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アドルフ=オルブライト
田舎貴族の次男として生まれた俺は、兄との扱いの差に齢五歳と言う早い段階で腐った。
与えられる教育が厳しかったのも最初のうちだけで、教師達が俺に無能の烙印を押した後、見限るまでが随分と早かった。兄が当たり前に出来た事が出来ない。
そもそも跡継ぎでさえ無い人間に、態々金と手間を掛ける価値は無い。
田舎ではあるが広い土地を納める俺の一族は、取捨選択が明確だった。
手のひらを返した様な周囲の態度を俺は幼いなりに感じ取っていた。そして俺なりの心の防衛手段として、必要以上に馬鹿なふりをするようになった。何か失敗をしても、周囲は「ああ、アドルフがまた何かやったのか」と、そう言って笑ってすませる様になったし、むしろそう扱われる事で心が軽くなった。
そしてそう思う度、その選択は正しかったのだと自分に言い聞かせて安心する様になった。
道化を演じる様になり振る舞いが板についてきた頃、ヴィクターはこの町にやってきた。普段は王都で暮らしているが、この町に別荘が建っている為、屋敷の管理も兼ねて暫くそこに住むことが決まったらしい。
あいつと初めて出会ったのは、寒い日が少ないこの国では珍しく雪が景色を白く染める日だった。
乗ってきた馬車の仕立ては良いが荷物も付人も最小限でどこか寒々しい。真面目くさった表情でうちに挨拶をしに来たヴィクターは、白金の髪も相まって風景と同化しそのまま消えそうだった。
黒に近い髪色や目の色を尊ばれるこの世界でヴィクターの姿はさぞかし生き難いだろう。現に俺もここまで淡い色彩の人間は初めて見た。居合わせた両親や兄なんかは、嫌悪が分かりやすく態度に出ていた。
「アドルフ、町の案内はおまえがしなさい」
その命令に対し言い訳になるような用事も無かった為、俺はしぶしぶ頷いた。本音を言えば面倒だった。俺がヴィクターのような見た目の人間を見たことがないという事は、町の人間だって同じだろう。閉鎖的な町だ。俺が横にいれば表立って批判する人間はいないかもしれないが、聞いの目で見られる事はあるだろう。
だけどあえて口に出す必要のない事だ。俺は適当にうまい飯屋でも教えてさっさと解散すれば良いと考え、頭に雪を積もらせたままじっと立っているヴィクターに声を掛けた。
「ヴィクターは何か好きな食べ物でもあるのか?」
「・・・好きな食べ物?」
何故尋ねられたかが分からないとでも言うように、ヴィクターはやや切長の目を僅かに見開いた。そのおかげで、真面目で大人びた印象も僅かに年相応に変わる。
「アドルフ殿は」
「は?きもっ」
呼ばれ慣れない呼び方に思わず本音が漏れる。
俺の反応にヴィクターがピシリと固まるのを見て、流石にこの言葉はまずかったかと少しだけ反省する。空気を誤魔化すように軽く咳払いすると、俺はさっさと歩き出す。
「アドルフで良い。変にかしこまった呼び方はするなよ」
「・・・ああ」
後ろからざくざくと雪を歩く音が聞こえてくるのを確認する。別に仲良く並んで歩かずとも、町の案内くらい出来るだろう。
「それで、好きな食べ物はないのか?無いなら適当に店を選ぶけど」
「・・・粥を」
「かゆぅ?」
かゆ。・・・粥か。あまりに口にする機会が少ない所為ですぐにピンと来なかった。
異世界より降り立った神子様の為に品種改良し作り出した米と言う穀物をぐずぐずに大量のお湯でふやかした食べ物だ。味も香りも薄いし、食感はいまいちだし、腹持ちに至っては最悪だ。風邪の時でさえ余程の事がなければ口にしない。米は存在しても取り扱っている店自体少ないし、量に対し高価だ。あくまで主食はパン。
