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 大きな家が立ち並ぶ閑静な住宅街。  時生(ときお)は、なるほど金持ちが住んでそうな場所だな、などと考えながら歩みを進める。  依頼人の家もご多分に漏れず裕福なようだ。先ほど査定をしてもらった例の腕時計は、依頼人の言ったとおりいい値段だった。  しばらくして、白と黒を基調とした一軒家の前で足を止める。家に明かりはついておらず、駐車スペースには車1台分の空きがあった。表札を確認してからインターホンを鳴らす。  応答はない。もう一度鳴らして待っていると、犬の散歩から帰ってきたらしい向かいの住人が声をかけてきた。 「満宗さんなら家にはおられないと思いますよ。」 「ああ、そうなんですか。ではまた明日出直します。」 「いや、明日も多分……満宗さんのお知り合いかしら?」  どうやら向かいの家を訪ねてきた若い男に、いろいろと話してしまって大丈夫なのか思案しているらしい。情報を引き出すため、笑みを浮かべて話を続ける。 「レンタルサービス業者です。満宗さんと契約させていただいていて……今日は浄水器のお取替えに伺いました。」 「そうなのね、なら知らないと思うけど……」  向かいの主婦は業者だという男を怪しむことなく、まるでとっておきの秘密を明かすように話し始めた。 「これが例のロボットですか」  端末から凛とした声が響く。画面越しに何の反応も示さないアザラシのロボットを興味深そうに見つめているのは砥紙(とがみ)あやめだ。 「まぁよくあるタイプのペットロボットですね」 「そうなんだけど、素人にこれを直せっていうのは酷だよなぁ」 「できないなら社員の座を譲ってもらうだけです」 「それはちょっと俺だけじゃ判断できないというか……」  砥紙さんはまだ大学生で学業のかたわらここの仕事を手伝っている。時生に懐いている彼女は、役に立ちたいと日々奮闘しているが、正社員としてもアルバイトとしても雇われるにはいたっていない。そのせいなのか俺へのあたりが少しきついのである。 「……なぜあなたは社員で私は業務委託なんですか……」 「ここの仕事はたまにだけど厄介な案件もあるだろ? 砥紙さんはまだ学生だし、危険な目にあわせるわけにはいかないんだよ。その点俺は後ろから刺されたって死なないし、壊れても修理すればいいから便利ってだけだ」  時生も一応そういった気遣いはできるみたいで、少し危険だと判断すれば彼女を仕事から引かせることもある。 「……やっぱりあなた、人間じゃないんですね」 「え?」    俺に一瞬道端にひっくり返っている虫でも見るような目を向けた砥紙さんは、ボソッと言い放った。  いったい今の発言のどこが気に障ったのかわからず、どういうことか聞き返そうとしたところ、彼女は話を続ける気はないとでもいうように首を振った。 「おしゃべりが盛り上がっているようだが、仕事は終わったのか?」  時生が奥の部屋から姿を現し、ドカッとソファに腰を下ろした。   「はい。伍大さんと違い仕事が早いので」 「余計なこと言わないでよ」  砥紙さんは俺の言葉を気にすることなく、資料を読み上げ始める。  端末の画面に数枚の写真が映し出された。 「依頼人は14歳で近所の学校に通う中学2年生。成績はそこそこで生活態度に問題なし」  両親のほかに高校生の兄と暮らしている。両親は共働きで家を空けがちだが、家族関係は良好。近隣トラブルのうわさもなし。 「父親がどうやらロボットの販売会社の重役みたいです。株式会社ハマナ……MoO.Rの製造元の関連企業ですね。つまり稼ぎがいいということです」  これであの時計の出処は父親という可能性が高くなってきた。もし息子が勝手に時計を持ち出して探偵を雇ったなんてことがバレたら、俺たちが訴えられるんじゃないのか?やはり金に目がくらんでいる社長をどうにかしないと……などと考えをめぐらせていると、ふいに話が向けられた。 「伍大さんもMoO.Rだからハマナ製ですよね?」 「うん、そうだけど……それが?」 