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日曜日の夕方。妻の美樹が、買い忘れがあると言って一人スーパーへ引き返したので、森本はマンションに到着すると玄関の郵便受けに寄った。 「何だこれ?」  やけに不気味な封筒が目に留まる。  『森本 直哉様』  差出人のない、自分宛の白い封筒。帰って中身を取り出した森本は、思わず「うわっ!」と手を離した。  この封筒は毎日届いた。 ◇ 「お疲れ直哉、どした?」  朝から営業に出ていた矢川は社に戻り、PCをじっと見つめる同期森本の、青白い顔を見て声をかけた。 「あぁ、うん。いや……」  森本は思い詰めたような表情。矢川は出来る限り声を小さくした。 「おい、一人で抱えるなよ? 何かやばいミスでもやらかしたか?」  森本のPC画面は何の変哲もない。 「違う、仕事は関係ないんだ。だめだ、頭が回らない」   大きな溜息と共に頭を抱えた森本を、矢川は営業フロアの外の自販機へ連れ出した。 「何があった?」  二本買った缶コーヒーの一つを開けてやる。森本はゆっくりとそれを受け取り、話し出した。 「俺、ストーカーされてるみたいなんだ。日曜、家に帰ると、ポストに封筒が届いてた。切手とかなくて、直接入れられた感じの」 「それで?」  矢川は眉を寄せながら親身に話の先を聞いた。 「封筒の中身は、真っ赤な唇型付きの手紙と、婚姻届と、本物の髪の毛……」  矢川は思わず口をへの字に曲げた。 「何だそれ。手紙には何て?」 「『あなたを離さない』って……」  矢川は「うぇっ」と更に口を曲げた。 「毎日同じ物が昨日で四日連続入ってた。それも……」  「それも?」矢川は先を促す。 「よく見るとその髪の毛、日を追うごとに長くなってくんだ……」  森本はぎゅっと顔を潰す。「うわっ」っと吐き気を催す矢川。 「この事、美樹ちゃんには?」  森本は結婚して二年になる。 「言ってない。バレないように何とかしてる。最初にポストを見たのが俺で本当によかったよ……。今週は美樹ちゃんが出張だったり遅かったりで、何とか見られずに済んでるんだ」  森本の表情は険しさを増す一方だ。 「まぁ、無闇に心配させたくないか」  結婚生活というものを想像できない矢川は、小刻みに頷いた。 「そうじゃなくてさ、その封筒が始まったのが日曜だろ。それに婚姻届の妻の欄に、名前も書いてあるんだ」 「え、誰なんだよ!?」  思わず大きな声を出した矢川を「しっ」と森本が制し、二人とも更に肩を寄せて続けた。 「名前は、澄田文恵」  その名に、矢川は記憶を辿る。確か。 「金曜の合コンにいた、文恵?」  森本は静かに、「ああ」と大きく頷いた。 「合コンの帰りに家までつけられたのかもな。お前のためだったとはいえ合コンに参加したなんて、美樹ちゃんにはバレたくない。何とか俺が自力で捕えてやめさせようと思う」  森本はくっと首を上げてコーヒーを飲み干す。 「捕まえるって、どうやって? まずは他の二人に連絡してみるか?」 「いや。文恵がストーカーだなんて同僚の二人に知れたら可哀そうだろ。俺の説得でやめてくれるなら、それでいい」  矢川は、森本の器の大きさに溜息が出た。 「まあ、お前がそう言うなら」 「今日は美樹ちゃんの帰りが早いんだ。それまでに何とか片づけたい。相手が文恵なら、定時に退社後、うちに来るんだと思う。今日俺は早めに帰って、ポストを張る。もしも現れて封筒を入れたら、現行犯だ」  矢川は悩んだが、相手は小柄な女性で、森本が負けることはないだろうと判断した。 「わかった。俺も手伝いたいけど、これから商談で。相手は刃物とか持ってるかもしれないんだし、無理だけはすんなよ」  森本は、矢川に背中を押され、「わかった」と覚悟を決めたように頷いた。  矢川は少なくとも人違いでないという確信を持ちたかったので、文恵の髪色を思い出し、自席へ戻っていく森本の背中に念押しする。 「なあ、ちなみにその髪の毛って、何色だ?」  森本は一瞬立ち止まって振り返った。 「何色って……。黒だよ」
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