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ヴィクターのはなし
床に座って治療をさせるわけにもいかないので、椅子をベッドの前に移動させ腰掛けるようアドルフにすすめる。俺が対面のベッドへ腰を下ろすとアドルフは慣れた手つきで薬箱を開けた。薬箱の中には様々な薬が瓶に入れられていたが、彼はその中の一つ、緑色をした細長い瓶を指先で摘んだ。
「ヴィクターが俺に神子様の手当てを任せるとは正直意外でした。絶対に自分でやりたがると思いましたから」
「俺もそう思った。でも神子の部屋には入れない規則があるんだろ?」
「あるにはあるんですが、その判断は自己申告なので他の人間がいなければバレませんよ。なので今入らなかったのは他に理由があったんじゃないでしょうか」
そう言われ思い至るのはやはり先程の言葉だ。本来なら口にするつもりは無かったんだろう。だからアドルフが来た時、不自然に言葉を切った。俺にその先を尋ねられたくなかったのだろうか。
「この世界に来てから、ずっと思ってる事がある」
「何をですか?」
「ヴィクターがどうして俺に対して・・・いや、"神子"に対してあそこまで献身を捧げられるのか」
自分で袖を捲り痣のある腕を晒す。
アドルフは瓶を傾けて掌に薬を落とすと、片手で俺の腕を支えもう片方の手で腕に薬を塗り広げた。
熱を持った患部が薬で僅かに冷やされる。
嗅いだことの無いような爽やかだがどこか苦みを含む匂いが室内に広がった。
アドルフは沈黙のまま瓶の蓋を閉めると、別の瓶を新たに手に取りコルクを摘む。先程の薬より粘りのある薬を手に取ると、それを擦り傷の部分へと塗り込んだ。
「俺たちは幼馴染なので、なんとなくヴィクターの考えてる事は分かります。あいつの行動原理に何があるか。でもその先を想像で俺が伝えるのは違うかなと思うので・・・言えません」
「・・・そうか」
予想通りの返答に僅かに気持ちが沈む。しかしすぐに続けられたアドルフの言葉に、俺ははっと顔を上げた。
「でも俺は、ヴィクターがあなたの騎士として行動してきた事が全て、"神子だから"の一言では片付けられないと思っています」
もちろん神子として守られる事は嬉しい。その思いに何度も救われたからこそ、惹かれる自分がいる。でもヴィクターの行動の根幹は庇護対象であると言う立場故だ。
きっとその立場にいたのが俺以外でも同じ事をしていたんだろうと、そう思っていた。
だけど今のアドルフの言葉は、俺に新たな気付きを与えてくれた。"神子だから"と言う言葉で全てをまとめる事は簡単だが、ヴィクターが考え行動してくれた事を無かった事にしてはいけない。
何故ならそれは、ヴィクターをも軽んじる事になるからだ。
「あいつがあなたの騎士でいられて俺は嬉しい」
腕の全ての怪我に薬を塗り終えると、アドルフは瓶をしまい薬箱の蓋を閉じる。
アドルフは手元に向けていた視線を上げると、こちらに向けてにかっと快活な笑顔を浮かべた。
「神子様はヴィクターが好きですよね」
「えっ」
「向ける視線で分かります。俺と初めて会った時はまだ違う・・・多分自覚したのは今朝くらいじゃ無いですか?」
鋭い指摘にどきりと胸が鳴った。他人から見て分かる程あからさまだっただろうか。
「そ、んなに分かりやすいか?」
「いえ、普通だと思いますよ。多分俺以外は気付いてないんじゃないかな」
アドルフの言葉にほっと息を吐く。
異世界の恋愛事情は分からないが、騎士として真面目に働く幼馴染に対し俺が邪な感情を向けていると知れば不快に思う可能性は十分あった。
からっとした様子を見ると、不快に思うどころかヴィクターへ好意を向けている事を喜んでいるように見える。
「二人が両思いになってずっと一緒にいられるのなら、それが一番良いですよね。だから俺は応援したいんです」
アドルフは徐に立ち上がると、自分が座っていた椅子の座面に薬箱を置いた。
立ち上がったアドルフが何をするつもりなのかと視線を向けていると、彼は扉に近づき勢い良くドアノブを捻った。
開かれた扉の勢いに、扉の前に控えていたヴィクターが戸惑いの声を上げる。
「アドルフ、治療は終わったのか?」
「俺のやるべき分はね」
「は?おい!」
するりと廊下へ出ると、アドルフは両手を突っ張り力一杯ヴィクターの背中を室内へ向かって押し込んだ。しかしヴィクターの体幹と瞬発力の方が優っていたようで、足を一本踏み入れた状態で動きが止まる。
「いや、ここは素直に押し込まれる所でしょ」
「何を言ってるんだ、アドルフ!ふざけて良い事と悪い事があるだろう」
