バーソロミューの神御子

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バーソロミューの神御子

俺は座面に腰掛けながら、今日の出来事を振り返る。不運続きの一日で、漸く仕事を終えトイレに寄ったら、大量の水が襲いかかってきて。目が覚めたら怪しい宗教団体に囲まれ今はトイレに篭っている。 控えめに言って意味がわからない。 しかもローブ男は人を瓶に排泄させようとする変態だ。正直このままトイレに篭っていたい。 しかしそうも言っていられない。腹は減るし、濡れた服も着替えたい。唯一の救いとなりそうな鎧の男は、俺がトイレへ連れていかれる姿を傍観し今度は助けてくれなかった。よく分からないが、宗教団体にも序列があるらしい。鎧の男はなんか凄い見下されてたしな。 まあ、とりあえずそれは置いておく。 問題はこの先どうするかだ。 「異世界とか、神子とか今はとても信じられない。が、俺一人じゃこの状況を変えるのは無理だ」 あいつらに話を合わせ、隙を見て逃亡し警察に相談する。これが一番安全な手だろう。 変に奴らの主張を否定しても逆上されかねない。 それに男はこの場所を神殿と言っていたが、これほど大きな建物をその辺の配信者が用意出来るとも思えない。 怪しい宗教団体に攫われる覚えは無いが、それを考えるのはここを無事に逃げ出し警察に保護された後で良い。 幸い見張りを付けられていても、手錠をつけられ自由を封じられている訳じゃない。 表向きは従順に、反抗の意思は隠し通す。 取り敢えず俺の身の振り方はそんな所か。 「神子様」 考えがまとまった頃、扉が軽くノックされる。流石に時間を掛けすぎたか。俺はさっと立ち上がると扉を開いた。 やや目線より高い位置にある顔をじっと見つめ、敵意がない事を示すようにこりと笑いかける。とにかくこちらに反抗の意思がない事を示さなければ。 「いやぁ、すみません。俺もさっきは気が動転していて。皆さんの所に戻りましょうか、それで詳しく説明してくれませんか・・・何故、このような事をしたのか」 突然態度が変わった俺の様子にローブの男は僅かに戸惑いを見せる。しかし深くは考えなかったのだろう、そっと俺の背中を押すと召喚の間と呼ばれていた先程の場所へ向かって歩き出す。 ローブの男の後ろを大人しくついて行きながら、黒ベースの建物は怪しいが確かに神殿らしい荘厳な雰囲気だと気付いた。壁には宗教画らしき絵が飾られているし、ガラス張りの窓の外には大きな鐘が飾られているし高い建物が見える。外の様子が伺えないかと期待したが、高い塀の所為で見えるのは敷地内の整えられた庭ばかりだ。それも薄暗い所為ではっきりとは見えない。 塀を登って逃げるのは難しいだろうか。いや、塀の一部に凹凸があるので、あそこに足を掛ければ何とか登れるのでは、 「神子様」 「ッ、はい」 不意に声を掛けられ、思考が見透かされたのかと焦る。前を向いて歩いていたらローブの男は、いつの間にかこちらへ振り向き足を止めていた。 「この国を豊かにし、そして神子様の奇跡の恩恵をどうぞ私たちに授けてください」 「神子の、奇跡・・・」 「ええ。まだ戸惑いもあるでしょうが、少しずつこの世界に慣れていきましょう。大丈夫、きっと直ぐに慣れますよ」 ゆっくりと開かれる扉の先には、先ほどと同じようにずらりと黒いローブの集団が控えていた。 ーーー神子の奇跡。 そんなもの、起こせるわけがない。異世界だって神子だって、このおかしな集団が言い張っているただの嘘だ。それなのに、どうしてこいつらの目は、少しの疑いも無く俺を自分とは違う生き物のように見据えてくるのだろう。 ぐっと握りしめたスラックスの生地は、いつしか乾いていた。 「まずはこちらへお召し替えください」 そう言って渡されたのは、アニメや漫画で司祭が着ていそうなデザインの黒い服だった。一切の装飾がない男たちのローブとは違い、渡された服には黒い刺繍が細かく施されている。しかしぱっと見は真っ黒なので、正直喪服のような印象だ。 反感を買いそうなので口には出さないが。 「あの、どこで着替えれば」 「どうぞここで」 ここで。 「ええと」 男同士で恥じらっているわけでは無いが、怪しい集団に囲まれ衆人環視の元着替えるとなると話は変わってくる。 「は、はは、ちょっとあっちの方向いてて欲しいかなぁって」 「大丈夫、我々の事は気にせず着替えてください」 さあ、と促されれば断る術も無い。 下手に渋ってこの男たちが何をしてくるか分からない。