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目的
優しい木漏れ日に照らされながら歩くのは少年アキラだ。今日は腰籠はなく、代わりにリュックを背負っている。湿った土の間から茸がひょっこり頭を出しているが、今日の目的はそれではない。アキラはずんずんと山奥へ足を踏み入れていった。
昨日、一時的に世話になった洋館が見えてくる。昨日はあまりじっくりと見ることはしなかったが、ブナの木に囲まれた古びた屋敷の壁は蔦や葉で覆われており近寄りがたい雰囲気を放っていた。
アキラはふぅと一息吐くと扉を叩いた。きっと彼はいる。そう思いながらゆっくり扉を開く。ギギギ。
「おや、君は……」
「こんにちは」
思っていたとおりだった。男は昨日と同じ場所に座りアキラを見据えている。
相変わらず屋敷の中は暗かったが昨日ほどではなかった。玄関ホールの両側にある窓から外の光りが差し込んでいて、ようやっと建物の中をちゃんと見ることができた。
アキラはぐるりと見渡して、こんなに広かったんだと感心する。
「どうしたんだ?今日は雨は降っていないようだが」
「今日は貴方に会いに来ました」
「俺に?」
男の横に座るとリュックを下ろして中から弁当箱を入れた袋を取り出す。
「これは?」
「お弁当です、僕が作りました」
「ほう、君が作ったのか」
「はい、昨日採った椎茸の炊き込みご飯です」
そう言ってアキラは二段弁当の蓋を開ける。椎茸と人参の炊き込みご飯をただ詰めただけの弁当だが、男は「あの茸がこうなるのか」と感心したようだった。
「下の箱には何が入っているんだ?」
「同じものですよ」
下の中身も見せるとアキラは「一緒に食べませんか?」と男に言った。
「いや俺は……」
「箸もちゃんと二膳ありますよ」
「……」
「お茶も持ってきました」
ペットボトルと箸、弁当を手渡す。男はしぶしぶ受け取ったが食べようとはしない。毒なんて入っていませんよとアキラは言うと、まずは自分が先にご飯を食べて見せた。
「うん、美味しい」
男はアキラの顔をじっと見て弁当に視線を落とす。そして箸でご飯を少し取ると口に運んだ。
「美味しい……」僅かに男の頬が緩む。
「そうでしょうそうでしょう」
男の反応に喜びを隠せないアキラは次から次へとご飯を口へ運ぶ。
「美味しいご飯を食べればすぐに元気になりますよ」
痩せ細った顔色の悪い男はアキラの言葉にそうだなと少し笑った。
男は死に場所を探しているのだろう。アキラはそう考えていた。この山は時々そういった人たちが入山してくる。登山道を外れた樹海の森ではもう何人も自殺しているらしい。アキラ自身は見たことはないが地元では有名な話だった。だから何とかこの男を踏みとどまらせようと、アキラなりに考えた結果が『美味しいご飯を食べてもらう』だった。
「あ、そうだ、あの後探し物は見つかりましたか?」
「いや、まだ見つからないんだ」
「そうですか……その探し物が何か聞いても?」
「……いや、聞かない方がいい」
「……そうですか」
やはりこの話題はやめた方がいいのかも知れない。そう思ってアキラは話を変えた。
「明日は何が食べたいですか?」
「明日も来るのか」
「やっぱり迷惑ですか?」
「いや、迷惑なんかじゃないさ。ただ……」
「ただ?」その先を促す。
「俺なんかと食事をして君は楽しいのか」
「ええ、楽しいですよ。貴方が笑うと僕も嬉しいんです」
「……そうか」
男は弁当箱に視線を落としながら言う。
「なら明日は違う茸料理が見てみたい」
「いいですよ!腕によりをかけて作りますね!」
アキラの笑顔につられるように男も頬を緩ませた。
男は少しずつご飯を口に運びながら、アキラの話に頷いたり相槌をいれたりしながら全て平らげた。それを見てアキラはとても喜んでいた。空箱をリュックにしまい「では今日は帰りますね」と屋敷を出て行く。その背中を見送った男は一人になると小さく溜め息を吐いた。
「早く人間を見つけなければ……」
呟いた唇の隙間からは鋭い歯が覗いていた。
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