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守護騎士と銀の鎧の男
無理だ、と答えるより早くコーニーリアスは扉を開くと俺の腕を引き室内へ入った。
扉から向かって右側には黒いローブの集団が、左側には鎧姿の集団が一列にずらりと並んでいた。想像していた以上に人数が多い。俺は引き攣る頬を何とか堪え、コーニーリアスに連れられ奥へ進んだ。入口付近の鎧たちの中に、ふと見覚えのある銀の鎧姿があったように感じた。
「さあ、神子様。こちらへお掛け下さい」
そうして促されたのは、儀式の間で使われていた石と同じ材質の椅子だった。恐る恐る椅子に座ると、祭服越しにヒヤリとした石の感触が伝わってくる。
満足そうに頷くと、コーニーリアスはローブ姿の列の一番前に並び直した。
部屋からついて来ていた黒い鎧の騎士も列に並ぶのかと思ったが、騎士は椅子の横に控えると微動だにしなくなった。
神子の奇跡を起こせと言いながら、この場の全員がじっと動かず待機している。爽やかな朝日が差す室内とは裏腹に、この場にいる全員の奇妙な振る舞いに耐えきれず口を開こうとした時、扉がギィッと鈍い音を立て開かれた。
そこには着古した服を纏った、くたびれた印象の男と銀色の鎧の姿があった。
鎧の色は同じ銀色だがヴィクターと呼ばれた男の鎧の意匠とは異なる。どちらも俺が知らない人物だ。
コーニーリアスは、一体俺に何をさせたいのだろう。
その考えを読んだように、列に並ぶコーニーリアスが口を開いた。
「そこの騎士が連れている男は、蛮族街の住人です」
「・・・蛮族街」
「ええ、まあ、一言で言えば犯罪者が集う街の住人です。その者も例に違わず犯罪者で、王都で薬の密売を行っておりました」
「それで、俺にこの者をどうしろと」
脳裏には警鐘が鳴り響いていた。想像したくない。けれど嫌でも想像できてしまう。奇跡を起こす神子と剣を腰に下げた騎士、そしてーーー"死んでも惜しくない、悪人"。
「・・・やめろ」
「大丈夫ですよ、神子様。奇跡の起こし方は神子様であれば考えるより容易く施せると聞き及んでおります」
「やめろと言っている!」
「心配する必要はありません。あの騎士は経験も豊富で剣の扱いに長けておりますゆえ、死なない程度の加減は得意なんですよ」
「黙れ、コーニーリアス、お前!最初からそのつもりだったな!」
コーニーリアスが言っていた、確かめる必要がないという言葉はこの為か。
あんなふざけた儀式、歴代の神子が最初からまともに受け取る訳がない。だからこうして一番最初に"見せしめ"を行う事で神子を都合良く操り、そして自分の意思で奇跡を振るうように仕向けるわけか。
俺が椅子から立ち上がるより早く、それを察し横に控えていた騎士の腕が腹に回され拘束される。立ち上がり損ねた俺は祭服の裾が捲り上がるほど足をばたつかせるが、屈強な鎧はびくともしなかった。
「クソが!放せ、放せってば!放せよ!」
拘束されていない方の手で鎧に覆われた顔面を殴りつける。大した衝撃にもならないのか、びくともしない鎧に怒り任せで何度も拳をぶつける。
喧嘩なんてした事も無い、デスクワークに慣れた手だ。硬い鎧で簡単に柔い皮膚が破れ、黒い鎧の表面を血で汚した。
「神子様、儀式を行いませんでしたね」
半狂乱の俺に向かいにこりと微笑むコーニーリアスは、死刑宣告のように静かにそう言った。
後ろ手に縛られた男が騎士に背中を押され地面に倒れ込む。逃げようとと蠢く男に片足を乗せ動きを封じると、騎士は腰に下げた剣を鞘から抜き、大きく振り上げた。
「ーーーッ!!」
騎士は足で地面に縫い付けた男の背を、躊躇いなく袈裟斬りにした。
白い地面を鮮血が染め上げる。
上がった悲鳴は、果たして男のものだったのか、俺のものだったのか。
「ッは、はあっ、はっ」