「いえ。大企業の主力商品で、一応高級品なのに……天と地ほどの差だなと……」  時生の表情がスン……と消える。  俺を詰るつもりの発言だったのだろうが、それが遠回しに探偵事務所が稼いでいないこと、ひいては社長の時生を罵倒していることになると気付いているのだろうか……。  ハマナとは、MoO.Rの開発、販売を手がける大企業で、日々よりよい人とロボットの暮らしを実現するため研究をしており、社会に貢献してさまざまな功績を上げている。ただ、組織との癒着もうわさされており、警察に属している特殊技能操作隊、「Wave」は実質ハマナの操る組織だと言われている。  砥紙がタブレットを机に置いたので、手に取って調査書に目を通す。どことなく違和感を覚え、記載されている情報を順番に見比べた。 「これ、お兄さんのだけ卒業アルバムの写真?他のはちゃんと最近のだよな」  父、母、そして依頼者の千颯は外にいるようすや歩いているところなどの隠し撮りだが、兄の満宗世河(みつむねせいが)だけは空色の背景に学ラン姿で笑みを携えた写真が載せられている。 「あぁ、それは……兄だけ一度も姿を確認できなかったんです。仕方がないので中学の卒業アルバムから拝借しました。それともう1つ……」  砥紙さんは少し落ちてきた眼鏡を直すと、十分に間を取ってから口を開いた。 「この家族、ホテル暮らししてるみたいです」  ホテル暮らし? 調査書の中の写真に写ったモダンで大きな家は、抜け殻だというのか? 「家周辺で張っていても誰も出てこず……探すのに苦労しました」  砥紙さんが画面を変えると、家族が宿泊しているらしいホテルの写真とホームページを切り取った画像が現れた。駅前にある高級ホテルだ。俺の稼ぎでは連泊はおろか、一日泊まっただけでも家計が火の車になってしまうだろう。  調査結果の報告を終え、再び砥紙さんの映った画面があらわれる。 「これで終わりか?」 「え?」  お褒めの言葉を待ち望んでいたらしい砥紙さんは、予想と違う時生の反応にうろたえる。まだ何か不足している点があるのだろうか。 「いや、いい。今度は満宗一家の宿泊記録を詳しく調べてくれ。結果はメールで報告を」 「わ、わかりました……」    すぐに報告しますと言い残し、端末から砥紙さんの姿が消えた。  時生がソファに寝転んでタブレットを眺めているのが目に入る。ひと通り見終わると、時生はタブレットを腹の上に置いてため息をついた。 「何かわかってるんだろ。もったいぶってないで教えろよ」  別に砥紙さんがいるところでそのまま話せばよかったのに、と言うと時生はなにやら眉間にシワをよせて渋い顔になる。体を起き上がらせ、自室へと消えると1分もしないうちに四角い箱を手にして戻ってきた。  依頼人から前報酬としてもらった腕時計だ。  査定してもらうと言っていたからもう金に変わったかと思っていた。しかしなぜこのタイミングで箱を持ってきたのかと時生の顔を見る。 「査定のついでに満宗邸周辺をうろついたら、近隣住人とお話できた」  なら知らないと思うけど――と声をひそめて満宗家の向かいの住人が話し始める。 『おとといの夜、満宗さんの家にパトカーが何台も来ててね、何があったのか気になって家の前に出てたの。するとどうやらね……』  少し間を取ってから、住人は女子高生が人の色恋沙汰をしゃべっているときのように、時生に話す。 『強盗に入られたみたいなの』  つまり千颯くんは強盗の被害に遭ってすぐうちを訪ねてきたことになる。  そんな大変な状況で探偵にロボット修理の依頼をしに来たというのか。写真や動画が入っていると言っていたが、直すにしてもこのタイミングである必要はないだろう。あの千颯くんの様子からしても、親には黙ってここを訪ねたはずだ。  いったい何が目的なんだろう。 「……少しつついてみるか」  時生はソファへ腰を下ろしながら、何の反応も示さず静かにたたずむアザラシのロボットを指でなぞった。
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