それをよりによって、ヴィクターはそんな魅力の少ない食べ物を望んでいるときた。
「好き、と言うか。・・・食してみたいんだ」
「ヴィクター、お前。物好きだな」
照れ臭そうに頬を掻く姿を見ると、店を知らないとは言いにくい。
さて、米を取り扱っている店が果たしてこの町にあっただろうか。
流石の俺でも町にある全ての飯屋を知っている訳じゃない。いくつか候補を当たってみるか。
「それにしてもどうして粥が食べたいんだ?」
「俺のような人間がと思うかもしれないが、神子様に憧れてるんだ・・・笑ってくれても構わない」
そう答えるヴィクターの声はどこか寂しそうだった。
この国の人間が神子に対し憧れを持つ事は珍しく無い。嘘みたいな奇跡で人を苦しみから救う、神に愛されし黒髪黒目の異邦人。
しかしそんな存在に、闇の神から愛し子を奪った光の神と同じ色彩のヴィクターが憧れていると口にすれば、周囲の反応がどうだったかなんて想像に難く無い。
「そんなに良いものかな、神子って」
「え?」
「現に今この国に神子はいるけど、俺たちに何か影響があったか?姿さえ見た事ない」
そう返すと、後ろから聞こえてきていた足音がぴたりと止んだ。
「・・・」
「・・・」
無言が続き奇妙な空気に耐えきれなくなったのは俺が先だった。
視界にちらつく雪を振り払うように背後を振り向くと、ザクザク音を立てヴィクターに近寄った。ヴィクターは俺が振り向いた事に驚いたのか小さく目を見開いていた。
動こうとしない相手の胸板をドンと軽く拳で叩く。
「おい、怒れば良いだろ。お前が好ましく思ってるものを貶したんだから」
「ああ、いや。貶したと言う程じゃないだろう。それに神子様を見た事がないのは事実だ」
その言葉に今度はこちらが驚かされる。
「お前、変な奴だな」
「俺はこんな見た目をしてるいるし、よく言われる」
「いや、性格の話で・・・っふ、はははっ、」
相変わらず真面目な顔をしてるヴィクターがおかしくなり、思わず笑いがこぼれる。そんな俺の態度にも気を悪くする様子はない。
そういえばこいつはこの町に来た時からこうだった。俺の家族の態度も気にしていなかったし、その姿が寂しそうに見えてもヴィクターの目から決して恨みは感じ取れなかった。
「悪かった、ヴィクター」
「笑った事か?別に構わない」
「いいや。・・・そうだな、改めて自己紹介させてくれ」
俺は寒さでかじかんだ右手を差し出す。
「俺の名前はアドルフ=オルブライト。良ければヴィクター、君の友として立候補したい」
「・・・友になりたいと宣言されたのは初めてだ。俺はヴィクター=ウルフスタンだ。こちらこそ、改めてよろしく頼む」
そう言って握り返された手は、外の寒さの所為で俺と同じくらい冷たくなっていた。僅かに震えていたのは寒さのせいか。
その後三店舗目にしてようやく粥を扱っている店を見つけ、俺たちは少し早い夕食を済ませた。
普段なら味気ないと感じていたそれは、雪で冷え切った身体を芯から温めてくれていつも以上に美味に感じた。
「神殿?」
「ああ。神殿騎士になろうと思う」
すっかり雪の季節が終わり花が芽吹き始める頃。ヴィクターは普段の真面目な表情を僅かに緩め、照れ臭そうにそう言った。
神殿騎士。
その名の通り神殿に務める騎士の事だ。王族、貴族、そして民を守る一般的な騎士とは異なり、ここで守護する対象となるのは神子とそれに関わるものたちだ。対象が小規模な分神殿騎士の募集は少ない。神子のいない時期なんかは神殿の見回りくらいしか仕事が無かったくらいだ。
「俺ももう十三になる。騎士見習いになれる年齢だ。家督は継げないし、これも良い機会だと思ってな」
