思いがけない出会い

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思いがけない出会い

胸がざわめく。穏やかな視線がヴィクターから向けられると、自分ではコントロール出来ない熱が頬を染めた。 「神子様?」 「あ、・・・っ?」 自分で自分の反応が分からなかった。どうして今更こんな感情にかき乱されるのだろう。 いや、わからないフリが出来るほど自分は鈍感では無い。 伸ばされた指に思わず距離を取る。俺のその反応にヴィクターは不思議そうに首を傾げた。幸い気分を害した様子は無かった事に一人ほっと息を吐く。 「ヴィクター、部屋に戻ろう」 「・・・神子様、もしやまだ体調が芳しく無いのでは」 「いや、医者のお陰ですっかり良くなってる」 これは本当だ。中和剤はよく効いた。昨晩の体の熱や怠さが嘘のようにすっきりしている。意識も昨日の混濁が嘘のように明瞭だ。 この世界に来て久しく感じていなかった空腹を覚える程に。 心に余裕が出来てきた証拠だ。 俺は腰掛けていた椅子から立ち上がり、医者に向き直る。勢いよく頭を下げれば、医者の座る椅子が動揺にギシリと音を立てた。それを意識の端に留めながら口を開く。 「本当にお世話になりました。あなたのおかげで身体も楽になりました。ヴィクターの事も・・・なんとお礼を言ったら良いか」 その言葉に医者は照れ臭そうに頬を掻くと、立ち上がり俺の背中を軽くたたいた。促さられゆっくりと上体を起こせば、面はゆそうに目元に皺を寄せる医者の姿があった。 「神子様、俺は医者として当然の事をしたまでです。だからそのお礼は、あなたが目的を達成するまで取っておいてください」 これ以上は返って困らせる事になる。医者の言葉を素直に受け取り、身体から力を抜いた。 「はい、その時はよろしくお願いします。戻ろう、ヴィクター」 「はい、神子様」 そう声をかけると、ヴィクターも椅子から立ち上がり俺の後ろへと控えた。 医者に会釈をし治療院を出ると、いつもより少し高い位置から日差しが降ってきた。右手を目元にかざし影を作る。何気なく空を見上げれば、澄んだ青色が広がっていた。 残念ながら高い塀が遮っている所為で、どこまでも続く青い空、と言う表現は出来なかったが。 それでも今はこの景色を目に焼き付ける。 思い返せば都心部の空なんて、これと似たような狭さだった。今更空が狭い事に何を思うことがあろう。 それでもこの狭い空に寂弱を覚えるのは、その先に広がる空を自分の意思で見る事が叶わないからなのだろう。 俺は意識を切り替えるように軽く頭を振り、自分に与えられた部屋へと戻るべく足を進めた。 その後ろ姿をじっと見つめるヴィクターの静かな視線に気付かないまま。 部屋に戻ると予想通りヴィクターは扉の前に控えた。僅かに寂しさを抱くが、その思考を振り切るように扉を開く。 「じゃあ、また」 「はい。何かございましたらお声がけください」 兜に覆われていて見えないがおそらくその下ではほのかに笑みが浮かべられているのだろう。記憶に新しいヴィクターの表情は容易に想像する事が出来た。 扉を静かに閉め、ここ数日で見慣れた室内に視線を向ける。当たり前だが特に何か変わった様子もない。俺はベッドに腰掛けると、何気なく窓の外へ視線を向けた。 「・・・は?」 本来ならそこからは空と木の枝くらいしか見えない筈だ。人の通れない幅しか存在しないのだから、わざわざベランダが設置されているわけでもない。 しかし今、そこには存在しないはずのものが見えた。 いや、"もの"ではない。 ーーー人だ。 理解の範疇を超える状況に、どっと額から汗が滲んだ。 どこか質の良い服を纏った、同い年か少し上くらいの青年が、窓の外に張り付いている。暗い色の目が細められにこりと笑顔を向けられる。そのうえ彼は陽気に手まで振っていた。 せり上がり喉まで出かかった悲鳴をなんとか堪える。異世界なのだから何でもありかと思えど、意外にも幽霊や精霊などは信じられていないらしい。 だから外にいる青年は確かに人間のはずだ。 考えられるのは、2階までに及ぶ高さの木を登り枝に座っているのだろう。窓と木の距離を考えればあり得ない話では無い。 しかし次に考えるのは、そんな危ない真似をしてまで俺に接触しようとした青年が一体誰で何の目的を持っているかだ。 俺を神子と知っているのか。 それとも偶々なのか。 とにかくヴィクターに指示を仰ごう。危険性は感じないが、相手の素性も分からない以上勝手な動きをするべきじゃない。 ベッドから腰を上げ、先程閉めたばかりの扉へ向かおうとした時。 「ーーーあ、」 青年の座っていた枝が重みに耐えきれず、ばきりと不穏な音を立て折れた。 窓の淵に青年の指先が引っかかることを目で捉えるより先に、俺は駆け出し窓を開くと、強くその腕を掴んだ。重みに耐えきれず勢いよく肩と腕が窓の縁にぶつかる。鈍い痛みに眉を寄せるが、それ以上に腕にかかる重みに意識が向かう。 「ッうぐ、おも・・・ッ」 どくどくと心臓がうるさい。ベッドから窓の距離を考えると、青年の腕を掴めたのは奇跡に近かった。 しかし腕を掴んだは良いが、この窓は人が通れるほど広くない。引き上げるのは無理だ。 