王太子ブレット

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王太子ブレット

慣れた動作で手元に口付けを落とされ僅かに思考が止まった。 改めてブレットと名乗った青年を観察すれば、慣れた動作でキザな振る舞いをするその姿も、身に纏う服の仕立ての良さも、髪一本に至るまで手入れが行き届いている様子が伝わってきた。 彼が申告した王太子と言う立場を否定するには、あまりにこの目に映る要素が揃いすぎていた。 邪教や騎士やら神子やらで異世界のヒエラルキーはすっかり理解した気でいたが、王子と言う存在がここまで"全て"を兼ね備えている存在だとは思わなかった。すっと僅かに目を細められるだけで、ぞっと背筋に冷たい汗が伝う。値踏みをされているような、ではない。されているのだ。 この国の神子たる存在に相応しいのか。そうでなければ明朗とした笑顔の裏、ほんの僅かに感じ取れる冷たさが嘘であるはずもない。 建前上神子として崇められようと、連綿と受け継がれてきた清い血には敵わないのだと理解させられる。 先ほどまで枝の上で必死に蠢いていた姿が幻覚だったかのように思えた。 「・・・ッ」 無意識に唾液を嚥下する。しかし硬質な空気を壊したのは、他でもないブレット本人だった。 「神子の姿を見るのは君で二人目だ。やはり黒髪に黒目なのだな。私の髪も黒に近いが、こうして比べるとやはり違う」 ブレットは俺の手を解放すると、自分の髪を払い付いていた葉を落とした。 「ところで神子の手の包帯。それは一体どうされた?」 「え、」 その言葉に返すより早くブレットの手がアドルフの腰に下げられている剣へ伸ばされる。キン、と金属が擦れる音と共に鞘から刃が抜き放たれた。 その刃先はヴィクターの首元にひたりと添えられている。 予想だにしない行動に、その光景を見て頭で考えるより早く身体が動く。 ヴィクターとブレットの間に身体を滑り込ませる。だけど俺の体格じゃヴィクターの姿を半分ほどしか隠せない。壁となるにはあまりにも心許なかった。 「何のつもりですか」 「そこを退くんだ、神子」 「お断りします」 決して睨まれている訳ではないのに、静かに視線を向けられただけで身体が竦んだ。しかし暴挙としか思えない彼の行動を止めないわけにもいかない。 ただの社会人だった俺はともかく、現役で騎士を全うしている他の三人がブレットの動きに反応出来なかったとは思えない。 恐らく彼らは動かない事を判断した。 多分それは、この人が王子だからと言う理由で。 なおさらこの状況に抵抗出来るのは俺だけなんだろう。 「その剣で何をするつもりですか」 「そこの騎士の首を落とす」 予想した以上にシンプルで容赦のない返答に言葉が詰まりそうになるが、直ぐに意識を切り替え、見据えてくるその目をぐっと見つめ返した。 「そ、れは・・・どうして」 「神子のそばにいると言う事はその者が守護騎士なのだろう。それにも関わらず神子に怪我を負わせた。その罪はその身を持って償うべきだ」 怪我。確かに先ほど俺の手に巻かれた包帯を気に掛けていた。 でもこれはヴィクターが俺の守護を任されるより先、祈りの間で俺の身体を抑えつけた黒い騎士の鎧を殴った時にできた傷だ。ヴィクターは関係ない。 「この怪我に彼は無関係です」 「そうか、では他に関係のある者がいるのだな」 その言葉にすっと目を細める。あの時の黒い鎧の男が誰なのか俺は知らない。けれどアドルフやヴィクターならそれも分かるだろう。だからと言って素直にその人物を連れてきてどうするつもりなのかなんて想像に難くない。 首と胴体が離れる対象がヴィクターからその騎士に変わるだけだ。 「そこの黒騎士」 「、はっ」 ブレットの深い色の目がアドルフに向けられる。飄々とした印象の強い彼にしては、珍しく焦っているようだった。表情は兜の下で伺えないが短くこぼした声が僅かにうわずっている。 「連れて来い」 「アドルフ。行かなくて良い」 その言葉に、この場にいる全員の視線がこちらへ集中する。 突き刺さるような視線に内心怯むが、表に出さず細心の注意を払いながら一歩前へ進む。 どくどくと鼓動はうるさかった。全身に血が巡り熱を籠らせる身体とは裏腹に指先は緊張で冷え切っている。 だけどそれ以上に頭は冷静だった。 これは千載一遇の好機だ。 何故ブレットが接触を図ろうとしてきたのか知らないが、この機会を逃す手は無い。ハロルド殿下の行方が知れない今、権力者と繋がりを持つなら王太子である彼はこの上なく適任だった。 彼を相手に神子と言う立場がどれだけ通用するのか、それだけは未知数だった。だけどこの立場を利用する他、この状況を打開できる手段なんて思い浮かばなかった。 「私の命令に口を出すつもりなのか」 「恐れながら申し上げます。彼の立場は神殿騎士・・・神子である私の管轄です。