裏切り者に巻きついてきたものは?

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 出社した僕はドアが開かず、窓から見える光景に大声を出した。みな普段から僕の声が良く通る声だと知っている。なので緊迫した大声に駆け寄って来た。 「助けてくれ、助けてくれ」  必死に手を振ってヘルプアピールの加矢尾先輩。その身体の腰から下を覆いつくしているもの。それは各課に設置されている業務用のシュレッダーから出てくる細長い紙だ。 「加矢尾先輩、シュレッダーの機能知っていますよね」 「知っているけど、俺はそこまで行けないんだ。ただの裁断された紙じゃないんだ。伸びてくるし板のように固いんだよ! 誰でも良い、早く誰か助けてくれ。狙われてんだよ詞織に」  みなが顔を合わせた。松米詞織さんは加矢尾先輩の元恋人だ。別れ話をした日の翌日の朝に初無断欠勤。管理人によって発見された。 「松米さん、何処にいるの? 」  同僚で仲の良かった朝木さんが声をかけた。  シュレッダーの脇から立ち上がった松米さんは変わり果てていた。まず髪の毛。フロアの女子社員の大半が憧れていた輝くサラサラとした髪はボサボサ。ところどころ絡まっている。真っ白い顔に真一文字に結んだ唇。  この間にも胸あたりを目指し、シュレッダーの細長い紙がリバースされて加矢尾先輩を襲っている。ぐるぐる巻き付きつつ伸びている。 「あれ、呪いって漢字になっていないか」  誰かが言ったから見てみると、シュレッダーからリバースされ、加矢尾先輩の身体に巻き付いている細い紙に浮かび上がった【呪】の赤い文字。松米さんと加矢尾先輩との間に何があったのか。 「みなさん、お久しぶりです」  そう言いながら、いったんはシュレッダーから離れた松米さん。おもむろに加矢尾先輩に巻き付いている細い紙を引っ張り上げて顔の口の辺りに勢い良く押し付けた。  ゴンッ  板のように固いと言っていたのに、松米さんは右手だけで引っ張り上げたのだった。見ている人たちから声があがる。  加矢尾先輩の唇と頬が切れ薄く血が出て叫び声をあげていた。骨折していそうな鈍い音がした。  甲高い声で笑いだした。再びシュレッダーに近づこうとした松米さんを加矢尾先輩の指が追う。かろうじてスーツに触れる。 「詞織、説明出来なかった俺に責任があると思う。けれど俺じゃないよ。詞織に別れ話をしたのは犯人と戦うためだ。詞織と別れたと言えば犯人が本性を出してくると思って」 「えっ何それ。私は聡也が別れたいって言っているって祐里から聞いて。実際に聡也から言われて、生きて行く事を諦めてしまったのに」  祐里が誰か。みなその人に視線を向ける。当の本人はガタガタと震え小さい声で何か言い出した。 「仕事も出来て出世も出来て。私にはそんな事は夢の夢。だからせめて恋で勝とうと」  加矢尾先輩の身体を覆っていた細い紙がどんどんと外れて行く。2人が唇を触れ合わせたら血どころか傷も消えていた。  その外れた細い紙はヒュルヒュルっと音をたてて宙に浮かんでドアに向かってくる。みなが後ろに下がったり散るなか、1人だけ窓枠を掴んでガタガタと震えている人物の名前を周囲が口にする。 「朝木さん」  朝木さんの身体に巻き付いた細い紙は足首から上へ上へと身体を周回する。そして朝木さんに巻き付いた細い紙に【呪】の文字が浮かび上がる。 「やめて、やめて。ごめんなさい」  ドアが勝手に開いて朝木さんは宙に浮かびながら松米さんの前へ来ると床に落ちた。  解放された加矢尾先輩が、怒りの表情をした松米さんを泣きながら抱きしめて何かを囁いているようだった。  危うくシュレッダーに、髪を巻き込まれそうになっていた朝木さんは床に突っ伏したまま。  しばらくすると松米さんは姿を消した。加矢尾先輩が視線の先の朝木さんを罵倒しながら立たせて言った。 「帰せよ、なあ帰してくれよ。詞織を俺の元に家族の元に帰してくれよ。詞織はアンタの事を心から尊敬出来るって言ってたんだよ。何してくれてんだよ、優しい詞織を帰してくれよ」  泣き崩れた。立ち上がった朝木さんの身体には細い紙が何重にも巻き付いたまま。  女性社員だけでなく男性社員の何名かも泣いていた。。俯いたままの朝木さんも声をあげて泣き出した。  加矢尾先輩は毎日、松米さんがマンションに現れると話してくれた。 「ゆくゆくは一緒に住もうと思っていた部屋なんだ。心の友に裏切られて、あれ以来ずっと元気がないんだ。詞織はお前の歌が聴きたいって」  以前、何人かとカラオケに行った時に褒めてくれた事があった。    週末に訪ねて行くと驚いた。キッチンに加矢尾先輩と並んで立っていたのは、バリバリ働いていた頃の松米さんだった。 「いらっしゃい須並君。来てくれて嬉しい」  松米さんの笑顔に僕も笑顔になっていた。        (了)
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