青年の足が折れていない枝の部分に絡んでいるので体重が緩和され無事でいられているが、この体勢が続けば俺の体力が先に尽きて青年は枝から落ちるだろう。 そうなれば2階の高さとはいえ怪我は免れない。まして地面は石畳だ。落ち方によっては最悪も考えられる。 自分一人でこの状況を打開する事は不可能だ。 「・・・ッヴィ」 「ブレット様!?」 ヴィクターの名を呼ぼうと口を開くが、それより早く窓の下から聞き覚えのある声が聞こえた。アドルフの声だ。 「アドルフ!」 「その声は神子様ですか!いったいこれはどういう状況で・・・」 「話は後で!とにかくこの人をどうにかしないと。下で受け止められるか!?」 「少し待ってください!」 「なるべく早く。長くはもたない・・・っ」 ただでさえデスクワークで鈍った身体だ。散歩くらいはするが態々身体を鍛えたりはしていない。パソコンより重いものを持ったのなんて、水や米を買う時くらいだ。 何が言いたいかというと、俺では力も持久力も役不足と言う事だ。すでに手が重みに耐えきれずふるえ始めている。頼むからもってくれ。 「・・・ッ!」 しかしその願いは叶わない。青年の足が絡んでいる枝の根元がばきりと折れたからだ。全体重の乗った腕の重みに耐えきれず、青年の腕がずり落ち俺の手から離れる。 しかし次の瞬間、青年の腕を俺の背後から伸ばされた手が掴んだ。銀の鎧に包まれた力強い腕が誰のものかなんて考えなくても分かる。背中に触れる硬い金属の感触に、身体からじわりと力が抜けた。 背後を振り向かないまま彼の名を呼ぶ。 「・・・ヴィクター」 「どうしてすぐに助けを求めないんですか」 どこか悔しそうな声音に思わず振り返りそうになった。 しかし俺が動いた所為で青年を掴む手に影響があるかもしれないとすぐに思い留まる。 「呼ぼうと思ったけど、ちょっと余裕がなくて」 「・・・次は必ず呼んでくださいね。あなたに助けを求められれば、俺はどこにいようとあなたの元へ駆けつけます」 無性にヴィクターの顔が見たかった。今すぐ兜を外し、どんな表情をしているのか確かめたかった。 俺は痺れた指先に力を込め拳を握ると、小さく頷いた。 「神子様・・・と、その鎧はヴィクターか?下の準備が出来たからその人の手を放してくれ!」 アドルフの声が聞こえ、はっと意識を戻す。 「放すぞ、アドルフ!」 「ああ、来い!」 布でも広げてるのか、ボスリと下の方から青年の身体を受け止める音が聞こえた。 「ーーーっはあ、」 安堵に力が抜け、床にへたり込む。 意味のわからない状況の連続に目眩を覚えるが、とにかく青年が無事で良かった。しゃがんだ状態で上を見上げると、兜の奥の目が心配そうにこちらを伺っている事に気付く。 「また助けられた。ありがとう、ヴィクター」 へらりと力の抜けた笑みを向ける。ヴィクターはぎこちない動きで後ろに下がり距離を取ると、鎧に覆われた胸元をドン、と叩いた。金属同士がぶつかる音が小さく響く。 「ヴィクター?」 「、いえ、すみません」 ヴィクターは小さく頭を振ると、すぐに姿勢を正し何事も無かったかのように振る舞った。しかしこちらに視線を向けはっと息を呑むと、地面に膝をつき俺の目線に合わせた。 「神子様、顔に傷が」 「え、」 ヴィクターの指先がそっとこめかみに伸ばされる。確かに先程青年の腕を掴んだ時、勢いに耐えきれず色々な箇所をぶつけた。指摘されると先ほどまで気付かなかった至る所がじわじわと痛み出す。特に痛みを発しているのは、とりわけ勢いよくぶつけた肩の辺りだ。 「神子様、治療をしてもらいに行きましょう」 「ああ、うん、そうだな。そうしたいけど、先にさっきの人が一体何だったのか知りたい」 「・・・わかりました。でも必ず治療は受けてくださいね」 俺はヴィクターの言葉にしっかりと頷くと、立ち上がりアドルフたちの元へ向かった。 ヴィクターと二人で下へ向かうと、黒い鎧姿が二人、そして身なりの良い青年が地面へ座り込んでいた。足音で気付いたのか、アドルフが振り向くとこちらへ駆け寄ってきた。 「ヴィクター、神子様!」 「おいアドルフ、これはどういう事なんだ。説明しろ」 「ああ、それを今聞いていた所だ。なんでまたあの方がこんな事をされたのか」 ーーーあの方。 アドルフの言い方に引っかかる。まるで身分の高い人に向けるような言葉だ。アドルフと身分の高い人。身なりの良い青年。 そこではっと頭の中で点と点が繋がる。 「もしかして彼がハロルド殿下?」 「いや、あの方は・・・」 「君が噂の神子か?」 アドルフの声を青年の明朗な声が遮る。 いつのまにかこちらへ近寄ってきていた青年は服に付着した葉を雑に手で取り払うと、にこりとこちらへ笑いかける。 「お初にお目にかかる、尊き人よ。私の名はブレット。この国の王の第一子。一応王太子にあたる者だ」 青年は包帯の巻かれた俺の右手をおもむろに手に取ると、軽いリップ音を立て口付けた。 「以後お見知り置きを」 低い位置で括られた黒に近い赤毛が、ザワリと勢い良く吹いた風に靡く。 頭に取りきれなかった葉を絡ませたまま名乗り上げたのは、この国で王の次に位置する権力者だった。
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