秘密のシノビクエスト

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 「あ……は?」  まあ、答えたところで、まともに反応を返す人物の少ないのだけれど。何せ400年以上も細々と暗躍を続ける忍びの集団、その末裔だなんて、一発で理解されても困る。  理解できるヤツもいるから余計に始末が悪い。それで理解できないような相手は大概にして。  「こ……の! ふざけるな!」  逆上、遮二無二の突撃。ラグビー選手のようなタックルが緑郎を襲う。何とも、予想通りの展開。  だからこそ、地上3階が丁度良い。  男が突撃するのと同時に、エレベーターの扉が開く。完璧に見計らったタイミングのまま、緑郎はまともにタックルを受け、エレベーターの外へと押し出された。  扉の反対側にある壁まで、一直線。がつりと衝突させられるけれど、衝撃もダメージも計算通り。  男は再び、緑郎の胸ぐらを掴むと渾身の力で拳を振り上げる。  「てめぇ、ぶっ殺す!」  「その前に周りを見なよ」  男にだけ聞こえるよう、呟きの音量を調整して、親切にも確認を促してみる。  男は一瞬動きを止め、軽く周囲を目配せ。そこで状況に気付く。  ──辺りには老若男女の人だかり。若手の巡査、くたびれた巡査長、凛々しい様子の警部、きっと取調室から移動させられている最中の容疑者。  火災報知機が我鳴り始めてまだそこまで時間は経っていない。けれどここは天下の警視庁本部庁舎、その手の避難誘導は手慣れたもの。日常茶飯事的に、それは町中で行われているのだから。  ましてその対象が自分達なら、より迅速にもなるだろう。その丁度動き出した空間に、男は緑郎を突き飛ばしてしまった。  誰、何、これは? ざわざわと不穏な波が起こる。口々に状況がどうなのかと、怪訝にささやく声ばかり。  古色蒼然となる男の手を、緑郎は叫びながら振り払う。助けて、助けて。  「助けてください! 殺される!」  へなへなとした足取りで、どうにか逃げ出せた体を装い、緑郎は人だかりを掻き分け逃げ出した。  事態の深刻さに気付いた男が慌ててその後を追いかける。呆気に取られる群衆のなかで幾人かが前を塞ぐけれど、男はそれを払い除けて突っ走る。  走りにくい廊下を抜け、人がまばらの何処かのオフィスに入り込み、デスクを盾に十秒ほど逃げ回り。捕まえられない男は苛立ち、追い詰めようと手近なデスクに置いてあるカップを投げつけた。  走りながらであるのにコントロールは良く、逃げる緑郎の後頭部にそれは当たる。もの自体に重みは無いが、中身は入ったままだった。冷めかけのコーヒーが視界を塞ぎ、緑郎は足を止める。  そこをすかさず男が詰める。助走を付け、再びタックルをお見舞いするために。そのまま引き倒し、首を折るなり頭を潰すなりしてすぐに逃走、それで最低限事なきは得られる。  「死ね小僧!」  男はようやく捕らえた好機に奥歯噛み、緑郎に飛びかかる。ふらついて立ち止まる緑郎は、男の突進に反応できず棒立ちの状態で振り返り。  「あんたが死ぬんだよ」  ふらついたように見せ、重心を落とし。餌に食らいついた獲物をしっかりと捕まえるため、立ち止まる。  この場所で。オフィスの一角、少し開けた四角い部屋の一辺。床と天井を繋ぐように聳える、大きな窓ガラスのそば。  「ッ!!」  緑郎の声が聞こえたときにはもう遅く、準備は既に整っていて。自分に体当たりしてくる男の身体を、背負い投げの要領でいなしつつ、勢いの方向を窓ガラスへ向けて修正する。あとは自分で生み出した勢いを使って、人間二人分の重量を大きなガラスの中心にぶつけるだけ。  窓の外には何があるか。  アンサー。娑婆である。  バリィン!  「ひ!」  「はは」  景気良く割れた窓ガラスから飛び出す、二人一組の人影。地上3階、だいたい13メートルの高さから人間がまっ逆さまに落ちれば、助かる術はない。  一人きり、ならば。  「じゃ、お疲れ」  緑郎は淡々と告げて、男を眼下のアスファルトへと蹴り出す。  それで作り出した推進力で、すぐそばの街路樹に自身を飛び込ませた。  蹴り出された男は。  「あ、まっ」  それが遺言となる。  ごきり。  頭から歩道に突っ込む巨躯は、哀れにも首をへし折られ、頭をカチ割られて黒いアスファルトに赤い花を咲かせる。  近場を通った犬の散歩中らしい飼い主が、その惨状に悲鳴をあげる。街路樹の枝葉に隠れる緑郎に、ほんの少しも気付かずに。  何時も通りのこと。何時も通りに、影さえ消す。