「俺は至って大真面目だっての。今がちゃあんとお互い向き合うべき時だと思うわけよ、俺は、ねっ!」
ぐぐぐっと押し合いになっていたが、最終的には全体重をヴィクターの背中に掛けたアドルフへ軍配が上がった。
「神子様の肩の治療は俺じゃなくてお前がやるべきだろ。ついでに言いたい事があるなら、全部吐いちまいな」
たたらを踏み室内へ入ったヴィクターが振り向くより早く、アドルフはそう言い放つと扉を閉めた。
「おい、アドルフ!」
「大丈夫、この場にいるのは俺たちだけだし、お前が馬鹿正直に申告しなきゃ罰も与えられねぇよ」
扉越しにアドルフがそう言うと、ヴィクターはドアノブを開けようと伸ばしていた手をぴたりと止め、諦めたように大きく溜息を吐いた。
「こうなったお前が譲らないのは知ってるが・・・覚えておけよ」
「覚えておくって何を?むしろ俺に感謝する事になると思うけど」
「・・・感謝?」
「神子様の格好を忘れたのか?俺にだって見せたくないだろ」
ベッドの上で二人のやり取りを眺めていたが、扉の先から聞こえるアドルフの声にはっと思い至る。
言われてみれば着ている祭服は頭から被るワンピースタイプで、その下には何も身につけていない。負傷している肩を露出させるには一度全て脱がなければならない。
いくら同性とは言え、好んで人前で全裸になりたいとは思わない。
アドルフの指摘に息を呑んだのはヴィクターも同じだった。
「・・・すまない、そこまで考えが回らなかった」
「だから言っただろ?感謝する事になるって」
「ああ」
ヴィクターはそこで会話を切り上げると、徐に兜と手首の鎧を外し床へ置いた。
先程までアドルフが座っていた椅子に近付くと、座面に置かれていた薬箱を手に持ち腰を下ろした。
薬箱を膝の上に置くと、ヴィクターはこちらへ視線を向ける。
「すみません、神子様。肩の治療は俺に任せてもらえませんか」
予想していた言葉にも関わらず、どっと心臓が不規則に高鳴った。
ヴィクターに疾しい意味など一つもないのに、好意を自覚した相手の前で服を脱ぐ行為にひどく恥じらいを覚える。アドルフの前とはまた違った意味で服を脱ぎたいと思えなかった。
「・・・あ、」
「神子様?」
早く脱がないと。
ヴィクターに変だと思われる。
奇妙な緊張感から指先へ不自然に力がこもる。祭服を握りしめる指先に力は入るのに、そこから上へ持ち上げる事に勇気が必要だった。
これならアドルフに手当てをしてもらう方がましだったかもしれない。
「・・・すみません、アドルフを呼び戻してきます」
「え!?」
いつまで経っても動かない俺に気を遣ったのか、ヴィクターは薬箱をベッドの上に置くと椅子から立ち上がった。
迷い無く扉に向かって歩き出す後ろ姿を追いかけ、急ぎ俺もベッドから足を下ろす。それでも向こうの動きの方が早く、両足を床に下ろす頃には既に伸ばされた手はドアノブを捻ろうとしていた。
もう迷ってる暇はない。
俺は考えるより早く祭服に手を伸ばすと勢い良く床へ脱ぎ捨てた。バサリと布がはためく音が大きく聞こえる。
「勘違いさせた!嫌がってるわけじゃないんだ」
「ーーー神子様、そのように気をつ・・・」
今すぐに扉を開いて外へ出ていきそうな背中に向かい叫ぶ。
困ったような表情で振り向いたヴィクターは、仁王立ちする俺の姿を目に止めると、ギシッと音を立て固まった。
そしてドアノブから手を離すと、勢い良くこちらに近付きベッドに敷かれたシーツを剥ぎ頭から被せた。
「ぶっ」
「何て姿をしているんです!?扉を開ける所だったじゃないですか!」
「こうでもしないと出て行くだろ!」
「それは嫌がるあなたを、俺のわがままで無理に脱がせたくなかったからで」
「嫌がってない」
さんざん躊躇った上でこの主張は無理があるだろう。それでも嫌がっていると思われるよりはマシだった。
頭から被せられたシーツをずらし肩まで下げると、ようやく視界が鮮明になる。正面には眉を下げ普段見せないような顔をしたヴィクターの姿があった。
俺は安心させるように微笑み普段は鎧に包まれている腕を掴むと、先程まで俺が座っていたベッドの前へと連れて行く。
抵抗される事はなかった為、軽く背中を促せば俺の意思に沿ってベッドへ腰を下ろした。
同じように俺もベッドへ上がると、ヴィクターに背中を向けて座る。
胸を締めていた不整脈のような鼓動は既に落ち着いていた。
「勘違いさせてごめん。ヴィクターが良いんだ」
暫く沈黙が続いたが、暫くすると薬箱を開ける音が聞こえてきた。
「・・・肩に薬を塗ります。少し冷たいですよ」
