に暮らせると思っていたのに。康平は多くの人々が暮らす東京の中で、孤独を感じていた。 「まさか故郷にまた住むとは・・・」  その時、電話が鳴った。貴幸からだろうか? 康平は受話器を取った。 「もしもし」 「お父さん?」  貴幸だ。貴幸は知っている。明日、康平は山奥に引っ越し、民宿を継ぐそうだ。だが、貴幸は全く気にしていなかった。 「そうだけど、貴幸、どうした?」 「明日、故郷に帰るんだなって」 「ああ」  康平は寂しそうだ。貴幸にはその気持ちがわかった。30年余り過ごした東京を離れるのだ。相当寂しいだろう。もっと暮らしたかっただろう。だけど、民宿を継がないといけない。 「こっちに来ればいいのに。生活は何とかしてやるからさ」 「だけど、親戚の命令だから」  貴幸は思っていた。こっちに来ればいいのに。自分が何とかするから。 「そっか。逆らえないもんね」 「うん」  だが、康平の意思は固い。これは自分を気持ちをリセットするためのチャンスだ。第2の人生の始まりなんだと。 「じゃあね。おやすみ」 「おやすみ」  電話が切れた。康平は受話器を置いた。 「いよいよ明日、帰るのか。さみしいけれど、この夜景ともお別れか・・・」  もう見る事がないだろう東京の夜景。しっかりと目に刻んでおこう。 「もう寝よう・・・」  康平は寝る事にした。すでに引っ越しの準備はできている。あとは引っ越し屋が来るのを待つだけだ。  翌日、康平はマイカーで板沢に向かっていた。板沢は東北にある山里で、関坂(せきさか)峠の中腹にある。ここはかつて、街道の宿場町として栄えて、多くの旅人が行き交っていたという。だが、過疎化が進み、現在では10人にも満たない集落になってしまった。あと数十年で消滅してしまうと言われている集落だ。 「ついに来たか・・・」  板沢はヘアピンカーブの続く山道を超えた辺りにある。かつてはここと並行する石畳の道を、旅人が行き交ったという。それと並行して敷かれた道は、多くの車が行き交ったという。だが、今では全く通らなくなった。まるで盛者必衰を表しているようだ。  数十分ほどヘアピンカーブの続く山道を進むと、少し開けた集落に入った。ここは板沢だ。昔はもっと多くの人が住んでいたが、今ではこのありさまだ。並んでいる建物のほとんどは朽ち果てていて、崩壊するのを待っている。それらに人が住んでいたのは、何年前だろうか?  康平は板沢に降り立った。その前には民宿『スイッチバック』がある。これが孝蔵が営業していた民宿だ。 「康平、元気にしてたか?」  康平は振り向いた。そこには旧友の茂夫(しげお)がいる。茂夫は中学校まで一緒だった。現在は板沢で農業を営んでいるという。 「ああ」 「東京での生活、大変だったか?」 「うん。残業ばかりで、つらかったよ。それをキャバクラでごまかす日々が続いて、不倫がわかって離婚して、大変だったよ」  康平はため息をついた。大変だったけど、もう終わったんだ。ここで新しい生活、残りの生活を送るんだ。 「そっか。貴幸は?」 「独立して、去年、子供が設けたんだって」  茂夫は驚いた。まさか、康平が子供を設けたとは。どんな子供だろうか。会いたいな。 「そうなんだ。会いたいな」 「会いたいだろー?」  康平は自慢げな表情だ。孫の事を考えると、とても嬉しくなる。どうしてだろう。 「で、父さんの民宿って?」 「ああ。数年前始めたんだ。長年の夢だったらしいんだけどね」  孝蔵は以前から、民宿を開きたいと思っていた。そしてようやく、ここに民宿を開く事ができた。 「だけど、その夢は短かったんだね」 「ここだよ」  康平はその外観を見た。事務所はまるで昔の駅のようだ。というよりか、本物の駅のようだ。 「これ?」 「うん。ここって、廃駅を改装して、民宿にしたんだって。なかなか面白いだろ?」  康平は驚いた。本当に駅だったとは。駅だった頃は、どんな駅だったんだろうか? 「うん・・・」  だが、康平は興味がわかない。鉄道に関しては全く興味がないからだ。 「どうした?」 「鉄道に興味がなくってね」 「そっか。あんたの父さんは好きだったなー。特に、この駅の全盛期の姿が」  孝蔵は鉄道オタク、いわゆる鉄オタだった。死ぬ直前まで、鉄道の写真を撮っていたという。  この駅は全盛期、とても賑やかだった。多くの鉄道員がいて、多くの人が行き交った。今では数えるほどしか住んでいない場所だけど、こんな時代があったんだ。その栄華を後世に残していくのが、この民宿の使命だろうかと思っている。 「そうなの?」 「うん。SLが走ってた頃だよ」  ここにSLが走っていた頃、ここには多くの鉄道員がいて、SLの牽く客車や貨車がやってくるたびに、給水などをしたという。 「そうなの?」 「うん。SLブームの頃は、多くの鉄道ファンがやって来たんだよなー」  SLブームの頃には、多くの鉄道ファンがやって来たという。だが、SLは無煙化の波にのまれて消えていき、ここは短い編成の気動車や、ディーゼル機関車の牽く客車列車が行き交うだけになったという。そして、この区間は複線電化によって、関坂峠の区間は長大な関坂トンネルで越える事になった。スイッチバックの板沢駅はなくなり、新しい場所に移転した。その駅は関坂トンネルの中に設けられていて、いわゆる『モグラ駅』として注目されているという。 「長いトンネルを通る新線ができて、この駅は移転したんだ」 「そうなんだ」  康平はその話を聞いていたが、全く興味がないような表情だ。
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