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「飽和」の解釈その2
部屋を満たず液体は、ズバリ酒だろう。
この頃僕は肝臓か腎臓かはわからないけど、とにかく酒によると思われる背中の痛みを自覚しており、そんな折、妻から「元気で居ないと、旅行、行けないでしょ?」「ああ、お別れにみんなでね」「わたしと、ふたりでだよ」と、遠く不確実なふたりの夢の念を押されたところだった。
アル中。
いわゆる鬱病とも相関するそれに、僕は抗おうとしていた。
しかし、僕は妻を信じていなかった。
彼女に女としての悦びを味あわせてやれなかったから、別れに際し盛り上がる彼女になるたけ合わせようと、芝居を打っていた。
だから、常に精神的に追い詰められていたし、しかし、自分がどれだけ妻を精神的に追い詰めた結果のげんざいなのか、そこに必死に立脚し、優しいような笑顔を貼り付け、女としての妻を本能を駆動して求めていた。
物理的に離れた時の関係性の変化に対して、保険を掛けている。
ずるい。
しかし、直情的に、あとさき考えない妻の感情と言動はもっとずるいと、僕は感じている。
あとで傷つくのは自分。
その時、生きていられる強さが自分にあるかは、わからない。
弱さは、人を卑屈にする。
否、卑屈さ故に弱いのだろうか?
ともあれ、液体が姿を変えた粒子はノンアルコールビールであろうと思う。
酒をのまない為に、吐き気を催すほどノンアルコールビールを飲んでいたから。
この夢は、実現出来そうな断酒と、それを阻む自分の精神的な弱さのせめぎ合いの表出だと思う。
最後、子供が大人の女性に姿を変えたのは、自分が追い求める「美しい弱さ」を穢したくない想いからだと思う。
理想の自分は、ノンアルコールビールなど必要としないはずだから。
弱さ故に強い精神。
それが実現出来れば、僕は誰かを幸せに出来る筈だ。
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