どうしても罰を与えると言うのなら、それを与えるべきは私です」 さらに一歩前へ進みブレットとの距離を詰める。ブレットはヴィクターほどの背丈は無いが、それでも俺の身長より頭一つ分高い。その威圧感に負けないようぐっと歯を食いしばる。 「では私の代わりに神子が剣を振るうか」 そう言ったブレットは、一度ヴィクターの首元から剣を下げると今度は俺の眼前に抜き身の剣を差し出した。 判断をこちらに選択させるような物言いだが、これは命令に他ならない。 俺は差し出された剣の柄を握ると、そのまま力を抜き地面へ落とした。その行動にブレットの眉間に僅かに皺が寄る。 「ブレット殿下、あなたは"神子"を傷つけた人物を連れて来て罰を与えるべきだとおっしゃっている」 「ああ、そうだ」 「それには及びません」 「・・・なんだと?」 「ここにいます」 すぅっと息を吸う。ここから先の言葉は下手をすれば不敬罪と言われかねない。 「神子を傷つけたのは他でもないあなたです、殿下」 憤慨する反応を見せるかと思ったが、意外にも俺の言葉にブレットはぽかんと毒気の無い表情を浮かべた。 それを追い風に、緩い作りの袖を二の腕付近まで捲り上げ言葉を続ける。 「これは先程あなたが木から落ちそうになった時にできた怪我です」 露わになった腕にはいくつか内出血や擦過傷ができている。落ちかけた彼の手を掴んだ時窓や壁にぶつかって作った傷だ。 「あなたの主張を通すなら、まず罰を受けるべきはあなたからです」 シン、と辺りが静まり返る。 顔を伏せたブレットからの反応は無く、言い切った後の達成感を徐々に不安が侵食し始める。 しかしその不安を払拭させたのは、他でもないブレットだった。 「ーーーっ、ふ、は、はははっ!」 「で、殿下?」 暫く無反応だった彼は小刻みに肩を振わせると、徐々にその動きを大きくしていった。そして最後には腹を抱え豪快に笑い出した。 「いや、今代の神子は随分と図太いな!実に愉快だ!」 ガラリと空気を変えたブレットの様子にひとまず安堵する。俺の言葉に怒るどころか面白がっていると言う事は、罰うんぬんの話は流れたと思って良いのだろう。 「・・・試したんですか?」 「ああ、すまない。手っ取り早く神子の人となりを知りたかったんだ。怖い思いをさせた」 ブレットは地面の剣をおまむろに拾うとアドルフの手に持たせた。思わずその行動に身構えるが、アドルフは剣の状態を軽く確認すると慣れた動作で鞘へと戻した。 「もっと他に方法があったはずです」 危険を冒して窓から部屋の様子を伺う事も、この場で試す行動をとる必要も無かったはずだ。王子の立場ならきちんと交流を取る場所も時間も十分に準備出来るだろうに。 そこまで考え、ふと思い至る。 面白半分で一連の出来事を起こしたわけでは無いのなら。 非公式の場でどうしても"神子"と会わなければならなかったと考えるなら。 "神子"に近づいたのだ。求められているのは"奇跡"だと直ぐに推測できた。同じ王子と言う立場のブレットがこのタイミングで接触を図った事と、姿を見かけないハロルド殿下。無関係とは思えない。 その思考が表情に出ていたのか、ブレットは頷きこちらへ距離を縮めると耳元に口を近づけた。ヴィクターが動こうとするのを視線で制し、潜められた声に集中する。 「神子の力が必要だ。ハロルドを助けてほしい」 予想通りの言葉に、どう返すべきか僅かに悩む。本来なら王子二人との繋がりができる事は願ってもない。 だけど試すためと言えどヴィクター達に対し取った先程の行動を考えると彼の危険性は無視出来なかった。ブレットは恐らく、必要があれば簡単に人の命を奪える人間だ。 それはこの世界の人間の価値観と、そして王子と言う立場ゆえなのだろう。騎士が蛮族街の人間の命に頓着しない事と同じように、王子という立場の人間からしたら騎士の命一つ軽いものなのかもしれない。 他の方法を探すべきなのだろうか。 「・・・神子様」 距離を保ったまま、背後からヴィクターに声を掛けられる。 「今あなたが悩む理由が俺にあるなら、気にせず一番最善だと思う選択をしてください」 ヴィクターの台詞に僅かに逡巡する。しかしその考えを見透かしたように、ヴィクターは首を軽く振ると言葉を続けた。 「・・・いや、この言い方は違いました。俺があなたの選択の枷になりたくないだけだ」 「ヴィクター・・・」 結論は最初から出ていた。この機会を逃せば権力者と関わるタイミングは訪れないだろう。コーニーリアスに行動を制限されている以上、こうして今ブレットとまみえている事自体が奇跡のようなものなのだから。 ヴィクターの言葉に後を押され、俺はブレットの話を聞く事に決める。 「ブレット殿下、話を詳しく聞かせてください」 俺は地面に下げていた視線を上げると、覚悟を決めブレットに対峙した。
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