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別離
二十世紀半ば、香港九龍城砦地下街、秋――。
新しい体制で歩み出した遊郭街の経営も日を追うごとに軌道に乗り始めていた。そんな平穏な日常に翳りが差し始めたのは、焔邸の一角に遼二の事務所が完成し、ひと月が過ぎた頃だった。
「冰が出て行っただと?」
驚き顔で遼二が唖然状態でいる。
「ああ……つい昨日のことだ。黄の爺さん共々、元住んでいた居住区に帰ると言い出してな」
焔は何とも言いようのない表情で気難しそうにしていた。
「何でまた急に……。お前さんたち、何かあったのか?」
遊郭街を仕切っていた悪の根源、羅辰がいなくなり、憂いもなくなったばかりのこの時期だ。痴話喧嘩でもしたという年齢でもないだろうにと思う。実のところ、焔自身よりも遼二の方がムキになってしまうような事態といえた。
「理由は俺にも分からん。爺さんから突然ここを出て行きたいと聞かされたのがつい一昨日の晩だ」
それまではいつもと何ら変わりなく、冰も黄老人もここでの生活に馴染んでくれていると思っていたそうだ。むろんのこと、喧嘩をするような何かがあったわけでもなく、ある意味唐突な申し出だったという。
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