腹に回されていた腕が外される。俺はよろよろと椅子から立ち上がると、小さく麻痺する男のそばに寄り、膝から崩れ落ちた。
「み、この奇跡・・・」
震える手で男に触れるが、当然何も起こらない。男が小さく呻き声を上げた程度だ。
アニメや漫画のように、傷を治す魔法なんて使えない。何故ならこれは現実で、神子も奇跡も、こいつらが勝手に言ってるだけで、
ーーー違う。
こんな暴挙、日本で許されるはずが無い。それこそ彼らの言う異世界でも無ければ。
俺は本当に、異世界に神子として召喚されたのか。
「神子様」
コーニーリアスが呼ぶ。
「神子様、その者を助けたいですか」
「・・・」
「今宵、今度こそ儀式を行うのです。その者はまだ息がありますので、明朝までは恐らく保つでしょう」
さあ、とコーニーリアスの手が肩にそっと添えられる。俺はその手を弾くと、ぐっと膝に力を込めて立ち上がる。
「・・・儀式はやる。それから、明朝までって言ったな。それまでにこの男を死なせたら許さないから」
「・・・ええ、ええ!勿論です。責任を持って約束を果たしましょう」
真っ直ぐ見据えたコーニーリアスの白く濁った目は、期待と恍惚に輝いていた。
興奮してんじゃねえぞ、クソジジイ。吐き出しそうになる暴言を呼吸に変え深く吐き出し、大きく息を吸う。冷静さを欠くな。感情的になればこの男の思う壺だ。
「それからあの騎士」
俺は黒い鎧の男を指差す。先程俺の腹を押さえて拘束していた男だ。
「チェンジで」
「勿論かまいませんよ、それでは別の者を」
「ヴィクターが良い」
俺の言葉に、初めてコーニーリアスの表情が崩れる。周囲からも騒めきと戸惑いの空気が伝わってきた。
「どこでその者の名を」
「ヴィクター以外は認めない。先に構わないって言ったのはそっちだろう」
俺の言葉に、コーニーリアスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。恐らくヴィクターは身分の低い騎士とかで、俺にあまり近付けたくない人物なのだろう。階段から落ちた際助けられなければ、本来なら関わる事の無かった相手だ。俺がヴィクターの事を知っているとは思わなかったに違いない。
俺がここで出会った数少ない人間の中で、比較的話が通じそうな人物。
「分かりました。ヴィクター、こちらへ」
名を呼ばれ、入口付近に立っていた銀の鎧がこちらへ近付いて来る。
「今この場より、あなたを神子様の守護騎士に任命する。命を賭して神子様を守りなさい」
「謹んで拝命いたします」
ザッと膝をついてヴィクターが傅く。
銀の鎧が朝日に照らされ、その場が神聖な空気に満ちる。一列に並んでいた騎士たちが一様に鞘から剣を抜くと、胸の高さに剣を翳した。静かな室内に、金属の擦れる高い音が響く。
荘厳なこの場所に不釣り合いな錆びた鉄の臭いと弱々しい呻き声は、彼らにとって等しく歯牙にも掛けない事なのだろう。
そしてそれは、俺を助けてくれたヴィクターにとっても同じなのだろう。身分があり、命の価値が軽く、冷徹で暴力への忌避が無い。
俺は自分と男の血で濡れた拳をぐっと握りしめると、覚悟を決めた目で彼らを睨み付けた。
意識を失った男は数人の騎士によってその場から運び出された。後をついて行く俺に止めようとする声が掛けられたが敢えて無視を決める。運ばれた先は、敷地内に建てられた治療院のような外観の控えめな建物だった。白いベッドにうつ伏せで男が寝かされると、男を運んだ騎士は用が終わったとばかりにさっさとその部屋から出て行った。
医者らしき男は俺の姿を一瞥したが、それ以降は特に気にする様子もなく慣れた手つきで男の服を鋏で切り患部の治療を始めた。
切り捨てられた男が別室で治療される様子を確認してから、俺はコーニーリアスに声を掛けた。
「召喚の間に俺の荷物は無かったか」
「荷物、ですか?いえ召喚の間の泉の底から神子様は浮かんできましたが、荷物と言うのはぱっと見では気付きませんでしたね」