緑郎はそのまま、ひっそりと樹上から飛び降り、音もなく立ち去った。  のだけれど。そうして、誰にも見られないままオフィス街に消える直前。  「右側失礼」  するすると、緑郎の傍らに年季の入った大型スクーターが止まる。その乗り手の声は、良く聞き覚えのある声で。  緑郎は横目でチラリと確認する。陽気なジャケットに使い古されたワイシャツとスラックスで、久瀬明が現れた。  それだけ認めて、緑郎は久瀬を無視して歩き出す。おいおいおい、と。慌てて緑郎と並走する久瀬。  「折角協力したのにツンが過ぎないかその態度? 勝利の祝杯くらいあげようぜ!」  「……やっぱり、あの警報は君だったか。どうして中の状況が分かった?」  「襲われて音声途切れちゃったってことは、異常事態だろ? ならせめて、逃げるにしろ反撃するにしろ、隙を作る演出はしないとね。まあ、どこにいるか分からなかったから、どこにいても一番確実に伝わる方法を選んだ次第なんだけどさ。幸い守衛さんとは顔見知りだし」  「ああ、そう」  緑郎は興味なさげに答える。冷たいねぇと、久瀬は苦笑しながら肩を竦める。  けれど、ぶっきらぼうに差し出される、緑郎の拳。  「まあ、助かったよ……ありがとう」  「──くははははは! そうかい! なに、それほどでもねぇよ共犯者!」  告げて、久瀬も緑郎の拳に合わせる。かなり素直な謝意が、久瀬には嬉しかった。  こつん、と。小さな衝撃が、皮膚と骨を伝う感触。昔を思い出すように、互いが小さく微笑んで。  「んで、本題だけどさぁ」  久瀬が笑顔の質を変えて質問する。  「お目当ての情報は入手できたかい?」  「一応は。あとは精査と調査が必要だけど、このあと時間あるか?」  行きたいところがある。そう言って、視線を久瀬に向けて立ち止まる緑郎。  怪訝に見返す久瀬は、緑郎の視線がどこに向かっているか悟る。自分自身、というより、自分がいま跨がっている文明の利器。  「ちょ、おれの愛機を貸せってか!? 昨日今日でさんざん協力した上更にアシまで分捕ろうってわけ!? これまだローンが終わってないし……」  「流石にそこまではぼくも悪いと思うからやらんよ。だけど目的地まで乗せてくれ。でなければ今君が言ったことを実践しないといけなくなる」  面と向かっての脅迫に、それはもうすごい渋面を浮かべることしか久瀬にはできない。一応、予備のヘルメットも持ってきてはいるけれど。  「予測はしていただろ? でなければそのスクーターで現れないはずだ。愛機なんだし」  「当たってほしくはなかったがな! くそ、乗れ!」  観念してシートの下に仕舞っていたヘルメットを投げて渡す久瀬。悪い笑みを浮かべながら、そう来なくちゃとヘルメットを受けとる緑郎。  やはり頼りになる共犯者だと言外に言われた気がするが、そこは無視しておこうと久瀬は心に決める。下手に機嫌を損ねた結果、運転中に運転手が入れ替わるみたいな忍術を披露される可能性もある。  避けられるリスクは避けておかねば。内心での決定事項を飲み込んで、久瀬はスクーターに乗り込んだ緑郎へと振り返る。  「で、行き先は?」  「彼女が死んだ現場だ。確認しなきゃならないことがある」  「確認?」  「彼女の死体は薬品による焼損が激しかったらしい。この遣り口には覚えがある」  淡々と、事実のみを告げることに努めるような、冷静な声音。緑郎の気遣いと、いちおう久瀬は受けとるけれど。  ──最後の方、憎悪が隠しきれてないぜ?  その言葉も、内心に押し込んで、スクーターは動き出した。  高校の時分を、少しだけ思い出す。あの熱に浮かされたような狂騒、文化祭の準備期間がもたらす暴走気味なハイテンション。  緑郎の後悔のひとつに、その熱狂の渦中を経験しなかったことがある。家柄、職業柄──もうその時点で、任務は既にこなし始めていた──から、そういう雰囲気に馴染めても、入り込めた試しはなかった。  出し物の準備に余念は無かったし、同級生の、主に久瀬明から端を発するバカ騒ぎは、素直に遠巻きで笑っていた。場の空気を損なわないように。  心の底から感情を出したことは無かった。隙や弱みに繋がりうる自己の揺らぎは、出来得る限り排除すべきだから。  ──じゃあ、今度の文化祭はきちんと見届けないとね!  緑郎の独白に、彼女はそんな言葉を返して見せる。  学校帰り、夕暮れ時、人のいない公園で。演劇のメンバーがあれやこれやと打ち合わせしている最中に、あっけらかんと大狼美天は告げた。  どうして、と。