スイッチバック

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 事務所には、引越し業者が来ていて、作業が進んでいる。2人はその様子を見ている。引っ越し業者なんて、あまり使わない。結婚して、マイホームに住み始めた四半世紀ぐらい頼んでいない。 「これが荷物?」 「うん」  茂夫は感心した。東京でこんな生活を送ってきたんだな。いろんなものがあって、裕福に見える。だが、本当はとても忙しくて、大変だったんだな。そう思うと、ここでもう一度見つめ直し、ゆったりと余生を送りたいと思う理由がわかるようだ。 「東京でこんな生活を送ってきたんだね」 「うん。色々あったけど、いい日々だったよ。結婚して、離婚して、息子が独り立ちして」  康平はこれまでの日々を思い出した。嬉しい事も悲しい事もあったけど、最後は寂しく終わった。だけど、今日からはここでのんびりと新しい人生を歩むんだ。 「そっか。色々あったんだね」 「息子が独り立ちして以来、1人暮らしだよ」  そう思うと、康平は下を向いてしまった。あまりにも寂しいからだ。もう自分の居場所は仕事でしかない。だけど、そんな仕事も年々忙しくなって、耐えられなくなってきた。そして、自分の居場所はなくなってしまったように思える。 「寂しい?」 「うん。寂しいよ。それに、毎日の生活が大変で」  ここの生活とはまるで正反対だ。本当に大変だったんだな。 「ふーん。じゃあ、ここでのんびり余生を送ればいいじゃん」 「そうだね」  茂夫は思った。これまで、東京は豊かで、賑わいがあって、素晴らしい所だと思っていた。だが、本当はとても忙しくて、物が高い。どこがいいんだろうと思い始めた。 「東京って、豊かな所だよね。いろんな物が手に入って、夢があって」 「確かにそうだけど、大変だよ。あんまり気にしていなかったんだけど、徐々にその大変さがわかってきたんだよ」 「そうなんだ」  ふと、康平はかつての板沢駅の構内が見たくなり、外に出ようと思った。 「ちょっと外を見てくるね」 「うん」  康平はかつての構内を見渡した。すでにレールは取り外され、トンネルの入り口にはバリケードが張られている。だが、ホームや給水塔はまだ残っている。それらを見て、康平は鉄道模型のジオラマを思い出した。あのジオラマの部分にそっくりだ。 「これがホームの跡なんだ。ジオラマにそっくりだね」  康平は振り向いた。そこには茂夫がいる。茂夫も昔の板沢駅の構内を見に来たようだ。 「うん。ここにSLが行き交っていたんだ」 「へぇ。広い構内だね」 「ああ」  茂夫はSLが行き交っていた頃を思い出した。SLブームの頃は、SLを見るために多くの鉄道ファンがやって来て、まるで都会のような賑わいを見せていた。だけど、ルート変更で廃線になって、それがまるで嘘のような寂しさになった。だけど、残っているホームや給水塔、トンネル、スノーシェッドは、ここにスイッチバックの駅があった事、そして、人々の賑わいがあった事を教えてくれる。 「これが給水塔?」 「うん」  関坂峠を通るSLはここで給水をして、峠を行き来していた。SLが走っていた頃は、とても大変だっただろうな。ディーゼル機関車に変わると、給水せずに峠を行き来できたという。まるで、今までの苦労は何だったんだろうと思わせるようだ。 「賑やかな時代があったんだね」 「ああ」  と、康平はバリケードの張られたトンネルの前にやって来た。そのトンネルは、途中で途切れている。 「これが行き止まりのトンネル?」 「うん」  2人は近づいた。最初から行き止まりのトンネルがあるとは。 「本当だ! 行き止まりになってる!」 「でしょ?」  茂夫は右を指さした。その先には、線路跡らしき物が見える。これが本線の跡だ。この辺りは急勾配が続き、SLの頃はとても大変だったようだ。 「で、あの先に本線があったんだ」  康平は反対側を見た。そこには、木造の屋根がある。