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卓のわめく声がこめかみを針で指すように刺激する。
対して、篠井さんは冷静に卓を見下ろしている。
「お前、なんで夏依を裏切った?」
「はぁ!?」
「会いに来なくて寂しい? なら、どうしてお前が会いに来ない?」
「それは――っ」
篠井さんに突き飛ばされた卓が、玄関ドアを支えにゆっくりと立ち上がる。
篠井さんが私を隠すように立つ。
私は彼の背中を見上げ、それからどうしてか不意に卓の感触が残る唇の不快感に耐えられなくなり、手の甲で拭った。
よだれで手の甲が濡れる。
それがまた気持ち悪くて、拭い続ける。両手で。
拭っても拭っても消えない感触。
たかが、キス。
何度もした。
セックスだってした。
キスぐらいで、と自分でも思う。
思うけれど、嫌なものは嫌だ。
「お前は、はざ――夏依に求めるばかりで、何か与えたことはあるか」
「与えるって、お前こそ何様だよ! 俺はただ、俺を好きなら――」
「――じゃあ、夏依に会いに来なかったお前は夏依を好きじゃなかったってことか」
…………っ!
わかっていた。
私が会いに来なかったことを理由に、浮気するような男だ。
それでも、真っ裸で別れたくないと泣いて縋る卓を見て、ドン引きしたと同時に少し救われた。
浮気相手の美人を前に、卓は私しか見ていなかった。
歪な感情ではあったけれど、私は愛されていたのだと自分を慰めるに十分な根拠となり、だからこそ胸を張って別れを告げられた。
私が捨てたのだ。
そのちっぽけなプライドを、篠井さんが打ち砕こうとしている。
聞きたくない。
卓にとって、自分がいらない存在だったなんて、聞きたくない。
もうこれ以上、誰にも必要とされない私にはなりたくない。
「好きだから、会いに来てほしかったんだ! え、遠距離になっても寂しいとか言ってくんないし、電話も出ないこともあるし、そんなのムカつくだろ!」
「だから裏切るのかよ。それで夏依に捨てられるとか、本末転倒だろ」
「~~~っ!」
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