「普通の騎士じゃ駄目なのか?」
騎士なら、仕事ぶり次第でいくらでも上にいける。名誉や金を手に入れる事も出来るだろう。その点神殿騎士はもうずっと昔から仕事内容は同じだ。手柄を立てる事も難しく、だからこそ名声を上げるには難しい。
募集の少ない神殿騎士の需要と供給が保たれているのは、ひとえにその立場へのうまみが少ないからだ。
「もしかしたら神子様と見える機会があるかもしれないだろう?」
この世界では蔑まれる、淡い色彩の目に明るい光を宿しそう言って笑う。
「決めた、じゃあ俺もそれについて行く。丁度成りたいものも無かったし、ずっとこの家にいるわけにもいかないしな」
俺の兄はそう遠くない時期に家督を継ぐ。無能な俺を担ぎ上げ、操り人形としたいが為に後継にと望む声が少なからず上がっている事を知っている。俺がこの町に残るのは、兄の足を引っ張ることになるだろう。
神殿騎士になるには王都へいかなければならない。それに他と比べて閉鎖的な空間だ。この家と距離を取るには都合が良い。
「・・・どっちが先に神子様の姿を見るか競争しようか、ヴィクター」
「それは競争するものじゃないだろう。でも、もしアドルフが先にその姿を拝見する事が叶ったなら、どんなご様子だったか教えてくれ」
そう言って笑うヴィクターは知らないんだろう。神子がまったくと言って良いほど表に姿を現さないことを。
神殿に入り数年後、見習い騎士の期間を終え黒騎士の地位を与えられた俺は一度だけ神子の姿を見かけた事がある。
黒い髪に黒い目。やや君を帯びた白い肌。今の神子が召喚されてからおよそ三十年の時が立っているが、年齢を鑑みると外見は嘘みたいに若々しく見える。
黒いローブを纏う上位神官たちに囲まれ移動する姿はどこか異様な程だった。
特に視線が奪われたのは、神子の目だ。まるで深淵を覗くような、光を失った暗い色。
神子とは何なんだろう。ヴィクターが憧れていた存在とは、あんな物なのか。
脳裏に浮かぶのは、初めて会った雪の日の事。粥が食べたいと言ってはにかんだ表情。
ーーー言えない。
「今日は神子様が庭園を歩かれたと耳にした。今日の見回り当番はアドルフだっただろう?もしや姿をお見かけしたんじゃないか?」
「ああ・・・いや、タイミングが悪かったのかな。誰も通らなかった」
あそこにいたのは神子じゃない。意思のないただの人形だ。俺はあの日、神子の姿を見た事をヴィクターには伝えなかった。
それなのに。
なんだこいつは?
「俺はこの世界に来てまだ三日目だし、ヴィクターと話した時間なんて本当に短いけど、それでもあの人が優しい人だって分かったよ」
サラリと艶のある黒髪に、この世界の男と比べると頼りない小さな身体。
「この世界に落ちて出会った誰よりも俺の事を案じてくれたのはヴィクターだ。その彼が俺に相応わしく無いと言うなら、他の誰も相応わしくなんてならない」
儚く感じる見た目とは裏腹に、真っ直ぐにこちらを見据える意思の強い目。あの日強く脳裏に焼き付いた、神子の暗い目とは似ても似つかない。
どうして今なんだ。
御伽噺のような神子の存在なんて興味無かった。周囲の人間が神子をありがたがる事すら、どこか見下して他人事だと思っていた。
先代の神子を見た日は、どこかでああやっぱり、と。期待する程の存在じゃないんだと自分の認識を確信したのに。
明らかに体調の思わしくない神子の後ろ姿が、治療院の扉に隠される様子を見て。
ヴィクターに向けられるその目を、愚かにも羨ましいとさえ思った。
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