俺は覚悟を決め、ネクタイを緩め地面へ投げ捨てると、潔くスーツの上着を脱ぎ捨てた。 緊張で冷えた指を何とか動かし、無駄に数の多いシャツのボタンを外す。上半身の服を脱ぎ去り、頭から渡された服を被る。 踝までの長さの祭服は、見た目よりサラリとした軽さで身体を覆ってくれた。 「下のお召し物も全て脱いでください。勿論、下着も」 お前ら全員ノーパンか。邪教徒共が。 内心そう罵りながら、俺は祭服の下から手を差し込み、ベルトを外す。 「どうされました?」 「・・・」 動きを止めた俺に、無数の視線が冷たく向けられる。いや、冷たく感じるのは俺の気の所為だろうか。 訳の分からない状況で、訳の分からない奴らの前で無防備な格好を晒すのはひどく憚られた。 「難しいようでしたら、我々が手を貸しましょう」 「・・・それには及びません」 ローブの男たちに、嘲りの感情はない。奴らは真剣にそう言ってるんだ。 だからこそ下手に躊躇った時、相手の起こす行動に予想がつかない。 俺は上着を脱いだ時以上の覚悟を決め、下着ごとスラックスを脱ぎ捨てた。 履いたままだったトイレ用のスリッパを脱ぎ、差し出された黒い靴に履き変えればば、頭の先から足元まで真っ黒な怪しい神子様の完成だ。 第三者から見たら俺もこの集団の一員と言う訳だ。 悲しい事にこの空間に違和感無く馴染んでいる。 「大変良くお似合いですよ。まさしく天より使わされた神の御使いです」 「・・・そうですか」 邪教徒の信仰する邪神のな。まったく嬉しくない。 男の一人がスーツを拾い丁寧に畳むと、それを手に扉から出ていった。初任給で仕立てて以来、三年苦楽を共にした相棒だ。残念ながら今後取り戻す事は恐らく出来ないだろう。内心スーツの行く末を嘆くが、直ぐに思考を切り替える。今の俺に惜しんでいる余裕は無い。 緊張で荒くなる呼吸を整え、うるさい心臓の鼓動を隠し通す。 「それで、神子とは何なのか。教えていただけるんですね」 「ええ、お話ししましょう」 どうやら部屋を移動するらしい。俺はおとなしく男の後ろについて廊下へ出る。扉が閉まる前に、ふと何気なく元いた部屋を見ると、奥の方に石に囲まれた泉が見えた。ローブの男たちの所為で最初は気が付かなかった。 そういえばこの場所に来る前、トイレから溢れる水に飲み込まれたんだった。 もしかしてこの泉と繋がっていたりして。そうふと思いついたが、会社のトイレに人が通れるような大きな穴は開いて無い。直ぐに自分の考えを否定する。 もしかしたら俺が警察に助けを求めるより先に水浸しのトイレに気付いた社員の誰かが通報してくれるかもしれない。 それに明日になれば俺が出社して来ない事だって誰かしら気付くはずだ。トイレが尋常じゃない水浸しとなり、加えて社員がいなくなったとなれば何かしら事件性を持たれるに違いない。 その予想に僅かな希望を持ち、俺は自分を鼓舞する。大丈夫、人が一人いなくなると言う事は、思っている以上に大事だ。 俺は勤務態度は真面目で、友人もいるし、親も健在だ。今日は木曜日で、明後日の土曜日には友人と出掛ける約束をしていた。 それが突然行方を眩ましたとなれば、俺の身に何か起こったと思うだろう。 「どうぞ神子様、お掛けになってお待ちください。今飲み物を用意させますので」 「ご心配なく、喉は渇いていません」 嘘だ。 正直喉はカラカラで少しひりつくくらいだ。それでも得体の知れない奴らが出す飲み物なんて、疑わしくて口なんてつけられない。 そう言えば、確か鞄に飲み掛けのペットボトルを入れていたはずだ。目を覚ました時、俺の鞄を持っている奴はいなかった。もしかしたらあの部屋のどこかに残されているかもしれない。 「さようですか、では説明を始めますね」 そう言うと、対面のソファへ腰掛けた男は被っていたフードを後ろへ落とした。あらわになったのは、淡い紫色の髭を蓄えた老齢の男だった。頭部はつるりとしているが、眉毛や髭の色はどちらも同じ色をしている。目の色は一部白みがかっているが大部分は濃い紫色をしている。 「私は神殿長のコーニーリアスと申します。このような姿を晒すのは恥ずかしいものですが、姿を隠したままと言うのも神子様に警戒心を抱かせてしまうでしょう」 「恥ずかしい、と。別にそのような事は・・・」 「私も昔は黒に近い紫色の髪と目をしておりました。神に使える立場に相応しい色に。しかし年には勝てず、年々色は抜け落ちるばかりで」 神に使えるに相応しい色。 そう言えば最初、俺の髪と目を神子の証だと言っていた。日本人の大多数は黒髪黒目だろう。