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「同意書にサインをもらってきました」
そう言った依頼人の手から一枚の紙が差し出された。
昨日、保護者の同意書がないと依頼は受けられないと説明したが、すぐに千颯くんは同意書を持って探偵事務所を訪れた。
サイン欄には読みやすい文字で名前が書かれている。
「確かに受け取りました」
時生は紙に書かれたサインを一瞥すると、タブレットを片手に奥へ引っ込んだ。
それを見届けると、俺は依頼人の方を向き修理の現状について説明をおこなう。
「外側の損傷が激しいけどこれはすぐに直せると思う。今は部品集めと中身を直せるかどうかの確認ってところかな。本職の人じゃないから時間はかかるし完璧ってわけではないけど……まあ同類のことだし、まかせてください!」
今の話に何か引っかかることでもあったのか、依頼人は眉を上げて驚いた。完璧ではないと言ったのはまずかったかもしれない。大変だ。このままでは依頼が取り下げられて、報酬がいただけなくなった時生の機嫌が急降下してしまう。
「えっと、もちろん精いっぱい修理するけど……」
「伍大さんってMoO.Rなんですか」
焦っていろいろしゃべろうとした俺を気にすることなく、依頼人が質問する。どうやら気になっていたのは俺のポンコツ具合ではなく、俺がロボットであるということらしい。
「うん。壊れて捨てられてたのを社長に拾われたらしい」
ここに連れられてきたときにはもう新品同然の状態で、以前自分が誰に使われてどんな仕事をしていたのかは全くわからなかった。
「……それって法律に引っかかってないですか?」
確かにMoO.Rは気軽に買えるものではないし、廃棄するには個人ではどうこうできる代物でもない。それを拾うことも何らかの法律に触れてしまっている気はするが、雇い主がしょっぴかれ、ついでに自分も廃棄処分なんてことになれば困るので気のせいだと思いたい。
「なぜ探偵事務所に精密機器の修理が依頼できたのか納得できました」
「はは……」
依頼人があきれたというようにため息をつきグラスを爪ではじくのを横目に、思わず乾いた笑いがこぼれた。
そういえばここのホームページに「お子さんのおもちゃからスマホの修理まで!」みたいなことが書かれていた。もはや探偵業から逸脱している感は否めないが、まさか自分をあてにされていたとは思わなかった。
「じゃあここの仕事はほとんどあなたがやってるってことですか」
依頼人が水滴のついたグラスに視線を向けながら言った。さきほど俺が入れた麦茶だ。仕事というのは他にも、依頼人が事務所に入ってきたときに行っていた事務作業のことも指しているのだろう。
「あー、全部じゃない。雑務とか書類作成とかね」
「昨日、電球換えとけって言われてませんでした?」
……しょうもない会話を聞かれていたようだ。なぜ依頼人が俺の仕事についてあれこれ聞いてくるのか不思議に思いながらも、社長の評判を落とすわけにもいかないのであたりさわりなく返す。
「依頼を受けるかの判断は社長がするし、依頼人との話し合いも社長がしてる。社長っていうのはここぞってところで出てくるものなんだよ」
たぶん。と心の中で付け加えた。これでフォローできているのかわからないが、いつも怠けてますと言うよりはマシだろう。
「世間ではMoO.Rに人権を与えるかどうかの議論がされてるのに、こんな扱いはどうかと思いますけど」
「人権を与えたいのはロボットを使って支持を得ようとする政治家と、そいつらから金をもらってる製造会社だ」
いつから話を聞いていたのか、時生は奥の部屋から出てくると依頼人の向かいの椅子に腰を下ろした。
「いいですか、世の大人たちは得をするから行動するんです。人間のような姿かたちなのに、ルールもなく働かされてかわいそうだからじゃない」
「そうだったとしても、それで救われるMoO.Rもいるでしょう。彼らは僕たちと同じで感情もあって痛みも感じる。際限なく働かせていいわけじゃない。悪徳雇用主が減るならそれでいいんじゃないですか」
――あなたみたいな。
そう付け加えた依頼人は時生をきっとにらみつける。時生は相手にしていないのか組んだ脚の上に、絡めた両手を乗せて依頼人の視線を受け流した。
なんでこんなにバチバチしてるんだ。人権うんぬんの話が自然と中学生の依頼人の口から出てくるのにも驚いたが、それに大人げない態度をとる時生も時生である。これ以上空気が悪くなってはこの場に居づらいので、不得意な社長フォローで両人の膠着状態を収めにかかることとする。
「えーっと、そんなに険悪にならないでさ!千颯くんも社長のこの態度が気に入らないかもしれないけど、働き分の給料はもらってるし全く休みがないわけでもないんだよ。少し怠け者でも依頼はきちんとこなすから!」
必死になってあれこれ並べてみたが、主に伝えることができたのは態度が悪いことだけな気がする。ちらりと時生の方を見ればさっきの千颯くんを凌駕する鬼のにらみが飛んできた。ごめんなさい。これでも精一杯やったんです。
はぁ、とため息をつき俺から視線を外した時生はどこか遠くを見るような顔になって言った。