緑郎は不思議そうに返してみた。自分の感情が動かないことと、今度の出し物が一体どう関わってくるのかが分からない。  素直に首を傾げる緑郎へ、彼女は満面の笑みで答える。だってもう、決定事項だもの。  ──この劇をろくろーくんの魂にぶっ刺す! 心のそこから楽しませるの確定だから、見なきゃ損だよ!  良く通る綺麗な声で、堂々と恥ずかしいことを言ってのける。しかも自信たっぷりに。  何の確証もないのに、全部が勢いで出来上がった台詞なものだから、なんというか。  緑郎は呆れて、笑ってしまった。  そんな、数年前のとある時間を思い出す。あれから状況も変わって、立場も変わって、チームとしてあの演劇をやりきった時の面子とも、もう随分と連絡を取っていない。  けれど変わらず、夕焼けは綺麗だ。都内有数のタワーマンション、その一室に差し込むオレンジ色の陽光を、緑郎は確かに綺麗だと感じている。  きちんと、心の底から。かつては、仕事の支障になると思っていた人間らしい感情の機微はやはり、存外に心地の良いものだ。  「やっぱり、部屋に目ぼしいものは何もないな。あらかた探し終えたっぽく、綺麗に整頓されてる……ちゃんと証拠保管庫で漁ってくるべきだったんじゃないの?」  「それが出来る状況じゃなかったからな。それに決定的な痕跡は、保管庫にたどり着く前に消されてるだろうさ」 規制線の張られた一室に、挨拶もなく久瀬と緑郎が入り込む。警備も無く、いたくスムーズに入り込めた。  警察手帳を見せただけでそそくさと案内してくれた管理人曰く、事件発生時こそ警察が慌ただしかったが、二日目の夕方には誰も立たなくなっていたとのこと。同じフロアの住人達は事件の影響で別のフロアに移ったり、そもそも転居していったらしい。  なにもかもきな臭い。プロットからして三流の仕事だと、話を聞いた久瀬は深いため息をついていた。  気を取り直し、今度は浴室に足を踏み入れる。こちらはリビングや寝室と違い、現場の状況が比較的そのままで残っていた。  鼻を突く据えた刺激臭、薄汚れた鏡や床。浴槽の様子はそれこそ顕著で、赤黒いシミが被膜のように全体へこびりついている。  それだけで緑郎は確信した。  「やはりか……違うな」  「やっぱりそ、え? 違うの? さっきの見覚えある遣り口の誰かじゃなく?」  ひどい驚愕を顔面いっぱいに表す久瀬。凄惨な現場の悲惨な状況でも、努めて眉すら潜めなかったのに、中々剛毅な反応だ。  そう思いながら緑郎は続けて。  「だってそいつ、去年ぼくが殺したからな」  「去年ぼくが殺してんのかよ! それなら闇雲に含みを持たせるんじゃねぇ!」  期待して損した、とか。なにか色々ずれた反応だけど、それは置くとして。  「だが状況はそいつの仕事とほとんど同じだ。ヤツはこういう痕跡も残さず綺麗に人体を「消す」から。薬品の調合は門外不出だったらしいな」  「あ、ん? つまり、どう言うことだ?」  「ヤツの仕事を知りつつ完璧な模倣じゃない。つまり半端な情報で物真似だけしたって事だ」  「……ふむ、じゃあ半端な情報を得られる立場って言うと、どんな人種だ?」  「ぼくと同じ人種、そういう奴らの後片付け業者……あとはそれこそ、そういう裏を掴んでる警察の一部とかかな」  「…………ああ、やっぱり」  緑郎は予想外の声を聞く。久瀬からの、落胆にも似た納得が。  緑郎は久瀬に振り向く。それを催促と捉えた久瀬が、言葉を続けた。  「──ある噂だ。警察組織の誰かが言った。“もしも予防的に犯罪を抑止できたら楽だよね?”、みたいな事をさ。もしもそういう行動を起こすなら、警察はどうすべきだと思う?」  「……予め集められた情報からその傾向のある該当人物を「処理」するだろうな」  「重ねて。もしもそんな人権無視の団体が、警察のいち組織だと知ってしまった只の市民は、どうされると思う?」  ──ああ、そうか。  察しはついた。経緯は分からないけど、事実はきっとそうなのだろう。だからこそ、この結末に至った。  自分達の大事な友人の、名状しがたき理不尽な末路。  それを許せなくしてくれた彼女の笑顔を、緑郎は忘れない。  「……そいつらの名は?」  緑郎が問う。もう、声に含む怒気を隠しもせず。  久瀬は1本、懐からタバコを取り出し火を付ける。落ち着かせるよう煙を吸い込み、吐き出して。  「──警視庁特殊内務課。仲間内で特務と呼ばれる、民主主義の否定だよ」  
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