そんな事が神子の条件なら、彼らの言う神子とやらは大量発生するだろうに。 彼らにとって色の薄い髪や目は恥となるものなのだろうか。 「それで俺に何を望んでいるんです。国を豊かにしろ、と言うのは具体的にどうやって」 「あなたには神子の奇跡を振るっていただきます」 また"神子の奇跡"か。 「神子とは、定められた儀式を行う事で奇跡を起こす事が出来ると言われています」 「儀式?」 「ええ、歴代の神子は毎夜その儀式を行い、人々を救ったと文献に記されています」 「ちょっと待ってくれ、文献?前例がある上、そんな昔から存在するものなのか」 もう敬語なんて使う余裕は無かった。 そんな昔からこんな怪しい団体が存在している? 実際にこうして俺が攫われているなら、過去に誘拐事件として話題になっていてもおかしくない。警察だって動いていただろう。 それが捕まらずに、今もこうして活動している。 「いったいお前たちは、どれだけ前から神子を拐かしているんだ・・・」 「バーソロミューが建国し五百年、神子様と共に我が国は繁栄してきました。そしてあなたは四人目の神子様として選ばれたのです」 「は、はは、選ばれたって・・・お前たちにか」 五百年。 歴史としては短いようで、語るには長い時間。バーソロミューなんて国、聞いた事が無い。こいつらは国の歴史まで妄想で作り上げていると言うのか。無意識に泡立った二の腕を摩る。背筋には先程から薄寒いものが走っていた。 「まさか、選ぶのは私たちではありません。我らが信仰する、神ですよ」 コーニーリアスは恍惚と微笑む。 白いもやがかった紫色の目が、俺の姿を真っ直ぐ見据える。その視線はまるで思考も何もかも丸裸にするようで、隠しきれない嫌悪感から僅かに眉根が寄る。 四人と言う言葉を信じるなら、こいつらは神子と称し俺を含め四人の人間を誘拐している。 「あなたは、供物を捧げるべく神が異世界より選び給われた神子です。そして、その代わり我々は貴方様が起こす奇跡を享受する」 召喚儀式の方法は、この国の神殿にのみ伝わっている。 異世界より神子を召喚する代わりに、儀式さえ行えば神は神子が奇跡を起こせるよう、特別な力を授ける。そしてその奇跡は、この国の王族、貴族を始め国民が享受する事が出来る。 そうコーニーリアスと名乗る神殿長は説明した。 「待ってくれ、どうして神子を異世界から召喚する必要がある」 指摘して良いものか僅かに逡巡した後、俺は相手を刺激しないよう様子を伺いながら問いかける。 「この世界の人間は、神に嫌われているのですよ」 「はぁ・・・」 そんな神を信仰しているのか。そう疑問に思う俺に、コーニーリアスは語り始める。 かつてこの世界には、二柱の神がいた。一柱は光を司る神、そしてもう一柱は闇を司る神。二柱は共に力を合わせこの国を守護していたが、ある日、同じ一人の人間を愛してしまう。 その人間は、黒い髪と目が美しい青年だった。 その青年を独占したかった光の神は、青年を連れ異界に逃げ去った。 残された闇の神は悲しみ、その怒りをこの世界の人間に向けた。 天変地異が起こり多くの国は滅びたが、この国の祖先は光の神が残した異界への道を辿り、異世界より黒髪の青年を召喚し、神へ捧げる事で怒りを沈めたと言われている。 「・・・とても作り話とは思えない」 「この国はおろか、この世界では最もポピュラーな創世記ですね」 「因みに、五百年以上前の歴史はどうなってるんだ」 「ありません」 「無い?」 「ええ、先程申し上げたように闇の神の起こした天変地異で殆どの書物が失われたとされています」 「・・・へえ、因みに召喚した黒髪の青年って言うのは、最初に神様同士で奪い合った青年とは別人なんだよな?」 もし同一人物なら、その後も神子を召喚し奇跡を起こすメリットが無い。 「さて、そこまで記述はされていないのでここからは私の想像なのですが。闇の神は未だその青年を探しているのではないでしょうか」 ーーー愛した青年をこの世界に取り戻すまで、召喚は続けられる。 「なるほど、」 作り込まれた設定に、俺はそう答えるしかなかった。散々邪教だ、妙な宗教集団だと内心罵ってきたが、笑い飛ばすにはあまりに凝りすぎていた。 こちらが恐怖を感じるほどに。 「神子様には今宵、さっそく儀式を行なっていただきたいのです。大丈夫、歴代の神子は皆行った事です。痛みも苦しみも無い。心配する事など何一つないのですよ」 「はは、」 ーーー心配しかないんだが。
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