その屋根は、ポイントを覆うように建てられている。 「この屋根は?」 「これはスノーシェッドと言って、ポイントを雪から守るための設備さ」 「そうなんだ」  この関坂峠は豪雪地帯で、雪からポイントを守るために、スノーシェッドがあったという。 「ここは豪雪地帯だから、こんなのが必要なんだ」 「へぇ」  この本線を、多くの列車が行き交ったんだ。そう思うと、あの頃に乗ってみたかったなと思えてくる。どんな景色だったんだろう。きっといい車窓が見れたんだろうな。 「あそこのトンネルは危ないから、入れないんだ」 「ふーん」  その先のトンネルも、バリケードが取り付けられている。もう使われなくなったトンネルは、ただ崩壊を待つのみだろうか? いつまでも残ってほしいのに、それは避けられないんだろうか?  康平はもう使わなくなったホームに立った。どれほど多くの人が行き交ったんだろう。もう列車の来ないホーム。どれだけの人が行き交い、どれだけの別れがあったんだろうか? 「もうここに列車は来ないんだね」 「寂しいね」  それを見て、茂夫は寂しくなった。ここに発着する最後の列車を見送った。蛍の光が流れる中、夜の闇に消えていく列車、それを見送る住民。その中には涙を流す人もいたという。 「もうジオラマでしか見られない風景。だけど、それは時代の流れなんだね」 「ああ。豊かさ、スピード、発展のために、これらは消えていくのかな?」  スイッチバックは魅力的だけど、スピード化の波で消えていく。それはまるで目まぐるしく変化し、スピードを求める社会のようだ。これは避ける事ができないんだろうか? 「そうだろう」  ふと、康平は孝蔵の事を思い出した。孝蔵もある日、ここに引っ越そうと言ったな。最初は少し戸惑ったけど、ここで新しい事をやりたい、そしてゆっくりと余生を過ごしたいと思ったそうだ。今思うと、その理由がよくわかった気がする。 「どうしたの?」 「いや、なんでもない」  だが、康平は何も言おうとしない。不思議そうに、茂夫は首をかしげている。  その夜、康平は夢を見た。それは東京での日々だ。孝蔵がまだ働いている頃だ。孝蔵はいつものように鉄道模型をの楽しんでいる。だが、康平は興味がないようだ。康平はそれよりも別の事に興味があった。 「あれっ、ここは?」  康平は戸惑っている。どうしてこんな夢を見ているんだろう。まさか、孝蔵が見せているんだろうか? 「と、父さん・・・」 「康平・・・」  孝蔵は康平に気づいたようで、振り向いた。 「また遊んでるの?」 「ああ。興味ないのか?」 「うん」  だが、康平は興味がないようだ。やはり、自分の好みは受け入れてもらえないようだ。だけど、いつか誰かにわかってもらえるだろう。こうして昔の日本をここに再現する意味を。 「そっか・・・」  だが、次の瞬間、光に包まれた。どうしたんだろう。 「父さん! 父さん!」  夢が覚めた。いつものような朝だ。だが、そこに孝蔵はいない。 「夢か・・・」  そろそろ時間だ。今日は客は来ないけれど、チェックアウトする人はいる。 「さて、今日も始めるか」  ふと、康平はかつての板沢駅を見た。もうあの頃の栄光は戻らない。そして、孝蔵も戻ってこない。だけど、ここで頑張らなければならない。孝蔵が残したものだから。だけど、この生活もいいな。 「もうあの頃には戻れない・・・」 「どうしたんだい?」  康平は不意向いた。そこには茂夫がいる。 「いや、ここでの生活もいいかなと思って」 「いいでしょ? 都会の忙しさを忘れて、ここでのんびり余生を過ごすってのも」  康平はうなずいた。ここでもうまくやっていけそうだ。東京のような豊かな場所でなくて、ここでのんびり過ごすのもいいな。そして思った。豊かさと忙しさの中で、人が失っていったものって、自然と生きる事ではないかなと。
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