「……MoO.Rはあくまで物です。だから人間に危害を加えるようなことがあれば、問答無用で廃棄処分だ。それはきっと人権が与えられたとしてもね」
時生の言葉に依頼人は一瞬幽霊でもを見たかのように目を見開き、それから自分の膝の上に視線を落とした。
俺にはこの人たちがなぜここまでMoO.Rについて議論できるのかわからない。ロボットに人権なんて、考えられないような話だ。時生の言う通りMoO.Rは物で、殴られた痛みも、たくさん働いて感じる疲労感も、結局のところプログラムでしかないのだから。
すっかり氷がとけてしまったグラスを盆にのせ流しへ持っていく。
「コーヒー淹れといて」
扉越しに時生が要求する。
……確かに探偵助手の仕事ではないかもしれない。依頼人にいろいろ言われてしまった影響かそんな考えが頭に浮かんだ。
しかし、いくら雑事が助手の仕事ではなかろうがこいつをキッチンに立たせるわけにはいかないのだ。
この事務所で働き始めて間もない頃のことだ。
その日は珍しく仕事が立て込んでいて、俺も経費やら依頼人の書類の作成やらで目が回るほど忙しかった。そんな折、例の茶をいれろ発言である。
俺は経験したことのない仕事量と連日の慣れない業務に頭がパンク寸前だった。
「そんなに飲みたきゃ自分でどうぞ!アンタは子どもか?それとも前時代のおやじか?」
そう言い捨てて作業に戻った。人間様のために働くロボットとしてはあるまじき言動だったが、時生は怒るでも文句を言うわけでもなく水をケトルに入れはじめた。
おとなしく言うことを聞いたのに少し違和感を覚えたものの、自分の仕事に必死でそれ以上は気にとめなかった。
しばらくするとキッチンの方から何かを炒ったような香ばしい――というかそれを通り越して焦げ臭いにおいがしてきた。
まさかと思いキッチンに戻ると、小鍋をごおごおと強火にかけて茶葉を炒り、ケトルから沸騰したお湯を投入しようとしている時生と目が合った――。
その後はもはや炭と化した茶葉を泣く泣く捨て、俺がお茶を入れ直した。
いったい何を思って鍋を取り出し火にかけたのかはわからないが、こいつをキッチンに立たせてはいけないということだけは学んだ。
どうやらこの男はなかなか高スペックな頭や身体、顔を手に入れた代わりに家事に関する機能はすべて神様に取り上げられてしまったらしい。奥にある時生の住まいの惨状を目の当たりにした際は、事務所が黒くてすばやく動くアイツの巣窟であるかもしれないという事実に震えた。
どうでもいいことを思い出しながらドリップを終えたコーヒーを片手に、時生の前へ黒のマグカップを置く。
ゆったりとした動作でマグカップを持ち上げコーヒーを飲んだ時生は、首を傾けてこちらを向いた。
口角が片方上がっている。
ニヤリという擬音がぴったりの顔だ。
「そんなにうまかった?」
フンと鼻で笑われた。なんだよ、うまいだろ。もう淹れてやらないぞ。
時生がコーヒーを淹れろと言うのはたいてい依頼が順調に進んでいるときだ。どうやら今回の奇妙な依頼は、こいつの中で完結に向かっているらしい。
「ロボットは修理できそうか?」
「え?あぁ、データの修復がなんとかなればって感じだけど……」
早く直せと催促するつもりか?次に出てくる言葉におびえながら身構えていると、時生は再びカップに口をつける。一口飲んだ後カップを置いて足を組み、話を続けた。
「依頼人はなぜわざわざうちに修理依頼をしてきたと思う?」
それなのだ。
この依頼が持ち込まれて一番初めの疑問。
修理をするなら製造元やそうでなくとも専門の業者に頼むものだ。なぜ家の腕時計を持ち出してまで探偵事務所に依頼しようと思ったのか?
「考えられるのは、強盗事件に関係する何かがアザラシのロボットに録画されている……ということだ」
異変を感知して録画機能が作動する見守りロボット。強盗が自宅に上がり込んで来たならば、十分な異変である。
「ん? でも強盗の姿が映ってるなら、警察に渡した方がよくない? 映像を抑えるために喜んで修理してくれるだろうし、金だってかからないし……」
「警察では都合が悪いからうちに持ってきたんだろう。親の腕時計をくすねてまで依頼してきたんだ。相当見られたらまずい映像が映っているらしい」
一応千颯くんが腕時計をくすねたという認識ではあったのか……しかもそのうえで依頼を引き受けているのだからもうどうしようもない。
なんだか話が複雑になり、何を考えればいいのかわからなくなってきた。
頭がこんがらかってきた俺とは対称に、時生はおそらく何かに気づいているんだろう。
千颯くんの家に強盗が入って、異変に気付いたロボットが録画を開始した。そこには千颯くんにとって見られたくないものが映っていて――
ふと、さきほどの千颯くんの様子を思い出した。
俺が時生に奴隷のように働かされていると思った千颯くんは、それを批判しMoO.Rにも人と同じ権利があると主張した。しょせん人間のためにつくられた物に、なぜあそこまで肩入れするのだろう。
これもロボットに記録された映像を見れば、答えがわかるのだろうか。
俺は、いまだにあちこち傷だらけでまったく動く気配のないアザラシを思い浮かべながら、今日の役目を終えたコーヒーポットを洗い始めた。
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