「それならもう一度そこへ行って確かめたい」
「それは構いませんが、」
ちらりとコーニーリアスの視線がヴィクターの方へ向けられる。あまりあの場所へは連れて行きたくないらしい。俺は鎧に包まれたヴィクターの腕を掴むと、ぐっと力を込める。
「ヴィクターも連れて行く」
譲る意思がないと悟ったコーニーリアスは、小さくため息を吐くと俺を召喚の間へ案内した。
この世界で初めて目にした時と同じ。厳かではあるが暗くどこか陰気な部屋だ。
腕を掴んだまま中へ入ろうとすると、ヴィクターは拒否するようにぴたりと足を止めた。黒い鎧の騎士もそうだったが、思い返せば召喚の間や俺の部屋、儀式の間のいずれも彼らは中へ入ろうとしなかった。俺の知らない彼らの決まりが存在するのだろう。
俺は諦めて彼の腕を解放すると、コーニーリアスと二人、室内へ入った。
俺は部屋の奥へ進むと、黒い石で囲まれた泉の淵で足を止める。石が黒い所為でぱっと見た感じでは泉の水深や地面は目視できない。試しに少量の水を掌で掬うと透明だった。妙な匂いもなく、本当にただの水だ。
「神子様、もう気が済んだでしょう?戻りませんか」
背後で呆れたような声を出すコーニーリアスを無視し、俺はその場にゆっくり立ち上がる。
「ここには何もーーー神子様!?」
俺は勢い良く身に纏っていた祭服を脱ぐと、こちらに駆け寄ろうとするコーニーリアスに向かって投げ捨てる。顔を服で覆われ前後不覚になっている隙に、俺は大きく息を吸うと泉の中へ飛び降りる。
覚悟はしていたが、予想より深い。
勢い良く飛び込んだ所為で空気の泡が視界の邪魔にになる。しかしそれも暫く潜っていればすぐに治まった。一度水面まで戻れば今度はコーニーリアスに停められるだろう。息が続いているうちに早く目的の鞄を見つけ出さなければ。
石が黒い上、鞄の色も黒だ。そう狭くない泉の底を探すのは中々至難の技だった。
「!」
しかし不意に、暗闇の中で小さな光を見つける。それを頼りに泳ぎを進めれば、目的の鞄が沈んでいた。俺は鞄を手繰り寄せると、それを胸に抱き地面を蹴り上げた。
「ぶはっ!」
「み、神子様!」
膝をついて狼狽するコーニーリアスを押し退け泉から上がる。鞄を確認して気付いたが、光っていたのはペットボトルを買った時についてきたおまけのキーホルダーだった。そういえばこれは蓄光素材で出来ているものだった。
水を含んで重くなった鞄を一度地面に置き、コーニーリアスが手に持つ祭服を奪い頭から被る。
「何と言う無茶を」
「用は済んだ。部屋まで戻る」
鞄の取っ手を手に持ち直し立ち上がる。黒い石造りの地面を鞄から垂れた水がびしゃびしゃに濡らしたが俺には関係無い。
目的は済ませた。さっさとこの陰気な場所から離れたい。
コーニーリアスを置いて扉を開けば、ヴィクターの大きな背中が出口を塞いていた。
「ヴィクター、帰ろう」
「失礼しました、神子さ・・・!?」
びしょ濡れの様子の俺を見て、ヴィクターの目がぎょっと開かれる。
俺は固まったヴィクターを押し退けると自室を目指す。この部屋から部屋までは一本道だ。迷い無く足を進めると、後ろから駆け寄って来る足音が聞こえる。鎧の重厚な音じゃない。コーニーリアスだろう。
「勝手な行動をされては困ります」
「うるさい。部屋に戻るだけだ。それともこのまま俺が外に逃げ出すとでも?」
「・・・いいえ、」
歯切れの悪い返事だった。
この世界に召喚されてから、コーニーリアスはいつだって俺についてきた。そうしなかったのは俺がトイレへ行きたがった時くらいだ。俺の行動を縛り、自分が管理する事。こいつは神子を自分の傀儡にしたいんだろう。
全てを把握し制御する。
だから俺が予想の範囲外の行動を起こせば、少しの事で狼狽える。
お前の都合の良い様にはさせない。
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