「ああ」
返事をすると宣言通りひやりとした感触が肩に広がった。壊れやすい硝子細工にでも触れるような優しい繊細な手つきに、心がくすぐったくなる。
「・・・神子様、俺の話をしても良いですか」
「・・・もちろん。聞かせてほしい」
俺はシーツを巻き直すと後ろへ向き直る。視線をベッドへ向けたまま、ヴィクターはぽつりぽつりと静かに話し始めた。
王都に暮らす中流階級の貴族の嫡男としてヴィクターは生を得た。
しかし喜びが落胆に変わるのは、生まれた直後、その髪が金色に輝いていると分かった瞬間からだ。
両親のどちらとも似つかない髪色に、母の不貞がまず疑われた。しかしその疑いが直ぐに晴れたのは幸いにして身近な人間に同じ色を有する者がいなかったからだ。
疑いが晴れた事も束の間、忌避される色を持つヴィクターを産んだ責任を周囲は母一人になすりつけた。父は自宅から少し離れた場所に別邸を建てると、そこに二人を住まわせる事にした。
少しの使用人と母子の暮らしは静かだが平穏だった。口数も少なく義理堅い使用人を選んだ事も幸いだったのだろう。
父は金だけは惜しまなかった。お陰で食料は質の良い物を選べたし、母へは定期的に贈り物をしているようだった。それは花であったりドレスであったり様々だった。
しかし決して別宅に足を運ぼうとしなかった事が、父の本心を表していたのだろう。
ただ何を思ったのか一度だけ絵本が贈られてきた事があった。
簡単な言葉で書かれたその絵本は、明らかにヴィクターに向けて贈られた物だった。優しい絵柄の表紙には黒い髪と目を持つ青年の姿が描かれている。
この時初めて、神子と呼ばれる存在を知った。
異世界から召喚された神子が国中に足を運び、あらゆる人間を奇跡の力で救う。至ってありふれた内容の物語だ。それでも衝撃だったのは、神子の救いの手が誰にでも伸ばされる事だった。
「俺が生まれた事で両親の仲を壊してしまいました。でもその話を読んで、疎まれる色を持つ自分でも救いを望んで良いのだと思えた。許されたような気がしたんです」
そこから神子と言う存在をもっと知りたいと願うようになった。邸内の神子に関する本に全て目を通したら次は町の図書館に、それも目を通し終えたら、定期的に邸宅へ足を運ぶ商人から買い取った。人数の割に大きな建物は部屋ばかりが余っている。与えられた部屋の殆どは、集めた神子に関する書物や想像で描かれた姿絵で埋まっていた。
憧ればかりが募って行く中、静かな暮らしは強制的に幕を下ろした。ヴィクターが齢十になる頃、流行り病により母の体調が崩れた。
父はそんな母を心配し、別宅を売り払うと母だけを本邸へ連れ戻した。
ヴィクターは父の友人だと言う、田舎の領地を治める貴族の元へ、別荘の管理を名目に棲家を追いやられた。
そこでアドルフと初めて出会い、少しでも神子の近くにいる為に神殿騎士となる事を決めた。
「その頃には、病が癒えた母と父の間に弟が産まれていたので、なおさら騎士の道を選ぶ事に迷いはありませんでした」
神殿に入ろうと周囲から疎まれる反応は同じだった。
生まれを鑑みて本来なら与えられる筈も無い銀の鎧を纏おうと、髪色の事で他人から心無い言葉を向けられようと、理不尽な仕事を押し付けられ、言いがかりで罰を執拗に与えられようと、それはずっと受け入れてきた当たり前の事で。
「だからあなたが俺を選んでくれた時、夢を見ているんじゃないかと自分を疑いました。そして夢なら、醒めずにこのまま死んでしまいたいと」
「ッそれは」
「でも直ぐに思い直しました。だってあなたがあまりにも危なっかしいから・・・」
ヴィクターは視線を宙に向けると、懐かしむように目を細めた。冷たい冬の空気を連想させるような澄んだ色の目が、硝子玉のように光を反射する。
「あの日選んでくれた瞬間から俺は生きる意味を得たんです。だからお礼を言うべきは俺の方で・・・綺麗な忠誠心ばかりではないんです。この感情はもっと押し付けがましくて自分勝手なものなので」
ヴィクターは視線を上げ、俺の顔に手を伸ばした。しかしその指先が頬に触れる寸前、僅かの距離を残し止められる。
「あなたにこんな本音を曝け出すのは気味悪がられるのではないかと躊躇しました。でも、先程は変に気を遣わせてしまいましたね」
今日は何度も見ている困った表情を浮かべると、ヴィクターは俺の頬に触れないまま手を下ろそうとした。
しかしその手が下がりきる前に、俺は両手でヴィクターの腕を掴んだ。
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